御見送り ~魔女との協力~
――現場から車を走らせて数十分、山の中を徒歩で数十分……すでに日は落ちていたが、我々はなんとかカチューシャの館にたどり着いた。
メンバー達の表情は疲労のせいか、はたまた別の原因があるのか、とにかく一様に優れない様子だ。
私がカチューシャに会うのが嫌なのかと問いかけると、まごつく二人の刑事に代わって鬼島警部がハッキリと言った。
「別に嫌ってわけじゃねぇよ。あの人には色々と世話になってるしな。でもよ……なんていうか、とにかく異質なんだよな。アシュリン先生もたいがいだがよ、カチューシャ先生もだいぶヤバい感じがするぜ」
「……まぁ、確かに」
鳴海刑事がしぶしぶといった調子でそう言うと、鬼島警部は変わらぬ調子で言った。
「だから、気を付けろよ」
「えっ?」
「あの人は平然と"こっち側"に来る人だ。しかも、かなり強力な力を持ってる。そんな奴と関わって、もしそいつが敵になった場合、いったいどうする?……アタシには、まるで対処法が思い浮かばねぇよ」
……私は鬼島警部の言葉に無言を貫いたが、心の中では彼女に賛成だった。
彼女が我々に協力してくれるのは、あくまでそちらの方が利益があると考えているから……彼女に関しては、それを前提にして行動するべきだろう。
『……』
鳴海刑事と大倉刑事は無言のまま顔を見合わせる。やがて鳴海刑事は意を決したように、その口を開いた。
「僕も、最初は関わりたくありませんでした。ですが、あの人が居なかったら僕達は今頃、どうなっていたのか……そう考えれば、僕達はあの人に恩があると思います」
鳴海刑事の話を聞いているうちに、大倉刑事は腕を組んで『うーん』と考え込み、しばらくしてからゆっくりとその口を開く。
「実は、自分も似たようなもんであります。先生がやっているいかがわしい事は受け入れられないでありますが、カチューシャ先生に幾度となく助けていただいたからこそ、今の自分があると思うであります」
「……ま、そうだな」
『二人なら、そう言うと思った』……鬼島警部の微笑みからは、そのような感情が読み取れた。
そこで私は、全員に館に入ってもいいか訊ねた。
全員が無言で首肯すると、私は館の扉を開けて中に入った。
玄関ホールに入ると、相変わらず不気味な雰囲気だったが、今はこの空気に慣れつつあった。
……しばらく待っても、館の主は姿を見せない。いつもなら、一階のどこかの部屋からひょっこりと姿を見せるのだが……ということは、今は所用で二階にでもいるのだろうか?
私はそう思って、正面にある二階へ続く階段に視線を向けると、メンバー達にそれぞれ手分けしてカチューシャを探すことを提案して、そのまま階段に向かって歩みを進める。
階段を上がって廊下を進み、突き当りにある大きな両開きのドアを開けると、そこは応接室だった。
部屋の中には一人掛けのソファーが向かい合うようにして置かれており、部屋の隅では暖炉がパチッバチッ、と音を立てて燃えている。窓際と扉近くの壁には、それぞれ森が描かれた絵画が飾られていた。
そして、部屋の中央に置かれたテーブルの上には、一冊の本が置かれている。タイトルは『薔薇と血』……内容は分からないが、いかにもカチューシャが読みそうな本だ。
私は、カチューシャの姿を探しながら室内を歩き回るが、いくら探しても彼女は見つからない。
仕方なく私は部屋を出て、今度は隣の部屋に足を踏み入れた。
今度は先ほどの応接室よりも広い空間が広がっている。おそらく、ここは客間だろう。しかし、カチューシャはいない。
私はため息をつくと、再び隣の部屋へと足を運んだ。そこも客室のようだが、やはりカチューシャの姿はなかった。
いったい、どこに居るんだ?――そのようなことを考えていた時、ふとあることに思い至った。
まさか、風呂場では?――私は一階まで駆け下りて、視界に映る扉を片っ端から開けていった。
「神牙? どうかしたのか?」
鬼島警部が怪訝な様子でこちらに問いかけてくるが、私は構わずに捜索を続けるように言って扉を開けまくる。だが、一向に浴室や脱衣所が見つからない。その時――。
――で。
……私の脳裏に、微かに女性の声が聞こえた。その声の出所を探るように、私はカチューシャの名前を呼ぶ。
――っ!?
返事はない。だが、私の耳には確かに聞こえた。"来ないで"と叫ぶ彼女の声が……カチューシャの声が聞こえるようになった私は、彼女に呼びかけ続けるが、一向に反応がない。
「神牙?」
頭の中で響くカチューシャの声とは別に、鬼島警部が私に話しかけてくる……私が返答している間も、カチューシャの声は頭の中で響いている。だが、彼女の姿は一向に見つからない。
どうしたものか――そう悩んでいると、どこからか悲鳴が聞こえてきた。カチューシャのものだ。
「っ!?……今のは、二階かっ!」
鬼島警部と共に階段を上がりながら、私は大声でカチューシャの名前を呼ぶが、返事はない。
彼女の声が聞こえてきたのは、左側の二階――私が捜索していた二階の部屋群とはちょうど反対の位置だった。
私と鬼島警部は二階にたどり着くと、そのまま片っ端から扉を開けていく。
「神牙さんっ! 今の声はっ!?」
「何をしているんだっ!?」
途中で鳴海刑事と大倉刑事も加わり、捜索のスピードが上がる。だが、未だにカチューシャの姿は見えない。
どうやら、館の左側は生活スペースとなっているようで、館の右側と違って部屋数が多く、部屋のスペースも一つ一つが大きかった。
やがて捜索の範囲は本館から渡り廊下で繋がっている別館へと拡大し、別館にたどり着いて最初の部屋を開けると、私は驚愕した。
「お、ここかっ!」
あとからやってきた鬼島警部が、そのような声を上げる。
私達の目の前には、部屋の上部に設けられた換気口から湯気が出ている、現代的な造りの脱衣所だった。すりガラスの向こうには、女性の姿が見える。
「よし、行くかっ!」
鬼島警部がそう言って脱衣所の扉を開けようとするが、扉は押しても引いてもビクともしない。
「っ!? おいっ! 先生っ! いるんだろっ!? アタシ達だっ! 開けてくれっ!」
鬼島警部は咄嗟にすりガラス越しに見える人影に向かって叫ぶが、人影は微動だにしない。
もしや、この人影はカチューシャではないのでは?――途端に、そのような考えが頭をよぎる。
「どうしたんですかっ!?」
そうこうしている間も、私達がいる部屋に鳴海刑事と大倉刑事もやってくる。
「扉が開かねぇんだよっ!」
「どいてくださいっ!」
大倉刑事はそう叫んで鬼島警部を押しのけ、グッと力を溜め込んだ。
「――フンッ!」
そして、勢いよく扉に体当たりした。
しかし、扉は激しい衝撃音を発するもののビクともしない。
「なにっ!?」
その後も大倉刑事は体当たりをするが、扉はまったく開く気配がない……蝶番の部分を見ても、微動だにしていない――まるで、なんらかの力学が働いて衝撃を吸収しているかのように……。
そこで私は、この館はカチューシャが管理していることを思い出した。彼女ならば、物理的な力を無効化する技術をそこかしこに施しているだろう。おそらく、この脱衣所の扉にもその技術が使われている可能性がある。
私は大倉刑事にどくように言って、脱衣所の扉に手を当てて気を集中させた。
「神牙?――」
鬼島警部に呼びかけられた刹那、私は一気に『力』を解放して扉をぶち抜いた。私の予測通り、霊的な力が加えられたことにより、先ほどまでビクともしなかった扉は勢いよく吹き飛んだ。
「きゃっ!?」
だが場所が悪かったのか、扉はそのまま目の前の人影にぶつかり、人影からは驚きの声が聞こえてきた。
そのまま私と鬼島警部がなだれ込むように脱衣所に突入すると、そこには驚いた表情の全裸の女性が立っていた。カチューシャだ――その胸元は激しく隆起している。
私は咄嵯に手を伸ばしてその身体を抱き留めると、「もう大丈夫」と優しく耳元で囁いた。
「……ありがとう」
彼女はしばらく呆然としていたが、やがて我に返っていつもの笑みを浮かべながらそう言った。
※
それからほどなくして、我々はいつもの一階の応接室にいた。
少し経ってから着替えを済ませたカチューシャが現れると、彼女はソファに座るなり合掌した。
「いや~、ホント、ごめんなさいね? 驚かせちゃったでしょ?」
「はは、まぁ、なんというか……」
「まったくだぜ。気をつけてくれよ」
「警部殿っ!?」
日本人らしく曖昧な態度でごまかそうとする鳴海刑事と違って、鬼島警部はカチューシャに向かってハッキリと言いたいことを言ったようだ。それに対して大倉刑事が驚きの声を上げるさまは、もはや様式美である。
私はカチューシャに、体調は大丈夫か訊ねた。
「ええ、大丈夫よ」
「それなら良いんですが、いったい何があったんです? いつもなら、僕達が玄関を通ったら姿を見せてくれるのに……」
鳴海刑事がなおも心配そうな調子で問いかけると、カチューシャはさすがにバツが悪そうな顔で答えた。
「ホント、ごめんなさいね? ほら、私って色々と魔術や呪術の研究で忙しいでしょ?
それで、うっかりミスしちゃって……その影響が出ちゃってたみたいっ! てへっ!」
「てへって……大丈夫なのでありますか?」
大倉刑事は室内を見回しながら質問する。
「ええ。あくまで一時的な症状だし、今は対策も取ったから大丈夫よ」
「そ、そうでありますか……先生がそうおっしゃるならば、自分はその言葉を信じるであります……」
そうは言いつつも、大倉刑事は室内をキョロキョロする動作をやめようとしない。
まぁ、とにかく彼は放っておくとして、私はカチューシャに捜査協力してほしいことを単刀直入に伝えた。
「あら、珍しいわね? 意見を聞きに来たんじゃなくて、捜査協力? そんなに難しい事件なの?」
聞く人が聞いたら挑発とも受け取られない発言だが、私も含めてこの場にその発言を咎める者はいない。カチューシャの実力がそうさせているのだ。
私はカチューシャの言葉を肯定し、アシュリンや本郷警部からもらった数々の資料と、例の大菊牡丹紋の絵が映っている鬼島警部のタブレットをカチューシャに渡し、これまでの捜査状況について話した。彼女は私の話を聞きながら、資料に一通り目を通す。
「ふぅん……なるほどねぇ」
カチューシャは資料を読み終えると、興味深げに何度もうなずいた。
「面白いじゃない? ちょっと調べてみる価値はあるかもね。でも、私一人でやるには限界があるかもしれないから――」
そこでカチューシャはニヤリと笑みを浮かべて言葉を続けた。
「――あなた達にも手伝ってもらうことになると思うけど、構わないかしら?」
私は鳴海刑事、鬼島警部、大倉刑事の顔を見た。彼らは私の視線を受けて、力強くうなずく――私はそれを確認してから、カチューシャに対して『構わない』とだけ伝えた。
「あっそ。それじゃ、まずはこれから説明するわ」
そう言ってカチューシャが指し示したのは、被害者家族の検視結果だ。
「この報告書、どう思う?」
まるでこちらを試すかのような口調だが、特に気にする事もなく鬼島警部が答える。
「異常、だな」
その言葉を受けて、カチューシャはうんうんと頷く。
「確かに。科学的に考えればあり得ないわね」
「それなら、非科学的に考えればどうなるんです?」
すかさず鳴海刑事が質問すると、カチューシャは再び意味深な笑みを浮かべる。
「そうねぇ……あなた達、形而上下学って知ってる?」
「けい……な、なんでありますか?」
いきなり聞きなれない単語を聞いて、大倉刑事は慌てふためくが、鬼島警部はいたって落ち着いた様子で答えた。
「アタシはそんなに詳しくはねぇが、ようは形而上学は目に見ないものを研究する学問で、形而下学は目に見えるものを研究する学問なんじゃねぇか?」
「さぁ、よくわからないわ」
『えっ!?』
カチューシャの思いもよらない発言に、鳴海刑事と大倉刑事は同時に驚きの声を上げる。鬼島警部はいささか驚いているようだ。
「ただ、私が思うにこの報告書にはこの世の存在とあの世の存在が同居しているように感じるのよ」
「と、言いますと?」
大倉刑事が問いかけると、カチューシャは資料を指差しながら答える。
「まず、夫の手足や関節の骨折、舌の除去だけど、この資料に書かれている通り、外傷がないにも関わらずこんな大怪我をさせることってできるかしら?」
「それは……」
カチューシャの問いに、鳴海刑事が宙を見ながら考えるが、カチューシャは構わず話しを続ける。
「これは妻の気道熱傷だか肺熱傷だかにも同じことがいえるわ。これって、ようは火事に巻き込まれて死んだってことでしょ? それなのに、遺体が発見された現場は火事にもなっていないし、被害者には外傷一つない」
「むぅ……」
大倉刑事が額に脂汗を浮かべて腕組みをし始めるが、カチューシャはなおも話を続ける。
「でもね。この被害者達のなかで、唯一科学的な見地から説明できる遺体があるのよ」
「え、そうなんですか?」
「ええ、もちろん」
「……長男と若い女性か」
鬼島警部がボソッと呟くと、カチューシャはニコッとほほ笑む。
「ええ、そうね」
彼女はそう言って長男と若い女性の資料を指差す。
「二人とも状況は違うけれど、一応は科学的見地から説明がつくわ。長男は首を絞められたことによる窒息死。女性の方は外傷がないため死因不明。ね? 納得でしょ?」
「確かに……ということは、その……なんらかの異形の力が働いているのは、夫婦のみということでありましょうか?」
「さぁ、それはわからないわ」
そう言ってカチューシャは、資料のページをパラパラとめくる。
「今はとにかく、家族達と女性の遺体の解剖に立ち会いたいわ。もしかしたら、何かわかるかも。それと、ファングとクマさんが見たっていう焼き物の絵も調べたいわね」
カチューシャにそう言われて、私は応接室の窓の向こうに見える景色に目を向ける……幸い、日は傾いてはいるものの、まだ夕方にはなっていない。今から現場に調査に向かっても大丈夫だろう。
私はカチューシャに、さっそく我々と一緒に来てもらうと伝えた。
「ええ、いいわよ。着替えるから、ちょっと待ってもらっていい?」
私はその言葉に了承の返事をすると、鬼島警部が口を開いた。
「またトラブルに巻き込まれるのはごめんだからな。アタシが見張っとくぜ」
「そう。好きにすれば?」
そうして、私は鳴海刑事と大倉刑事を伴って応接室を後にして館の外に出た。
「それにしても、カチューシャ先生でも怪異とやらに困ることがあるのですなぁ」
「そうですね。僕も意外でした。神牙さんも、そういう経験はおありですか?」
鳴海刑事に聞かれて、私は頷いた。そんな事例はいくらでもある。
「なにっ!? そうなのかっ!?」
……驚く大倉刑事に対して、私はさっき中村宅での出来事を話した。
「あっ……そう言えばそうだったな。失念していた……」
私からその話を聞かされた途端、大倉刑事はバツの悪そうな顔をする。それを見て気を遣ったのか、鳴海刑事は口を開いた。
「そういえばあの絵……神牙さんが見ると気分が悪くなるって言ってましたけど、写真の状態ならなんともないんですか?」
私はその質問に肯定の返事をした。実際、あの絵を直接見ると、凄まじい嫌悪感に襲われてまともに動けなくなる……まるで、私の持つすべての力が無力化されているかのように……だが、写真などを介してみればなんともない。
そこで私は、今後あの絵に関わる際にはなるべくあの絵と距離をとることを二人に告げていると、後ろの玄関の扉が開いた。
「待たせたかしら?」
そう言うカチューシャの姿は、先ほどまでの豪華なドレス姿から実用性を重んじるミリタリー仕様に変わっていた。
私がそれほどでもないと伝えると、彼女はニコッとほほ笑む。
「そう。それじゃ、行きましょっか!」
まるで遠足に行く小学生のように、事件現場へと向かうカチューシャの足取りは軽かった。
※
それからほどなくして、我々はカチューシャを連れて中村宅へ戻ってきた。
車を降りると、ふと二階を見上げる……どうやら、あの絵――異形の大菊牡丹紋に対して知らずのうちに恐怖心を抱いているらしい。だが、それを恥じることはないだろう。うまくコントロールすればいいだけの話だ。
私は車を路肩に停めて戻ってきた大倉刑事を加えた全員に対して、調査方針を告げた。
まず第一に、あの絵を見ると私自身が無力化される。そのため、私はあの絵が見えない家周辺と一階部分を調査する。その際、何かあった時のために大倉刑事と鳴海刑事に同行してもらうことを伝えた。
「うむ。任せておけ」
「非力かもしれませんが、なんとか援護します」
私は二人に礼を言って、カチューシャと鬼島警部は二階へ行って絵の調査を行うように指示した。
「おう」
「任せて」
そして、我々は、大倉刑事を先頭に調査対象となる家に入った。
「ぐおっ!?」
突然、先頭をいく大倉刑事が驚きの声を上げた。続いて五感に訴えかけてくるのは、何とも言えない悪臭だった。靴を脱いで上がり、廊下に足を踏み入れただけでこの悪臭である。
そのまま家の中を進むと、廊下の奥の方で明かりの灯っているのが見えた。その方向へ進むと、そこはダイニングルームであり、部屋の奥の壁には、黒い布が被せられたキャンパスが掛けられており、蝋燭の火によって壁にそのキャンパスの陰影が生まれていた。右側の壁際に置かれた木製のテーブルの上にも、火のついていない蝋燭が置かれている……。
「変だな……アタシらが前に調査した時には、こんな感じじゃなかったぜ? なぁ?」
「はい。ごく普通のダイニングルームでした……」
「ということは、自分達が出ていった後に何者かがこのように工作したのでありましょうか?」
「かもな……玄関には規制線が張られてなかったし、窓だってその気になりゃいくらでも開けられるだろうから、実質出入りは自由ってこった」
――だとしたら、この仕掛けをしたのは中島家を殺害した犯人かも――私がそのことを口にすると、その場にいる者達の間に緊張が走る。
続いて私は皆に、もしかしたらまだその犯人が室内に隠れているかもしれないから、充分に警戒するように言って拳銃――Ⅿ360J SAKURA――とタクティカル仕様のカランビットナイフを取り出した。
「……とりあえず、見た感じではこのキャンパスから調べたほうがいいと思うわ」
そう言って、カチューシャはキャンパスに被せられた黒い布を取った。
――瞬間、あの異形の大菊牡丹紋かと思ったが、我々の眼前に現れたのは違う絵だった。
「……ずいぶんと嫌な感じの絵だな」
「そうね。調べてみる価値は充分にあるわ」
鬼島警部の感想に相槌を打つようにカチューシャが言うと、そのまま彼女は絵を触ったり臭いを嗅いだりする。どうやら、本格的にこの絵を調査するらしい。
彼女がそうするのも納得がいく。改めて見ても、この絵は異形の大菊牡丹紋ほどではないが、この絵からは霊気を感じるし、それなりの嫌悪感に襲われる。
キャンパスの中央に描かれた、苦悶の表情を浮かべる女性……いまいち判然としない画風だが、その姿はやはりこの家で発見されたという若い白人女性に似ている気がする。
それにしても……絵を目の当たりにしているだけにもかかわらず、鳥肌が止まらない……これが現実ではなく映画であったなら、すぐさま停止ボタンを押すところだ。
とにかく、絵の方はカチューシャと鬼島警部に任せよう。私は二人に対して絵の方は任せると言った。
「おう」
「分かったわ」
絵から目を離さずに彼女達から返事がきたので、私は調査を再開するために鳴海刑事と大倉刑事を伴って隣の和室へ進む。若い白人女性が発見された現場だ。
今、この状況下では、お互いの姿が常に確認できる範囲で捜索を行ったほうがいいだろう。二階に鎮座しているであろう大菊牡丹紋の事は気になるが、今は一時忘れて目の前の状況に集中すべきだ。
和室に入ってまず初めに調べるのは、正面に見える掛け軸の裏側だ。まずは掛け軸を捲り上げて床に置く必要がある。
私は掛け軸を持ち上げるが、意外に重い……掛け軸とは、本来これほどの重量があるものなのだろうか?――この異質の空間では、そのことさえ怪異が力を発揮しているように感じられてしまう。
掛け軸を外して床に置き、表面と裏面を丁寧に調べるが、特に変わった様子はない。掛け軸の絵も、他の二つの絵と違っていたって普通の水墨画だ。
他にもタンスや机などの調度品や押し入れの中などを鳴海刑事達と手分けして捜索したが、和室にはめぼしいものは見当たらなかった。
念のため、女性が発見されたという床下も、畳と板を外して調べてみたが、そこには何もなかった。そう、鑑識課が使う証拠品を表す番号札さえ置いていなかったのある。
私と同じ感想を抱いたのか、鳴海刑事を首をかしげる。
「変ですね……遺体の発見現場のはずなのに、何も置いてないなんて……」
「確かに……そう言えば、中島家のご遺体が発見された場所にも何も置かれていなかったであります」
――警察は、すでにこの事件が家族ぐるみの心中として考えているのでは?――私はそのことを二人に伝えたが、彼らから返ってきたのは『う~ん……』という唸り声だけだった。
とにかく、この和室には調べるべき点は見当たらない。そのため、私は二人を伴ってもう一度隣のリビングに戻った。
リビングでは、鬼島警部とカチューシャが例の絵の前で何事か話し合っている。
私は二人の話に割り込む形で、この絵について質問した。すると、カチューシャから返答があった。
「これは肖像画ね」
彼女は続けて言う。
「ただし、普通のものじゃないわ。これは『死絵』というものよ」
私はそのことについて詳しく説明を求めた。
「死絵というのは、死人の姿を描いた絵のことよ。つまり、この絵にかかれている人物は死んだ人物ということなの」
死んだ人物……その単語を脳裏に焼き付けた状態で改めて絵を見ると、その絵に描かれている女性と今も神明大学附属病院の地下にある遺体安置所で眠っている女性が妙にリンクする。
この死絵というものが、何故この家にこのタイミングで存在しているのか……そもそも、誰が描かれた絵なのか、誰が描いた絵なのかについてまったく分からない。
だが……ただひとつだけ、確かなことがある。それは、この絵に描かれている人物はすでに亡くなっていることだ……ならば、なぜ飾る必要があるのか。その理由は全くもって思い浮かばない。
……この絵に対する興味が増していった私は、今度は絵の裏側を調べようと思い、持ち上げようとした――。
「ダメッ!!――」
――カチューシャの叫び声が聞こえて思わず振り返ったが、そこにはカチューシャどころかオモイカネ機関のメンバー達の姿さえ見えなかった。
まさかと思って辺りを何度も見回したが、そこには私以外に誰も存在していなかった。
――夢?――思わずそのようなことを考えてしまうが、先ほどまでの出来事は確かに現実にあったことだと確信できる。
なぜなら、隣の和室には私が確かに壁から外した掛け軸が畳の上に乗っているからだ。ということは、私か皆のどちらかが、この絵を裏返すか触れることによって発動する何らかの仕掛けによって異空間に飛ばされた可能性がある。
そして、この絵には私しか手を触れていないことから考えて、飛ばされたのは私と判断すべきだろう。
どのような原理で発動する仕掛けなのかは不明だが、一刻も早く皆の元へ戻らなければ……そう考えながら絵を物色していると、不意に背後に気配を感じ、思わず拳銃とナイフを取り出して構え、振り返った。
『……』
……そこには、大菊牡丹紋の時のように和装と洋装の二人の女性がいた。
思わず引き金を引きそうになったが、今の二人からは禍々しい気配を感じるものの、敵意のようなものは感じられない。
そのまま私が拳銃とナイフを構えていると、二人は徐々にこちらに歩み寄ってきた。
戦うべきか……私が迷っていると、洋装の女性が口を開いた。
「良く出来ているでしょう、その絵」
彼女に言われて思わず振り返って絵を確認しそうになるが、なんとか思いとどまって彼女達から視線を外さない。それこそ、瞬き一つしないように気を張る。
「死んだ後に描いたにしては、我ながらなかなかの出来栄えだと思うんだけれど?」
……その言葉を信じるならば、この絵の作者はこの女性ということになる……私は彼女に、この絵のモデルは自分かと訊ねた。
「ええ、そうよ」
彼女は頷いて話を続けた。
「死者には死者としての美しさがある……この絵は充分にそれを表せているわ」
絵を見つめながら語る彼女と違って、和装の女性は私から一時も目を離さないでいる。
しかし、私が視線を向けると、彼女は口を開いた。
「彼女がなぜこうなったのか、知りたいですか?」
――知れるものならば――私がそう言うと、彼女は二階を指差した。
「それならば、もう一度あの絵を見るべきです。そして、この世がどれほど腐り果てているか……あなたが犯した過ちについて、心から懺悔するのです」
私が犯した過ち……それは、一つしか思い浮かばない。同時に、その当時の光景がフラッシュバックして頭痛がする。
「また会いましょう――」
「許さない。あなただけは――」
彼女達はその言葉を残して霧に包まれて消えてしまうが、残された私は襲い来る頭痛と空間の歪みに苛まれてその場にうずくまってしまう。
「――グッ! ファング!!」
――気が付くと、私の視界にはいつものメンバー達がいた。みんな、私を心配そうに見つめている。
余計な心配はかけまいと立ち上がろうとするが、まだ意識がハッキリしていないのか、よろめいてしまう。
「お、おい、大丈夫か?」
大倉刑事に支えられてなんとか立ち上がると、私は皆に状況の説明を求めた。すると、鬼島警部が応じてくれた。
「アンタが絵に触れた瞬間、絵から黒い霧みたいなのがブワッて吹き出てな。アンタはそれに包まれてうずくまって……しばらくして霧がサァーッて消えていってよ。そしたら、アンタが倒れてたんだよ」
……そんな短期間の間にあれだけの事を体験したのか。
和装の女性か、洋装の女性か、はたまた二人の力か……いずれにせよ、彼女達には強大な霊的能力があると考えるべきだろう。
それはそうと、私は和装の女性に言われたとおりに、二階に行ってこの捜索のメインとなる大菊牡丹紋を調べることを皆に告げた。
「大丈夫なのか? 今日はもう切り上げたほうがいいじゃないのか?」
心配そうに私を見つめてくる大倉刑事に対し、危なくなったら撤退するとだけ伝えてリビングを後にして玄関付近の階段へ向かう。
皆が来る間、階段の奥に見える二階に目を向けるが、それらしい気配は感じない……今のところは問題ないだろう。
皆が来ると、私はカチューシャを先頭に大菊牡丹紋の調査にあたると伝えた。
「いいわ」
カチューシャはそう言って先頭に立ち、準備が整ったらさっさと階段を上っていってしまう。
先ほど言ったように、犯人が隠れているかもしれないので、カチューシャの後ろには大倉刑事を警戒に当たらせているが、彼の背後にいる私は彼の巨体のせいで前方がいまいち視認できない……まぁ、これはこれで突発的な事態に困ることはないだろう。
そして、二階の廊下を少し進んで大菊牡丹紋が描かれた絵のある部屋に入ると、カチューシャはすぐに気づいたのか、絵まで一直線に向かう。
「よくわかりましたなぁ」
大倉刑事が感心したように言うと、カチューシャは絵から目を離さずに答える。
「まぁね。この家を見た時から、この辺りから強い霊気を感じたのよ」
そう言って、カチューシャは焼き物を手に取って調べている。その間、私はメンバー達にこの部屋を手分けして捜索することを提案して着手した。
しかし、扉付近のスイッチを押して明かりを点けて捜索するも、絵以外にはこの部屋にめぼしいものはなかった。雑多なものが置かれている物置代わりに使われている部屋のようだから、てっきり他にも収穫があるかと思ったのだが……。
ふとカチューシャに目を向けると、彼女は絵をジッと睨みつけていた。私が声をかけると、いつもの表情に戻って説明を始める。
「この絵画からは確かに霊気が感じられるんだけど……なんていうか、それだけね。高名な魔術師とかが描いたものじゃないかしら? それ以外には分からないわ」
……私は意を決して、カチューシャに絵を見せてくれと頼んだ。
「おい、神牙」
私は大倉刑事に大丈夫とだけ伝えて、カチューシャと場所を変わる。
……そこには、あの異形の大菊牡丹紋が変わらず描かれていた。この部屋といい、この絵は犯人の影響を受けなかったようだ。
しかも、確かにカチューシャの言う通りこの絵からは霊気を感じるが、不思議と嫌な気分にはならない……なぜだろうか?
気になる点は、もう一つある……よく見てみると、絵の構造が変わっているのだ。
私と大倉刑事が初めてこの絵を見た時には、子供が大菊牡丹紋に食べられているような構図だったが、今は大菊牡丹紋が無数の亡者のように、そこから延びるツルのようなものは無数の腕のように見える。そして、腕の先には一人の女性が悲痛な表情を浮かべていた。
私は大倉刑事に絵を見せて、このような構図だったかと質問した。
「……いや、自分が見た時には、植物に子供が食べられているような絵だったな」
「ってことは、この絵も犯人が工作したってことか?」
「かもしれませんね。理由は分かりませんが……」
鬼島警部と鳴海刑事が考えていると、カチューシャは大きく伸びをして言った。
「とりあえず、私の役目はこれで終わりなの? それとも、まだ手伝いましょうか?」
そのあっけらかんとした態度には敬服するものがある。
……悩んだ挙句、私は明日、アシュリンの解剖に立ち会ってほしいとカチューシャに伝えた。
「えっ!?」
珍しく生の感情をあらわにして、カチューシャはこれでもかと嫌そうな顔をする。
犬猿の仲である相手と共同で仕事をする苦痛というのは、まぁ、分からなくもないが、いい大人がそこまで露骨に態度に出すこともないだろう。
私はカチューシャの返事を待つことなく、今日の捜査はこれで終了し、明日はアシュリンの元で被害者達の解剖に立ち会うことを告げた。
「うぅ……か、解剖かぁ……」
「別にいいじゃねぇか。お前が死体をかっさばくわけじゃあるめぇし」
「そ、それはそうでありますが――」
その場で苦悶の表情を浮かべるカチューシャに絵を持ってくるように言って、言い争いをする大倉刑事と鬼島警部を残して外へ向かう。
玄関から外に出ると、すでに時刻は夜となっているようで、月明かりが雲の間から見えた。
「……神牙さん」
いつの間にか付いてきていたのか、そこには鳴海刑事の姿があった。彼の表情は月明かりに照らされてハッキリと見えるが、悲し気な表情だった。
「その、大丈夫ですか? この事件、いつもと違って神牙さんに負担がかかっている気がして……」
……私は彼の言葉に、危なくなったら手を引くと伝えた。それが、私の偽らざる本音だ。
命あっての物種という言葉が、この部署ではより一層重みがある。危険からなるべく遠ざかりつつ、事件の捜査に当たるのが、この部署の基本的な捜査方針だ。
時には危険を冒すこともあるが、それは、そうしなければ目の前の命が確実に失われてしまう危機的状況においてのみである。
すでに、この事件には複数の死者がおり、今のところは新しい被害者は発生していない……となれば、撤退も視野に入れるべきだろう。
亡くなった者達には無念極まりないだろうが、勇敢と無謀は違うものなのだから……。
私はそのことを話すと、鳴海刑事ははかなげに笑いながら言った。
「……分かりました」
その笑みには、どことなく『何かあったら助けますからね』という、彼なりの優しさが込められているような気がした。




