第八話
『子守り』と同様に『聖女』と『賢者』も、彼の前には現れなくなった。
“不適合”――――何度、彼らを呼び出そうとしても、この言葉で遮られてしまう。
――――オレが『子守り』を好きになったから、彼女は“不適合”で出てこられなくなった……?
“好きなら好きでいいじゃない”
罪悪感と『聖女』に指摘されたことが、頭の中で順繰りにぐるぐると回る。
プログラムは人間ではないから、そんな感情を向けることは許されなかったのかと、この日は自問自答を繰り返すばかりだった。
【……お昼のニュースです。政府はいわゆる『惑星再生計画』の実行として、向こう百年の予定で惑星の汚染物質の浄化を目指し――――】
「………………はぁ……」
『よう! 調子はどうだ?』
二人がいなくなった翌日。
平日の仕事を片付けていると、いつの間にか昼休みになり『同僚』が隣りに立っていた。
『もう昼だから休憩だぞ』
「あぁ……ごめん、これ片付けてから……」
断ってから、再びパタパタと画面に打ち込んでいると、『同僚』は笑顔を浮かべたまま黙って立っている。
これはいつものことで、彼の仕事がそんなに多くない時はキリの良いところまで待っていてくれるのだ。
――――休憩の時は人のやることにいちいち茶々を入れるけど、こいつは仕事の邪魔はしないんだよな。そこは意外に常識がある………………常識?
『…………………………』
「…………………………」
『同僚』はニコニコしながら黙って彼を見詰めて立ち続けている。
その時ふと、彼の頭の中で声が響く。
“君にはまず、常識を疑うということを念頭に入れてもらいたいな”
初めて会った時の『賢者』の言葉だ。
パタ……。画面を押す指が一瞬止まる。
――――何で、この言葉を思い出したんだろう……。
首を傾げながらも特におかしいこともないので、彼は再びパタパタと画面を押していった。
やっとのこと午前中の仕事をまとめて送信する。
『終わったか? 昼飯は?』
「台所に用意してある…………」
『ついでにコーヒーも持ってきてやるよ。ちょっと待ってな』
「あぁ、ありがと…………」
鼻歌を歌いながら『同僚』は一度、オフィスを出て台所へ『家政婦』が作っておいてくれた弁当を取りに行ってくれる。極たまにだが『同僚』が『家政婦』のように気を利かせる時があった。
――――……なんか、調子狂うんだよな。
絶好調の『同僚』とは反対に、彼は居心地の悪さを感じていた。
『同僚』が戻ってくる前に目の前に浮かぶ画面を凝視する。
これは彼に送られてくる簡単な仕事だ。
ゲームに関係するというが、彼がやっていたRPGのゲームとは違う。
画面は特に現れず、彼が見るのは数字の羅列だけだ。そこから判る印象として、このゲームは“日常シュミレーション”といったところだろう。
ゲームの中の日常に影響を及ぼす“バグ”を見付ける仕事。
プレイヤーが疑問に思ったことを投稿したものを、ゲームのシステムに確認をしに行き“バグ”であれば報告する。
直接、その“バグ”を消すのはもっと上の仕事だ。
「…………“バグ”か……」
今更ながら、彼は疑問に思ってしまった。
このゲームにおける“バグ”とは何だ? と。
『おーい、休憩にするぞー』
「あ……うん……」
コトリ。
休憩のテーブルに、サンドイッチが乗った皿とマグカップに入ったコーヒーが置かれる。
「あのさ、ちょっと聞いてもいいか……?」
『ん? 何だ?』
「お前、仕事のこと…………」
『仕事ー? 休憩の時まで言うなよ。お前は真面目だなぁ!』
「いや、本当に少しだけだから」
『え〜、まぁ……何だよ』
『同僚』のプログラムが出てくるようになったのは、彼が仕事を始めてすぐだ。
これまで、『同僚』が彼の手伝いをすることはないし、仕事の話をすることもなかった。しかし仮にも“仕事”の『同僚』だ。プログラムとしては、まったく仕事に関わらないのも、何かおかしい気がしてきたのだ。
話を茶化されそうになるが、それを制して『同僚』に尋ねる。
「この仕事、わかるよな? コレの“バグ”って、実際どんなものなんだ?」
先ほどまでやっていた仕事の画面を『同僚』に突き付けて、彼はおびただしい数字の中の一点を指差す。
『え? ゲームの“バグ”のこと? 悪いものだから取り除くんだよな』
「だから……その悪いもの……って、具体的にどんな悪影響を及ぼすんだ?」
『……………………』
彼の質問に『同僚』が初めて沈黙した。
このプログラムが出て二年ほどの付き合いだが、彼がイライラとしていても、常にヘラヘラと笑いペラペラとしゃべっている。
「……わからないか?」
もしかしたら、仕事の内容には関わらないのかもしれない。このプログラムは彼に休憩を促すだけなのだろう。
そう、彼が思い始めた時だった。
『そのバグは、ゲームにとって“不適合”だろ? だったら見付けて消さないと』
抑揚の無い声で『同僚』が言う。
彼はその声の主が、目の前の『同僚』だと思えないほどにその声色を冷たく感じた。
「………………え…………」
――――今……不適合って言っ…………
サァッと顔から血の気が引いていく。
あまりに意外な言葉を聞いたことに、彼が声を詰まらせていると、次の瞬間に『同僚』はニカッと笑った。
『はいはい! それを見付けるのがお前の仕事じゃんか。バンバン見付けて上に報告すれば、お前は出世できるんだからさ! 頑張ろうぜ!!』
「あ、うん……うん……」
背中をポンポン叩きながら言う声は、彼にとっていつものうざったい『同僚』に戻っている。
――――聞き違いじゃない……よな?
言い知れぬ不安が過ぎった。
…………………………
………………
その日から、彼は仕事の合間に送られてくる数字を解析しようと試みた。
彼は二年間の業務の他に、ここを出る“上級”の資格取得のための勉強も進めている。その中で、単なる数字やアルファベットの並びでも、何となくだが内容が解るようになっていた。
――――自分がやっている仕事の内容を調べるだけだ。悪い事ではないだろう。
いつもの仕事に支障をきたさないように、ゲームの数字解析は就業時間後に行う。
解析しているのは、過去に彼が行った仕事のコピーだ。本来なら仕事終了と同時に消えるが、彼は少しだけ操作して別のファイルに解析用にこっそりと記録していたのだ。
もしも、この仕事を深く理解できれば、彼の能力を発揮できる分野を探し出して、上に評価してもらえるように打診できるかもしれない。
そうすれば、この『生活空間』ではできない仕事を、外に出て任せてもらえる可能性があると考えた。
ピピピ、ピピピ、ピピピ…………
夜のオフィスに7時のアラームが鳴る。
完全な就業時間として部屋は暗くなったが、デスクの上の画面の明るさで手元を見るのには十分だった。
夕飯の時間なので、休日に息抜きとして大量に作り置きしたショートブレッドをかじりコーヒーで流し込む。
最近は『家政婦』や『同僚』が見ている平日の朝と昼だけはしっかりした食事をして、夕飯はこれだけで済ませている。この間から、彼らにより監視されているような気分になっていたからだ。
「…………もう少しなんだよな」
もう少しで、送られてくる仕事の全容が判ってきそうだった。
数字の羅列ばかりを見て、おかしな箇所だけを探して上に報告する。
この仕事に意味はあるのか?
違う数字を探し出すだけなら、それこそ人間の手ではなく機械の方が正確ではないのか?
これをいつまでやれば、先の事を任せられるようになるのか?
――――考えても終わりが見えないなら、終わらせる道を見付けるのみだ。
パタ、パタ、パタ………………タン。
「………………ん?」
並んでいる数字とアルファベットに、見たことがある並びを発見した。
以前にメモしていたものと照らし合わせると、それは何処かの部屋の間取りであることが判る。
――――この部屋の配置…………『生活空間』と同じだ。ゲームなのに?
パタ、パタ、パタ、パタ………………
出てきた情報をひとつひとつ確認する。
ひとつ解ると、次々に数字たちの全容が見えてくる。
彼の住んでいる『生活空間』と同じ間取り。
住んでいるのは女性で三十代。
使用プログラム『家政婦』『トレーナー』『シェフ』『看護師』。
「え……? 何だよ……これ…………」
まるで現実の『生活空間』だ。
さらに解析を進めると、その生活の時間ごとの行動まで記録されていた。
――――ゲームじゃ…………ない?
ある人物の日常生活の様子だった。
そこまでは普通の、なんの変哲もない彼女とプログラムの記号であったが、その中に自然に紛れるように不自然な数字が隠れていた。
【K10S17I2T18B272Z172T20】
彼がいつも見付ける“バグ”のひとつである。
いつもは表面だけ見て変だと判断し、マーカーを付けてから報告だけをしているもの。確か、この“バグ”も見付けて報告していたはずだ。
――――今なら“バグ”の正体が解るか?
「………………え?」
解析はものの数秒でできる。
それはプログラムの『執事』であった。
しかし、それに捻じ込むように別のプログラムが織り込まれている。
「…………………………『恋人』……?」
生活には無いプログラムだ。
ドキン! と心臓が跳ね上がった。
“もしくは恋人だったかもしれないわね”
ある日の『聖女』の声を思い出す。
――――“バグ”は“不適合”だって…………。
彼はこれを“バグ”として報告するのが仕事。
それを消すのは上の仕事。
自分がやっていた“仕事”の正体を彼は悟って戦慄する。
「これ、ゲームじゃなく……現実の……誰かの『生活空間』じゃないか……!? “バグ”ってまさか…………」
――――『子守り』…………!?
彼が思わず叫んで立ち上がった時、ドンッ!! と背中に強い衝撃を受けて床に転がされる。
慌てて身体を反転させると、目の前には笑顔の『同僚』が立っていた。
『まだ仕事してたんだ?』
「ぐっ……!!」
『同僚』は彼の頭を床に叩き付け、両手を彼の首へと当てる。
『残業ご苦労さま。でももう、休憩の時間だ』
「うっ…………」
ギリギリと彼の首を締め始める『同僚』の手が、恐ろしいほど冷たい。
昼間しか見たことがないその笑顔が、暗いオフィスの中では異次元の怪物のように見えた。