第十三話
【……政府は一世紀に渡る『惑星再生計画』が最終段階に入ったことを公に発表しました。これによって、各国首脳が一斉に集まる場を設けるとして…………】
ラジオの声が淡々と響く。
休日の午前中。
彼はひとりでトレーニングルームにいた。
「…………………………………………」
現在は無心でランニングマシンの走り込みをしているところである。
以前はこの部屋に来ると『トレーナー』が出てきたものだが、政府のプログラムが消えてしまったので、ひとりで体を鍛えることになったからだ。
「やっぱり、ひとりだと張り合いがないんだよな……」
休憩しながら、ふと寂しく思う。
政府のプログラムは信用していない。しかし、この『生活空間』で生きる分には、彼らのプログラムは実に都合のいいものであった。
『親友』側のプログラムでトレーナーがいないか確かめてみたが、呼び掛けに答える者はいなかった。
試しに『師匠』『ライバル』『宿敵』など、半ばふざけて呼んでみたが、これにも何の反応もなかった。
――――仕事じゃない時に、『同僚』を呼び出しちゃダメなのかな。アイツがいれば、ちょっとは楽しいのに。
「…………プログラム……『同僚』……」
ボソッと呟いた後、まさかな……と思って笑っていたら、背後から気配を感じた。
「……あれ?」
『休日まで呼ぶなよ……』
視線の先に『同僚』がいた。それも、いつものスーツ姿ではなく、この部屋に合わせたようにスポーツウェアを着ている。プログラムというのは、その場に合わせた姿をして出てくるようだ。
『言っておくが、同僚として呼ばれた場合、おれは昼休みにあたる時間だけしか出られないからな』
「…………そんな規則があるんだ」
『政府が、ここ何年かのお前のパターンを記録している。急に変えると怪しまれるってことだ』
「なるほど……」
彼らは政府のプログラムにかなり警戒しているようだ。お互いに“消し合う”存在なのだから、それは当たり前のことなのかもしれない。
しかし、彼はそこに少しだけ不便さを感じる。
「『同僚』には昼休みだけしか会えない決まりなのか。昼だけだと、あんまり多く話せないんだよな……」
『……………………………………』
彼が思わずこぼすと、『同僚』は眉間にシワを寄せて彼を見詰めていた。
『お前……そんなに、おれに会いたかったのか…………』
「ん? まぁ……それなりに……?」
『そうか。悪いな……気持ちを汲んでやれてなかった…………』
「いや……そんなに深刻にならなくても……」
『いいんだ。寂しい思いをさせてすまなかった』
「…………………………」
――――いや、“不適合”にならなければ、昼に会えるだけでも楽しいし。べつに寂しいとか思ってないのだけど……。
そんなに深く考えてなかった彼とは対照的に、『同僚』はひとりで何やらブツブツと考え込んでしまった。
その様子が、いつもの明るい性格の『同僚』と違って見えて、彼はどこか違和感を覚える。
「あのさ……」
『ん?』
「そっちで、何かあったのか?」
『……そっち……って?』
「いや……その、お前たちってこの空間以外にも行けるから、外で何かあったのかなぁって」
『…………別に、何もないよ』
「……………………」
一瞬だけ、『同僚』の顔が引きつる。
根が素直なのか、完全に顔に出てしまっていた。
「良くないこと……あったんだな? オレの知らない“外の世界”で…………」
『…………大した事じゃないさ。ちょっとだけ……おれたちじゃ、どうしようもない事があっただけだ』
「内容は?」
『すまん……』
「うん。聞いてゴメン」
彼は申し訳なさそうな顔をする『同僚』に苦笑いを向けた。そして、ふと思い付いたことが口から出る。
「なんだ……プログラムも、人間とそんなに変わらないな……」
『そうか?』
「うん。確かに、プログラムは歳を取らないかもしれないけど、何かに悩んだり言い淀んだりするのは同じだなぁって……」
『………………………………』
『同僚』はチラッと時計を見て、何を思ったのか彼の頭をポンポンと撫でた。
「えっ? 何?」
『お前みたいな弟がいたら、楽しかったなぁって思って』
「お前、妹いるじゃないか」
『妹は妹だ。おれは弟が欲しい!』
「う〜ん…………オレが弟?」
『なんだよ、嫌か?』
「どっちかと言うと、お前の方が“弟”じゃないのかなぁ……って」
『なっ!? いいや! おれが兄で、お前が弟!!』
「いやいや……お前が“弟”の方が、しっくりくる……むしろ『家政婦』が姉と言われたら納得する……」
「おれってそんな位置なの!? うわ、ショック!!」
彼も『同僚』も、お互いに“兄”の座は譲れないようだ。
しばらく言い合って、結局最後はお互いに不毛な事だと笑った。
『ははは。じゃ、おれはそろそろ帰るわ。また……………………明日な!』
「うん。明日」
『同僚』は何かを悩んでいたようだったが、別れ際までそれを彼に話そうとはしなかった。
――――きっと、オレが聞いても何もできないことなんだろう。でも…………
「……ちょっとだけ、頼りにして欲しかったなぁ。弟って兄を頼りにするもんだよ。うん」
きっと『同僚』が聞いたら“蒸し返すな!”と笑って怒ってくるだろう。それを想像したら、また可笑しくなってくる。
――――明日になったら、少しは回復してるかな。
自分にできることは普通に接すること。
彼はそう考えて、トレーニングルームから出た。
…………………………
………………
午後。
やることも無くなったので、オフィスで久しぶりに図書館の本を閲覧している時だった。
静かな部屋に響くラジオの声が耳に飛び込んでくる。
【……午後のニュースです。政府は『惑星再生計画』における最終段階の日程が決まり、今後は計画後の人材育成に尽力することを目標に掲げました。それにより、現在『生活空間』で生活する若者の中から、優秀な若者の雇用を…………】
――――ニュースの内容が少し変わってる?
ニュースで『惑星再生計画』はよく聞く言葉だったが、今日は彼のいる『生活空間』のことも言っている。
「まさか…………外へ行ける?」
もしそうだとしたら、やはり『生活空間』から別の施設に移動することがあるのかもしれない。
一瞬だけ過ぎった希望に胸が踊ったが、自分のしている仕事の内容が、元々は『親友』たちを封じるものだったことを思い出した。
――――『親友』たちと政府って、どういう立ち位置なんだろうか?
さっきの『同僚』の様子が頭に浮かぶ。
絶対に外で何かあったような、少し落ち込んだような雰囲気。“自分のちからではどうしようもない”と言っていた。
――――確か『同僚』は世間に詳しかったよな。だとしたら、悩みは外の情勢のことか? この話題もオレにはいいけど…………。
彼は『親友』たちのプログラムに触れていく度、政府の情報を鵜呑みにすることをしなくなっていた。
――――あっちには“良いニュース”じゃないのかもしれない……。
このニュースは政府の発表だ。
彼は『親友』や『同僚』たちの生みの親は、政府に対抗するか諌めるための組織だと考えている。
今流している情報も、実は実行されたのはかなり前なんて可能性もあるのだ。
――――だとしたら、両手を上げて喜んでいられるばかりじゃないのか……。
彼はすっかり、世界を疑う癖がついてしまった。それと同時に別の見方をしようとも考えるようになった。
「これもこのまま、何も気付かない振りをする方が幸せ……なんだよな」
“怒れば良かったのに。なんてもの見せてくれたんだ!! ……って”
ふと思い出した台詞に、心の中の不審が少し和らいだ。
「きっと怒れないなぁ。『親友』も……たぶん政府も…………」
よく考えれば、政府だって途中で思惑があったにせよ、彼を子供の頃から育て生かしている。
素直に何もしなければ良かったものを、抵抗して掻き回したのは自分であると思うと、彼は自嘲の念が湧いてくるのだ。
真実を知りたいと願ったから教えた。
絶望させないために嘘で固めていた。
どちらも、彼らの本当の背景を知らなければ善悪がつけにくいと思った。
――――神様じゃあるまいし、世界の総てをここで得られる情報だけで判断するのは難しい。
窓に近付き、ホログラムを解除する。
砂漠とそこに建つ棒たちの景色は、毎日見ても何も変わらない。青空にほんの少しだけ、雲があるかないかの差だけだった。
「やっぱり……外に行かないとわからない事だらけだな…………」
あの砂漠の砂がどのくらい熱いのか。あの建物は何処まで続いているのか。
知識を得ても実際に見なければ、それは頭の中の虚構と同じなのだ。
この光景も、現実感のないものとしてファンタジーと一緒だろう。
――――オレはきっと外には出られない。それは解っている。外に出ても、生き物がまともに生きていられる世界ではないのだから。
「明日からまた仕事か……これ、本当に何の意味があるんだろ?」
いくら考えても、何で『子守り』や『親友』たちを封じる必要があるのかがわからない。政府は彼らの何を恐れて潰しに掛かっているのだろうか。
――――いつか政府もわかってくれて、『子守り』が戻る方法ができればいい。一度来られたんだから、きっとまた………………
彼にできることは少ない。
時間が許す限り、できることはやるというだけ。
【……夕方のニュースです。全世界“惑星再生委員会”は惑星のマントル付近の作業を完了し、すぐにでも『惑星浄化計画』を実行することを宣言しました】
いつの間にか、夕方のニュースが流れる。
【計画の開始によって、世界の全土で“汚染物質の浄化”が、今後数百年の単位で行われることを発表しています】
「ん? このニュースも、なんかいつもと違…………」
【計画の開始は、本日の――――――】
――――――…………ブツンッ!!
突然、ラジオの音源が切れた。