プロローグ
今日という日は恐らく、僕の人生で最も幸福な一日だっただろう。
長年思い続けていた相手と、恋人同士になれたのはつい先日。
思い出のたくさんつまった公園のブランコで、君に告白されたときは、僕はもう天にも昇るような気持ちだった。正直、嬉しくて嬉しくて、泣きそうになった。
いや、もしかしたら泣いていたのかもしれない。あのときの僕には余裕なんてものは微塵もなく、自分がどんな表情で君に返事をしたかなんて覚えていないのだ。
というか、思い出したくない。かなり酷い顔をしていただろうから。告白してくれたときの君の一挙手一投足は、僕の脳内ファイルにキチンと保存しているから、あの時の僕の記憶を完全に削除してくれ。頼む。あ、返事は覚えておいてくれ。困るから。
まあ、そんなわけで、告白されたときは『今日が人生で最も幸運な一日だ』なんて思っていたが、今の僕にとってはあの日は二番目だ。
何故なら、今日、僕はデートをしたからだ。二人で出かけたことは何度もあったが、恋人として一緒に歩くという経験は初めてだった。
もうね、全然違うの。いつもと。
服も何時間もかけて選んだし、待ち合わせの時間より三時間もはやく着いてしまったし、何故か君が既に居たし、いざ歩きだしても全力疾走直後のように心臓が喧しかった。
普段と同じように君と話がしたいのに、全然言葉が出てこなかった。
僕は割と人見知りする方だが、君のことは家族のように知っているはずなのに。君が頑張って会話をしようとしているのに、当たり障りのないことしか言えなかった。長年の夢が叶ったのだ。誰だって、僕だって、こうなるのだ。
あー、でも、アレだけは失敗だったな。初デートだからって調子に乗って、普段履かない身長が伸びる靴を装備してしまったため靴ヅレを起こしてしまった。痛かった。本当に痛かった。
というか、今も痛い。
皮膚を攻撃しているんじゃなくて、骨をゴリゴリ削っているんじゃないかというくらい痛かった。
あんな拷問器具はもう二度と履かん。君もいっぱいいっぱいだったみたいで気づかなかったし。でも、歩幅を合わせてくれたのは嬉しかった。
そんな感じで一緒に歩いて、映画館に行った。内容は忘れた。
確か動物モノの泣ける系だったはず。せっかく初デートだからと慣れない化粧をしたのに崩れるだろ死ね、と思ったのは覚えている。
今度は言おうかな。言葉にしなければ伝わらない想いというものは存在するのだから。
ご飯食べたり買い物したりしているうちに僕の緊張も解けて…………なんというか、良い雰囲気になったのだ。
普段なら絶対にならないのにな。デートって凄い。
あと、今想えば靴ヅレも効果があった気がする。物理的に傷ついていたため、護って欲しいという気持ちも働いたのではないだろうか。僕は心理学などはよく知らないため憶測でしか語れないが。そう考えると感謝しても良いかもしれない。二度と履かないが。
まあ、そのことは今はいいか。とりあえず、そんなこんなで良い雰囲気になったのだ。そしてデートの締めにと観覧車に乗ったのだ。
ありきたりだが、良い雰囲気のときに狭い個室で二人っきりになるというのは凄まじいものだ。
下界に視線を向けて『見てごらん、人がゴミのようだよ』なんて軽口を叩く気になれなかったのだ。こんなこと、人生で初めてだ。
景色を見るのではなく、僕たちはずっと見つめ合っていた。今日は楽しかった、なんてことを言っていた気がする。……あれ? 言ったっけ? よく覚えていない。その後の記憶が強烈すぎたから。
この数日で、三つも夢が叶っている。
一つは想い人と特別な関係になりたい。
もう一つはデートというものをしてみたい。
そして最後は、観覧車の一番上で、君とキスがしたい。
…………うん。
なんというか、我が事ながら、なかなかロマンチックだな。
特に三つ目。
だが、良いではないか。誰かに話したわけでもない。ずっと自分の胸の奥底に秘めていたのだ。
特に三つ目!
多くの若人の夢ではないだろうか。それが今日、つい数時間前に、僕が経験した事実なのだ。それも、ファーストキスがこれだ。
これはもう、僕の人生で最も幸福な一日であると言って良いだろう。告白されたときももちろん嬉しかったが、記憶が飛ぶほどの衝撃を受けた方がいろいろと大きい気がする。
………………うん。飛んだのだ、記憶。その前後が。今までの記憶で最も君の顔を間近で見たのと、唇に触れた感触は覚えている。
だが、その後の事が全く思い出せない。夢心地のまま観覧車かあら降りて、家の前まで送ってもらった。そして今に至る。
あー、どうしよう。変なこと口走っていなければいいのだが。というか、明日、君の顔をまともに見れる気がしない。最近の僕は完全にペースを乱されている。
自分が自分じゃないようだ。
あ、メールとかした方が良いのかな? でもなぁ、今の気持ちをうまくまとめられる気がしない。
余計なことを伝えてしまいそうだ。子供は三人は欲しいとか。
よし、やめよう。明日にしよう。絶対に暴走する一度寝て、明日の朝考えればいい。でも、眠れるかな? 心臓の鼓動がおそろしくうるさいのだが。