現世と幽世 ~捜査協力~
翌日――私は身支度を整えて何気なく専用端末に目を向けるが、相変わらず『その者』からの反応がない。奴も、この事態にはさすがに気づいているはずなのだが……あくまで、我々で事件を解決しろという、暗黙の指示だろうか?……とりあえず、連絡を入れてみる。
すると、少し経ってから『その者』から返信がきた。
『なんだ?』
……第一声がこれである。私はすかさず、『事件の事を知っているか?』と訊ねた。
『いや、知らない』
『本当に?』
『そもそも、なんの事件のことだ?』
『今、都内で起きている怪死事件だ。状況から判断して、怪異が絡んでいる可能性が高い』
『ちょっと待て』
そのような返信があり、本当にちょっと待っていると再びメッセージが届く。
『確かに、いくつか気になる事件が起きているようだが、具体的にどれのことだ?』
『本当に何も知らないのか?』
『ああ』
怒るでもなく、こちらを非難するでもなく……『その者』からの返信には、そのような淡々とした様子が感じられた。
私はそこで、今起きている事件についての概要を送った。その文をしっかりと読み込んだのか、『その者』からの返信は少し遅れてからやってきた。
『確かに、怪異が絡んでいるようだな』
私が返信を送ろうとしている最中、『その者』から続けて返信が来る。
『ちなみに、この事件は我々もマークしていたが、ここまで明確に事態を掴んでいなかった』
私が言わんとしていることをくみ取って、先回りするかのような返答が来る。
『では、この事件はこのまま捜査を進めていいんだな?』
『もちろんだ。続けてくれ。いつも通りに。何かあれば、また連絡してくれ』
『分かった』
それだけ返信してやり取りを終えると、私は一息つく……『その者』や『組織』は、本当にこの事態を把握していなかったのだろうか?
奴は『マークしていた』と言っていたが、それならばこの事態にも気づいていそうなものだが……まぁ、『その者』や『組織』の思惑がなんであれ、私はこの事件をいつも通りに全力で解決するだけだ。
私はタブレットをリュックに入れて、タルホのいる部屋へ向かう。
彼女がいる部屋のドアを開けると、彼女の方も準備が済んでいるようで、私の姿を見てニコッと子供らしく笑った。
「では、行こうかっ!」
意気込むタルホに対して、私は今回はなるべく姿を見せずに協力してほしいと伝えた。
「むぅ……久々に暴れられると思ったのじゃが……まぁ、これ以上異界の存在が出てきても、お主の迷惑になるだけか。よかろう、わらわはしばし隠形となりてお主を助力しよう」
そう言うと、タルホの体は見る見るうちに透明になった。
『気張るのじゃぞっ!』
頭の中に直接、そのように声をかけられる……どうやら、ちゃんと助けてくれるようだ。
「…私は手伝わなくていいんですか?」
ガスマスク越しのくぐもった声で、サキがそう聞いてきた……こう言ってはなんだが、彼女は明らかに戦闘向きだ。今回の捜査を手伝ってもらうのは不適格だろう。
私は彼女に、今回の事件は待機してほしいと彼女に伝えた。
「…わかりました」
……ガスマスク越しにしょんぼりしたような様子を見させられて、なんだかつらい。彼女は見た目に反して繊細な性格をしているようだ。今後も言動には気を付けないと。
決意を新たに、タルホからの言葉を鬨として、私は家を出て警視庁に登庁した。
警視庁のロビーに着くと、さっそく見慣れた顔にでくわす。
「あら、ファング。おはよう」
そこには、昨日と同じ実戦的な装いのカチューシャの姿があった。彼女の姿は、この警視庁一階ロビーでは、その見た目のせいでかなり目立っているように見える。
私はカチューシャに、誰かに声をかけられなかったのかと質問した。
「ああ、ええ。さっき、そこの受付の人にね」
そう言いながら、カチューシャが受付の方に視線を向けると、そこに座っていた女性がこちらを向いてポッと恥じらうように、微笑みながら目線をそらす……彼女とカチューシャの間に何があったんだろうか?
「……日本の女性って、可愛いわよね」
……私は何も聞いていない。
そのまま、しばらく気まずい時間を彼女と共有していると、やがてオモイカネ機関のメンバー達や捜査一課の主要な面々が姿を現す。
あらかた揃ったところで、私はカチューシャの紹介と、昨日彼女から聞いた情報を捜査一課のメンバー達に伝えた。
「ふむ……なるほどな」
てっきり、いつものように苦虫を噛み潰したような顔をするかと思ったが、本郷警部は真剣な表情で推理し始める。それと対照的なのが、新しく入ってきた生意気な捜査員だ。
彼は、私の話を聞いているうちに段々顔色が険しくなり、とうとう私の方が階級が上だというのに、遠慮なく睨みつけてくる……とりあえず、彼からの視線は無視するとして、私は捜査一課が集めた情報について本郷警部に質問した。
「ああ。だいたいの収穫はあった」
そう言って、警部は胸ポケットから手帳を取り出す。
「まず、お前らが言っていた儀式とやらに関する可能性についてだが、一つ目に関する情報はなかった。二つ目の可能性に関する情報についても、あの子達の周囲の人間関係には、それらしい人物は見当たらなかったな。三つ目の可能性についてなんだが、俺はこれが一番怪しいと睨んでいる」
「と、言いますと?」
大倉刑事がそう聞くと、本郷警部は手帳をしまって答えた。
「なんでも、被害者の一人である島谷明美は、両親からたびたび虐待を受けてたらしい。彼女の学校のクラスメイトが、そんなことを今回の事件に巻き込まれた友人二人に島谷明美が話しているのを聞いたらしい」
「ということは、今回の件は集団自殺ってことか?」
鬼島警部が質問すると、本郷警部は頷く。
「俺は、その可能性が一番高いと思っている。現に、島谷明美の両親は犯行現場に血痕を残したまま、今も行方不明だ」
「島谷明美ちゃんが、自分の両親に普段から虐待されていたことを嘆いての集団自殺……もしくは、両親に恨みを抱いて、殺そうとするためにあの儀式を行ったということでしょうか?」
私は、それらの可能性についてあることを発言した。そもそも、少女達はあの遊びについて事前に知識があったのかどうかだ。
両親から逃避するために友人達を道ずれに自殺するにしても、両親をその儀式によって殺そうとするにしても、事前にあの儀式がそのような効果を発揮するものだと知っていなければ、動機とはいえないだろう。
私がそのことを告げると、他の皆はロビーの中央で一様に悩んでしまう。
「確かに……矢島愛の証言によれば、たまたま蔵を探検していたら、あの儀式の小道具を見つけたって言ってたしな」
「しかも、その小道具は代々矢島家に所蔵されていたもので、愛ちゃんのおばあさんが子供の頃から存在していた……さらに、その小道具による儀式によって、矢島家の女性はみんな被害に遭っている」
「あ、そういえば」
そこまで言って、協力的な捜査員が手帳を取り出す。
「私が調べたところによると、矢島サエさんの言っていたことは事実でした。
サエさんが子供の頃に起きた事件については記録をたどれませんでしたが、地元の警察署に保管されていた調書を調べてみると、矢島愛さんの母親である矢島香さんとそのご友人達が強盗に襲われた事件の記述がありました。
ただ、実際に物証のようなものはなく、当時の警察では現場の状況から判断してそのようなことがあったのだろうという推論に基づいて調書が書かれていたようです」
「なるほどな」
そこまで言って、本郷警部の心中ではある程度の結論が出たようだ。
「どうやら、俺が言った島谷明美がうんぬんって話は間違いだったようだ。問題は、矢島家か小道具そのものにあるらしい」
「今からでも張り込みますか?」
「そうだな。警護も兼ねて、何人かそっちに人員を配置しよう。お前らは、引き続き小道具について調べてくれるか?」
私がそこである提案をしようとした時、今まで不愉快そうな表情を浮かべるだけだった生意気な捜査員が、とうとう口を開く。
「待ってください」
「ん? なんだ?」
「課長も先輩も……本気で儀式で人が殺されたと思っているんですか?
さも当然のように捜査情報を提供してますけど、この人達だって、本当に警察の人間かどうか――」
「てめぇ――」
鬼島警部が警視庁にて傷害事件を起こしそうになった瞬間、本郷警部は落ち着いた声色で話し始めた。
「俺も、こいつらが本当に刑事かどうかはわからねぇ」
「だったら――」
「だがな。こいつらが事件に介入してくる時は、たいてい管理官か警視総監から直々に連絡が来るんだ」
「……え?」
「それに……実際問題、こいつらは今まで介入してきた事件をことごとく解決している。もちろん、すべてが丸く収まるってわけじゃねぇが、迷宮入りになったことはねぇんだよ」
「……」
「こいつらを疑う気持ちは分からんでもないが、それなら、お前はこの事件をどう思う?」
本郷警部に質問されて、生意気な捜査員は少し考える素振りを見せて答えた。
……それにしても、我々が事件に介入できるのにそのような事情があったとは……この事件が解決したら『その者』に礼の一つでも言ってやろうか?
「……おそらく、友人達が島谷明美と一緒に遊んでいる最中、彼女達は島谷明美の両親の犯行に巻き込まれたのでしょう」
「すると、今回のヤマの犯人は島谷明美の両親ってことだな?」
「はい。元々、両親は島谷明美を虐待していたということですし、精神的になんらかの問題を抱えていたのでしょう。それで、なんらかの理由で島谷明美を殺すに至った。友人達は、その巻き添え被害に遭ったのです。
矢島愛さんが、電気を消した後に錯乱していたのは、おそらく、両親がその時に凶行に及んだからでしょう。現場に両親の血痕が残っていたのは、その時にケガをしたか、もしくはただの偽装工作です」
「なるほど。一理あるな」
確かに、その可能性も否定はできない。だが――。
「だったら、その精神的に問題を抱えている両親は、自身が犯行に及んだ形跡を血痕以外あらかた消去して、友人の一人を行方不明にさせ、今も警察の捜査網をかいくぐって潜伏中というわけだな?」
「……充分考えられます」
そう、私達が見てきた現場は、人間がやったとするならば混乱と秩序が同居しているようなものだ。あれだけ室内を荒らしたにも関わらず、被害者の体からは犯人の遺伝子が検出されず、凶器も見つかっていない。血まみれの室内において、犯人のものと思われる足跡一つ検出されなかったのだ。
本郷警部は、ジッと自分の事を見つめる生意気な捜査員をそれ以上追及することなく、ひとつため息をつくと、再び私に視線を向けた。
「それで……どうだ、小道具の件、任せていいか?」私はその質問に、ある提案をもって応えた。
※
「ったく……まさか、こんなことになるとはよ……」
人工的な明かりに照らされて鬼島警部がそう言うと、隣にいるカチューシャがすかさず口を開く。
「ふふ、いいじゃない。案外楽しめるかもよ?」
「は、犯行現場では、くれぐれも静粛にしてほしいであります……」
大倉刑事は、ここに来てからはずっと落ち着きがないように見える。まぁ、それも当然だろう。彼を含めたオモイカネ機関のメンバーとカチューシャが今いるのは、矢島愛が友人二人を亡くした現場――つまり、島谷明美の自宅のリビングだ。
すでに鑑識作業は終わっており、リビングは事件が起きた当時のまま保管されている。本郷警部を含めた捜査一課の捜査員達は、自宅の周囲とこのリビング、家中の各部屋の中と外でドアを開けたまま警戒に当たってもらっている。
私が本郷警部に提案したこと……それは、この部屋で矢島愛達が行った儀式を再現することだった。
今回、もし犯行が人間によるものならば、今後は本郷警部達に全面的に協力することを条件に、この提案を行った。もちろん、この儀式における歴代の生存者である矢島家の人間にはすべて、警護の警察官を配置してある。
そして……私はリビングの中央で儀式に用いる小道具が入った木箱を開けて、中に入っていた小道具一式を取り出した。小道具は、和紙、ロウソク、マッチ、縫い針、説明書となる安物の紙で構成されている。
私はその中から説明書を手に取り、改めて目を通す。横から、鬼島警部が覗き込んでくる。
「なになに……まず初めに、和紙に参加する者の氏名を書くこと。次に、縫い針で自分の指を刺し、氏名の横に血判すること。次に、ロウソクに火を灯して家中の明かりを消すこと。次に、氏名と血判がある和紙を、玄関扉の内側に貼ること。次に……なんだこりゃ?」
そこで、鬼島警部が疑問の声を上げる。彼女が読み上げようとした箇所には、『逢魔時』と書かれていた。私の横から、カチューシャが和紙を覗き込む。
「ああ、これは『おうまがとき』と読むのよ」
「おうまがとき?」
鳴海刑事がその言葉を繰り返すと、カチューシャはコクッと頷く。
「そう。昔、日本で使われていた時間の単位で、今で言えばだいたい午後六時頃の事よ。その時代は、まだ電気なんかのインフラが無かったから、家の中も外も薄暗かった。そして、その薄暗くなる時間帯は魔物なんかがこの世に現れやすくなると考えられていたの」
「つまり……この儀式を行う時間は、魔物にとって自分がこの世に出てくるタイミングで行われるというわけですか?」
「そういうことになるわね」
カチューシャはニコッと笑うが、他のメンバー達は真剣な表情を崩さない。
逢魔時……別名で『大禍時』とも言われる時間帯……確か、それ以外にさしたる意味はない時間帯だったはずだ。そんな時間帯をわざわざ指定してこの儀式を行うように指示してあるということは……間違いない。この儀式は、人にとって有害なものだ。
しかも、その時間帯に自らの血を依り代か呼び水に用いるような術式のやり方には、この儀式を作った者の凄まじい悪意を感じる……私はその意見を、皆に伝えた。
「そうね。でも、もしかしたら途中で術式を変更した可能性もあるんじゃない? 時間帯によっては、血を捧げる行為は最高の供物として、血を捧げた者に幸福をもたらす儀式もあるし」
「だとしたら、少なくとも愛ちゃんの何代も前の矢島家の女性の頃に、誰かが意図的に変えたということでしょうか?
この儀式は、元々矢島家にとって有用な儀式だったけど、なんらかの原因があって誰かがこの儀式を矢島家にとって有用なものから有害なものに変更したとか……」
そこで、今まで口を閉じていた鬼島警部が声を上げた。
「……アタシはオカルトはさっぱりだが、人間の恨みの怖さとかは身に染みて分かってるから、今のところはその可能性があると思うぜ」
「じ、自分は、け、決して魔物などには――」
すでに戦線離脱しそうな大倉刑事を鳴海刑事がなだめる傍ら、私はもう一度和紙に目を向けた。
『逢魔時』の説明の後には、ロウソクの火を消して再び点けると、すでに魔なるモノは家の中にいるとのことだ。その後は、午前0時までひたすら逃げるとのこと。その間、決して寝たり同じ場所にとどまってはいけないとのことだ。どうやら、『魔なるモノ』とやらに捕まってしまうらしい。
「捕まる……もしかして、今も行方不明の島谷明美ちゃんのご両親と小倉裕子ちゃんは、儀式の最中に眠ったり同じ場所にとどまって魔なるモノに捕まってしまったのでしょうか?」
私は鳴海刑事の疑問に、少なくとも命の危険性を感じる場面で眠ったりはしないだろうと答えた。
「いえ、それは分からないわよ。相手は人外……私達が思いもよらない手段を使ってくる可能性が高いわ。例えば、睡眠を誘発する術とかね。まぁ、ご両親の方は違うでしょうけど」
「な、なぜでありますか?」
大倉刑事が周囲を警戒しながら、質問する。
「だって、その二人はここに血痕を残していたんでしょ? そして、子供の方はそれらしい痕跡もなく失踪している……子供の方は、さしたる抵抗もなく連れていけたけど、両親の方は大人だからそれなりに抵抗できたとしても、あなた達から聞いた限りでは、かなりの出血量だったらしいじゃない?」
「ええ、まぁ」
「そんな出血を伴うケガをしていたら、普通眠っていられるかしら?
まぁ、私も今考え付いたんだけど、両親は同じ場所にとどまっていたがために連れていかれて、子供の方は何らかの理由で眠らされて連れていかれたと思うわ。その理由までは分からないけどね」
「だったら、この中の誰か一人が連れていかれてもおかしくねぇってことか?」
鬼島警部の言葉に、部屋の中は一瞬凍り付いたような空気に包まれるが、カチューシャは意に介さず答える。
「ええ、そうかもね。少なくとも、連れていかれるか殺されるか……どっちにしたって、覚悟はしておいたほうがいいわ」
『……』
……彼女がいつもの調子でそう答えても、室内の空気は変わらない……無理もない、ひょっとしたら、今日自分は死ぬかもしれないだなんて、普通の人間は考えることもないだろう。
だが……私やカチューシャにとっては、そのような状況に陥ったり、ある種の心構えのようなものは、怪異を相手にする時は日常茶飯事である。彼らには慣れてほしいとも思わないが……そのままでいてほしいとも思わない。
その時、鬼島警部が意を決したように頷く。
「うしっ! 分かった、やったるぜ」
「ええ、僕も覚悟が決まりました」
「せ、先輩が行くならば、自分もどこまでもお供しますです、押忍っ!」
「あら意外。あなた達って、こういう話をしても馬鹿にしたり驚いたりしないのね?」
カチューシャが感心したように言うと、三人はそれぞれ自身の思いを代弁するような表情をして口を開く。
「まぁ……神牙と一緒にいたら、否が応でも耐性は付くよな」
「確かに……でも、悪い気はしないです」
「じ、自分は、き、気合さえあれば、幽霊も捕縛できると思うのであります、押忍っ!」
……だったら、今度から怪異が絡んだ事件には大倉刑事を積極的に前衛に立たせよう。
それはそうと、メンバー達の言葉によって目頭が熱くなった私は、再び和紙に目を向ける。
ロウソクの火が消えた場合、十秒以内に火を点けること。点けないと、魔なるモノは現れる。どうしても点かない場合、塩で円を作り、その中に入る。塩の円は結界となり、魔なるモノは入れないが、塩を除去するために数々の工作を行うことがある。
「なるほどな。アタシ達が見た現場の状況はそういうことか」
「ええ。彼女達は、塩の結界を作って中に避難していたけど、結局魔なるモノとやらに邪魔されたようですね」
鳴海刑事のその声で、私の脳裏に当時の現場の様子がありありと思い出される……確かに、あの時は塩の円とその塩を溶かすように円の周囲が水浸しだった。思えば、あの水の浸潤は魔なるモノによる妨害だったのだろう。
そして、どうやら和紙に書かれた説明はこれが最後のようだ。
「う~ん、どうも引っかかるな」
「何がですか?」
腕組みをして考え込む鬼島警部に対して、鳴海刑事が問いかけると、カチューシャが口を開いた。
「儀式の成果、じゃないかしら?」
「あ、それだぜっ!」
カチューシャの言葉に合点がいったようで、鬼島警部はパッと明るい表情になってウンウンと頷く。
「ど、どういうことでありますか?」
状況が理解できていない大倉刑事が鬼島警部に問いかけると、彼女は説明を始める。
「ほら、この事件を捜査している時に聞いただろ? 儀式の効果だよ」
「あっ、そういうことですね」
どうやら、鳴海刑事は理解したようだ。そのまま、彼は話す始める。
「そうですよ。よく考えたら、この和紙には儀式のやり方だけが書いてあって、その効果までは書かれていない。さっき神牙さん達が言っていたように、この儀式が良くない結果を引き起こす可能性が高い以上、説明書にもその効果を書いていてもおかしくはないはずなのに」
「あるいは、この説明書が作られた当時…この儀式の効果は、執行する人達にとってはすでに知っていたものなのかもね」
「でも、それだとおかしくねぇか? 良くないことが起こるって分かってんのにやるっていうことは――あ……」
そこで、鬼島警部は目を丸くして口を閉じる。
「け、警部……?」
大倉刑事が心配そうに鬼島警部の様子を伺う隣で、鳴海刑事は真剣な表情を浮かべて考え込み、カチューシャは口元に微笑を浮かべている……やがて考えがまとまったのか、鳴海刑事がカチューシャに目を向ける。
「カチューシャさん。もしかしてこの儀式って……」
「私も、まだ推測の域を出ないけど、おそらくそうでしょうね」
そこで、カチューシャの微笑みに妖艶な雰囲気が纏ったような感じがした。
「この儀式は、元々人に危害を加える目的で作られた呪術である可能性が高いわ」
「ひ、人に危害を加える目的で作られた呪術……で、ありますか?」
犯行現場で、大倉刑事は間の抜けた声でカチューシャに問いかけた。
「ええ、そうよ」カチューシャは深く頷く。
「思ったんだけど、この儀式はあまりにも縁起が悪すぎるのよ。人の血を供物にするのは別として、儀式を行う時間帯を魔物が現れやすい時間帯にやるのは、どう考えても人にとって良くないことが起きるものよ。
それをわざわざ説明書に書いて、ご丁寧に儀式で使う道具一式をそのまま説明書と一緒に箱に入れておくなんて……普通じゃないわ」
そう語るカチューシャの表情は、真剣そのものだった。いつもの飄々(ひょうひょう)とした態度はどこにも見られない。
「世の中のほとんどの呪術には説明書なんてものはないし、その効果だって、本来は口伝や術者が術をかける時にその場で口頭で伝えるものよ」
「なるほどな。それだけ、この呪術はおかしいってわけか」
「ええ、そうね。人に危害を加える呪術はたくさんあるけれど、異常であるという点では、この呪術に勝るものは見たことがないわ」
カチューシャが見たことがないというのだから、今我々の目の前にある道具類と説明書――それによって執り行う呪術は、かなり異様なのだろう。しかも、まず間違いなく、凄まじい危害をもたらすように思える。もっとも、それはすでに実証済みであるのだが……。
私は考えた。この呪術は危険である。しかし、私はなんとしてでも今回の惨劇を起こした犯人を捕まるつもりだ。いつも通りに。
だが同時に、この呪術によって引き起こされる事態は私のみならず私の周囲にいるメンバー達やカチューシャにも危害が及ぶかもしれない。というか、ほぼ間違いなく及ぶ気がしてならない。
出来ることならば、いらぬ犠牲を出さないという意味で私一人で呪術を執り行うべきだ。幸い、姿は見えないが、こちらにはヨモツヒメであるタルホもついている。黄泉の世界の有力者が協力してくれるならば、仮に相手がこちらを上回る実力の持ち主でもなんとかなるかもしれない。
ならば、ここで彼らには家の外にいてもらって、私一人で呪術を執り行うべきであろう。そう思って、私は皆にそのことを伝えた。
「嫌です」
鳴海刑事が即答する。
「神牙さん。知っているとは思いますが、僕達は何があってもあなたと一緒に事件を解決するつもりです。僕らの事を心配してそう言ってくださるのは嬉しいのですが、その言葉を聞くたびいちいち否定するのも面倒なので、もうこれっきりにしてください」
……鳴海刑事にしては、かなりきついことを言われてしまった。そんな彼に続くように、残りの者達も声を上げる。
「そうだぜ。ようは、『死ぬ時は一緒』ってやつだ」
「自分も、どれだけ役に立つかは分からないが、力仕事が出来た時には最大限助力するつもりだ」
「そうね。実験に使う材料も欲しいし」
……若干一名、不純な動機の者もいるようだが、これだけ覚悟を決めた人達を持つ私は幸福である。正直言って、それで犠牲が出ないわけでも、不測の事態が起こらないわけでもないが……ありがたい。
私は皆に礼を言って、本郷警部達にあらためて状況を説明した後、呪術を執り行うと言った。その言葉に、反対する者は一人もいなかった。
「――なるほどな」
――状況説明のため、皆を家の中に残して本郷警部への説明を行った。彼は、私の話に黙って耳を傾けた後、そう言って考え込む。
「分かった。俺達は変わらず警戒にあたる。何かあったら、すぐに応援を呼べ。気をつけろよ」
私は本郷警部に礼を言って、その場を後にした。
「神牙さん、頑張ってくださいっ!」
声のする方に目を向けると、協力的な捜査員が目を輝かせていた。その隣では、対照的な姿を見せる生意気な捜査員がいる。
私は協力的な捜査員に礼を言って、その場を後にする。生意気な捜査員の視線が相変わらず痛く刺さってくるが、今は気にしていられない。
家の中に入ってリビングまで戻ると、私は待機していた者達に説明を始める。
「うしっ! じゃあやるかっ!」
私の話を聞き終えた鬼島警部はそう言って、テーブルの上に置かれた小道具に目を向ける。
「ええ、そうね」
カチューシャが頷いてそう言うと、それが合図だったかのように我々は淡々と儀式の準備を始めた。不随被害を出さないため、家の中を警備していた警官や刑事には、ここで退場してもらう。
「――準備はいい?」
家中の明かりが消え、我々以外の人間は退出し、ロウソクの火だけが我々の頼りとなったが、カチューシャは相変わらずの様子で我々に問いかけてくる。
「はい」
「ああ」
「押忍」
私は、彼らと同じように返事をする。
「やるわよ」
カチューシャはそう言って、和紙を扉にテープで貼った。
それから少し経って、時刻は夕方の六時となったので、私は扉の前に立ち、一息ついて扉を三回ノックした。
……部屋の中で、ノックの音だけが静寂の世界に響き渡り、我々の心にピンッと見えない緊張の糸が張ったように思えた。
私は振り返り、皆に目配せしてそれぞれが持つロウソクの火を消した後、あらかじめ鬼島警部が持ってきていたマッチで再び火を点けた。
『……』
その場でしばらく身じろぎ一つせずに周囲の様子を探るが、これといって変化はない……しかし、油断はできないだろう。説明書の通りならば、すでに魔なるモノという存在はこの室内に顕現しているはずだ。
「っ!? ファングッ!」
――静寂の世界に、カチューシャの絶叫が木霊した。