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芋虫の女  作者: 毛蟹葵葉
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『凛子姉さん、ごめんなさい』


 これは夢だ。私は反射的にそう思った。

 なぜ知っているのかというと前に見た光景だから。目の前で申し訳なさそうに座る二人。私はそれをただ見てる。


 一時期は何度も見ていたが、最近ではめっきり見なくなった夢。

 夢といっても現実だけれど。

 その現実が私の心に焼き付けるように、忘れるな。と、何度も繰り返し夢として出てくるのだ。

 目を覚まそうとしてもその夢は、彼らの前から私が立ち去るまで続く。


 ずっと悪夢を見ていろと言わんばかりに。


 その日、婚約者だった同僚の澤田智也にファミレスに突然呼び出された。

 そこには私の妹の彩那が彼の手を握り座って居た。

 明るい二人は気が合い仲が良く時々遊んでいるのを私は知っていた。

 あまりいい気分はしなかったが、『未来の家族』として仲良くなってくれるなら別にいいかと目を瞑った。


 それが間違いだったんだと思う。


 この当時、大学生で卒業が間近だった妹は常々『就職なんてしたくない。働きたくない』と口癖のように話していた。

 働かないで済む方法の一つに結婚という選択肢もある。

 でも、まさか姉の婚約者を寝盗るような事をするとは私は思いもしなかった。

 要領のいい妹らしいといえばそうかもしれない。


 二人とも加害者のくせに私の顔を見た瞬間に、被害者のように今にも泣きそうな顔をした。


「凛子とは結婚できない、オレは綾那と結婚する」

「姉さん。私のお腹には澤田さんの子供がいるの。だから諦めて」

「凛子は強いから一人でも生きていけるだろう?彩那は違う。俺が守らないと」


 私は手を取り寄り添い。この瞬間に酔いしれている二人を見て、心が凍てついていくのを感じた。

 私に申し訳なさそうな素振りはみせるが、そんな事は心にも思っていないだろう。

 なぜなら、私に謝りすらしないから。

 私という存在が邪魔だという事は伝わってきた。


 それどころか、まるで私が悪いと言わんばかりだ。


 彼のことはとても好きだった。

 気が強いくせに要領の悪い私にとって、同期の彼の明るさはありがたいものだった。

 私は仕事になれるまで何度も彼に励まされていた。

 向こうも辛いのに優しくしてくれてどれだけ嬉かったのに。


 明るいじゃなくて、何も考えていないのね。


 この別れ話は間違いなく彼の落ち度だ。これから色々な人の信頼を失うのは間違いなく彼だ。


 でも、どうでもいい。


「わかりました。澤田さん、今までありがとう。職場には私に落ち度がないことだけは伝えておいてください。この件で私は貴方のフォローは一切しません。お祝いはしません。されても嫌でしょ?」


 それだけを伝えて伝票を取ってその場から去った。


 帰り道、雨なんて降っていないのに顔が濡れた。どれだけ顔を手で拭っても雨は降り止まなかった。


 私は誰からも愛されない、醜い存在なのだと、この夢を見るたびに思う。

 私は芋虫のように這いずりながら日々を過ごしている。

 仕事でもそうだ、同期に先を越され、部下にもいつか追い越される。頑張っても私は地面を這う事しかできない。

 他の人は蝶のように羽ばたくのに私にはできない。

 番を見つけた妹と元婚約者の二人は今も幸せそうに羽ばたいているのだろう。私という存在など忘れて。

 私は妹の件で親からも縁を切られて一人ぼっちだ。これから先もずっと、誰も信じられない。


 醜い私は無様に地面に這いずりまわる姿がお似合いだ。


「……」


 目覚めは最悪だ。

 目の前に広がるのは、私の人生を模したような灰色の天井。

 身体が怠くて重たいのは変に力が入ったから、全身がベタベタするのは流した汗のせいだろうか。

 九月とはいえ、全裸で寝るのは風邪をひきそうだ。



『はぁ』


 ああ、幸せが逃げる。盛大なため息を吐いて私は反射的にそう思った。そして、すぐに心の中で苦笑いを浮かべる。

 失うものなんてない私に、幸せが逃げるわけがない。

 それに、幸せなんて望んでない。私が望むのは幸せな日々ではなくて、心を乱されない淡々とした日々だ。

 最近ではそれすら脅かされているが。


 もたつきながら身体を起こすと腰がグキリと鳴った。


「これじゃ、ババアね。もう、30だし、劣化どころか老化かも」


 40過ぎたらギシギシするって女お笑い芸人が言ってたのをテレビで観た。近いうちにきっとそうなるのだろう。

 芋虫のように床を這いながら私はとりあえずキッチンに向かう。


「お水が欲しいわ」


 昨日の記憶を巡ると、確か月一のお楽しみのバーで一杯だけ飲んで帰るつもりでいたのに。

 たまたま、5歳下の苦手な『部下』とかち合い。潰れるまで飲んだ気がする。

 お酒が弱いから。と、何度も断ったがしつこい勧めに、仕方なく飲んだらこんな事になってしまった。


「それにしても、よくアパートまで辿り着けたわねぇ」


 きっと、私を潰した事に負い目を感じた『部下』が送ってくれたのだろうか。


「顔を見るの、気が重いわ」


 悪いことをしてしまった。お会計は私が出してるはずだと思うが、もしも、彼にお金を出させてしまったら申し訳ない。

 粗相をしていなければいいが、会ったら謝らないといけない。

 支払いしてなかったら、お金も渡さないといけない。


 その時、彼はどんな反応をするのだろう。


 考えるだけで……。


「気が重い」


 私は水と一緒にため息を飲み込んだ。やっぱり幸せが逃げるのは嫌だった。

 これ以上『部下』に嫌われて今後の楽しみもない人生を、ハードモードにはするのは嫌だった。


 何もない人生でも幸せなものだから。


「どうしよう」


 私は、苦手そのものの部下のことを思い出す。


 『部下』は見た目だけで言えばかなりのイケメンに分類されると思う。

 初めて会った時に私は芸能人かモデルかと思ったくらいだった。

 顔立ちは整っていて、タレ目で中性的なのにどこか野性的なのは、とても身長が高いからだろう。

 それなりに鍛えているらしく、スーツ越しでも身体はガッシリとしているのがわかる。


 彼と出会ったのは半年前。


「水津隼人です。3年間ですが、よろしくお願いします」


 水津は人の良さそうな笑顔を貼り付けて会釈した。

 しかし、その時、私は見逃さなかった。

 彼が私の顔を見て眉を寄せたのを、敵意だろうなとこの時に思った。

 嫌な予感は初対面ですぐにわかった。


 実は、彼は本社の幹部候補で社長の親族だ。出向という形で支社でしばらくこちらで働く事になっていた。その間の彼の上司を私にと白羽の矢が刺さった。

 そう、グサリと。


 立ったんじゃない、刺さったんだ。あれは。


 彼は、私にだけ辛辣だった。事あるごとにグサグサと察しの悪い私でもわかるくらいの嫌味。

 最初は女上司の私が嫌なのかと思ったがそうではない。『私が嫌い』なんだ。

 私が手から落とした資料を人が見えないところで蹴飛ばしたり、踏んだり、言葉の端に分かりにくいような嫌味を入れたり。


 誰かに訴えようと思ったが、彼の人柄の良さは共通認識になっていた。

 理由があって嫌われている。私の言うことなんて誰も信じはしない。言えるわけがなかった。

 ジワジワと心が削られる日々を過ごしていた。

 お陰様で婚約破棄の時になった偏頭痛が再発してしまい。彼の出向が終わる日を指折り数える日々を過ごしていた。

 何が辛いかというと、水津に嫌われていると周囲に知られることだ。

 何もしていなくても必然的に私が悪くなるに決まっている。

 それくらい私の信用は薄いのだ。


 澤田と別れた時も、私には落ち度がないのにみんなは信じてはくれなかった。最後は誤解だとわかってもらえたが、一度失った信頼は中々取り戻せない。

 それに、未だに私を良く思わない人はいる。

 当たり障りなく接してくれているが、腹の中では何を考えてるかなんてわからない。考えたくもない。


 今回の件は、明らかに自分の落ち度だ。


 水津に迷惑をかけてしまった。私はなんと周囲から言われるのだろう。考えるだけ怖かった。


 悶々としながら、私は土日を過ごした。

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