未来のための船旅 ~船上での疑心暗鬼~
翌日……私達はまだ船の上にいた。結局昨日の昼過ぎには嵐も収まり、今は穏やかな海が広がっている。
(結局何も起きなかったわね…今日は何しようかしら……)
私はそう思いながらベッドの上で伸びをして窓の外を見る……すると、ちょうどアンナが部屋の中へと入ってきた。
「あら……おはよう」
「おはよう。ねぇ、今日はどうするの?」
「うーん……特に予定はないわね」
「じゃあ、暇つぶしに散歩でもしない?」
「ええ、別に構わないわよ」
色々と厄介なことをしてくれる誰かさんの存在は気になるけれど、今は気分転換を優先したいわ。
私達は部屋を出て、船内を散歩することにした。廊下に出ると、船員たちが忙しく歩き回っている姿が目に入る。私達は彼らに声をかけることにした。
「すみません。ちょっといいですか?」
「ん? はい、何か?」一人の船員がこちらを振り向く。
「何かあったんですか? ずいぶんと忙しそうにしてますけど…」
「あ、ああ…実は――」
そこで、私達は船員から思いがけない話を聞く。
昨日、毒殺された中年男性の伴侶だった女性の姿が、どこにも見当たらないというのだ。彼女は昨日から行方が分かっておらず、今になってもまだ見つかっていないらしい。
「それって、つまり行方不明ということですか?」アンナが声を上げる。
「ええ、そうなりますね。まぁ、あんなことが起きた後じゃ一人になりたいでしょうし…そのうちひょっこりと戻ってくるとは思うのですが……」
「分かりました。わざわざありがとうございます」
アンナは礼を言うと、すぐにその場を離れた。私もそれについていくようにその場を離れる。そして、少し離れたところまで来ると、私達は顔を見合わせた。
「……どう思う?」
「……ま、絶対やばいわよね…」
パートナーが殺害されたその日に行方知れず……大丈夫と言える方がどうかしているわね。ただでさえ、殺人鬼がいるかもしれない状況なのに……とにかく、警戒しておいて損は無いでしょう。
私達は甲板の方へ向かうことにした。甲板に出てみると、そこには既に大勢の人が集まっている。何事かと思い近くへ行ってみると、そこでは船員達がロープを使って懸命に何かを引き戻そうとしていた。一体何を引き上げようとしているのかしら……。
「ねぇ、あれって何だと思う?」
「さぁ……とりあえず見に行ってみましょう」
私達は人の輪の中へと入っていく。やがて見えてきたのは……血まみれの女性の死体だった。
「きゃっ!?」
「うげぇ……」
死体を見た瞬間、そこのいた人々から口々に叫びが聞こえた。
「これはまた随分と酷い有様ですね……」
「ええ、まったくです……」
その中で、船員達が吐き捨てるように言う。確かに彼らの言葉通り、女性の死体はかなり悲惨な状態だった。腹部からは内臓のようなものが見えており、手足も変な方向に曲がっている。首にも縄のような痕がくっきりと残っていた。おそらく絞殺された後に海に捨てられたんでしょうね……。
ふと周囲を見ると、顔を青ざめさせている人が何人かいた。無理もないわね……。
「これ、自殺とかじゃないですよね?」
「ええ……」
たまたまアンナの近くにいた船員にアンナがそう答えると、船員が苦々しい表情を浮かべる。ま、そりゃそうよね。でも、聞き込みはやらなきゃ。
「この方、いつ見つかったんですか?」
私はロープを引っ張っていた船員に質問した。
「それが分からないんですよ……」船員が答える。
「分からない?」
「はい、我々も必死になって捜索をしていたのですが、ついさっき、甲板に手すりにロープが結ばれているのが見えて…てっきり、誰かが甲板作業をサボったかミスでもしたのかと思ってみんなと一緒にロープを片付けようとしたんですがやけに重くて……それで、ほかに人を呼んで引き揚げたらこの通りで…」
「そうだったんですか……」
船員の話を聞きながら、私はもう一度死体を観察する。改めて見ると本当にひどい状態だわ。それに…彼女はいつ殺されたのかしら?
船内は乗客や船員達が色々と動き回っているし、甲板に出れば目立つでしょうし…私達が昨日彼女を探した時に自室を確認したけど、あの時にクローゼットとかに隠れてたとか? でも、それならそうする理由がわからないわ…。
それに、船員達によれば、彼女の遺体が括りつけられたロープはついさっき見つけたと言っていた……この短時間で、これだけ損害のひどい遺体を甲板まで運んで海に投げ入れ、なおかつロープを手すりに結ぶ……出来るものかしら?
「うーん……」
私が考え込んでいると、突然背後から誰かが私の肩に手を置いた。驚いて振り返ると、そこには船長の姿があった。
「お二人とも、少しいいですか?」彼は小声で話しかけてくる。
「あ、はい」
「実は折り入ってお願いしたいことがありまして……」
「お願い……ですか?」
「ええ、実は――」
彼が話し出そうとしたところで、「船長、ちょっと…」と船員の声が聞こえた。
「なんだ、どうしたんだ?」
「実は――」
船員が近くに寄ってくると、彼らは何かを話し始める。そしてしばらくすると、船長はこちらの方へ戻ってきた。
「すみません、ちょっと仕事ができてしまいまして……」
「いえ、別に構いませんよ」
「ありがとうございます」
そう言うと、船長は船員と共にどこかへと行ってしまった。残された私達は顔を見合わせる。
「大変そうね……」
「そりゃ、そうよ…こんなことが続くんじゃ、ね……」
私達はそのまま、甲板に出ている人の顔を見つめた。
しかし、そこにいた人達は皆一様に暗い表情をしている。特に、若い女性達は顔面蒼白といった感じね…まぁ、無理もないけど……これから先、さらに犠牲者が増える可能性だってあるわけだし……犯人が捕まればいいのだけれど……。
※
それから数時間後、彼女の遺体を伴侶の遺体がある冷凍室に安置してきた私達は食堂に入ったが、部屋の中は尋常ではない不穏な空気に包まれていた。あちこちからヒソヒソと話し合うような声が聞こえる。
「ねぇ、何が起きているの?」
「さぁ……」アンナも首を傾げる。
「とりあえず、座ってみましょ……」
「そうね……」
私達は近くのテーブルに腰かける。しかし、それでも周囲の喧騒は収まらない。一体何があったというのかしら……?
でも、その理由はすぐにわかった。どうやら、昨日毒殺された男性と今回遺体で見つかった女性の件で、乗客たちは完全に船員達を疑っているみたい。まぁ、そりゃ当然よね……そんなことを考えていると、一人の男性が私達の方へ近づいてきた。そして、私達に話しかけてくる。
「やぁ、君たちも船員たちを怪しんでいる口かい?」
「え? あ、はぁ、まぁ……」
咄嗟にそのように返事をすると、男性は仲間を見つけたとばかりに笑みを浮かべた。
「そうだろう! あいつらは絶対に怪しいんだよ!」
「そ、そうなんですか……」
「ああ、そうだ。そもそもおかしいじゃないか。いくらなんでも死体が二体も出てくるなんて。それも夫婦揃ってだぞ!? 普通じゃ考えられないだろ!」
「それは確かに……」
男性の勢いに押されて思わず同意してしまう。しかし、彼の話はまだ終わりではなかった。
「だから、俺達は奴らの企みを突き止めるために、今から行動しようと思っている」
「え? 何をするつもりなんですか?」
「決まっている。船員たちの部屋を調べて回るんだ」
「ええっ……!?」まさかの行動力である。
「で、でも、勝手に他人の部屋に入るなんて……」
「なに、大丈夫だよ。なにせ、船員の部屋の鍵は全てマスターキーで管理されているらしいからな。それを奪えば問題ない」
「なっ……」
あまりにも堂々とした犯行予告に私は絶句してしまった。というか、それってもう完全にクロじゃない……。
「そういうわけで、俺達は早速船員たちの元へ行ってくるよ。それじゃあな!」
そう言うと、男は足早に立ち去って行った。
「……」
「……」
しばらく私達姉妹の間に沈黙が続く。
「……で、どうするの、姉さん?」
「どうするもこうするも無いわよ……君子危うきに近寄らず、ね」
「そうね……」
結局、私達はその場から離れることにした。おそらくこのままここにいても、ロクなことにならない気がする。
「とにかく、今は大人しくしていましょ……嵐が過ぎるまでね」
「ええ……」
その後、私達は警備がてら船内を適当に見回った後に自分達の客室へ戻ることに。そして、部屋に入ると、私はベッドの上に寝転がる。
「はぁ……」
今日は結局色々あって疲れた……。時計を見ると、まだ昼前の時間だった。
昨日はアンナと一緒に船内を見て回りながら色々な人と話をしたが、その時もやはり事件に関することばかりだった。やはり、この船に乗っている人達にとっては他人事では無いみたい……ま、それは当たり前か。
それにしても、これからどうしようかしら? 迂闊に調査を続けようとしても、乗客達があんな調子じゃ船員達は協力してくれないでしょうね。私だって、乗客の一人なんだし。
そんなことを考えていると、コンコンッと扉が鳴る音が聞こえてきた。慌てて起き上がると、「はい……」と言いながら扉を開ける。そこには、険しい表情をした船長の姿があった。
「あの、どうかしましたか……?」
「いえ、少しお話がしたくて……」
彼はそう言いながらも、どこか落ち着かない様子だった。
「わかりました。それなら、中へどうぞ」
「ありがとうございます」
私達は船長を部屋の中に招き入れると、椅子に座って向かい合った。彼はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開く。
「すみませんが、少しお尋ねしたいことがありまして……」
「聞きたいことですか?」
「ええ、実は――」
彼が話し出そうとしたところで、突然部屋のドアが開いた。驚いて振り返ると、そこには船員が立っていた。
「失礼しますっ!」
「な、なんだ、どうしたっ!?」
船員の剣幕に、船長も思わずたじろいでしまう。
「船長、今すぐ来てくださいっ! 大変なんですっ!」
「なんだ、トラブルか?」
「はい、お願いしますっ!」
船員が言い終えるや否や、船長は椅子から立ち上がってこちらに向き直る。
「すみません、お話はまた今度…」
「私達も行きます」
「姉さん?」
私の隣で、アンナが首を傾げた。船長達も同じだった。
「そ、そんな…どうぞそのままお休みください。お二人にはたくさん手伝ってもらっていますし……」
「いいえ、何か起こったのなら、確かめなくては…」
私はそう主張すると、船長達は互いに顔を見合わせてため息をついた。
「…わかりました。でも、危ないようならお部屋に戻ってくださいね?」
「もちろん」
私の微笑みを合図とばかりに、私達と船長達は部屋を後にした。
「……君子危うきに近寄らず、じゃなかったの?」
道行く廊下の途中で、アンナがささやくように問いかけてきた。
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず、よ!」
「……はぁ…」……うん。後ろから聞こえてくるため息は聞こえないようにしよっと!
「だから、おとなしくしろっ!」
「いやです! なんで我々が――」
こうして私達がたどり着いた先は食堂だった。そこは、私達が立ち去った時よりもさらに状況が悪化していた。乗客たちが、まるで暴徒のように暴れている。中にはアイスピックを手にしている人もいて、もはや収拾のつかない状態になっていた。
「これは一体……?」
「どうやら、一部の乗客の方々が船員に対して怒りを爆発させたようで……」
確かに、これだけの騒ぎになれば怒る気持ちもわかるけど……。でも、このまま放っておくわけにもいかないわよね……。
そんなことを思っていると、誰かに服を引っ張られる感覚を覚えた。振り返ると、アンナがいた。彼女は私の耳元に顔を寄せてくると、小さな声で囁く。
「ねぇ、今のうちに逃げた方がいいんじゃない?」
「え? 逃げるって……」
「いくらなんでも、この状況はヤバすぎるわ…」
彼女の言葉に、私は思わず考え込んでしまう……それほどまでに、彼女の眼は私に真剣に語りかけてきた。まさか、ここで『目は口ほどに物を言う』という日本のことわざを目の当たりにするなんて……まぁ、とにかく、確かに彼女の言う通りかもしれない。言う通りなんだけど……。
(ん?)
そんなことを考えていると、私の視界の端に奇妙な光景が映り込んできた。
「……」
人が…老人が倒れている……彼はこの喧騒の中にあって、ピクリとも体を動かさない――そう認識した時には、私の体は彼に向かって人波をかき分けていった。
「ちょっ、どこ行くのっ!?」
「ごめんなさい!」
アンナにそう言い残して、私は倒れた男性の傍まで駆け寄る。
「大丈夫ですかっ!?」
「……」
老人からは返事はない。抱き起すが、目を閉じたまま反応がない。呼吸も止まっていて、脈もないようだ……残念だけれど、どう見ても死んでいるわ。
「姉さんっ!」
後ろからアンナの声が聞こえてきた。
「その人…もうだめなの?」
「……ええ、残念ながらね」
いったい彼に何が……そんなことを考えていると、乗客の一人が金切り声を上げた。
「こいつらのせいよっ! こいつらが運んできたコーヒーを口にしたら、急に苦しみだしたのよっ!」
「ですから、私達はなにも――」
「では誰がやったというんだ!? おおかた、我々の存在が妬ましくてこんなことをしたんだろうっ!?」
……もしかして、この騒ぎの原因はこの老人がコーヒーを飲んで倒れたから…? これは、思っていた以上の地獄ね。どうしてやろうかしら…? 私がそう考えている間も、人々は互いに罵り合っていた。
「あんたらのせいで、私達の船旅が台無しになったんだぞっ!!」
「そうだ、責任を取れぇー!!!」
立派な衣服に身を包んだサル共がわめいているけれど…この男性を誰が殺したにせよ、この食堂で二人もの人間が毒殺された以上は、もうここにはいない方がいいわね…それに、この男性も他の人たちと同じように冷凍室に移動させなきゃ……。でも、その前に。
「あの、すみません……」私は近くにいた船員に声をかける。
「あ、はい?」
「申し訳ないのだけれど、船医を呼んで頂けるかしら?」
「は、はい、すぐにっ!」
そう言って、船員は食堂から駆け出して行った。これでよし……と。
そのまましばらく待っていると、船員は船医を伴って食堂に戻ってきた。
「お待たせしました。それで、どうかされましたか?」
「えっとですね……」私は先ほどの出来事を手短に説明した。すると、医者はすぐに死体の状態を確かめ始めた。
「これは……おそらく毒でしょうね。それも、かなり強力なもののようです。この方はかなり苦しまれたことでしょう……私なら耐えられませんよ」
「そうですか……わかりました。ありがとうございます」
私が深く頭を下げると、医者は首を横に振った。
「いえ、当然のことですよ。それより、あなた方は大丈夫でしたか?……見たところ、何やら騒動があったようですが?」
船医のその言葉に周囲を見渡すと、いつの間にか喧嘩は収まっていた……ように見えるが、おそらくは船医の手前、おとなしくしているだけだろう。そんな彼らを見ながら、私は答える。
「私達は何も問題ありません」
「そうですか……それはよかった。何かあった時は、いつでもお呼びください」
「ええ、その時はよろしくお願いします」
「では……」
そう言い残して、船医はどこかへ消えて行ってしまう……ずいぶんと他人行儀な船医ね。トラブルに巻き込まれたくないにしても、殺人犯がうろつく船内でよく一人になろうとするわ。
とにかく。
「それじゃ、この人を下の冷凍室に運びますね……」
「え、あ、はい……」船員は戸惑ったような表情を浮かべていたが、「わかりました……」と言うと場所を空けてくれた。
「じゃあ、行きましょうか……」
「ええ……」
私は老人の亡骸を抱きかかえると、アンナと一緒にその場を離れた――そうしている間も、船医がいなくなったのをゴングとばかりに乗客たちと船員達の言い争いは再開し、老人に対して黙とうを捧げる者は皆無だった。
私達は階段を下りると、そのまま下層甲板の廊下を突き進んでいく。そして、たどり着いた先には『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた冷凍室の扉があった。
アンナにその扉を開けてもらって中に入ると、奥にはすでにこの航海で亡くなった二人の遺体が隣同士に並べられていた。
私は老人の亡骸を今朝発見された女性の遺体の隣に安置した。
幸いというべきか、この冷凍室はかなり広いようで、これだけ遺体を並べてもまだ食材をとるスペースはある。とりあえず、これでよしっと……。
「……それで、これからどうするの?」
「…とりあえずもう一度船内の様子を見てくるわ」
「…ええ、分かったわ」
私達は冷凍室を出ると、再び甲板へと向かって歩き出した――。
「それで、何かわかったのか?」
「いえ、特に何も……」
「そうか……」
甲板に出ると、船長と船員達、そしてジャンがそのような会話をしていた。彼らは私達に目を向けると、どこかばつが悪そうに視線を逸らす。そんな彼らの態度に、思わず苦笑してしまう。
「どうやら、状況は良くないようですね……」
「……すみません。お恥ずかしい限りです」
「僕からも謝るよ」
二人の言葉に、船員達は何も言わずに俯いている。
「別にあなた達を責めてるわけじゃないわ。ただ、こんなことが続くと、ね……」
「ああ、分かるよ」
「…そういえばあなた、食堂にはいなかったわね?」
アンナがジャンが遠慮なく不審な眼差しを向けると、彼は苦笑して言った。
「ああ、それは説明させてもらうよ」
ジャンによると、彼は今日ずっと自分の部屋で休んでいたらしい。そこに船員の一人が食堂の騒ぎを知らせてきて、急いで向かうと食堂から戻ってくる船医と会って事情を聴いたそうだ。
その後、私達が遺体を運んだ後も乗客達と船員達が喧嘩をしていたため、彼が一喝してその場を解散させたらしい。
今、乗客達は皆自分達の客室から出ようとしないらしい。理由は分かる……おそらく部屋の中に閉じこもって嵐が過ぎ去るのを待つつもりだろう。
しかし、それは無理な話だ。なぜなら、この船は今、大海原のど真ん中にいる。しかも、クランクシャフトが折れていて漂流している状態。どんなに理想的な条件で計算したとしても、船がどこかの港に辿り着くには最低でも一か月はかかるでしょうね…その間、ずっと部屋に籠っているなんてできるはずがない。
排せつや入浴なんかは部屋の設備でできるでしょうけど…食事は自分で取りに行くか、誰かに持ってきてもらうしかない。どっちにしろ、船員達の協力が必要なわけだから、籠城なんて意味ないのに……。
「なにそれ、バカみたい……」と、横を見ると、アンナが呆れたように呟いていた。
「ええ、まったくです」と、船長が相槌を打つ。
「そうだね。主催者として申し訳ないよ…」ジャンも、誰に言うでもなく謝罪する。
「それで、あなた方は一体何をなさっていたんですか?」
「それが――」私は船長達に事情を説明した。
「なるほど……そういうことでしたか。すみません、お客様にそのようなことを…なにしろ、あの騒ぎをどう収めようかと頭を抱えていたもので…」
「いえ、大丈夫よ。それより、ほかの乗客たちのことだけれど、大丈夫?」
「はい。先ほどジャン様がおっしゃったように、今はほとんどの方が自室にこもっておられますので……」
船長がそう言うと、ジャンも口を開いた。
「一応、僕からも彼らに船員達と和解するように言っておくよ。いつまでも籠城なんて出来ないだろうしね」
「そう……あなたはどうするの?」
「僕は、必要に応じて、かな……船員達に何か頼まれれば手伝うし、乗客達から要望があれば出来るだけ叶えたいと思ってる」
「船長さん達はどうするんですか?」
アンナが質問すると、船長は答えた。
「私共はいつも通り、職務に励むだけです」
そう言ってはにかむ船長の笑顔が、今は尊く思える。
「そう……分かりました。では、私達はもう行きますね」
「はい、ご協力感謝いたします」
「何かあったら、遠慮なく言ってくれ」
ジャン達に別れを告げると、私達は再び船内を歩いていく。
「姉さん……」
アンナが心配そうな顔で話しかけてきた。
「うん、分かってる。でも、まずは船の状態を確かめないとね……」
私は自分に言い聞かせるようにそう言うと、再び歩き始めた。
※
「……これはひどいわね」
私は目の前に広がる光景を見て、思わずそう漏らした。
「ほんと、ひどすぎるわね」
アンナも同じ意見だったようだ。
私達の前にはありとあらゆる食器類が散乱した食堂があった。その床一面に、割れて鋭利になったナイフやフォーク等の刃物が散らばっている。さらに、テーブルクロスは引き裂かれて、椅子の脚は折られていた。
「誰がやったのかしら……」
「さあ? まぁ、あの時喧嘩してた人たち全員でしょ」アンナは吐き捨てるように言った。
「それもそうね」と、私達二人は食堂を後にした。
その後も船内を歩き回って分かったことは、どうやら乗客達は本当に各々の自室に籠城しているということだった。
時折出会う船員達にもなるべく愛想よくふるまうが、その笑顔はどこかぎこちなく感じる。それはきっと、彼らが心の内に抱える不安を隠し切れていないからなのかもしれないわね……あんなことがあったばかりだし…。
「それにしても、随分と静かね」
「ええ、これはこれで、なんだか不気味だわ……」
私達は今、客室が並ぶ廊下を歩いている。辺りからは物音一つ聞こえず、まるでこの世に自分一人しかいないような錯覚に陥る…いやまぁ、隣には妹がいるわけだけど…。
「ちょっと待って……」
突然、アンナが私の服を引っ張ってきた。
「何?」と、聞く前に彼女は私の耳元に口を近づけると、小さな声で囁いてくる。
「誰か来る……」
彼女の言葉に、私は反射的に身構える。すると、確かにこちらに向かって足音が近づいてくるのが分かる……一体誰なのかしら……
やがて、角を曲がって姿を現したのは――船長だった。彼は私達を見つけると、びっくりした様子をみせて声をかけてきた。
「わ、びっくりした! お、お二人とも、こんなところで何をされているのですか?」
「ああ、船長。少し船内を調べているところなんだけど……」
私がそう答えると、船長は意外そうな顔をしていた。
「そうだったのですね……いつもありがとうございます」
「いえ、別にいいんですよ。それよりも、あなたこそどうしてここに?」
「ああ、実はお客様に用事がありまして……」
「客?」
「ええ、皆さんが客室に引き籠られている間も、やはり食事は必要になるでしょう? 船員達はお客様達と色々ありましたから…それほど人数も多くありませんし、何かあれば船員達には知らせるように言ってあるので、私が直接ご要望をお伺いしようかと…」
「殊勝な心掛けですね」
アンナは冷たくそう言った。彼女としては船長のお人好しな部分を非難したつもりなのだろうが、船長はその言葉に微笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。ただ、私はそんな大層なことをしているわけではないのです。これは、いわば罪滅ぼしのようなものですから……」
「罪滅ぼし?」
「はい」船長は神妙な面持ちになると、話を続けた。
「先ほど、ジャン様からお話を伺いましたが……その、皆さんは本当に申し訳ないことをしました。お客様の気持ちも考えずに……本当なら、私達が何とかしなければならないところを、あなた方に任せてしまい、さらにはこのような事態にまで発展させてしまった。私は、自分の無力さを痛感しています」「……」
船長の言葉を聞きながら、私達は互いに目配せをした。
「でも、船長さんは悪くないですよ」アンナはすぐにフォローを入れた。
「そうね。悪いのは喧嘩をしていた人達よ」私もそれに同意した。
「そう言っていただけるのは嬉しい限りですが……それでも、私は自分が許せないんです」
「……そう」
彼の思い詰めた表情を見て、私達はそれ以上何も言えなかった。
「では、私はそろそろ失礼いたしますね。また、御用があればいつでも呼んでください」
「ええ、分かったわ」
「それじゃあね、船長さん」
そうして私達は、再び船内の調査を再開した。
しかし、特に変わったことは何もなく、ついに甲板へと出てきてしまっていた。
「ふう……」
「とりあえず、ここで最後ね」
「そうね」
私達は船縁に手をかけると、眼前に広がる景色を見渡した。
海鳥の群れが飛び交う青空の下、遥か遠くまで広がる水平線。そして、穏やかな波をかき分け進む一隻の客船……訂正。この船、今は漂流してるんだったわ。あまりにも景色がきれいで現実逃避するところだったわ…。
「綺麗ね……」
ひとまず不穏なことなど忘れて、思わず見惚れてしまうほどの光景に、私は無意識のうちに呟いていた。
「うん、ほんとね」
隣にいるアンナも同じことを思っていたようだ。
彼女はどこか懐かしむように目を細めると、私と同じ方向を見ながら言った。
「ねぇ、姉さん」
「何?」
「もしよかったらさ……この船旅が終わった後も、二人でどこかに旅行に行かない?」
「あら、珍しいわね」私は小さく笑った。
「あなたがそんなことを言うなんて……」
「たまにはいいじゃない。私だって、そういう気分になることはあるんだから」
アンナは照れくさそうにして言うと、「それに……今のままだと、ちょっと心配だから……」と、小声で付け加えた。
「そう……」
「姉さんは……嫌?」
「うーん……そうね。まぁ、考えておくわ」
「分かった。じゃあ、楽しみにしておくわ」
「ええ……」
それから私達はしばらく、この美しい景色を眺め続けた。
「おおぉーーいっ!!」
……せっかくいい雰囲気だったのに…。
私達は叫び声が聞こえた方――私達がいる場所とは反対方向の甲板に目を向けた。




