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御見送り ~魔女~

 病院から人が消えた……そのことを鬼島警部の口から聞かされた私は、うまく話を飲み込めず、もう一度確かめるように鬼島警部に聞いた。


「だから、人がいないんだって! ナースステーションにも、休憩室にも、警備室にも、病室にもなっ!」

「そんなバカな――」

「本当です、アシュリンさん」


 アシュリンの言葉を遮って、鳴海刑事は続ける。


「とりあえず、先ほどの放送が気になります。一度、この病院から退避しましょう」


 私は肯定の返事をして、アシュリンと助手に私達から離れないように付いてくるように言った。


「はい」

「……わかった」


 そして、私達はこの病院の地下一階にある解剖室を出て、一階のロビーを目指す。


『……』


 鬼島警部達が言っていたように、私達が地下から出ても、廊下に誰一人いなかった。少し進んでナースステーションやロビーの受付に目を向けるが、そこにも人はいない。


(いったい、どういうことだ?)


 私は内心で疑問を抱くが、今はそれどころではないだろうと思い直す……何より優先すべきことは、ここから離れることなのだから……。

 そのまましばらく歩くと、ふとロビーの右側から気配を感じた――そちらに目を向けると、三人の男がいた。その者達は、全員白衣を着ている。医者なのか?


 男達は私達に気が付くと、驚いた様子でこちらを見つめた。


「止まれっ! どこから来たんだっ!?」


 一人の男が片手をこちらに向けて、もう片方の手を腰に当てて声を上げる――続いて聞こえてくるのは、後ろの男が話す『目標と接敵。交戦する』の声――その瞬間、私はすべて悟り、腰のホルスターに収めている拳銃に手を伸ばす――しかし――。


「うわぁぁあああっ!!」


――突然、三人の男達はその場で倒れ込んでのたうち回る。まるで、見えない拷問を受けているようだ。


「な、なんだ、どうしたっ!?」


 後ろからやってきた鬼島警部達に近づかないように言って、私はしばらく男達の様子を観察した。

……しばらくして、男達は微動だにしなくなる。私は鬼島警部に声をかけて調査をすることにした。


「ああ」


 鬼島警部の返事を聞いて、私と彼女は慎重に男達に近づく……彼らのそばまで来ると、身体を蹴って反応がないことを確認し、うつ伏せの状態になっている者は仰向けにして検分した。


「……死んでるな」


 遺体を調べた鬼島警部は、そう言った。私が残り二名も検分したが、二名とも死亡していた。


「見た感じ、外傷はねぇし……毒物って感じでもねぇな。内臓系に問題でもあったのか?」


 遺体を調べながら話す鬼島警部の後ろでアシュリンが口を開いた。


「死因は分からんが、かなりの激痛の伴ったのは間違いないだろう。そいつは、どうやら顎が外れているらしい」


 アシュリンに言われてその遺体の口を触診するが、確かに顎が外れている……それほどの激痛を味わったにしては、遺体には外傷一つない。これは、中島家の遺体と特徴が一致している。

……不意に、私の脳裏にあの白人女性の姿がフラッシュバックした。だが、今はこの病院からの脱出を優先するべきだろう。

 私は遺体をボディチェックするが、男達は身分を証明する類のものは何一つ所持していなかった……白衣や衣服類などのタグも、綺麗に剥がされている。

 この状況から推測できるのはただ一つ……この男達は、訓練を積んだプロの工作員ということだ。少なくとも、医者ではないだろう。私はこのことを、先ほどみんなで聞いた館内放送の件と合わせて話した。


「そんな……僕達が見回った時には、誰もいなかったのに……」

「おおかた、どっかに隠れてたんだろうぜ。プロの工作員っていうんだったら、それぐらいワケねぇだろ」

「ですが……なぜ、この病院にきたのでありましょうか? 警察はいったい何をやっているでありますか?」


 私はアシュリンに、最近この病院で変わったことは起きなかったか訊ねた。


「いや、何も……と言っても、私は病院経営にはほとんど関わっていないから、何かあったとしても気付いてないだろう……君はどうだ?」


 アシュリンに問われて、助手は首を横に振る。


「私も、特には……まぁ、私も普段授業や実習で忙しいので、気付いてないだけかもしれませんけど……」

「いずれにせよ、今はこの病院から脱出しましょう。こうして工作員がいる以上、外には警察がいるはずです。あのアンナっていう人は警察の介入を嫌がってましたけど、そんなことは言ってられませんから……」

「そうだな、行こうぜ」


 鬼島警部の言葉を合図にして、私達はその場を後にしてロビーに戻り、病院の正面玄関へ向かう。


「うひゃ~、すげぇな、こりゃ!」

「むぅ……」


 玄関付近のガラス越しに見える外は、すでに闇夜となっており、土砂降りの雨が降っていた。脱出のコンディションとしては、最悪である。もっとも、追っ手いる場合なら尾行や追跡をかわすのには絶好のコンディションでもある。


「あ? なんだ? そらっ!」


 玄関の自動開閉式のドアの前に立つ鬼島警部だったが、いつもは音もなく開くドアはうんともすんともいわない。


「壊れているみたいですね。こっちを使いましょう」


 そう言って鳴海刑事が向かったのは、広い玄関口の端の方にある、普通の開閉式のドアだった。


「……あれ?」


 ドアの取っ手を持って引いた鳴海刑事から、そのような声が聞こえる。その後、彼はドアを押したり引いたりしてみたが、ドアはビクともしなかった。


「自分がやるであります、先輩」

「すいません、お願いします」


 そう言って、鳴海刑事は大倉刑事に場所を譲った。大倉刑事はドアの取っ手を掴むと、一呼吸してドアを押したり引いたりした。


「フンッ! ハァッ!」


……しかし、鋼鉄製のドアはギシギシと蝶番ちょうつがいから音を鳴らすだけで、ビクともしない。


「鍵でもかかってるんじゃねぇか?」

「いや……鍵は開いている」


 そう言ってアシュリンが指差す先に目を向けると、確かにドアノブは開錠していた。


「はぁはぁ……ば、馬鹿な、自分が渾身の力を込めても開かないとは……」


 その後、何度開閉作業を繰り返してもドアが開くことはなく、大倉刑事は肩で息をしながら悔しがる。


「それじゃ、私達の出番ね」


 そう言って、カチューシャは私の肩をポンと叩く……一緒にされたくはないが、この状況では仕方ない。


「なんだ? まさか、魔術でこのドアを開けるつもりか?」

「ええ、そうよ――」


 アシュリンは冷やかしのつもりで言ったのだろうが、カチューシャはそう言ってミリタリー仕様のジャケットから一本の杖を取り出してドアに向けた。


「むおっ!?」


 その瞬間、杖の先から勢いよく炎が噴き出た。バーナーだ。そばにいた大倉刑事は驚いて飛び退く。

 そのまましばらくバーナーでドアを熱するが、ドアはまるで見えない壁で守られているかのようにビクともしない。


「……ダメね。どうぞ」


 そう言って、カチューシャは私に場所を譲る。


「す、凄い。いったいどうやって――」


 助手が感嘆の声を上げると、アシュリンが即座に反論する。


「くだらん。おおかた、杖か手元に仕掛けでもあるのだろう」

「そう思いたければ、そう思えばいいじゃない?」


 余裕たっぷりの態度を崩さないカチューシャだったが、自身の魔法が効かなかったことに納得がいかなかったのか、杖をジッと見つめてため息をついている。

 彼女から後を任された私は、ドアの前で構え、呼吸を整える……意識を集中させて、『力』を解放してドアに向かって正拳突きをした。


「きゃっ!」

「うわっ!?」


 ドアと私の拳の間で轟音が発生し、背後から複数の悲鳴が聞こえる――同時に、ドアには見覚えのある紋様が浮かんだが、それはすぐに消えてしまった。


「……ダメだったな」


 背後で、アシュリンが残念そうに言った。確かに、ドアは変わらずビクともしない。しかし……私は確信した。やはり、あの遺体を調査するしかない。事件を解明するにも、病院から脱出するにも、それが必要であると考えた。

 そして、私はその考えを皆に伝えた。


「私は賛成よ」

「珍しく気が合うな。私もだ」

「わ、私は、先生がやるというのなら、頑張りますっ!」


 三人から賛成の声が上がると、もう三人も首肯する。


「アタシ達も、問題ないぜ?」


 結論は出た。そこで我々は、再び病院の地下一階まで向かう。

 それにしても……明かりが点いていることから考えて、インフラなどには問題は発生していないのだろうが……だからこそ、人間に出会うことがないというこの異常な状況に、余計に不気味さを感じる。

 とにかく、我々は再び地下に戻り、解剖室に入った。

 解剖室には、三体と一体の遺体が解剖室を出ていく前と変わらない状態であったので、手始めに中島家三人の遺体を隣の遺体安置所に安置し、この白人女性の遺体を中心に再び取り囲むようにして解剖の準備を始めた。


「では、始めようか」


 そう言って、準備を終えた我々を見渡して、アシュリンは言った。すると、全員が静かに首肯したので、私も同じように首を縦に振る。

 早速、アシュリンは解剖作業に移るが、すでに遺体はあらかた解剖された状態であり、残っている作業があるとすれば、各臓器の調査と遺体の開頭作業だけだろう。

 アシュリンもそう考えたのか、遺体を一瞥いちべつして『ふむ……』と声を出すと、解剖台の上に乗せられたトレイに目を向ける。


「……先生」

「ああ、分かっている」


……助手の声に、アシュリンは反応する……だが、彼女も驚きを隠せないようだった。

 私達がこの解剖室を退室する前、遺体から取り出した臓器は確かに新鮮な状態だったが、今は完全に腐敗してしまっている……腐敗しきって、腐敗臭さえしないほどだ。

 私がそのことを口にすると、オモイカネ機関のメンバー達は一様に驚いているようだったが、カチューシャだけは冷静に臓器と遺体を交互に見つめて、何やら考え事をしている。


「……仕方ない。開頭作業に移ろう」

「待って」

「……なんだ?」


 アシュリンがあからさまに不審なものを見るような視線を向けるが、カチューシャは構わず続ける。


「この先、私にやらせてくれない?」

「……」


 その言葉は、ここから先の解剖作業をカチューシャに委託することを意味している……案の定、アシュリンはカチューシャをジッと見つめたまま、眉間にシワを寄せ始めた。


「お願いします」

「せ、先輩っ!?」


 沈黙に耐え切れなくなったのか、鳴海刑事がいきなり頭を下げる。その様子を見て、大倉刑事も同じように頭を下げた。


「……ふぅ、分かった」


 アシュリンはカチューシャを一瞥いちべつして首肯しゅこうした。


「ありがとうございます」


 鳴海刑事は礼を言ったが、アシュリンはあまり納得がいっていないようだった。


「なるべく気をつけてやってくれ」

「ええ、分かっているわ」


 アシュリンの言葉に、彼女と同じような解剖着を着こんでいるカチューシャが答える。

 アシュリンがカチューシャに解剖作業を委託することを認めたのは、彼女と共同で解剖作業を行っていた時のカチューシャの科学的知識があってのことだろう。でなければ、アシュリンが自分の職域を他人に譲るとは考えにくい。

 あるいは……先ほどの怪異現象の数々が、アシュリンに心理的な作用を及ぼしているのかもしれない。

 ともかく、アシュリンから解剖作業を委託されたカチューシャは、興味津々な様子で遺体に手を添えて目をつぶる。

 それから、遺体の隅々まで目視していく。その間、私はカチューシャにこれまでの解剖作業とその時に起きた出来事を話した。


「ふ~ん……」


 やがて遺体を調べ終えて満足したのか、カチューシャは口を開いた。


「まず、冷蔵庫にある血液を見てみましょうか」


 そう言って、カチューシャは解剖室に備え付けられた冷蔵庫に近づいて扉を開けた。


「えっ!?」

「馬鹿なっ!?」


 冷蔵庫の中身が露わになった瞬間、アシュリンと助手が驚きの声を上げた。私は声こそ出さなかったが、彼女達と同じ気持ちだった。


「これは、凄いわね……」


 冷蔵庫の中に目を向けながら、カチューシャはそう言った。

 中に入っていたはずの血液サンプル……その中身である血液は、すでに試験管からあふれ出して冷蔵庫の中全体に広がっていた。はじめに見た時でさえ、ここまでひどくはなかったはずだ。


「いったい……」

「とりあえず、遺体の血液と体組織をサンプリングして、顕微鏡で調べてみましょう」

「は、はいっ!」


 カチューシャがそう言うと、助手はアシュリンに言われた時と同じようにキビキビとした動作でその作業を進めていく。その間、カチューシャは解剖台に乗せられたトレイに目を向ける。


「気になることでもあんのか?」

「ええ、まぁね」


 鬼島警部に問いかけられると、カチューシャは即答した。


「まずは、この髪の毛で出来た固形物ね」

「それは遺体の胃の中から出てきたものだ」

「ふ~ん……」


 固形物をジッと見つめるカチューシャだったが、やがて彼女はその横にある腐敗した臓器類にも目を向けた。


「これは私の仮説なんだけど――」

「あ、すみません。準備終わりました」

「あら、そう。ありがとう」


 カチューシャはそう言って、助手の代わりに顕微鏡の前に立って覗き込む。


「……」


 そのまま、彼女はしばらく顕微鏡を覗いたまま微動だにしなかったが、やがて満足したのか、覗くのをやめてアシュリンに視線を向ける。


「見てみたら?」


 カチューシャにそう言われて、アシュリンは不審に思いながらも顕微鏡を覗き込む。


「こ、これはっ!?」


 そして、少しして彼女から驚きの声が上がった。

 私が何があったのか訊ねると、アシュリンは驚愕の表情を浮かべたままこちらに視線を向けた。


「……見てみろ」


……アシュリンに促されて、私も顕微鏡を覗く。

……見た感じでは、赤黒い球体がうようよ動いているように見える。私がそのことを告げると、助手の『えっ!?』という声が聞こえてきた。


「それは、本来ありえないことだ」


 私が顕微鏡から目を離してアシュリンに問いかけると、彼女は答える。


「この遺体は、眼球の濁り具合から判断して死後数日が経っているというのは、すでに述べたとおりだ。なのに、血液が活動しているのは、考えられない」

「つまり、この遺体は死んでいるけど、血は活動してるってことか?」

「そういうことになる。まったく理解できないが……」


 鬼島警部の問いに答えて、頭をかきむしるアシュリン……その隣では、カチューシャが顎に手を添えて考えていた。


「体組織の方もお願いできる?」

「はい」


 そう言って、助手が手早く顕微鏡付近で作業をし、『どうぞ』と言ってカチューシャに場所を譲る。


「ありがと」


 カチューシャはそう言って、再び顕微鏡を覗き込んだ。


「……」

「どうだ?」


 アシュリンに問われて、カチューシャは顕微鏡から目を離して首を縦に振った。


「同じね。活動してるわ」

「馬鹿なっ!」


 そう叫んで、アシュリンも顕微鏡を覗くが、やがてゆっくりと目を離した。


「ありえん……いったい、どうなっているんだ……?」


 その言葉を最後に、解剖室には沈黙が流れる……だが、カチューシャはその空気に気圧けおされず、助手に指示を出した。


「開頭しましょう」

「はい」


 その後、アシュリンとカチューシャ、助手の三人は瞬く間に遺体の開頭作業の準備を整えた。


「それじゃ、いくわよ?」


 カチューシャの言葉に、その場にいる全員が首肯した。

 それを見て、彼女は小型の電動ノコギリを起動させて開頭作業を始める――途中、大倉刑事が『うぅ』とうめいて解剖台から遠ざかったのは言うまでもない。

 やがて頭蓋骨を切除すると、カチューシャは電動のこぎりの電源を切って道具類を置いておく台に戻した。


「それじゃ、調べたいところだけど……まずは脳膜をサンプリングして顕微鏡で見てみましょう」

「はい」


 そう言って助手が作業を終えると、カチューシャは再び顕微鏡を覗く。


「……やっぱりね。こっちも活動してるわ」

「……もはや、確認する気にもなれん」


 まるで降参したかのように、アシュリンは言った。

 その後も遺体の脳を様々な器具を使って調査していくが、特に気になる点は見当たらないのか、カチューシャは器具を置いてため息を吐く。


「ふぅ……ひとまず、遺体の解剖はこれでだいたい終わったわね? それなら――」

「あ、それはっ!」


 助手が制止しようとするが時すでに遅し……カチューシャは黒髪の固形物を手に取ってしまった。

 しまった……アシュリンと助手はそのような表情を浮かべるが、カチューシャには特に変わった様子は見られなかった。


「ん? どうかしたの?」

「君……なんともないのか?」

「ああ、コレ?」


 アシュリンに問われて、カチューシャは黒髪の固形物をふりふりと見せびらかした。


「確かに、コレからはやばい魔力が駄々だだもれしてるけど、私レベルの人間だったらたいしたことはないわ。コレに触って何かあるようなら、精神的によっぽど弱い奴でしょうね」

「精神的に弱い……」

「だ、大丈夫ですよ、先生っ! 先生がああなったのは、きっと過労のせいですっ!」

「ああ、ありがとう、嬉しいよ」


……アシュリンが棒読みでお礼の言葉を述べる横で、カチューシャは気にせず固形物の解体作業に移っていた。

 彼女は手袋を着けた手で髪の結び目を器用にほどき、固形物を解体していく……どうやら、固形物は何層にも髪の毛で折りたたまれているようだったが、やがて中身があらわになる。


「なんでしょう? 紙……ですか?」

「……皮紙ね。なんの動物で出来てるかは分からないけれど……っ!?」


 紙を触りながらそう言ったカチューシャだったが、突然驚愕の表情を浮かべる。


「……見てみなさい、ファング」


 そう言って、カチューシャは私に紙を見せてきた――そこには……あの、異形の大菊牡丹紋が描かれていた。


「うわあぁぁっ!!?」

「むおっ!? こ、これはっ!?」

「皆、何かに捕まれっ! メスとかに気をつけろよっ!」


 その絵を私が認識した瞬間――解剖室の明かりは消え、部屋全体が激しく振動した。地震ではないだろう。私は手短にあった解剖台に両手をついて揺れに耐える――やがて、揺れはゆっくりと収まっていった。

 しばらくの暗闇を体験してると……明かりの方も戻った。


「せ、先生っ!?」

「なっ!? まったく、どうなっているんだっ!?」


……二人の声につられるようにして解剖台に目を向けると……女性の遺体には無数の紋様が浮かび上がっていた。

 それは……私が先ほどスマートフォンで撮った写真に写っていた遺体の紋様とそっくりだった。私はそのことを、遺体の紋様を指し示しながら話した。


「馬鹿な、いったい……」


 アシュリンはそう言うが、そこから先は考えが及ぼないのか、黙り込んでしまう……その時、カチューシャは『よしっ!』とその場に似つかわしくない明るい声を出した。


「原因はある程度絞り込めたわ。あの紙よ」

「紙って……さっき神牙さんに見せていたあれですか?」

「ええ、そうよ――」


 カチューシャが頷いたその時――隣室の遺体安置所の扉が激しく音を鳴らした。


「な、なんだぁっ!?」

「アシュリンさんっ! あっちに誰かいるんですかっ!?」

「この時間、いるのは遺体だけだっ!」

「と、ということはっ!?」


……今頃、大倉刑事の頭の中は想像したくない光景でいっぱいだろう。私は拳銃と呪符を取り出して、扉から下がるように言った。


「手伝うわ」


 そう言って、カチューシャも杖を取り出して臨戦態勢をとる……やがて、ドアノブが回されて扉は勢いよく開いた。


「うおあっ!?」

「ひいいいいいいいっ!?」

「死にさらせえぇぇっ!!」


――扉の先から現れたのは、中島家三人の遺体と数人の遺体だった。

 鳴海刑事と大倉刑事が腰を抜かすなか、鬼島警部は警察官にあるまじき暴言の数々を吐きながら、いつの間に手にしていたのか、解剖で使う大型のチェーンカッターを動く遺体――ゾンビの頭部に叩きこんでいく。

 私やカチューシャも、同じように呪符や杖を使ってゾンビを倒していく――どうやら、このゾンビは頭部を破壊すると活動を停止するらしい。まるで映画のようだ。

 やがて、我々三人は襲い掛かってくるすべての遺体――ゾンビを殲滅した。

 私はカチューシャと鬼島警部に対し、遺体を安置所の方に戻して扉に鍵をかけようと提案した。


「ああっ!」

「ええ、いいわ」


 そしてカチューシャの援護のなか、私と鬼島警部は遺体を安置所に戻し、最後に扉に鍵をかける……あの遺体に知能が残ってなければ、仮に再び蘇ってきてもこの扉から襲撃されることはあるまい。

 それにしても……何故、彼らが……あんなにも醜く恐ろしい姿に…… 事態が落ち着き、私は呆然としながら後ずさる……。


「……ったく! 大の男が揃いも揃って情けねぇなっ!」

「す、すみません……」

「面目ないであります、押忍……」


 解剖室の床にへたり込む鳴海刑事と大倉刑事は、これでもないくらい沈痛な面持ちを浮かべていた。激昂する鬼島警部は、なおも言葉を続ける。


「こうなったら仕方ねぇっ! その遺体を燃やそうぜっ!」

「なっ!? 正気かっ!? 大事な証拠品だし、ここは病院で――」

「だったら、他に手があるのかよっ!? こんな現象が起きるのは、この女が原因に決まってるぜ! やらなきゃアタシ達がやられるんだよっ!」


 アシュリンの制止も効果はなく、鬼島警部はキョロキョロと室内を見回して、やがて目に付いたのか、道具類を置いておく台に走り寄って何かを両手に取った――消毒用アルコールの入ったスプレーボトルだ。

 鬼島警部はそのボトルのキャップを外して、遺体にドバドバと二本とも中身をかけると、いつも常用しているオイルライターを手に取った。


「離れてなっ!」


 鬼島警部がそう叫んで、ほとんどの者が解剖台から遠ざかると、彼女はライターに火を点けて遺体に放り投げた――途端に、遺体は激しく燃え上がった。

……だが……そのまましばらく待っても、炎の先に見える遺体には傷一つ付いていないように見える。鬼島警部や他の者達も、そのことに少なからず動揺しているようだった。


「ば、馬鹿な、なんで……」

「っ!? スプリンクラーが作動しないっ! 火を消すぞっ!」


 アシュリンの号令で、鬼島警部を含む全員が一斉に消火活動に取り組んだ――そのかいあってか、火はすぐに消し止められた。案の定、遺体にはなんの傷もついていなかった。


「……クソッ!――」


 そう叫んでチェーンカッターを遺体に振り下ろそうとする鬼島警部を、私が手を取って止めた。

 それくらいにするように――そう言うと、彼女の瞳には徐々に落ち着きの光が宿っていくように感じられた。


「わ、わりぃ……興奮しちまって……」


……鬼島警部から手を離し、とにかく黒髪の固形物を調べるようカチューシャに言った。


「ええ、そうね」


 彼女はそう言って頷くと、遺体のそばに近づく。


「……元通りになっているわね」


……無数の紋様が浮かんでいる遺体の胴体内に収まっている臓器類を見て、カチューシャはそう言った。

 今まで炎によるダメージを負っていないことに注意が向いていたが、よく考えればその光景も不可解なものだった。

 一体誰が……そのような疑問が頭に浮かぶと、視線は自然と女性の顔に向かう。


「ああ、そうだな……」


 カチューシャの言葉にアシュリンはそう言って、チラッとカチューシャに視線を向けた。


「すまん、助かった」

「ん? ああ、いいのよ。出来ることをしたまでだから」

「ああ……」


……とにかく、あの髪の固形物を調べてみない限りはこの事件は解決しないだろう。

 カチューシャは手早く胃を切開して、再びあの固形物を手に取った。どうやら、固形物の方も再生しているようだ。


「ファングは見ないほうがいいわね」


 確かに……頷いて、解剖台から目をそらした。

 その後も作業の音を聞いていると、カサカサと紙がこすれる音とカチューシャの声が聞こえてくる。


「さっきの絵のほかには呪術で使う文字と……何かしら? アナグラム?」


 その後も、カサカサと紙がこすれる音が耳に響く……やがて、なんとか謎を解明したのか、カチューシャは『ああっ!』と叫んだ。


「なるほど、そういうことね」

「何がだ?」

「謎はすべて解けたということよ……そう、はじめから……全部わかってた……」


……いったい、どういうことだろうか?――私はカチューシャに説明を求めた。


「まず初めに、この女性は魔女で、今も生きている。呪物としてね」


……ここでいつもなら、アシュリンが反論しているはずだが、まったく反応が返ってこない。助手もそう思ったのだろう。彼女の声が聞こえる。


「先生?」

「……残念ながら、今の私は有力な反論の論拠がない状態だ」

「なら、話を続けるわね?」

「ああ、構わん」


 その口調からは、これ以上ないくらいの悔しさを感じるのは気のせいだろうか?

 とにかく、アシュリンの承諾を得てカチューシャは話を続ける。


「まず生きているっていう根拠は、見てのとおりよ。臓器類や脳組織、体組織が科学的にそれを証明しているわ」

「それは、まぁ、分かります」


 鳴海刑事がそう言うと、カチューシャは頷く。


「ただしそれは、呪物として生きている、ということよ。これを見て。ファングも」


 私はそこで初めて、再び紙に目を向けた。紙には、赤黒い色で西洋の呪術文字が書かれている。


「この文字は、呪術にだけ使用される文字よ。この文字とファングが苦手とする例の絵が触媒になって、それをこの女性の髪で包み込んで彼女は飲み込んだ……そして、この女性は生きながらにして呪物となったのよ。体の表面に浮かぶ紋様も、その証ね」

「なるほどな。それで、魔女ってのは何の根拠があるんだ?」

「それは……これよ」


 カチューシャは紙をいじって再び見せてくる。そこにはアルファベットで『1723年 レビ記20章27節』と書かれていた。カチューシャがそのように書かれていると皆に伝えるが、オモイカネ機関のメンバー達にはいまいちピンときていない。

 だが……アシュリンとその助手には、心当たりがあるようだった。彼女達は深刻な面持ちを浮かべている。


「霊媒や口寄せをする男や女がいたら、必ず殺さねばならない。その者たちは魔女だ。自身の血の責任を負わせよ」

「え?」


 アシュリンから出てきた言葉に、鳴海刑事が呆けていると、アシュリンはオモイカネ機関のメンバー達に視線を向けた。


「キリスト教の聖書に、レビ記というものがある。その20章27節の言葉だ。キリスト教が根付いている国の人間なら、それなりに知っている」

「それが……この人が魔女という証……」

「文字通り殺されたのよ、この子は。人間達によってね……」

「1723年となると、セイラムの魔女裁判とは年代が違うな。やはり顔立ちから判断して、東欧の魔女狩りの犠牲者か……」

「ええ、そうよ……」


 カチューシャは、確信めいた口調でそう言った後、皆に向き直って微笑んだ。


「ごめんなさいね? ちょっと痛いと思うけど、すぐに終わるから」

「え、なにを――」


 カチューシャは鳴海刑事の言葉を無視して、女性の遺体に手を添えて何やらぶつぶつ呟く。

……何をしているんだ?――私が疑問を口にしようとしたその時――突然、遺体が青白く光って輝いた。


「うぐぅっ!?」

「お、お前、なにを――」


 続いて起きたのは、激しい頭痛……やがて、私とカチューシャ以外の人間は皆床に倒れて失神したようだった。

 いったい、何をしたのか――頭痛が収まった私がそう訊ねようとしたが、目の前の状況がそれを許さなかった。


『……』


 遺体が……女性が、解剖台から起き上がっていた……その目は金色に輝き、一糸まとわぬ体にはビッシリと紋様が刻まれていた。


「久しぶりね、アンナ」


 カチューシャは、女性を見てそう言った。

 アンナ……先ほどの放送で私に情報をくれた女性も、そう名乗っていた……私は女性に対して、あなたがアンナなのかと問いかけた。


『その通りよ』


 返答が来た。しかし、女性からではない。

 その女性の向こうに見える空間が唐突に歪み、黒いもやがあふれ出す……その向こうから、これまでこの事件に関わってから幾度も私の前に姿を見せてきた和装の女性が現れた。

 彼女は私のことをじっと見つめた後で、こう言った。


「ようやくね。待ちわびたわ」


……私が黙っている間も、女性は話を続ける。


「本当に……あなたの顔を見るたびに怒りがこみあげてくる……」


……私は彼女の言葉に心当たりがある……だが、なぜ彼女が今、この状況で現れたのかは分からない。

 そこで私は彼女に、なぜ今になって姿を見せたのか訊ねた。


「機会があれば、いつでもどこでも現れるわ。私はね…でも」


 そう言って、女性はアンナに目を向ける。


「彼女が、俗世でどれほどの絶望と悲しみ、痛みを負ったのか……それをあなたに知ってほしかったからというのもある……あなたが、自分が犯した過ちの重さを知るためにも……」


 そう言って女性は微笑む……彼女の言葉を信じるならば、私が彼女と再会を果たす日が来るということか……そして、その時に私と彼女のどちらかが死ぬことになる……。

 そんなことを考えていると、女性の体が徐々に透けていく……だが、完全に消える前に、女性が口を開いた。


「たとえあなたがどれだけ後悔しようとも……私は決して、あなたを許さない……」


……そのような呪詛じゅその言葉を吐くと、彼女は黒いもやに覆われるようにして姿を消した……。


「今のは……あなたに関係があるようね?」


 影が消えて、最初は緊張した面持ちのカチューシャも、すぐにいつもの調子に戻る。


「少なくとも、あの人があなたと敵対していることは分かったわ」


……私は何も言わなかった。その代わりに……この場にいる全員――オモイカネ機関のメンバー達は、床に倒れ伏したままだ。彼らはしばらく目を覚まさないだろう。私はカチューシャに説明を求めた。


「ええ、いいわ」


 カチューシャが口を開く。だが、いつもと違って、その声音からは感情を読み取ることが出来ない。


「この子は間違いなく魔女だわ。それも相当力の強い魔女よ。魔女狩りの犠牲者じゃなくてね。自分でそうなるように臨んだ。そして――」


 そこで、カチューシャは一呼吸した。


「私の実の妹よ」

『……』


……驚きのあまり、声が出ない。目の前に立つアンナとカチューシャが姉妹?

 これまでの状況証拠から考えてアンナは数百年前の人物のはずだ。そのような人間と姉妹ということは……カチューシャはすでに数百年生きているということになる。


「あら、驚いてるみたいね」


 私の様子を見たカチューシャがそう言った。


「まあ、無理もないわね。普通に考えたらありえないことですもの」


……正直言って、カチューシャならその可能性もあるだろう。それぐらい、彼女の言動は謎めいていた。それでも、せいぜい私と似たような力を使いこなす、西洋などの怪異に詳しい現代人と考えていたのだが、どうやら当ては外れたらしい……私は無言のまま、カチューシャの言葉に耳を傾けた。


「だけど、それが事実よ。私は魔女として生まれ、そして自ら望んで魔女になった。ただの人間として生きることを妹とは大違いね。

 まぁ、その話は今はいいわ……この子、あなたに何かを伝えようとしているみたいなの。だから、あなたには知る義務がある。真実をね……」


 そう言うと、カチューシャは一歩前に出た。


「私から伝えるよりも、あなた自身が直接見た方が早いでしょうね。あの子のことを見てあげなさい。ただし、決して油断しないように」


……カチューシャはそれだけを言うと、アンナの方へ歩いていった。

 私は……言われた通り、彼女のことを見ることにした。

 アンナの黄金色に輝く瞳を見つめていると……ふと、体が軽くなり、瞬きをすると……あの場所に来ていた。

 それは私にとって初めての経験であり――私は今……不思議な体験をしているようだ……。

 彼女が現れて……いや……彼女だけではない。目の前で苦しんでいるのは……あの時、私の前で殺された……そう……あれは確かに……あの時、私は殺した……殺してしまった……彼女を……


『――どうしてこんなことになったんだ』


 そう思うと……心の底からの罪悪感と共に湧き上がってくるのは……怒り。そして悲しみ。様々な負の思いが入り混じったどす黒い憎悪だった。何故?……なんで私が?……どうしてっ!……なぜ、なぜなぜなぜなぜ……。

 私は――……ッ!!!!!―――私は何度も繰り返し自問した……だが、いくら考えを巡らせてみても……納得できる答えが出るはずがない……なぜなら……私は何もしていないからだ……ではなぜ、私はこんな目に遭わなければならないのだ……。

――わからない そう思った時……不意に脳裏に浮かび上がる光景があった……そこは……真っ暗な闇に覆われた世界……。

 その闇の中に浮かぶ赤い点々――……。

 私は思い出す……これは確か……。


「これが、あなたの闇なのね……」


 その瞬間、背後から聞こえてきた澄んだ声に私は思わず振り返った……そこにはあの女性――アンナが立っていた。その見た目は先ほどと変わっていないが、どことなく柔和な印象を受ける。

 周囲を見渡しても、カチューシャの姿はない……おそらく、状況から考えてここは精神世界のはずだが……一体どういう事なのか分からず呆然とする私の耳に、さらに彼女の声が届く。


「あなたが見ているもの……それはとても悲しい景色だわ」


 その言葉で理解した――なるほど。そういう事なのかと――私は目を開けて周りを見回す。すると暗闇に覆われていた世界に色が戻っていくのが見えた。同時に目の前の空間にうっすらとその輪郭が見えてくる……その形は人の顔のような気がした。


「あなたの目から見てその人物はどのような存在ですか?」


 その言葉に再び私は考える――……そう。その人物こそ――私が最も憎むべき相手なのだと――。


「……」


 その言葉を聞こうと私は耳をすました――そして――……だが、その時――。


「――真楽さなたっ!!」


……ハッとする。

 慌てて周囲を確認するがもちろん誰もいない……夢だったのか……?……だが今のは間違いなく、彼女の声だった……だが、なぜ?


『あなたが感じている気持ちは本物?』


 そう考えていると、頭の中に再び彼女の問いかけるような言葉が届いた。

 だが今はそれどころではない、そう思って視線を上げる――と、その視界に入ったものは私にとっては何の意味を持たない風景だったが……だが何故か彼女の方を見た――途端に胸の奥から沸々としたものが再び込み上げてきた……そしてそれと同時に私は自分がどうしようもなく矮小で愚鈍で、愚かで……浅ましく思えてきた……。


(この人には関係ないことだ)


 そう思った直後だった……――その女性は言った……だが、私の過去を暴こうとする者がいるなら、誰だろうと容赦しない。


『あなたは知っているのに見て見ぬふりをする』


 私はその問いに対して首を横に振った。私は知らない……だから知ろうとしているのだ……そう、私はもう知ってしまっているから……この世界の真実を……。

――ならば、あなたはさらに知るべきです。真実を知ることが必ずしも良いとは限らないということを……。

――知ったところで、何も変わらないかもしれない。それでも知りたいと思うことがある――それは傲慢ではないだろうか?……それとも……。

――それとも、ただ怖いだけ?

――その通りだ……――怖くてたまらないんだ……。

――それなら、私と……

――断る。私は彼女と……。

――……では、もう一つ……。

――なんだ?……。


『――私と手を組まないか』


――……手を組むとは、具体的にどういうことか?

――簡単よ。あなたが見たものを、私にも見せて。そして、私に共感して。

――……それだけでいいのか?

――ええ……前にも言ったわ……あなたは、私と同じ匂いがするって……。

――同じ匂い?……なんのことだろう。

――……人殺しの匂いよ。

――っ!?

 私はすかさずまぶたを開けた。

 そして辺りを見回してみると、そこは私がアンナに接触する前の解剖室で、アンナは目の前で揺らめき、隣ではカチューシャが私に心配そうな視線を向けてくる。

 私はため息をつく……結局、何もわからなかった……。

 いや、そもそも今の一連の出来事が何を意味したものなのか、本当にあった出来事なのかも怪しい……それにしても…… 私が向こう側の世界に行っていたあの短時間で一体どれ程の事を知ったのだろうか……しかも、私の推測が正しければアンナは……彼女は、私のこれまでの体験を追体験したことになる……他者の記憶を読み取ることができるなど到底信じ難い話だが、それができたということは……そういうことなのであろう……これまでにも、超常現象には事欠かない人生を送ってきた。だとしても……やはり、目の前にゆらめくこのアンナという女性は恐ろしい人、いや、魔女だ。

 そう思い、私は隣に立つカチューシャに、終わったとだけ伝えた。


「そう、それじゃ、今度は私の番ね。そうよね、アンナ?」


 カチューシャがわざとらしく問いかけると、アンナは微笑みを浮かべて頷いた。

 そんな二人を見て、私は眉間にシワを寄せたが、とりあえず今は置いておくことにした。

 カチューシャはおもむろに自分の胸に右手を当てる――すると彼女の手の平を中心にして青白く光る魔法陣が出現した。

 そして次の瞬間――彼女の瞳から青い炎のようなものが立ち上ぼり、それが彼女を覆うように広がっていった。やがて全身がその色に染まりきった時だった。


『……』


 彼女の全身は青白い炎のような気に包み込まれ、表情は今までとはまるで別人のように変わっており、私はその姿に戦慄を覚える……姿形こそさほど変わっていないが、戦闘能力で比較すれば今のカチューシャは先ほどよりも数倍は格上だろう。そして、その形態変化はアンナにも起きていた。


『……』


 彼女はカチューシャの青白い炎のような気とは違い、黄金色の流水のような気だった。その肉体の表面に数々の呪術文字は、同色に輝いている。

 二人のその姿を見て、私は確信した……これから、強大な力を持つ魔女同士の闘いが始まると……。同時に、私は自身の『力』を解放してこれから始まる闘いに備えた。


「……ふっ!」


――先に動いたのはアンナだった。彼女はカチューシャとの距離を一瞬で詰めると、魔力をまとわせた掌底を突き出した。

 それに対して、カチューシャは自身の前面に魔力のバリアを展開し、掌底を防ぐ――掌底とバリアが接触し、凄まじい轟音ごうおんと衝撃が解剖室内を満たす……この状況でも、オモイカネ機関のメンバー達は誰一人起きない。おそらく、なんらかの力によって眠らされているのだろう。それならば……なんとしても、カチューシャに勝ってほしい。

 彼女はアンナの掌底をバリアで防ぐと同時に後ろ手に隠した杖に魔力を集中させ、アンナに突き出す――直後に雷鳴がとどろき、稲妻がアンナを直撃する――彼女は、そのまま解剖室の壁に叩きつけられた。


「うっ!?」


 分厚いコンクリートで出来ているはずの壁は、アンナがぶつかったことによっていとも簡単に砕け散り、アンナは解剖器具が置かれた台の上で膝をつく。


「どうする? もっとやる?」


 全身を青白い炎で包まれたまま、カチューシャが挑発する。その瞬間、私の脳裏にオモイカネ機関のメンバー達の姿がフラッシュバックして、彼女を制止しようとする。しかし、それよりも早く、アンナは答えた。


「――いえ、やめておくわ」

「あら、そう? あなたにしては、諦めが速いじゃない?」


 余計な挑発をしてくれるな――賢明な判断をしてくれたアンナとは対照的なカチューシャの言動に、いささか怒りがわく。

 それを知ってか知らずか、アンナは私とオモイカネ機関のメンバー達に視線を向けながら口を開いた。


「これ以上やっても、他の人に迷惑がかかるだけだもの。それに……もう充分殺したし、苦しんできたわ。やっと姉さんと会えたし……」

「そう……ええ、そう……そうよね……」


 そう言って、姉妹は互いに力を解く……二人を包む気が完全に消えると、二人はどちらから言うでもなくお互いに歩み寄り、互いに抱き締めあった。


「お帰りなさい、アンナ」

「ただいま、お姉ちゃん」


……その抱擁ほうようは、姉妹のこれまでの負の感情を癒すには、いささか不十分だろう。だが、これからそれを共に癒していくには、充分すぎるほどに固く、長い抱擁だった……。

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