未来のための船旅 ~喧騒の始まり~
少し焦げた臭いがする航海デッキで、私達はしばし呆然としていた。
無線が使えれば、簡単にこの船から逃げられるはずだった……しかし、その頼みの綱である通信機は、私達の前でプスップスッと音を鳴らして黒焦げになっていた。
「これは……一体どういうことなんだい?」
ジャンが質問すると、ここまで案内をしてくれた船長が気まずそうに答える。
「その……ここには普段から当直の船員がいるんです。ボートの消失やらクランクシャフトの破損やらの時もです。そいつらによると、我々がくる数分前に、突然無線機が燃え出したんだとか……」
……見ると、数名の船員の手には消火器が握られており、無線機の周囲には消火剤と思われる粉が散乱していた。
「そんな……いくらなんでも、タイミングが良すぎる…」
そう言って、ジャンは頭を抱える。確かにそうね……こんな都合よく無線機が使えなくなるなんておかしいわ。まるで誰かが意図的にやったみたい……でも誰が? 何のために?
私がそんなことを考えていると、隣にいるジャンは腕を組んで考え込んだ。
「まずは、状況を整理しよう。あの爆発の原因は何だと思う?」
「…やはり、エンジンの故障ではないでしょうか? あるいは、クランクシャフトが壊れた時の音…」
「そうだね。どちらにせよ、恐らく何者かが故意にやったに違いない」
ジャンの言葉に、私達は黙り込む。
「…まぁ、少なくとも、無線機が発火したタイミングや爆発のタイミングから考えて、まったくの偶然ということはないでしょうね」
私がそう言うと、ジャンは力強く頷いた。
「ああ。となると、犯人はまだこの船内にいるかもしれない」
「そ、そんな……!」
「落ち着け、まだそうと決まったわけじゃない。船内のすべての区画を調べたわけじゃないからね」
「……はい」
船長を落ち着かせて、ジャンはまたゆっくりと言った。
「…ただ、問題はどうやって犯人を見つけるかということだ」
「それは……難しいですね……」
「うむ……そこで僕としては、残念ながらこの船はこのまま漂流させるしかないと思う。
その間、不要な区画は閉鎖して、近くの島か往来する船舶に救助を求めるべきだと思うんだ。もちろん、食糧なんかは節約しながらね」
「……なるほど…」
船長の言葉が、その場にいる全員に重くのしかかる。
漂流……考えられるなかで、一番最悪の選択肢ではあるけれど……この状況では、それが最善の策のように思えた。
「……分かりました。それでいきましょう」
船長はそう答えた。私たちも、静かに頷く……正直、嫌な予感は拭えないけど……。
こうして、私達の乗った客船『ディスティン・ベルグ』号は、遭難することになったのだ。
※
「とにかく、ここにこれ以上いても意味はない。いったんみんなをホールに集めて、事情を説明しよう」
「分かりました。すぐに手配します」
航海デッキで決意を新たにした私達は、すぐに行動に移った。
船長がジャンに言われてすぐに他の船員達や客人達を呼びに向かったので、私達もそれについていくことにする。と言っても、当直の船員以外はジャンも一緒に来たため、ほぼ全員での移動になった。
そのためか、船内を歩いていると乗客達の視線を感じた……それもそのはずよね。立て続けにいろんなことが起きてこんな大人数で出歩いているじゃあ……。
その後、人数のおかげか注目を浴びたおかげか、この船に乗っているであろう当直の船員以外のすべての人員を大ホールに集めることができた。
「さて、みんな集まったかな?」
ジャンがそう尋ねると、皆が静まり返る。
「えーっと……とりあえず今の状況を確認しよう。まずはこの船の現状だ。はっきり言おう。現在この船はスクリューを回すクランクシャフトが壊れていて航行できない状態にある。
しかも、みんなも知っているように、救命ボートもほとんど流されてしまった。さらに言えば――ついさっき確認したんだが、無線機も使えない。つまり、この船は漂流しているんだ」
ジャンが淡々と事実だけを述べていくと、徐々に悲壮感が増してくる……そして、とうとう耐えきれなくなったのか、誰かが泣き始めた。するとそれにつられて、あちこちからすすり泣く声が聞こえ始める。
「もう終わりよ!どうせ死ぬなら早く死にたいわ!」
「そんなこと言うんじゃないよ!今は絶望するときじゃない!」
「でも、どうやって生き残るっていうの!?」
「そんなの分からないわよ!」
「おい、お前ら少し落ち着け!」
次第に収拾がつかなくなってきたところで、ジャンが一喝した。
「静かにしてくれっ!」
――その声で、ざわつきがピタリと止む。
「……とにかく、みんなの気持ちはよく分かる。だが、ここでパニックになってはいけない。冷静に考えてみようじゃないか」
ジャンがそう言うと、何人かの男が口を開いた。
「だったらどうすればいいってんだよ! こんな海の真ん中で、助けが来るまで待ってろっていうのか?」
「そうだぜ! それとも何か? 俺達に死ねとでもいうつもりなのか?」
「違う! そんなことを言ってるんじゃない!」
男達が騒ぎ出すなか、ジャンが慌てて否定する。
「……君たちの言いたいことはよくわかるよ。僕だって、こんな形で死にたくなんてないしね。しかし、だからといって無闇に動き回っても同じことだ。食料や水の確保は勿論のこと、まずは怪我人や病人がいないかどうかの確認が必要だと思う」
「確かに……そうだな……」
男の1人がそう呟いたのを皮切りに、全員が納得したかのように黙り込んだ。
「よし、じゃあ早速作業に取り掛かろう。計画としては、このまま漂流して近くを通りかかった船に救助を求めるか、どこかの島にたどり着くかだ。
その間、水はなんとか船の設備でしのげるが、食料の方は制限しなくちゃいけない。幸いなことに、この船には船旅の間全員分の食料を数か月分は積んでいたはずだ。それを節制すれば、なんとかなるだろう。もちろん、いざとなった時は全員で協力しあって、何とかしよう。以上、質問はあるかい?」
「ああ…」
そこで、一人の男性から手が上がる。
「なんだい?」
「もし島が見つかっても、そこにたどり着けなかった場合。あるいは、船が見つかっても救助されなかった場合は?」
「その場合は……運を天に任せるしかないね。僕としては、なるべくそうならないようにしたいところだけど」
「分かった……ありがとう」
男性は礼を言うと、静かになった。
「他に質問は?……ないようなら、早速行動に取り掛かろう」
……ジャンの言葉で、その場にいる全員が悲壮な決意を固めたように見えた。
私達はどうしようか……そんなことを考えていると、ジャンが近づいてきた。
「すまないが、アンナとエカテリーナは僕の手伝いをしてもらいたい」
「え? どうして私たちなの?」
「実は、僕はこれから修理に必要な道具を探しに行くんだ。船員達にはそれぞれ専門分野のことに集中してもらうとして、僕としては船員以外に一緒にいる時間が長かった君達と協力した方がいいと思ってね」
「……なるほど。ええ、いいわよ」
「…ありがとう。助かるよ」
こうして、私達はジャンと一緒に行動することになった。
※
「……よし、こんなところかな?」
ジャンは、手に持っていた工具箱を床に置いた。
「ふう……」彼は額の汗を拭う。
「お疲れ様」
「ありがとう。なんとか、これが修理の役に立つと良いんだけど……」
床に置いた工具箱に目を向けながら、ジャンはそう言った。
「大丈夫よ。きっとうまくいくわ……それで、次は何をしたらいいの?」
「うん、ちょっと船倉に行ってみないか?」
「船倉?」
「うん。あの辺りは船にとって最も重要な場所だ。船を動かすために必要な部品なんかも置いてある。もしかすると、何か使えるものがあるかもしれない」
「でも、そっちは船員達がなんとかしているんじゃないの? 邪魔になりそうだけれど……」
横でアンナが口を挟むと、ジャンはおどけた笑顔を見せて言った。
「まぁ、そうなったらおとなしく退散するさ。もしその途中でこの工具箱が必要になれば使ってもらえばいいんだし」
「……それもそうね」
「じゃあ行こう」
「ええ」
そして、私達とジャンは船倉に向かって歩き出した。
船倉に着くと、長く続く無骨な廊下の所々に水密扉が設置されていた。私達はその中から一番近くにある扉を開いて探索をする。
基本的には、ジャンが言ったように船に関する道具や部品などが置かれており、時折それを囲むようにして仕事をしている船員達に出会った。
そして…最後に残った扉を開けると、そこはどうやらちょっとした貨物室になっているようで、多くの様々なものが積まれていた。木でできた樽のようなものもあれば、金属製の箱に入った液体のようなものもある。
「ここにあるのは全部非常用の物資なのかしら?」
「たぶん、そうなんだろうけど……どれが本当に必要なものなのか分からないから、とりあえず片っ端から調べていこう」
それから、ジャンは一つずつ丁寧に中身を確かめていった。私達は、ジャンの指示に従ってその荷物を船倉から運び出していく。
しばらく作業を続けていると、ふと気になるものがあった。それは、小さな小包だった。大きさは私の両手から少しはみ出るくらいで、それなりに重量を感じる。
何が入っているのかと開けてみると、中には拳銃が入っていた。リボルバー式のものだ。
「あら、これは……」
「ん? どうかしたのかい?」
「これを見てちょうだい」
そう言って、ジャンに拳銃を手渡す。
「これは……なかなか危険な代物だね。誰が持ち込んだんだろう? 弾も入っているみたいだし……」
ジャンはその拳銃を見ながら、首を傾げた。
「……もしかしたら、船員の誰かがこっそり持ち込んでいたのかもしれないわね」
「なるほど、ありえる話だ。しかし、何のために持ち込んだんだろう?」
「そりゃあ、護身用でしょう? この辺りに海賊とかがいるとは思えないけれど、念のためといったところじゃないかしら」
「ああ、そうかもね……」
ジャンはそう言うと、再び考え込むような仕草をした。
「……ジャン、どうしたの?」
「……いや、立て続けに嫌なことが起こって、こんなものを見つけちゃったから…少しナーバスになっているようだ」
「そう……」
「……すまない、心配をかけて」
「気にしないで。誰だって不安になることはあるわよ」
「……ああ」
……あまり、この励ましは効果が無かったみたいね。
「とにかくその拳銃はしまって、今は作業を続けましょう。この荷物を外に出せばいいのよね?」
「……そうだね」
そして、私達は作業を再開した。
※
「ふう……」
作業を終えて船倉から出たところで、ジャンは大きく息を吐いた。
「大丈夫?」
「ああ、問題ないよ。ありがとう」
「それなら良かった……それで、これからどうするの?」
「そうだね。とりあえず、今はまだ船内の確認を続けるよ。食料庫にも行ってみようかと思っている」
「分かったわ。じゃあ、また後でね」
「ああ」
ジャンはそう言い残すと、また船倉にある水密扉の先へ消えていった。
さて、どうしようかしら?……そう思って隣のアンナを見ると、彼女も私のことを見ていた。
「…それで、これからどうするの?」
「そうねぇ……ジャンと別れた後は、特にやることがないわけだし…でも、このまま自分達の部屋に戻ったら印象悪いわよね…」
どうしようか……一瞬、このまま甲板に戻ろうかと思ったが、せっかくなのでもう少し船の中を見て回ることにした。
「とりあえず、何か作業をしている風な感じで船の中を見て回らない?」
「……いいわ」
……一瞬、嫌な顔をされたのは気のせいかしら? まぁ、いいわ。
――そのまま、私達は船の中を探索することにした。船内は思っていたよりも広く、1階だけで3つのフロアに分かれていた。
1階は食堂と調理場や大ホール、医務室や接客を受け持つ船員などの客室があり、2階には船長や航海にかかわる船員の部屋と、私達も泊っている客室がいくつかあった。上部甲板はそれぐらいかしらね?
下部甲板――つまりは船倉部分はさっき見たようにちょっとした貨物室や機関室が乱立していて、一階にある調理場の冷凍室とは別に食料の保管庫があった。
ざっと見た限りでは、ここにいるのは船員達だけでジャンの姿は見えない。もう用が済んだのかしら?
そして極めつけは、上部甲板三階のプールやスパだった。この船はちょっとした豪華客船並みの設備を備えたクルーザーだけど、こんなものまであるなんて……。
「ここには何もなさそうだし、そろそろ戻ることにしましょう」
アンナにそう言われて私が階段に向かおうとした時、下から足音が聞こえてきた。
咄嵯に隠れようとしたが、遅かった。ちょうど、目の前にジャンが現れた。
「おや? 二人共、ここに何か用かい?」
「いいえ。何かやることはないかって、船の中を見て回ってたの」
「あははっ! なんだ、そうかっ! まぁ、こんな時だけどゆっくりしてよ」
「……ふふ。ええ、そうさせてもらうわ。あなたはどうしてここに?」
「僕も君達と似たような理由かな。一応、あの後も船倉で何か役に立てないかと船員達に声をかけたんだけど、どれも僕は役立ちそうになくてね。
みんなにああ言っちゃった以上、一人でゆっくりしているわけにもいかないから、こうして船の中をうろついていたんだ」
「なるほどね」
「よかったら、一緒に食堂の方に戻らないかい? どうやらここには何もないみたいだし、あっちに行けば誰かと情報交換できるかもしれないからさ」
「ええ、いいわ」
そして、私達とジャンは並んで歩き出した。
「ねぇ、ジャン。ひとつ聞いてもいい?」
一階へと続く階段の途中で、アンナが口を開いた。
「うん、なんだい?」
「あなた、今回の件についてどう思っているの?」
「……どういう意味だい?」
「そのままの意味よ。今回の一連の騒ぎは、どう考えたって誰かが人為的に引き起こしているに決まっているわ。だとしたら、その犯人は誰かしら? やっぱり、この船の関係者だと思う?」
「そうだね……まぁ、普通に考えるとそうだろう」
「……そう」
ま、そりゃそうなるわよね…。
「それがどうかしたのかい?」
「別に、なんでもないわ……」
アンナは、それ以上ジャンに問いかける気はないみたい。その代わりばかりに、ジャンが口を開く。
「……まぁ、確かに君がそう思うのも無理はない。だけど、そう決めつけるのは早いんじゃないかな。例えば、船が港から出港する際に誰か目的を持った人物や集団が潜伏したとも考えられる。特に警戒してたわけじゃないから、入り込むは容易いだろうしね」
「……そうね」
アンナは小さくため息をつく。
「とにかく、今はこの船を隅々まで調べるしかない。きっと何か手がかりが残っているはずだ」
「ええ、わかっているわ」
それから、私達は無言のまま一階に戻った。私達が階段を下りて一階に戻り、ふと外を見ると、既に日が傾き始めていた。
「あら、随分と時間が経ってしまったみたいね……」
「そうだね……さて、食堂に――」
「きゃあああぁぁッ!!!」
――その時、ジャンの柔和な声色をかき消すように、食堂から悲鳴が上がった。私達は顔を見合わせると同時に、食堂に向かって駆けだした。
食堂に入ると、そこには大勢の人達がいた。その中には、先程までのんびりお茶をしていた乗客達もいた。食堂の入り口付近にいた船員二人が、私達に気付いて振り返る。
「ジャ、ジャンさんっ!」
「大変です!」船員達の慌てぶりを見る限り、ただ事ではないようだ。
「いったい何があったんだ!?」
「そ、それが……」
船員達は困惑した表情を浮かべたまま答えられずにいたが、一人の女性が前に出た。
「私の夫が急に倒れたんですっ!」
そう言って女性が指し示す先には、食堂のちょうどサロンのようになっている場所で倒れこむ中年の男性がいた。その男性は全身から汗を流しながら苦悶の表情を浮かべており、額には大量の脂汗が浮かんでいた。
「大丈夫ですか?」
私は男性の元に近づき、容態を確認する。すると、男性が苦しげに口を開いた。
「きゅ、急に頭が痛くなって……うぅっ! はぁ、はぁ……ぐっ!?」
その時、男性はカッと目を見開いたかと思うと、そのまま口を半開きにして動かなくなった。
「こ、これは……」
私は慌てて脈を取る。しかし、男性の心臓は止まっていた。
「そんなっ! 嘘でしょう!?」
「おい、しっかりしろっ! 目を覚ませっ!」
「あぁっ! 神様っ! どうしてこんなことにっ!」
周りの人々はパニックに陥った。そんな中、私とジャンは冷静に対処していた。
「とりあえず、船医の診断を受けましょう」
「そうだね。誰か呼んできてくれっ!」
「す、すぐにっ!」船員の一人が食堂を出ていく。
「……どう思う?」ジャンは小声で囁いてきた。
「まだなんとも言えないけど、おそらく何らかの薬物を飲まされたのかもしれないわね」
「ああ、僕も同意見だよ」
「あなたはここにいて。私が様子を見てくるわ」
「わかった、気をつけて」
ジャンに見送られ、私は男の傍らに膝をつく。
「すみません、ちょっと失礼しますね」
私は男の胸元に手を当て、ゆっくりと押していく。男はビクともしない。
「ダメだわ。完全に死んでる」
「そ、そんなっ!? な、なんとかしてちょうだいっ!」
「ええ、わかっています」
後ろから聞こえてくる女性の声に多少イラつきながらも、私は船医が来るまでの間、男性に蘇生措置を施し続けた。しばらくして、食堂に白衣を着た初老の男が入ってきた。その男は食堂内を見渡すなり、眉間にシワを寄せた。
「……どういう状況かね?」
「わかりません。突然倒れて……」
「ふむ……」
「あの、あなたがこの船の医者でしょうか?」
「ああ、そうじゃよ」
「でしたら、今すぐ診ていただけますか? かなり危険な状態ですので」
「……わかった。では、こちらへ運んでくれ」
「はい」
そして、私と船員達は協力して男を近くのソファの上に運んだ。
「……これは酷いな」
男を診察していた船医はカバンを開けながら何事か呟いていたが、やがて脈を測って首をゆっくり横に振った。
「あ、ああ……!」
その光景を見て、後ろに控える女性は人目もはばからず泣き始める。
「そんなっ! 嘘でしょう!?」
「……残念だが、もう手遅れのようですな」
「うぅっ……!」
「そんな……」
他の乗客達も、皆一様に悲嘆に暮れた。
「先生。いったい、彼の死因はなんなんです?」
ジャンが聞くと、船医は腕組みをして答えた。
「おそらく、毒物によるものだと思われる」
「毒っ!? 誰かに毒殺されたというのかっ!?」
「ああ、そう考えるのが一番妥当だろうね」
「でも、一体誰がっ!?」
「それは、わからない…」
ジャンがゆっくり首を左右に振ると、途端に乗客達は堰を切ったようにまくしたてた。
「そんな……」
「くそっ! なんてことだ!」
「許せないわ! 絶対に犯人を見つけてやるっ!」
「ああ、必ず見つけ出してやる!」
乗客達が怒りに震えている中、船医が声を上げた。
「とにかく、今はこれ以上犠牲者が出ないようにすることが先決でしょうな」
「そ、そうですね……」
船医の言葉を聞いて、ジャンが船員達に指示を出す。
「まずは船内の警戒レベルを上げ、怪しい人物がいないかどうか調べるんだ」
「はい!」
船員達はすぐに行動を開始した。その後ろ姿を眺めながら、私は小さくため息をついた。
(まったく、面倒なことになってしまったわね……)
そう思いながら、私は乗客と残った船員達を交互に見つめる……どう考えても、乗客達は船員の誰かが毒を盛ったと考えているみたい。このままだと、争いが起きかねないわね……。
私がそんなことを考えていると、一人の乗客が船員達に問いかけた。
「…彼に料理や飲み物を持ってきたのは誰だ?」
……始まった。私は心の中で舌打ちをする。
「…僕です…」船員達の中から、比較的年若い青年が名乗り出る。
「お前か……」男性は青年を一瞥すると、芝居がかったため息をついて言った。
「すまないが、君はこれからは自室で過ごしてくれ」
「えっ!?」
「当然だろう? 君が犯人じゃないという証拠はないわけだし」
「そ、そんなっ! 僕はやってないっ! 信じてくださいよっ!」
「信じるかどうかは、我々が決めることさ」
「お願いしますっ! なんでもしますからっ!」
「ダメだね」
「そんなぁ……うぅ」
そう言いながら、青年はとぼとぼと食堂を後にする。
「何を見ている? 君たちも早く仕事に戻るんだ」男性は残った船員にもそのように言った。
乗客と船員……両者の間に流れる空気は、これから起こる惨劇の前兆のように感じられた。
※
「それで……彼はどうするの?」
「そうだねぇ…」
ジャンは毒殺されたであろう男性の遺体に目を向けながら腕組みをした。
「とにかく、遺体が損壊してはまずい。水葬するのも不憫だ。地下の冷凍室に保管しておこう」
「そうね」
私達は遺体を運び出す準備を始める。
「……」
……結局、あの後食堂に残ったのは女性一人だけだった。彼女はずっと泣いているだけで何もせず、ほとんど口を開いていない。他の人達はといえば、毒殺した犯人を探したいらしく、皆それぞれの部屋へと戻って行った。
(まあ、それが賢明よね……)
私はそう思いながら、食堂を出る。そして廊下に出たところで、ジャンに声をかけた。
「ねえ、ちょっといいかしら?」
「ん? どうかしたかい?」
「あの……彼を殺した犯人の目星はついているの?」
「いや、さっぱりだよ……」そう言って、ジャンは首を横に振った。
「やっぱり、あの船員なのかしら?」
「うーむ……確かに可能性はなくもないが……」
「じゃあ、一応確認しておくべきじゃないかしら?」
「ああ、そうだね……遺体を運んだら、彼の部屋に行こう」
そして私達は遺体を運ぶために、再び船医と一緒に食堂へと向かった。
「……あれ? 誰もいないわよ?」
しかし、先ほどまでいたはずの女性の姿はなかった。
「おかしいな……」ジャンが不思議そうに呟く。
「どこかへ行ってしまったのかしら?」
「うーむ……」
「とりあえず、今は遺体を運んだ方がいいわ。彼女を探すのは、船員に事情を聴くのと同時にやればいいと思う」
アンナのいうことに、私も含めてその場にいる全員が賛成した。
そして、私達四人で遺体を下部甲板の船倉にある冷凍庫に運ぶ。名前の通り、この区画は航海の間は冷凍保存しておかなければいけないものを保管している。主に肉類などだ。
「うぅ…寒いわね……」
「はは。まぁ、冷凍庫だからね」
思ったことをそのまま言った私を、ジャンが笑った。
「それにしても、いったい誰がこんなことを……」
「わからないわ。そもそも、初めから彼を狙ったものなのか、それとも死ぬなら誰でもよかったのか……」
「ああ、確かに……」私はそこで言葉を区切る。
「でも、どちらにせよ……許せないわ」
「うん、僕も同じ気持ちだ」
「ええ」
そんな会話をしながら、私達は男性の遺体を冷凍庫の一角に安置する。念のためビニールシートでも被せておこうと、ジャンが部屋を出ていった。私達もいったん、冷凍庫を後にする。しばらくするとジャンが船倉の別の部屋からビニールシートを持って出てきた。
私達は彼を手伝って遺体をビニールシートで包み込んで縛る……これで、漂流している間は多少腐敗を遅らせられるはずだわ。いざというときは海に流すしかないけど……。それから、私達はもう一度食堂へと向かうことにした。理由はもちろん、さっきの女性に会うためだ。
「……いないね…」
しかし、女性の姿はどこにもない。仕方ないので、そのまま船員の部屋に向かい、彼に事情を聴こうということになった。
※
「さてと……それじゃあ、まずは君の名前を教えてくれるかな?」
ジャンが優しく問いかけると、船員の男は少し落ち着いた様子で答えた。
「はい……僕はマシューといいます」
「そうか。よろしく頼むよ」
「はいっ!」
元気よく返事をする男性……マシューを見て、私はふと思った。
(なんか……いい人そうなんだけど?)
私がそんなことを考えていると、今度はジャンが質問を始めた。
「君はさっきの食堂にいたわけだが、その時何か変わったことはなかったかい?」
「いえ……特に何も……」
「そうか……ちなみに、毒を盛られたと思われる料理を作ったのは君だったりするのかな?」
「いえ、それはシェフが…僕はワインを注いだりしましたが……」
「そうか……」
「あの……本当に僕じゃないんです」
「わかっているよ」
「ありがとうございます……」
弱弱しく返事をするマシューに対して、ジャンは話をつづけた。
「ところで、他に気づいたことはあるかい?」
「いえ……特に気付いたことはないです」
「わかった……すまないが、もうしばらく、部屋にいてくれ」
「はい」
そして、私達は彼の部屋を後にした。しばらく離れた後、アンナが口を開く。
「……どう思う?」
「まだ、なんとも言えないね」
「そうよね……」
「まぁ、とりあえずは他の船員達に話を聞いてみよう…彼女は見つかりそうにないしね」
「ええ」
確かに、ここに来るまで一度も亡くなった男性の彼女には会っていない。まぁ、こっち側は船員達が使う部屋がある場所だから、乗客である彼女と会うこともないのでしょうけれど……。
とにかく私達はその後、他の船員にも話を聴きに行った。しかし、誰からも有力な情報を得ることはできなかった。結局、その日は何も分からずじまいで終わってしまった。
(やっぱり、何もないのかしら……)
そう思いながら、私は部屋へと戻った。




