第五話
彼がゲームを再開して三年がたった。
最初は弱くて話にならなかった彼のパーティは、今では他のものより大きくなっており、難しいクエストも難なくこなすようになった。
低レベルから根気よくずっと一緒にいるため、仲間の結束も強く、情報のやり取りも頻繁にしている。最初に仲間を集めたのが彼だったためか、いつの間にか彼がリーダーになっていた。
そして、彼はゲームと並行して、政府が年に数回行う学力テストにも参加し、少しずつ成績を上げていった。
そんなある日、オフィスで就業のために勉強していると、空中に表示された画面の“新着メール”のマークが点滅する。
少し思い当たることがあり、彼は作業を中断してメールを開いた。
《オメデトウゴザイマス! アナタハ 年間優良プレイヤー ニ 選バレマシタ!》
「…………よし……」
彼は小さく拳を握る。
それは政府より届いたもので、各種ゲーム世界で優秀だと判断されたプレイヤーへ贈られる言葉だった。
彼は自身だけでなく、多くのプレイヤーを成長させ、パーティを大きくしたことが評価されたのだ。
――――大昔の書物を参考にしたが……現代でも役立つものだな……。
政府が運営する各種ゲームに、攻略法などは特に知らされていない。プレイヤーが独自に判断し、仲間と協力するかどうかで話や敵の動きはまったく違ってくる。
だから彼は『子守り』と一緒に利用していた図書館から、古代の戦術、地理学、気候学、兵法、人間心理…………あらゆる本の知識をまとめて、それらをゲームの中で応用した。
このRPGの基が古代の西洋を参考にしているのなら、ゲーム内も戦争、地形、天気、人間の行動は反映されているだろうと思ったのだ。
そしてその狙いは見事的中する。しかも、他のプレイヤーが“大昔の知恵を参考にする”という考えを起こさなかったせいか、彼が取った行動を理解できずにあっという間に撃破されていった。
それは少し相手よりもレベルが低くても、戦略さえハマれば勝てるという証拠である。
“レベルさえ上げれば勝てる”と思ってゲームをしていたプレイヤーの多くは、対峙するキャラクターの後ろに生身の人間がいることを忘れていたようだ。
レベルはある程度までくると、極端に上がりにくくなっていた。それ以上はプレイヤー自身の判断力が試されていたはずだと彼は考えていた。
――――これは政府公認のゲームだ。たぶん、このゲームをやれば個人的な能力の情報は、政府の研究施設などに集められる。
同じ『生活空間』の人間でも、能力や性格でプログラムが変わっている。
それを判断されるのは普段の生活の様子や、検索履歴、ゲームの成績、任意で受ける試験などが対象だと思われた。
ゲームをやらないと積極性が無いと判断されて個人評価は低い。
生活リズムが狂っていると自己管理意識が低いと思われるし、日がな一日寝てばかりで何もしないでいると怠惰だと思われる。
きっと、今も現在動いているプログラムによって監視されていると考えられた。
「…………ふっ……」
彼は小さく鼻で笑う。
人口を増やすのが今の人類の目的の一つだが、上はきっちり働ける人間や遺伝子を残す人間を選んでいた。
惑星のために働ける人間。
人口増加のための人間。
要らないと判断された人間。
子供の頃に最低限の基準をクリアすれば、この『生活空間』に入れられて、そこからさらに篩に掛けられる。
人間に優劣を付けて、より優秀な遺伝子を後世に残すための。生まれ持っての才能はもちろん、大人になるまでの過程も性格を観るためのものだったのだろう。
だから、何不自由なく過ごせる『生活空間』において、好きなことができるということが選別の判定に大きく関わっていたのだ。
――――『子守り』が消えたのは、何か彼女と一緒にいるのがオレに不都合だと判断されたんだ。
その原因をつきとめ彼女を再び呼び戻すなら、やはり“上級”と呼ばれる人間になるのが一番可能性があるのだろうと確信する。
「さて、せっかく“優良”になったんだから、それに見合う特典が………………あ、これか?」
お祝いのメッセージの下に【アップデート】という文字を見付けた。
トン。指で弾いて選択してやると、どことなく憶えのある『取り扱い説明書』という画面になった。
「…………トリセツ? なんで……ん?」
一部の文字の色が違う。それには『追加項目』と書かれている。またその項目を指で弾くと、窓ではない壁に大きなモニターの枠が現れた。
「…………『ニュースサイト、その他娯楽番組にアクセス可能』……映像が観られるってこと?」
モニターに向かって電源を入れるように言うと、最初に映ったのはスーツ姿の真面目そうな女性だった。
【…………今日、都内の研究施設で生物の人口遺伝子から、自然の遺伝子を作り出すことに成功しました。近年、人口的に作られた遺伝子の活用が大きく注目され……】
「……他の人間が映ってる」
彼にとっては自分とプログラム以外の人間は、久し振りに目にするものだった。
――――今まで情報さえも限られていたのがよく分かった。
『育児機関』にいた時には世話役の大人と同い年の子供がいて、それなりに人間を見ていたはずなのに、モニター越しに一方的に話す人物がとても奇妙に思えた。
『取り扱い説明書』によると、テレビやラジオの視聴の他、情報関連の掲示板の閲覧やコミュニティへの参加が可能だと書いてあった。
「そうだ。『仕事関連』のコミュニティ……今なら参加できる……」
彼はすぐに、ゲーム仲間から聞いたことのある『仕事関連』の集まりがないか確認した。
「………………あった」
それはすぐに見付かった。同じ『生活空間』に住む者たちで、かなりの人数がそのコミュニティに入っていた。
――――仕事がしたい人間はこんなにいるのか……。
きっとこの中で“上級”になれるのは、彼も含めてほんのひと握りになる。
「やるしかない……」
“外に出たいのなら、これからうんと努力することになるよ?”
『子守り』の言う通りだった。
彼はその言葉でここまで来た。
外に出られれば、今よりも世界の仕組みがわかる。
「…………取り戻すなら、知らないと」
ゲームを始めた時のように、自分を無理やり押し出す気持ちで画面の上に手をかざした。
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さらに二年が経った。
彼が『生活空間』に送られて合わせて十年になる。
彼はすっかり大人になり、最近ではここからできる簡単な『仕事』を回されるようになった。
しかしまだ外への勤務には付けず、未だにこの部屋を出ていける道は見えていない。
【……夜9時のニュースです。政府は惑星再生の手段としての研究チームを新たに増やすことにより、より具体的な環境の整備を進めることを決定し…………】
彼はテレビを付けずに音声だけのラジオを好んだ。その方が内容を聴きながら、目の前の仕事のモニターに集中できるからだ。
「もう9時か……あ……まずい、夕飯食べてない……」
仕事を始めるてしばらく経つと、食事や就寝のアラームは一度鳴れば、あとはそんなにうるさくなくなった。
ふと、仕事を優先することが健康を維持すること以上に大事なことだと、暗に言われているように思えてしまう。
――――これで、昼の休憩に『同僚』がいなければ静かに過ごせるのに…………。
何故か昼だけはプログラムの『同僚』が現れて、最低でも三十分の休憩を強制させられる。
彼はこの『同僚』とはあまり反りが合わない。
それなのに、毎日オフィスで仕事をしていると現れた。しかも、最低限の会話をしないと引っ込められず、一緒にニュースを聞いていたり、彼が好きな文章を読んでいる時に茶化したりしてくる。
日頃、あまり感情を出さない彼でも時々『同僚』の言動にイラッとするが、休憩時間をちゃんと取らせるということならば、不摂生を正すプログラムなので彼には文句を言うことはできない。
――――これも精神的に試されているのかもな。ストレスが溜まったからといって、文句言ったりケンカ吹っかけたら減点されるんだろう。
だから、例えイライラしても、『同僚』との会話は成立させるように努力した。
その時、彼は『きっと外の職場で人間関係を円滑にするのに必要なもの』だと思い、彼はなるべく心を“無”にして忍耐を鍛えるようにしている。
いつになったら、外へ出られるようになるのか?
この二年はその模索ばかりだった。