第十話
『あと一時間だ。他には?』
「えっと…………」
『親友』が出ていられるのは日付けが変わるまで。
彼は考えられるだけの質問をしたが、まだ何か答えに物足りなさを感じていた。その証拠に、答える『親友』の方がどこか焦りを滲ませていた。
――――きっと、オレの質問できる範囲が少ないから、『親友』が答えられることが少ないんだ。何か、もっと次に繋がるものを教えてもらってないと…………。
オフィスを見回すが、この部屋やプログラムに関してはそこそこ聞いた気がする。
仕事に関しても聞いた。
生活に関することも聞いた。
他の『生活空間』の人間のことも少しだけ聞いた。
――――あと、オレが知らないこと…………いや、知らなければ質問にならないよな………………あっ!!
そこで気付いた。
彼が知らないでいて、『子守り』の情報の他に最も知りたかったことを。
「“外の世界”のこと…………教えてくれないか?」
『…………わかった』
頷いて『親友』はスタスタとオフィスの窓へ向かう。
南東の角、壁の窓にはロールカーテンが掛かっているが、それを引き揚げて外を見渡せるようにした。
「外の景色なら、いつも見ているけど……?」
高いビル群が目の前に広がった。
山や森などは見当たらず、緑は等間隔で植えられた街路樹だけである。
夜中ということもあり、ビルの窓に灯る明かりはまちまちだ。下の歩道も人の姿はほとんど見当たらない。
星空と暗闇に浮かぶ様は、彼がいつも見ている日常の景色だった。
『これが? いつも?』
「そうだ……けど…………」
『…………………………』
外の景色に向かって、『親友』は明らかに怒りの表情をしている。彼はその様子に気圧された。
『お前、これが何か解ってるか?』
「外……だよな……」
彼が唯一、この『生活空間』から観ることができる外の景色。
コン。『親友』は拳で軽く窓を小突く。
『この窓は何枚もの強化ガラスを重ねて、これ一枚で外までの厚さは約80センチになる。ここのフロア全体を水で満たしても、内部からの水圧に余裕で耐えられるくらいの強度があり、窓の縁には1ミクロンの隙間もない』
「へ?」
急に始まった“ガラスの説明”にわけがわからない。
彼が呆気にとられているのを無視して、さらに『親友』は窓の前で説明を続ける。
『重ねられたガラスには、強い太陽光やその他の有害な光線を通さない性質があり、断熱効果に優れていて外気の影響は皆無。ついでに、ガラスの中には何層もの画像フィルターが仕込まれている……』
「それが、何かあるのか?」
『つまり、こういうことだ……』
『親友』はガラスに片方の手のひらを付けた。
フォンッ……という音がしたと同時に、手のひらを当てられたガラスがぼんやりと光り始める。
「っ!? な、何だ!?」
『本当の外ってやつを見せてやるよ………………“ホログラム”解除』
光がガラス全面に広がった。
しばらく真っ白な光景が続き、やがて幕が上がるように光はガラスから引いていく。
ガラスの向こうに、再び“外”が現れる。
「…………………………え?」
『簡単な間違い探しだろ。これが、お前の知りたかった“外”ってやつだ』
――――…………何だ……これ……。
彼の目の前の景色は一変していた。
星空に月が輝いている。
その月明かりに照らされていたのは、どこまでも続く広大な“砂漠”であった。
「何で、砂漠……が? え? だって……街は……?」
『お前がいつも見ていた街並みは、ガラスの映像フィルターが見せていたものだ。本当の姿はこっち』
「そんな……嘘だ……」
縋り付くように窓に頭を付ける。
窓から真下を確認しようとしたが、窓の縁が出っ張っていて少し先の地面しか覗けない。
いつもは少し窓に顔を近付けて覗くと、眼下に歩道が見えていた。だが今は、どんなに張り付いても分厚いガラスのせいで、すぐ下の地面が見えなくなっていた。
どうやらこれが、本来の窓ガラスの厚さだったようだ。
「こんな……人間が住むどころじゃ……」
『昼間の気温は年平均で65℃、夜はマイナス50℃だな。まず、普通の人間は散歩もできねぇし、生き物もほとんど自生できないだろうよ』
彼のいる部屋は常に25℃前後になっている。
居住するこの『生活空間』の温度管理は徹底されているようだ。
「地平線まで砂だけなのか……?」
『砂だけじゃねぇよ。ほら、所々に建物もあるだろ』
砂漠の中に等間隔で、細長い棒のようなものが立っている。外が暗いせいもあるが、その棒が何なのか判別がつかない。
その黒く細長い棒のシルエットは、砂漠の地平線まで続いているように見えた。
「あれは何だ……?」
『あれな。一応、地上100階、地下10階建てのマンションだな。お前だってここに住んでるだろ?』
「――――…………っっっ!?」
あれが『生活空間』の全容。
その外観。
『一階ごとに一人が住んでいる仕様だな。だいたい、ひとつのマンションに八十人前後が住んでいる。地下と地表の10階分くらいまでは生活物資の供給や、プログラムの管理室になってる。砂嵐でよく埋まってたりするんだよな。だから、居住階はそれよりも上。はははっ……良かったな、砂に埋まらないから景色は観れるし……』
説明をする『親友』の笑い声は乾いていた。
目の前の光景が、あまりにも馬鹿げたことのように思えて仕方ない、と言っているようだった。
ドサッ……。
腰が抜けて、彼は窓の側に座り込んだ。
「これが…………外の世界……?」
今まで見ていたものは偽物で、今見ているものが真実だということに心が追い付いてこない。
「この惑星は……人口は少なくなったけど、環境は少しずつ整ってるって…………」
『環境がダメになったから人間が減ったし、人間が減ったから手入れする奴がいなくなった。この世界はもう、悪循環が止まらないんだよ』
「ニュースでは、そんなことは言ってなかった……」
『言ったらパニックだ。ごく一部の“上級”の人間にしか、この惑星の正しい情報は伝わっていない』
――――だからって……嘘の景色まで用意して……。
「…………オレは、外の世界には死ぬまで行けないんだな?」
『あぁ。お前はここで最期まで暮らすことになる。ここから見える奴らも、みんな同じだ』
あの黒い棒のマンションには、彼と同じ境遇の人間がいる。
死ぬまでこの空間で不自由なく、不幸も絶望も知らずに生きる人間が。
「…………………………」
『……嘘の世界で平凡に死ぬのと、真実の世界で絶望して死ぬの…………どっちがマシだ?』
呆然と外を見続ける彼に、『親友』は淡々と問い掛けた。
「………………わからない」
『そうだな。俺も何が良いのかわからん。あぁ……もうそろそろ時間だ…………』
「え…………」
時計を見ると、あと10分で日付けが変わる。
『あ、そうだ。お前、明日からも政府の仕事は普通にやれ』
「でも……そうしたら『親友』たちの仲間を…………」
『大丈夫だ。この仕事のシステムは覚えた。お前が仕事をした時に、同時にうちの仲間に警告が行くようにしておく』
『親友』は彼から少し離れて窓の方を見る。
『外を見たい時は、窓に向かって命じればいい。“解除”って言えば、映像が切り替わるようになっている。嘘に戻すなら、こうしろ…………“ホログラム”……設置』
ヴンッ。音と同時に、窓の景色が一瞬にしていつものビルの夜景に変わった。虚構だと解ってしまっても、その景色に彼は安堵する。
「…………ありがとう。教えてくれて」
ほぼ反射的に彼は『親友』に礼を言う。その言葉に『親友』は少し顔を歪めた。
『お前、ほんとお人好しだよな』
「…………へ?」
『怒れば良かったのに。“なんてもの見せてくれたんだ!!”って。知らなきゃ知らないで、お前は明日も希望を持って暮らしてたんだから……』
「…………希望……」
呟いて、彼は苦笑する。
「いいんだ。教えてもらうのを“希望”したのはオレなんだから」
『そっか……』
「でも……ちょっとだけ、口喧嘩とかしてみたかったかも。せっかく“親友”だったんだし」
『はは……俺はそんなのしたくねーよ。バーカ』
お互いに笑い合う。
彼は立ち上がって、『親友』と握手を交わす。
『じゃあ……』
「うん。じゃあ……」
『…………“巡る”時がきたら、またな!』
「え?」
ピピピ、ピピピ、ピピピ…………
日付けが変わるアラームが鳴って、音もなく『親友』の姿は消えた。
「…………巡るって?」
最後の『親友』の言葉がわからなかったが、現在の自分が思ったよりも絶望していないことに、彼は少しだけホッとした。