第三話
彼が『生活空間』へ入れられて五年が経った。
『15才のお誕生日おめでとう。今日は恒例の特製ケーキを焼いたよ』
「うん。毎年これが楽しみなんだ」
『そう。良かった』
シンプルな苺が乗った真っ白なケーキ。
食事をするのが彼だけなので、大きさは一人分の小さなものだった。
『子守り』は毎年、彼の誕生日に同じケーキを作っている。それは彼が必ずリクエストしているからだ。
『でも、毎年同じで飽きたりはしない?』
「ううん。毎日でもいい」
『ふふ、さすがにそれは飽きるでしょ』
「あはは……」
ニコニコと昔から変わらない笑顔で見詰められ、彼は少しだけ落ち着かなくなる。だが、それが嫌だということはなかった。
彼は15才になった。
もう小さな男の子ではなくなって、教室と呼んでいた部屋は今度からオフィスと呼ぶようにと告げられた。
「オフィス……? オレも仕事していいの?」
『仕事はもうしているよ。ちゃんと健康に過ごしてくれれば星のためになるもの』
「それは仕事って言うのかな……?」
『ふふ……』
いつの間にか、子供の頃から使っていた机は大人が使う事務机にすり変わっている。
しかし、その他は特に変わったように思えず、15才になったからといって彼には何の感動もなかった。
誕生日だとしても一日は同じように過ぎた。
昼間は図書館の本の閲覧をして、夕飯の後から就寝まで、いつものように寝室で『子守り』としゃべっていた。
『さて……寝る時間ね。いくら誕生日でも夜更かしはダメよ』
「もう少し起きていたい……」
『明日の朝になれば嫌でも起きるわ。さ、ベッドに入って。あなたはもう大人なんだから』
毎晩、ベッドに潜ると『子守り』は彼の頭を撫でてから、彼が眠るまで歌っている。しかし誕生日という特別感から、彼は気分が高揚しているのかなかなか寝付けない。
彼は歌う『子守り』の姿を見ながら、ずっと思っていた疑問を口に出した。
「………………ねぇ、『子守り』?」
『なぁに?』
「『子守り』は歳を取らないの?」
『私はプログラムだから。あなたが大人になっても、ずっとこのままよ』
「ずっと…………」
急に胸の奥が痛くなった。
彼女は彼と同じ『人間』ではない。
「…………『エルフ』って、年取らないよね」
『エルフだって歳を取るわ。すごく長生きなだけ』
「じゃあ、人間と一緒?」
『一緒かもしれないね。でも、プログラムは違うから…………』
「いや、一緒かもしれない。うんと歳を取るのが遅いだけで『子守り』もオレと同じかもしれない。だって、同じものを見たり、同じことで笑ったりするだろう?」
『…………私…………』
『子守り』が彼の胸の上に置いていた手を引いた。
自分と『子守り』が違う存在だと思いたくなくて、彼は必死に同じところを探そうとした。その彼の様子に、彼女は少し驚いたように黙って見ている。
「たぶん、プログラムだって人間とそんなに変わらないよ。だから、オレと同じところを探してみよう?」
『同じ、ところ……?』
彼は思わず起き上がって彼女の手を取った。両手でしっかりと彼女の手を握ると、彼女は彼を見詰めて身体を強ばらせている。
「そうだ。これからも一緒なんだから、明日からは『子守り』のこともちゃんと知りたい」
『私の……こと?』
「オレ、頑張って大人になる頃に“仕事”を持てるようにする。『子守り』とここを出て、外の世界に行きたいんだ」
『…………外へ?』
『子守り』はハッとしたように彼の顔を見詰めた。
大きな瞳が少し揺れているのが判るほど、お互いの顔が近くにあった。
「そう、外。オレは星のために生かされているけど、『子守り』のためにも生きていたい。ずっと一緒にいてほしい」
『…………一緒……でも……』
「うん。オレは『子守り』の傍にずっといたい……」
『……私も………………』
彼は手を握りながら、『子守り』を真っ直ぐに見詰めて動かない。その間は彼女も動こうとせずに視線も逸らさなかった。
ピーーーー
「え………………」
『あ………………』
かなりの時間お互いに黙っていたが、日付けが変わったのに彼が寝ていないせいで注意のアラームがなった。
その音に弾かれたように二人は手を離して距離を置く。
『は、早く寝ないと……』
「う、うん……ごめん。でも、本当に…………」
『もし…………外に出たいのなら、これからうんと努力することになるよ?』
「っ!?」
『子守り』はにっこりと笑って彼を寝かせた。
『…………明日から忙しくなるね』
「うん」
『私は、ずっと見てるから…………頑張って』
「うん!」
彼女は再び彼の頭を撫でて歌を歌い始める。
自分の決意が受け入れられたと思った安心感か、彼は『子守り』の歌声を聴きながら静かに眠りに落ちていった。
ピピピ、ピピピ、ピピピ…………
「ん…………?」
珍しく起床のアラームで目が覚めた。
いつもなら『子守り』はアラームがなる直前にこっそり部屋に入ってきて、時間と共に頭を撫でて起こしてくれる。
本当は起きているのに、彼は頭を撫でられるのを期待して毎朝ギリギリまで寝たふりをしているのが習慣だった。
しかし今朝は目を開けても、部屋のどこにも『子守り』の姿が見えない。
「『子守り』? いないのか?」
声を掛けてみたが返答はなし。
――――もしかして、昨日は寝るのが遅かったから気を遣って……?
そう考えて、彼は着替えるとすぐに、朝食が用意されているダイニングへと向かう。
『おはようございます。もうすぐ、朝ごはんができますからねぇ』
「……………………へ?」
キッチンが見えるカウンターから、見知らぬふくよかな中年の女性が顔を出した。女性は彼の顔を見ると、すぐに食卓に朝食を用意する。
「…………誰?」
『あらやだ、そんなに驚かないでくださいな。わたしは坊ちゃんのお世話をする者ですよ!』
彼女は『家政婦』だった。
今まで彼の生活全般は『子守り』がしていたが、本来ならば『家政婦』の仕事である。
「『子守り』! 本当にいないのか!?」
その日から、彼は一日中『子守り』を捜して全部の部屋を何度も往復した。
教室でありオフィスには『教師』や『講師』が。
ジム部屋には『トレーナー』が。
狼狽えて落ち着かなくなった彼のところへ、『カウンセラー』が様子を見にきた。
「……っ、そうだ! プログラム! 『子守り』を呼んでくれ!」
《ソノ『プログラム』ハ“不適合”ノタメ 呼ビダスコトハ デキマセン》
「何が“不適合”なんだ!?」
何故か、彼がどんなに呼んでも『プログラム』は彼女を出すことはしない。しつこく問いただしても、何故『子守り』が“不適合”とされるのか教えなかった。
「いない……何処にも…………」
彼は『子守り』を捜したり呼んだりしたが、彼女は姿を現すことはなかった。
「何で……何がいけなかった……?」
数日間、彼は独り寝室に閉じこもり、他のプログラムを寄せ付けないでいた。
ピーーーー
食事や睡眠をとらないため、注意のアラームが鳴り響いたが、彼はそれどころではなくなっている。
――――誕生日まではいつも通りだった。
いつもと違うことは、就寝前に彼女に『外へ行きたい』と言ったこと。
彼女と一緒にいたいと言ったこと。
“私は、ずっと見てるから……頑張って”
「見てるって…………」
『子守り』はプログラムだ。
今は別の役割りが出てきているから見えないが、いつかプログラムを理解できれば、また彼女を呼び出すことができるのではないか?
「……『子守り』は、まだプログラムの中にいるはずだ」
彼がそう考えた時、不意に彼女が就寝前の歌が聴こえた気がした。思い出したその旋律に、ぐらぐらと眠気が襲ってくる。
「そう……だ。勉強……仕事に就いて、外に…………」
パタリと、ベッドに倒れ込む。何日もまともに寝ていない彼はすぐに意識が沈んでいく。
――――オレが『子守り』を捜すんだ。
夢の中で彼は彼女を取り戻す決意をした。