御見送り ~対峙~
神明大学附属病院の地下にある解剖室にて、いよいよこの事件の核心であろう白人女性の遺体が解剖される。
アシュリンは手袋を替えて彼女の前に立った。
「検体は若い白人女性。身元不明、死因も不明か……この状況だと、厄介だな。でも見た目から判断して東欧の出身のようだな」
「分かるんですか?」
鳴海刑事が言うと、代わりにカチューシャが答える。
「あなた達アジア人だって、細かく見ていればいくつか特徴があるでしょ? 白人も一緒よ」
「へぇ~、そうなんですか」
「ああ。そういうものだ」
アシュリンがそう言う隣で、助手がボソッと呟く。
「それにしても、妙な遺体ですね」
「ああ、確かにな」
「まったくであります。まるでただ眠っているかのような……」
「……大倉君の意見はもっともだが、もう少し詳しく説明したい」
そう言って、アシュリンは遺体を動かしながら説明を始めた。
「まず、眼球の濁り具合から言って、この遺体は今から換算して死後数日は経っている。つまり、中島家が殺されたのと同じ時間帯に殺された可能性が高い」
「この方も、中島家の自宅に当時いたのでありましょうか?」
「それは分からないが……」
そう言って、アシュリンは遺体の手足を動かす。
「他の遺体と決定的に異なる点は、死後硬直や死斑がまったく見られないことだ」
アシュリンがそう言うと、カチューシャはマスクを取って遺体に顔を近づけた。
「……防腐処置が施された感じはしないわね」
「となると、どこか巨大な冷凍庫のような場所に保管されていたのか?」
「遺体の発見現場の周囲には、そんな施設はなかったと思うがな……」
「ふ~む……とにかく、解剖を始めよう」
そう言ってアシュリンがメスを手に取ると、突然解剖室に備え付けられたスピーカーにノイズが走った。
「な、なんでありますかっ!?」
「静かにしろっ!」
鬼島警部に怒られて室内が静まり返り、しばらくしてスピーカーからはノイズが消えて代わりに音楽が流れてきた。
「なんだ、もう夜か」
「夜?」
鳴海刑事が首をかしげると、アシュリンは話を続けた。
「この病院では、時間ごとにこうして音楽が流れるんだ」
「でもこれ……いつもの音楽と違いますよ? 讃美歌……かしら?」
「ふむ……音楽を替えたんだろう。それよりも解剖だ」
耳障りの良い音楽が解剖室に流れるなか、アシュリンは解剖を始めた。
……その遺体の女性は、亡くなっているはずなのにも関わらず、美しい艶やかな黒髪のロングヘア―をしており、年齢はおそらく20代前半から半ばといったところだろうか。
顔立ちはとても整っており、瞳は大きく鼻筋が通っている。そして口元は閉じられているが、肌には艶があるように感じる。
当然、今は解剖中のために全裸であるが、捜査一課の報告書によれば、この遺体は発見当初から全裸だったそうだ。発見現場の周囲には、彼女の物と思われる衣服や下着類はなかったと記載されていたのを覚えている。
一見したところ外傷はない……が、今まで見た女性の中ではアシュリンやカチューシャが最も美しく思えたが、この女性も負けていない。なんというか……彼女の身体は芸術品と言っても良いほどの出来映えだった。
「うむ、実に見事な肉体だ」
「ええ、そうですね……」
遺体にメスを入れようとするアシュリンは、メスを持ちながらもう片方の手で遺体を撫でると、カチューシャも一緒になって撫でる。
……気のせいか、アシュリンは遺体の造形に感心して撫でているのに対し、カチューシャはどこか遺体の人物を懐かしむような感じで撫でているように思えた。
そんな二人の様子を見て、鳴海刑事は困ったような笑みを浮かべながら遺体を見つつ呟く。
「まぁ確かに綺麗な方ですよね……。僕達日本人とは違う感じがします」
「そうでありますねぇ」
「ふむ、本当に素晴らしい」
「おい」
皆が死体にうっとりしていると、鬼島警部の一喝が飛ぶ。
「みんな大丈夫か? この遺体に洗脳されてんじゃねぇか?」
「す、すみませんっ!」
「……迂闊だった。再開しよう」
そうしてアシュリンが遺体にメスを入れようとしたその時……どこからともなく声が聞こえてきた。
『…………』
……辺りを見渡すが声の主は見当たらないし、何を言っているのかも分からない……だが、同じ言葉が何度も聞こえてくる……。
『…………!』
「な、なんだっ!?」
――いきなり、解剖室の冷蔵庫のドアが開いた。まるで、誰かが普通に開けたように……。
……もしかして、あの中に声に関わる何かが……?――そう思って、私は皆にそのまま待機するように言うと、冷蔵庫に近づいて中を調べた。
冷蔵庫の中は遺体から取り出したであろう様々な状態の臓器や血液サンプルが陳列されていたが、その中で一つ、異様なものを発見した。手紙だ。
私はいつの間に入れたのか分からぬ手紙を取り出した。
手紙は封筒に入っており表には「神牙家当主へ」と書いてあるだけで宛名などはなく、封蝋がされていた……そう、古来から神牙家が使用している家紋を象った封蝋だ。
封蝋を破って中を見てみると、中にはメッセージカードが入っていて内容は……『助けて欲しい』とだけ書かれてあった。
「ファング? どうかしたのか?」
アシュリンに問いかけられて、私は家紋の事は伏せて手紙を皆に見せた。
皆はその内容に驚いているようであり、特に助手や大倉刑事などは今にも泣きだしそうだ。
私は皆が手紙に意識を集中させている間に封筒を中を探るが、手紙一枚以外には何も入っていなかった。
「まったくもって理解できんな……」
「むおっ1?」
アシュリンが最後に手紙を読み終えた時、再びスピーカーからノイズが走り、やがて静かになった後、音声が聞こえてきた。
『----------・・ ----------・-・はじめまして。もしくは久しぶりというべきかしら?
私のことはアンナと呼んで。色々と戸惑っているでしょうけれど、簡単に説明するわ。
今、貴方のいるその病院は、とある組織によって占拠されているの。組織には心当たりがあるでしょ?病院の外には警官隊がいるけれど、彼らに私を引き渡してほしくないの。
でも、だからといって彼らを殺した場合、困るのはあなたなわけでだから、そこはうまく対処してちょうだい。
ただ一つだけ伝えなければならないことがあるの……私は現在、手加減ができない状態にあるわ。だから、むやみに私を刺激しないで。それじゃ、頑張ってね』
……しばらくして、音声は途切れ、再び音楽が流れ始めた。
「……ファング? 説明できるか?」
私はアシュリンの言葉に、静かに首を横に振った。
「……そうか」
……『組織』という言葉が、私の想像している組織の事であるならば、なんとしても秘密は守らなければならない。そのうえで考えてみよう。
もし、今の音声の主――アンナの言うことが正しければ、この病院は現在、『組織』の管理下にあると言うことになる。『占拠』という言葉を使う以上、なんらかの実力部隊が展開していることを考えるべきだ。
そのうえで彼女は私に警官隊や実力部隊に対処するように言ってきた。
……今、この病院で何が起きているのか、まったく理解できない。脳が情報の処理に追い付いていないのがハッキリと感じられる。だが、アンナの言ったことが事実ならば、これはピンチだ。
話の流れからして、この遺体がアンナなのだろう。この遺体にどんな由来があるにせよ、今はそのピンチに対処しなければならない。
「アンナ……」
ふと私の隣で、カチューシャがその単語を呟く。
「なんだ? 知り合いなのか?」
アシュリンの問いに、カチューシャは遺体から目を離さずに答えた。
「ええ。確かにそんな名前の知り合いはいるけど……今回の件とは無関係だと思うわ」
「なぜそう言い切れる?」
「……だって、もう死んでいるもの」
「……すまん」
「別に、いいわよ」
その後、解剖室内は静寂に包まれてしまう……私は必死にこのピンチを切り抜ける方法を探るが、そもそも基礎的な情報が少なすぎる。目の前の遺体にせよ、アンナという女性が言った今の状況にせよだ。
「ひっ!?」
今度は、私達の真上……一階部分から大きな物音が断続的に聞こえてきた。まるで、何者かがタンスやソファなどをひっくり返しているかのような、凄まじい物音だ。
「……神牙、どうする?」
音が止み、ふと隣を見ると、鬼島警部達オモイカネ機関のメンバーが私を見ている。皆、私の指示を待っているようだ……一か八か、やってみるべきか……。
私は鬼島警部達とカチューシャに、アンナが言っていたことが事実かどうか、そして今の物音の正体を探ってほしいと言って、鬼島警部に拳銃、鳴海刑事にナイフを手渡した。
大倉刑事にも何か武装させたかったが、あいにく持ち合わせがなかった。そのことを彼に謝ると、彼はニカッと笑う。
「案ずるな。生きている存在ならば自分は素手でも充分だっ!」
……グレー色のスーツに隠された、彼の鍛え上げられた肉体を見れば、その言葉に偽りがないことが嫌でも分かる。私は彼に礼を言って、カチューシャに三人に何かあった場合のバックアップを頼んだ。
「ええ、心配ないわ」
「じゃ、行ってくるぜ」
鬼島警部のその言葉を合図に、四人は解剖室を後にした。
……私はアシュリンに、最近病院内で変わった出来事はなかったか訊ねた。
「もしかして……アンナとやらが言っていた、この病院が組織に占拠されている――というやつに関する質問か? そういうことならば、知らないな……」
「私も、聞いたことがありません……」
私がその言葉を聞いてうつむくと……心境が顔に出ていたのだろう。アシュリンは普段よりも穏やかな口調で言った。
「そんな顔をするな……本当に何も知らないんだ」
私はその言葉を聞いて、心配ないとだけ伝えて解剖に取り掛かろうと伝えた。
「ああ、そうだな」
それから我々は改めて遺体を調べ始めた……すると――。
「これは……!」
「そんなっ!?」
アシュリンと助手は驚きの声を上げ、私もつられるようにして驚いてしまった。
しかし、落ち着きを取り戻して改めて遺体に目を向けて、二度驚いた。
何故なら、遺体は既に死んでからかなり時間が経っているのにも関わらず、先ほどよりも血色が良くなっているのだ。気のせいにしては、あまりにもハッキリと変化が感じられる……それほど、先ほどとは体色が異なっている。
「……暖かいな」
遺体に手を触れたアシュリンはそう言った。私も、思わず遺体に手を触れる……確かに、遺体には体温があった。まるで生き返る間際の死人のように……。
「……心肺蘇生措置をしますか?」
「……そうだな。一応、やってみよう」
その後、アシュリンと助手は心臓マッサージや人工呼吸を試すが、遺体が息を吹き返すこともなく、眼球も濁ったままだった。
「ダメみたいですね」
「残念だがな……このまま解剖を続けよう。むっ!?」
その時、遺体の鼻から血液が流れだした。見た感じでは、かなり新鮮なものだ。
「先生っ!」
「ああっ!」
希望を取り戻したように、アシュリン達は再び蘇生措置を施す――が、やはり女性が息を吹き返すことはなかった。
「ダメか……もしかしたらと思ったが、やはり死後数日も経っていると奇跡は起きないな」
「ええ、残念です」
落胆する二人の目の前には、両方の鼻の穴から血を流す遺体があった。やはり彼女はすでに亡くなっているようで、心臓マッサージで摩擦を加えたはずの胸部は何事もなかったかのような色をしている。それが、まるで生きているかのような血色の良さと相まって不気味な感じがした。
私はひとまず二人に対して、あまり遺体を傷つけない方法で解剖を進めて、あらかた終わったら最後に蘇生措置を行った後に切開などの解剖に取り掛かろうと提案した。
「ああ、そうだな」
そして、アシュリンは遺体に触れて解剖を始める。助手の女性も、アシュリンの隣でメスを持って待機している。
私は、アシュリンが解剖する様子をジッと見つめながら、アンナの言葉を思い出していた。
……アンナが言っていた、この病院が組織に占拠されているというのは本当だろうか?……もしも、その話が真実だとしたら、今頃は大勢の患者や病院関係者達の命が危険に晒されているはずだが……彼女の話はあくまで推測であって、確証があるわけではない。それに、彼女の話を裏付ける証拠は何もない。
そのため、論理的に考えれば私は彼女の話を信じるべきではない……信じてはならない。
しかし、その可能性を考えるだけで胸騒ぎがして落ち着かない……どうすればいい? どうすればこの不安を振り払える?
自分に言い聞かせるように何度も頭の中で反すうする……だが、それでも不安が消えることはない。むしろ、徐々に大きくなっていくような気がした。
……自分は何を恐れているのだろう? 自分の正体が露見すること? それとも、自分が誰かの命を奪うこと?
……あるいは、自分の正体がバレて、大切な人達を失うこと?……考えれば考えるほど、どんどん悪い方向に思考が進んでしまう。
――私は思わず両手で頭を掻きむしり、その場にしゃがみ込む。
「大丈夫ですか? 顔色が優れないようですが……」
「何か悩み事でもあるのか?」
……心配そうな表情を浮かべる二人に、私は無言で首を横に振って否定した。
私が黙っていると、アシュリンが真剣な眼差しで訊ねてきた。
「……もしかして、この事件のことか?」
思いがけない言葉に、私は咄嗟に解剖作業をするアシュリンに目を向けた。彼女は私と目を合わせずに、作業をしながら話始める。
「私達に話しづらいことならば構わないが……もし、少しでも悩んでいることがあるなら、遠慮なく言ってほしい」
……それは、アシュリンにしては優しい言葉だった。
「だから、一人で抱え込まないでくれ。役に立てるかは分からないが……話ぐらいなら聞けるからな」
……その言葉に、私は意を決してある秘密を打ち明けようとした――しかし。
「あっ」
「どうかされましたか?」
突然、アシュリンが声を上げる。それが気になったのか、隣に立つ助手はアシュリンの手元に目を向けた。
「いや、気になる部分があってな」
私はアシュリンのその言葉に、どこが気になるのか質問した。
「死後硬直や死斑がないこと。それに加えて体温の高さや流血などを考慮しても、これは説明がつかない。触ってみてくれ」
そう言って、アシュリンはひじの部分を指差した。
私がその部分を触ると……どうやら、ひじの関節部分は粉々に砕けているようだ。
私がそのことを告げると、アシュリンは口を開く。
「そうだろう? 手足の部分も同様だ。他のも、この体の主要な関節や骨が砕けている……見た目には、まったくその痕跡がないにも関わらずな。それに……」
そう言って、アシュリンは遺体の口を開けた。
「見た感じでは、この女性は重度の熱傷を負っていて、舌も切り取られている」
私が遺体の口の中を解剖台に備え付けられたライトで照らすと、確かに口の中は煤にまみれて焼け爛れており、舌も切り取られていた。気のせいか、中島健太よりも雑に切り取られている印象を受ける。
私がそのことを告げると、アシュリンは悩まし気な唸り声を上げた。
「う~む、まったくもって不可思議だ」
「今回の遺体は、特にそうですよね」
助手がそう言うと、アシュリンの心中にある何かに火が付いたのか、やや早口に答える。
「まったくだ。しかしそれを魔術だ呪術だという非科学的な現象のせいにするわけにはいかない。蘇生措置を施して、無理ならば遺体を切り開いてさらに解剖しよう」
「は、はい……」
完全にアシュリンの雰囲気に飲まれた助手は、アシュリンと共に遺体に蘇生措置を施すが、遺体が目覚める気配はない。念のため遺体に触れてみるが、遺体は温もりを保っていた。
「……ダメですね」
「うむ……残念ながら、この女性は死んでいると判断して問題ないだろう。切開の準備を」
「はい」
そう言って、助手はアシュリンにメスを手渡した。いよいよ、この謎めいた内部に光を当てる時が来たのだ。
「よし、それじゃあ、いくぞ」
アシュリンがそう言うと、助手が呼吸を整え、大きく深呼吸する。
「はいっ!」
助手が力強く返事をすると同時に、私の胸元にも緊張の波紋が広がった。
助手がアシュリンに目配せすると、彼女は小さく首を縦に振った。
「……それでは、これからご遺体の切開を行う」
アシュリンがそう宣言し、メスを強く握り締める。
私は彼女の動き一つ一つに注意しながら、自分の手元にある資料を見つめた……そこには、今回発見された死体の詳細な情報が記載されていた。念のため、再度チェックする。
横目で解剖の様子を見ると、アシュリンは慎重にメスの先端を遺体の胸に突き立てていた。そのまま、ゆっくりと刃先を動かしていき、肋骨の間に刃を通していく。
「……ん?」
その時、アシュリンから声が上がった。思わずそちらに視線を向けると、彼女は遺体にメスを突き立てたまま固まっていた。隣に立つ助手も同様である。
私は資料をテーブルに戻して、何かあったのか訊ねた。
「……これを見てみろ」
アシュリンにそう言われて彼女の手元に目を向けると、メスが切り込まれた遺体からは、鮮血が流れ出ていた。
医学的知識が全くない人からすれば、それがどうしたというものだが、私はこの事態に異常さを覚えた。私が鮮血の事を発現すると、アシュリンは静かに頷く。
「そうだ。死後数時間しか経っていない遺体ならこうなるだろうが……何度も言っているように、この遺体は眼球の濁り具合から判断して死後数日は経過している。このような状況はありえない」
そこまで言って、アシュリンは一呼吸した。
「あり得ないことだが……現に起きていることだから仕方ないのか……解剖を続けよう。念のため、血液のサンプルを採っておいてくれ」
「はい」
アシュリンに言われて、助手は返事をして冷蔵庫から試験管を取り出し、流れ出た血液を採取して再度冷蔵庫に保管した。
その様子を見届けた後、アシュリンはメスを胸部の肋骨に沿って滑らせていく。
「……ふぅ」
アシュリンは小さく息を吐き出すと、そのまま切開を進めて胸部を開き切り、メスを助手に預けて代わりにチェーンカッターのような器具を受け取ると、肋骨を一本一本切断して取り除いていく。
やがて、アシュリンは遺体の胸部にある肋骨をすべて除去した。
「これは……」
「うーむ……」
胸部を観察したアシュリンの呟きに、助手も同調する。私も、二人の反応に釣られて、遺体の内部を覗き込んだ。助手とアシュリンの反応の原因は、目の前の光景にあった。
遺体の腹部に収められた内臓には、無数の穴が開けられていたのだ。しかも、その傷跡は明らかに人体に対して鋭利なもので刺された形跡があるのに、外部にはまったくその痕跡がない。
おまけに、肋骨で隠れていた二つの肺は中島裕子と同じように真っ黒に炭化していた。
助手はその光景を見て口元を押さえて嗚咽していたが、アシュリンは眉を潜めながら冷静に所見を述べる。
「恐らく、死因はこれらだな――詳しく調べてみなければ分からんが――呼吸器系が焼かれたことによる焼死、手足や関節の粉砕骨折によるショック死、複数の臓器が損傷を受けたことによる多臓器不全……そのいずれか、もしくは複合的な死因だろう」
「はい……」
助手はやや青ざめた顔で答えた。
「うむ……それにしても、一体どうやってこんな芸当ができたのか……」
「はい……」
助手がアシュリンの問いに短く返答する。助手自身もそのことは疑問に思っているようだが、それ以上に目の前に横たわる凄惨な遺体にショックを隠せないようだった。当然と言えば当然だろうが、彼女はアシュリンに比べれば解剖の経験は少ないことをそれらの仕草が物語っていた。
そんなことを思いつつ、私は遺体から流れる赤い血液や体液、内臓を眺めていたら不意に違和感を抱いた。それはこの現場を見れば見るほど大きくなっていく……何かがおかしい……何だろう?……この違和感の正体は……そういえば、以前もどこかで見たような気がする。どこだっけ?
「むっ!?」
その時、アシュリンが遺体を凝視したまま固まる。そして、そのまま硬直した。
「どうしましたっ!?」
助手が慌てて声をかけると、アシュリンは遺体から目を離さずに答える。
「いや、ちょっと待ってくれ。今、何か動いたように見えたのだが……気のせいかな」
アシュリンがそう言うのを聞いて、私は遺体に目を向けた。しかし、特に変わった様子はない。
「いえ、何も見えませんが……」
そう言いつつも、私も助手も遺体から目を離せない……だが、遺体には特に不審な点は――目に見える範囲では――見られない。
「おかしいな……確かに、今一瞬だけ目が合ったように見えたんだが……まぁ、いい。不審な事象を目撃し過ぎたせいで脳が誤作動でも起こしてるんだろう。解剖を続けよう」
アシュリンは釈然としない表情を浮かべていたが、すぐに気持ちを切り替えて遺体の解剖を続けた。
その後、助手に命じて内臓組織や血液を分析装置にかけるなどした結果、アシュリンはハッキリと言った。
「結論から言えば、この遺体からは毒物が検出された。分析結果を見る限り、生きたまま、少量ずつ毒を当たられている。毒の種類はここの設備では判別しないな……後で調べてみよう」
「はい」
生きたまま毒を盛られるとは……私はアシュリンに、拷問の可能性はあるか訊ねた。
「……一概には言えないな。だが、この遺体の外傷を見る限り、その可能性は高いと言える」
そう言って、彼女は再び解剖作業に取り掛かる。
「それでは……まぁ、ボロボロになってはいるが、内臓組織の解剖に取り掛かろう」
「はい――きゃっ!?」
「むっ!?」
――その時、冷蔵庫から『パンッ!』という小さな破裂音が響いた後、冷蔵庫の扉が開いた。
「……なんだ?」
訝しむアシュリンにその場で待機するように言って、私は冷蔵庫に近づいた。
「きゃっ!」
助手が悲鳴を上げて飛び退く。私も思わず声を上げそうになったが、辛うじて堪えた。
助手のリアクションも無理もない。なぜなら、冷蔵庫の中は大量の血液で満たされていたからだ。
助手は腰を抜かしそうな勢いだったが、私は構わず冷蔵庫の中を確認する。そこには、先ほどと同じように保存されていた臓器類があったが、そのすべてに刺し傷や切り傷があった。
「せ、先生、これって……」
「……」
私の後ろから写真を覗く助手とアシュリンに話しかけるが、彼女達は冷蔵庫の中を見つめたまま微動だにしない……やがて、アシュリンは冷蔵庫と解剖台にある遺体を交互に見つめて鼻息を鳴らした。
「まったく……これほど理解が及ぼない状況に出くわすとは……お前が持ち込んでくる案件は本当に厄介なものが多いな?」
その発言に、私は形だけ謝罪する。
アシュリンは再び解剖台のそばに戻ってメスを手に取り、臓器を手際よく切除していく……やがて体内のほとんどの内臓を切除すると、彼女は初めに胃を切開した。隣では、いつの間にか調子を取り戻した助手が解剖台のライトを使って胃の中に光を当てる。
「む?」
アシュリンがライトの明かりで照らされた胃の中に目を向けると、声を上げた……見てみると、胃の中には大量の毛髪が見つかった。その色は黒色で、遺体の頭髪に酷似しており、折り目正しく正方形に造形されていた。それを目にしたアシュリンは目を細める。
「……髪の毛、か……」
「何本あるんですかね、この量……えっと……」
「ざっと100万本以上ありそうだ」
「ひゃ、100万ですかぁ!?」
助手は顔をしかめて叫ぶが、すぐにアシュリンが「まあ待て」と言って彼女の肩に手を置いた。
そして、アシュリンはメスからピンセットに持ち替えて、胃の中にある髪の造形物を掴む――その瞬間、彼女は無表情のまま喋り始めた。
「私の名はアシュリー・クロフォード。アメリカ人で32歳だ。趣味は死体解体」
「……先生?」
突然、彼女は自己紹介を始めた。私は意味がわからず首を傾げる。隣で造形物を受け取るためにトレイを持つ助手も不思議そうにしている。そんな中、アシュリンは淡々と言葉を続ける。
「好きな物は解剖全般、嫌いなものは特にないが、強いて挙げるなら昆虫類」
その口調はどこか無機質で感情がない様に聞こえるが……。
「ど、どうしたんですか、先生?」
助手はトレイを解剖台の空きスペースに置いてアシュリンの肩を揺さぶるが、当の本人はそんなことなどお構いなしに話を続ける。
「ちなみに、好きな食べ物は生レバーで、今最も注目している死体は、先月解体されたばかりの鹿だ。とても柔らかかったよ」
……『柔らかった』という表現は、解体の感触なのか、それともその鹿のどこかの部位を食べた感想だろうか……?
そう言ってアシュリンは『ふぅ……』と息をつくと、『次は君の番だ』と言いたげに私の方に顔を向けた。
「……先生?」
助手が声をかけても、アシュリンは私から視線を外そうとしない……私は彼女に、どうかしたのかと訊ねた。
すると、アシュリンからは即座に返答があった。しかし、その声は機械音声のように無機質で抑揚のない声だった。
「この異常な状況で、これだけ冷静さを保つのは至難の業だ。さすがだと言っておこう」
彼女のその言葉と態度に、私は不気味さと怒りを覚える。私は何事か反論しようと思ったが、彼女はそんな隙すら与えずに続けて言う。
「しかし、これではっきりした。あの毛髪は被害者の遺体のものだろう」
そう言って、アシュリンは私を見つめたまましばらく黙っていたが、不意に頬笑んで見せる。その笑顔はとても不気味で、思わず背筋が寒くなる。
「フム……なるほど、あくまでしらを切るつもりなのだな?」
まるで尋問でもされているような気分だ。私が答える前に助手が立ち上がってアシュリンに向かって吠えた。しかし、それでもアシュリンは表情を変えようとしない。
助手の怒りを無視して、アシュリンは平然と言葉を返してきた。
「……どうせ、お前も犯人なんだろう?」
(――っ!!)
「な、なんてこと言うんですかっ!? やめてくださいっ!!」
アシュリンのその言葉に、助手はなおも声を上げるが、そんな声も聞こえていない様子でアシュリンは私を見つめて言葉を続ける。その眼には殺意に近い敵意のようなものを感じる……少なくとも、好意的に見られていないことだけは確かだろう。
「こんな馬鹿げた事件が起こること自体があり得ないんだ……この異常な遺体達にしてもそう……この一連の殺人は、全部貴様の仕業なんだろ?」
私はその発言に怒りを覚えるが、私が反論しようとするが、助手が声を上げる。
「ふざけないでくださいっ! あなた、先生じゃありませんねっ!? 誰ですかっ!?」
すると、アシュリンは鼻で笑って助手を睨みつけた。
「いいかげんにしたまえ……今は私が質問をしているのだよ? 少し待てないのかね?」
その冷たい視線を受けて助手は何も言えなくなった……その時、私の視線には、アシュリンが持つピンセントの先につままれた、髪の造形物が目に入った。
――私はアシュリンが私から視線を外しているスキをつき、彼女からピンセットを奪い取る――なんなくピンセットを奪い取ると、アシュリンはハッとした表情を見せた。
「あ……」
「先生? 大丈夫ですか?」
助手に背中を撫でられながら質問されると、アシュリンはコクコクと頷いた。
「あ、ああ、すまない……」
……どうやら正気に戻ったらしい。私はアシュリンに、何があったのか質問した。
彼女は、私が持つピンセットに目を向けて言った。
「……その髪で出来た物体を掴んだ瞬間、まるで何かに操られるような感覚がしたんだ。意識はハッキリしていた……だが……なんというか、自分の身体じゃないような……自分の身体を、自分が外側から見ているような、そんな感覚に陥って……」
彼女はそのまま少し黙り込むと、自分の言葉を否定するように首を振った。
「……すまない。どうも今日は調子がすこぶる悪いらしい。少し休もう」
「そうですね……一階の休憩室に行きましょう」
「ああ」
……アシュリンの容体は気になるが、とりあえず私は外に出ている鬼島警部達に連絡を取ろうとした――その時。
「むっ!?」
「きゃっ!?」
――いきなり、解剖室の扉が勢いよく開いた。現れたのは、病院を調査しているはずの鬼島警部達だ。皆、息を切らしている。あのカチューシャまでも、深刻な面持ちをしていた。
私が何かあったのか訊ねると、鬼島警部は唾を飛ばしながら叫んだ。
「どうもこうもねぇっ!! 病院から人が消えてるぜっ!」




