第二話
【……夕方のニュースです。政府は先月の会議でこれ以上の人口減少を食い止める手段として、いわゆる“人工生命体”の製造と人権を正式に認める決定を下しました。それによって惑星規模での………………】
本日何度目かのニュースが読み上げられる。
ニュースのチャンネルは決まっていて、望むならバラエティやクイズ番組も視聴できるが、彼はそれらの刺激のあるものを好んで観ることはなかった。
「……いつになったら、オレはあの場所を歩けるのだろう」
ガラスの壁から外を眺める。
地上ではビルとビルの間を、様々な人間が歩いていてとても活気があるように思えた。
「はぁ…………」
現状では叶わないことにため息をつき、彼は仕事用の机ではなく、休憩用のテーブルの席に着く。
パラ……パラ……パラ……
『同僚』を停止してから、休憩を挟みながらファンタジーの資料を読み耽っている。
――――もう、今日の分の仕事を終えたし、一日くらい午後に休みをもらっても“評価”には影響しないだろう。
彼はこの場所では“健康に生きること”が条件だった。
彼がいる場所は外へ出る扉のない、マンションの一階分の空間だった。彼が行ける部屋全ては通称『生活空間』と呼ばれている。
オフィスを出れば、細い廊下の先に生活、運動、遊戯などの他の部屋もあるが、どこに行っても人間は彼独りであり、常にプログラムが付いてまわった。
生活には『家政婦』が
運動には『トレーナー』が
遊戯には『ナビゲーター』が
その他にも場合に応じて『教師』『医師』『看護師』『シェフ』『清掃員』『音楽家』…………無限と思われる“職種の人間”のプログラムが現れる。
生活に必要な物資も、彼ではなくプログラムが管理しているのか、いつの間にかそれぞれの場所に補充されていた。
つまり、必要最低限の買い物も一切することはない。だから彼は外に出ることも無いし、外へ出る扉もこの『生活空間』にはついていない。
彼はこの場所で独りで住んでいるが、孤独や不自由にならないように設定されているのだ。
パラ……パラ……パラ……
毎日の彼の日課となっており、政府が用意したゲームや遊園地よりも彼にとって大事な時間だった。
パラ……パラ……パラ……
空間の映像を指で滑らせてページを捲っていく度に、『紙』の効果音が流れた。紙の媒体が基になっている読み物は、この作業が面倒だと倦厭されがちだが、彼にとってはこの時間も儀式のようなものだ。
ピーーーー
《就業ノ時間ガ終了シマシタ。夕食ハ19時に設定サレテイマス》
「…………なら、それまでは自由でいいな?」
誰もいない空間に独り言が響く。例え独り言でも、『声を発する時間』が無いと“不健康”だと判断されたことがあった。
パラ………………
あるページで彼の指が止まった。
それは『エルフ』と呼ばれる架空の人間の肖像で、そこに描かれていたのは15、6才の少女だった。
ウェーブのかかった金色の長い髪。
大きな瞳はエメラルドという宝石に似ている。
とても華奢で、色白の肌がとても美しかった。
「………………………………」
彼はそのまま、その『エルフの少女』を静かに眺めた。
もちろん、それをじっと見詰めたからといって動き出すものではない。それでも彼は動かずに見詰める。
「…………『子守り』はどうやったら戻ってきてくれるのだろうか?」
この『エルフの少女』は彼が利用していた『子守り』というプログラムにとても似ていた。
『子守り』は彼が15才になるまで、話し相手になり、望む知識を一緒に探し、嬉しいことがあれば喜んでくれるプログラムだった。
++++++++++
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遡って十年と少し前。
彼がまだ『育児機関』の施設にいた子供の頃、政府が推奨するコミュニケーション用のRPGをプレイしていたことがあったが、すぐに他のプレイヤーとの差を痛感してゲームをやめてしまった。
もともと彼は何にものめり込むタイプではない。
施設でも口数は少なく、他の子供と一緒にいることも少なかったので、ゲームの攻略を話し合うこともしなかった。
子供用のゲームは、積極的に仲間を募っていくようなプレイヤーがどんどんレベルを上げていく。仲間に入れない上に個人プレイばかりしていれば、レベルなども上がらず先にも進めない。
よって、同年代の者たちと同じレベルでスタートしたはずなのに、気付けば彼が一番下になっていた。
この世界ではプログラムを操れる頭脳派の方が優遇され、大人になるまでに個人で訓練を受けて“仕事”を与えられるようになる。
それはとても優秀な人間で、選ばれた者たちだ。
それに比べ彼の特筆すべき点といえば、運動能力と身体の丈夫さだった。健康体であることは良いことだが、将来仕事を与えられるまでには至らない、“平凡”な子供として彼は評価された。
彼は『育児機関』から一般的な人材の【細胞の提供者】とされ、この『生活空間』に10才になった時に放り込まれた。
生活を全て保証する代わりに、大人になれば人口を増やすための遺伝子を提出するためだ。
だから適度に健康維持に務め、病気になることは許されない。それが彼の“仕事”となった。
しかし、どんなに病原菌や温度管理をしても、“病は気から”という言葉がある。
政府は彼の精神面にも干渉してきた。
身体だけでなく精神の健康も管理されるため、『睡眠時間』『食事管理』『声を発して会話する時間』『身体を動かしてストレスを発散する時間』などを強制的に設定していた。
そこで、幼く消極的な彼の精神面をサポートする役目として『子守り』のプログラムがつくことになった。
『初めまして、こんにちは。これから、何かやりたいことはある?』
「……………………」
初めて会った日、教室と呼ぶ部屋の隅で丸くなっていた彼に『子守り』が話し掛けてきた。
フワフワの腰まである金髪。
大きな緑の瞳。
優しげな微笑みを浮かべて彼を覗き込んでくる彼女は、誰が見ても美少女だと認めるだろう。
その時の彼女は彼より五歳は年上だった。
『子守り』である彼女は、起床から就寝まで彼の傍にいて、彼女の姿のままで様々なプログラムの代わりを担う。
朝は時間になるとアラームの代わりに彼を起こして、素早く朝食を用意してくれる。彼が何かを零したりしても怒らずに片付けをする。
この時の彼女は『家政婦』の代わりだった。
午前中は『教師』になり文字の読み方、書き方、計算などを教えた。
午後は『友達』になって、おもちゃなどで彼の興味があるものを与える。
そしてまた、夕方から就寝までは『家政婦』となった。
そして寝る間際、彼女はベッドの隣りに座ってなかなか寝付けない彼に向かって、彼が眠るまで歌を歌う。この時にやっと『子守り』のプログラムに戻る。
それからというもの、彼は毎日必ず『子守り』の歌を聴きながら眠るようになった。
そんなある日、彼は教室の机に向かっていた。今は隣りに立つ彼女と二人で“世界一”だと謳われる図書館のデータを検索しているところだ。
最初は何の本を見ればわからず、適当に本のデータを捲っていたが、そのうち彼女は彼の年齢にあった絵本を探し出してきた。
その本の内容は、架空の世界に見たことのない動物が暮らしているという話。
読んでもすぐに内容を理解できなかったが、読み終える頃には不思議な余韻が彼の胸に生まれた。
「このお話はなに?」
『ファンタジーっていう空想の話』
「ウソの話なの?」
『嘘とは違うの。誰かの頭の中にあった、夢のようなお話のこと』
彼はにっこりと笑う『子守り』を見て、物語に関する興味が湧いてきた。
“#ファンタジー”と調べると、図書館の蔵書の中から何千何万という情報が出てくる。
『子守り』はそれらを寄り分けて、彼が読みやすいように選別してくれる。彼女から差し出された物語を、彼は起きている時間のほとんどを使って読んだ。
その中で特に夢中になったのは『幻想の生き物たち』という挿絵付きの図鑑のような本。
「これ『子守り』と似てるね?」
『私に?』
「うん!」
あるページの大きな絵。
彼は彼女にそっくりな少女を見付けた。
『エルフ』と呼ばれる架空の種族で、とても美しい顔立ちをしている。どのパーツをとっても整っていて、何十分でも見ていられそうだった。
「『子守り』はエルフだったの?」
『違うよ。私はこんなにキレイではないよ』
「ううん、そっくりだ。『子守り』もキレイだよ」
『………………あ、ありがとう』
彼女が照れるように下を向いてポツリとお礼を言う姿に、彼の胸が一瞬だけキュッと締め付けられる。
「……………………?」
なんだろうと首を傾げたが、それから特に身体の異状は起きなかった。