第十一話
ピピピ、ピピピ、ピピピ…………
起床のアラームが鳴った。
彼はいつも六時半に起きている。
「……………………」
彼はベッドから起き上がると、洗面所で顔を洗いリビングの方へ向かう。途中、今日から家事の全てを自分でやらなければならないことを思い出した。
昨日、政府のプログラムである『同僚』に殺されかけた。すんでのところで、別のプログラムである『親友』に助けられたが、その時に政府のプログラムを完全に初期化してしまった。
そのため、『同僚』と同一のプログラムであった『家政婦』も消えてしまった。
――――朝飯……適当でいいかな……。
休日は自分で食事を作っていたが、毎日毎食だと思うと面倒に感じる。
しかし、
『おはようございます。朝食の用意、できていますよ』
「お、おはよう…………」
リビングと繋がっているキッチンのカウンターには、エプロン姿の若い女性が立っていた。
『どうぞ。今朝はエッグベネディクトにしてみました』
「うん…………どうも……」
コトリ。置かれた皿の料理は、まるで『シェフ』が作る完璧な見栄えである。
テーブルの上も一部の隙もなくセッティングされており、カラトリーが美しく整列していた。
――――なんか……緊張する朝食なんだが…………
彼は改めて、目の前の『家政婦』らしき女性を見てみる。
歳は彼と同じ二十歳くらい。背が高く、腰まである長い黒髪を束ね、美人ではあるが表情がとても堅い。
彼の感想としては“家政婦”のイメージの範囲内だが、どちらかというと、噂に聞いた“秘書”という方が合っていると感じた。
「あの…………えっと……」
『どうぞ、いつものように家政婦とお呼びください』
「『家政婦』は消えたはずじゃ…………」
『………いえ、今まで通りですよ』
「………………」
女性は言いながら、人差し指を口に当てた。
“今までの『家政婦』と同じく呼んだ方がいい”
そう、彼に目で訴えている。
――――そうか。このプログラムは『親友』側の…………
同じ場所に同じプログラムがいれば、彼と同じ仕事をしている『密告者』に見付かりにくいのだろう。
ならば、彼は余計なことは言えない。
「…………いただきます」
小さく頷いて、普通に朝食を摂り始めた。
『お昼は、どういたしますか?』
食べ終わって彼が席を立つと、『家政婦』が片付けをしながら聞いてきた。
「作っていてもらえると……」
『かしこまりました。では、昼に別の者がオフィスまでお届けします』
「っ…………」
オフィスには『同僚』もいるらしい。
昨日のことを思い出して、彼の顔が引き攣る。
「それは…………」
『他に家事以外でお聞きになりたい場合は、オフィスにてその者が対応いたします。私と同じプログラムですので……』
「…………解った」
やはり“同僚”も『親友』側の別人にすげ替えられているらしい。命の危険はない……そう思ったら彼は少しだけ安心した。
安心したのだが……
『よう! 休憩の時間だぞ!』
「っっっ……!?」
昼。
背後から前の『同僚』と同じように声を掛けられ、彼は思いきり身体をビクつかせてしまった。
『あははっ! 何、びっくりしてんだよ!』
「…………その…………えっ!?」
彼は振り向いて二度驚く。
前の『同僚』と同じくスーツ姿の男性が立っていたのだが、その顔が今朝キッチンにいた『家政婦』と瓜二つだったからだ。
『子守り』と『親友』も驚いたが、あの二人は“似ている”というレベルで、こっちは“ほとんど同じ顔”である。
口を開けたまま固まる彼を見て、新しい『同僚』は苦笑いをしながら小声で言う。
『ま、いわゆる双子ってやつだな。あっちは妹だ』
「双子……? あ……一人の人間が二人に分かれて産まれるっていう…………」
彼は本で読んだくらいで、実際の双子を見たことがなかった。だが、こちらは双子と言っても同じ細胞の人間ではなく、男女が同時に産まれただけで普通の兄弟と一緒である。
――――プログラムだけど、本当に双子っているんだなぁ。髪の毛の長さが一緒で無表情だったら、よく見ないとわからなかったかも……?
もちろん、男女で体型が違うが一瞬ならわからないだろう。
見ると『同僚』は髪の毛が短い。あと、『家政婦』よりも堅さがなく気さくな雰囲気がする。
『代わりに世話してやれ……って言われた』
「そっか……『親友』が………………」
『…………あれはおれたちとは別格だ。呼び出せたお前は運が良い。それと、あまり“不適合”になった者のことを話題にしないこと。見つかれば、おれたちまで危ない…………いいな?』
「…………うん」
『同僚』は口に人差し指を当てた。この動作まで『家政婦』とよく似ていた。
どうやら、“不適合”とされたプログラムのことを聞くのはタブーのようだ。つまり、『子守り』や『親友』たちのことを彼らに尋ねることはできないということ。
『その代わり、日常会話ていどで色々教えてやるからよ!』
「うん……」
『それよりも、先に飯食え。持ってきてやったぞ!』
「あ、ありがとう」
『同僚』は素早く休憩用のテーブルに昼の用意をした。
『なぁ、今日はラジオは付けてねぇの? いつも仕事中でも頻繁にニュース聴いてただろ?』
「…………なんか、気分的に」
政府のプログラムに殺されかけたことで、政府が流す情報に疑いを持ってしまっていた。『親友』が仕組みを変えてくれたとはいえ、こうして仕事をするのも若干抵抗がある。
『一応聴いておいた方がいいぞ。この放送は“上級”も聴いてるものだから』
「信憑性は?」
『七割くらいかな』
「聴き流すくらいなら良いってことか……」
この『同僚』のことは不思議と信用できた。
ラジオを付けると、相変わらずの抑揚のないキャスターの声が流れてくる。
【……お昼のニュースです。全世界“惑星再生委員会”は近々、惑星のマントル付近の調査を完了すると発表しました。これによって、星の半永久的な再生と生命活動の復活の手掛かりを得られると期待しています】
このニュースは毎日のように聴いているものだ。
「このニュースの内容は合ってる?」
『合ってはいるけど、もう二年くらい前の話だな。すでに惑星の中心には“自己再生システム”が組み込まれてて、三ヶ月前に試験運転をしてる』
「…………合ってても情報が古いのか」
『嘘は言ってないってところだ』
『同僚』は世間の話題には詳しいようだった。
専門的なことは『賢者』ほど知らないが、ニュースの話題になると真偽を細かく教える。何より、彼の話を面倒くさがったり茶化したりもしない。
【続いては、お昼の情報コーナー! 『あなたの理想の世界叶えてみましょう!』です! 今日、夢を語ってくれるのは〇〇地区にお住みの△△さん! もしも世界が創れるなら、あなたはどんな世界が良い?】
【えーと、私はいつか外へ、遠くの外国に思っただけで行けるような…………】
いつか聞いたやり取りが流れてくる。
「…………これは?」
『“上級”の意見だけだな。ま、人間の考えてることなんて、そんなに大きく違わないと思う。お前はどう思う?』
「オレは…………」
以前、“ファンタジーの世界がいい”と言ったら茶化されてしまった。
「……色々な人間がいる世界がいい」
『そっか。面白そうだな』
「うん。でも、オレは…………ここから出られないんだよな?」
『……………………』
彼は窓へ近付くと下を覗き込む。
眼下には歩道があって、色々な人達が行き交っている光景が見えた。しかし、これが作られた“幻”だということを彼は知ってしまった。
「……“ホログラム”……解除」
たった一言で、窓から見える景色は一変する。
広大な砂漠に、等間隔で建つ細長い棒のような居住建築。真下はガラスの分厚さで見えないが、遠くに地面には何も動くものがない。風で砂が地表を舞っているだけだ。
「ガラスの向こうは、生物が生きていけないんだよな? だったら、外でも生きていける世界が先決だ……」
『生きていける世界なら、外へ行きたいか?』
「わからない」
『あんなに外へ行きたがってたのに?』
「それは…………」
彼が外へ行きたかったのは『子守り』を捜すためだった。
仕事をして認められれば“上級”の人間として、この『生活空間』から抜け出して暮らせる、プログラムも自由に使えるようになると思っていたからだ。
「オレは……何処に行こうとしてたんだろ」
今見える外の世界は、まるでコピーとペーストを繰り返し行った壁紙のパターンのようだ。
彼が窓の外に目をやっていると、後ろで『同僚』が立ち上がった。
『………………さて、時間だな』
「え?」
『昼休み終わりだから。おれは昼だけの出番だし』
「もう終わり? 早いな……」
『楽しい時間ってのはすぐに終わるもんだぞ。じゃあ、また明日な』
「うん。また」
パンッ。音がして『同僚』がいなくなった。
今日はもう夜も『家政婦』が出ないので、明日の朝まで彼は独りで過ごすことになる。
そう考えたら、何となく寂しくなってきた。
――――前はあんなに、一人になりたいと思ってたのに。
“楽しい時間はすぐに終わる”
それを意識したのは初めてである。
「『子守り』といた時間も、あっという間だったのかな…………」
明日の朝までが長いと感じ始めていた。