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御見送り ~奇妙な遺体~

「――というわけで、今すぐ病院まで来てくれ」


 私が警視庁の仕事場に来てから数分と経たずに、スマートフォンからはそのような声が聞こえてきた。

 電話の主はアシュリン・クロフォード。東京都内で発生した変死体や他殺体の解剖を引き受けている神明大学附属病院に勤務している解剖医だ。

 今の職業に就く前は、しばらくの間アメリカ国内を職を変えながら転々としていたようで、そうなる前はアメリカ陸軍の軍医だった経歴を持つ才媛さいえんである。

 そんな彼女から、直々に来訪要請が来たということだ。これは何かあるに違いない。

 私は彼女の言葉を快諾かいだくして電話を切り、メンバー達に事情を説明した。


「珍しいですね。アシュリン先生が直接病院まで来るように言うなんて……」

「そんだけ変な遺体が見つかったんだろ? 行ってみようぜ」


 まるで遠足に行くかのような調子で鬼島警部が準備していると、大倉刑事は顔色を悪くして口を開いた。


「そ、その遺体……凄惨な状態なのでありましょうか?」


 グロテスクなものや怪異に対しては、大倉刑事はまったく頼りにならないだろう。人間、得手不得手というものがあるから、仕方ないことなのだが……。


「大丈夫ですよ、大倉さん。もし辛ければ、解剖室の外で待っていればいいですから」

「押忍。そうさせてもらうであります、先輩……」


 鳴海刑事の優しい口調のおかげで、大倉刑事の顔色に幾分か生気が戻ったような気がした。

 そして、我々はそのまま警視庁地下にある本部を後にして大倉刑事の車で病院へ向かう。


                     ※


 病院の広い駐車場に車を停めてロビーに入ると、そこには白衣姿の女性の姿があった。


「来たわね、みんな」


 彼女は我々を見つけるなり、微笑を浮かべて近づいてきた。

 身長百八十センチ程で、肩までの栗色の髪を伸ばしており、一見すると二十代前半にも見える容姿をしている。だがしかし、この年齢不詳さ加減が彼女をただものでない印象を与えてくるのだ。

 これがアメリカ帰りの元陸軍軍医にして現解剖医のアシュリン・クロフォードであった。


「早速だけど、現場へ案内するわ」

「押忍っ! よろしくお願いしますっ!!」


 本部での様子が嘘だったかのように元気よく返事をする大倉刑事を見て、私達は苦笑いを浮かべた。


「相変わらず威勢だけはいいな、お前は……」

「お、押忍、面目ないであります……」


 大倉刑事が涙目になりながら訴えている中、我々はアシュリンの後についていった。

 彼女の先導によって向かった先は、病院の地下にあった。

 しばらくリノリウムの廊下を進んで突き当り近くの扉を開けて中に入ると、そこは霊安室となっていて、床には真っ赤な絨毯が敷かれており、壁には十字架の絵が描かれている。また、部屋の中央には大きな台が置かれていて、その上は白い布で覆われていた。

 アシュリンはその台の前に立つと、両手を合わせて祈りを捧げ始めた。


「我らが主の御名において、御許に立ち給うわれます我らの父なる神よ……。

 畏れ多くもここに、汝が忠実なしもべたる聖骸を顕し給え。

 汝がその血肉より分ちてたる、我が神の子を、今こそ再び我の元へ返し給わんことを」


 彼女が英語で祈りの言葉を唱え終えると、我々もその動作を真似するように両手を合わせた。

 祈りを終えた我々は、改めてその台の上に横たわる遺体を見つめた。

 台の上に置かれている白い布に覆われた物体の正体は、既に予想がついていた。


「……だと思ったぜ」


 鬼島警部が小さく呟いた後、彼女はその物体の覆いを取り払った。

 現れたのは、生前は美男子だったであろう青年の遺体だった。だが、彼の顔色は青白くなっており、まるで死人のようだ。

 首元に巻かれた包帯の下からは、赤い筋が何本も見え隠れしており、彼が何者かの手によって首を絞められたことが一目瞭然となっていた。


「見ての通り、この遺体は何者かの手によって首を絞められて殺された」


 私はアシュリンに、これが私達に見せたかった遺体かと質問したが、彼女は首を横に振った。


「いや、これじゃない。こっちだ」


 そう言って彼女は霊安室を後にして、隣の部屋に入っていった。私達も続けて入室すると、そこは死体安置所だった。

 アシュリンはその部屋の壁に備え付けられた冷蔵コンテナの内、三つを取り出した。

 中から出てきたのは当然三つの遺体で、それぞれ中年の男性と女性、そして若い女性だった。


「さっきの遺体の青年とこちらの男性と女性は家族のようでな。夫である男性名義の家の中で遺体が発見されたらしい。ところが……」


 そう言って、アシュリンは若い女性を指差す。


「こっちの女性は、まるで何もない」

「と、言いますと?」


 大倉刑事がわりと平気な調子で問いかけると、アシュリンは三つ指を立てて説明した。


「まず、身元に繋がるようなものを所持していない。そして、死因が不明だ。まぁ、これはおいおい調べていくとして……最後に、この遺体が見つかった場所が、家族の遺体があった一軒家の軒下の地中という点だ」

「えっ!?」

「ってことは……家族の全員か、もしくは誰かがこの女性をヤッちまったってことか?」

「今のところは何とも言えない。たんに不可思議だという以外にはな」


 そう言ってアシュリンは、作業台に置かれていた数冊のファイルを私に手渡してきた。


「遺体に関する報告書だ。現場に着くまでに読んでおくといい。住所もその報告書に記載されている。捜査がひと段落したら、もう一度こちらに戻ってきてくれ。遺体の解剖に付き合ってもらう」


 私はその言葉に了承の返事をして、再び気分が悪くなった様子の大倉刑事達を伴って地下を後にした。

 病院のロビーまで戻ると、先ほどまで感じていた地下の静謐せいひつな空間とは違ってそれなりの喧騒けんそうに包まれる。しかし、その空間の中心に見慣れた姿を目にした。本郷警部だ。

 彼はこちらに気が付くと、『よぉ』と言って片手をあげて近づいてきた。


「奇遇だな。お前らも事件を追ってるのか?」


 私はその言葉に対して頷いて見せた。


「……もしかして、一軒家から見つかった変死体の件か? 一家三人が死んだ事件の……」

「ど、どうしてそのことをっ!?」

「当たり前だろ? 俺達は捜査一課だぜ? このヤマに最初に手を付けたのは俺達なんだ。けど、お前らももう知ってるだろうが、色々と奇妙な状況でな。そんなわけで、アシュリン先生と相談した結果、お前らも捜査に加わってもらおうと思ってよ」

「そんなに難しいヤマか? 確かに奇妙だがよ……一家三人が殺されたってんなら、何かしら手掛かりくらいは掴んでるだろ?」


 鬼島警部は本郷警部達の手の内を探るように質問するが、当の本人は肩をすくめて数枚の紙を手渡してきた。


「ちょうど、警視庁の方で資料の方が出来上がってな。これはそのコピーだ。役立ててくれや」

「ふ~ん、ま、もらっとくぜ」


 鬼島警部がそう言って資料を受け取ると、本郷警部達はその場を後にする。


「どこへ行くでありますか?」

「捜査の続きだよ。お前らにはちゃんと資料を渡したからな。元々ここ来たのはそのためだしよ」


 そう言って、本郷警部達は病院のロビーから出ていってしまった。

 後に残った我々も、とりあえず事件のあった現場を捜査するべきだろう……私はその考えをみんなに伝えて、駐車場に停めてあった車に乗り込んだ。

 そのまま、車はアシュリンから渡された資料に記載されている住所を目指して走り始めた。今のうちに、アシュリンと本郷警部から手渡された資料に目を通しておくべきだろう。

 私はアシュリンから手渡された資料をカバンから取り出しつつ、鬼島警部に本郷警部から渡された資料について説明してほしいと言った。


「ん? ああ、そうだな。え~と」


 そう言って彼女はリュックから資料を取り出してページをめくる。


「今回の事件の被害者は、東京都○○市○○に住む中島家だな。家族構成は夫の中島健太、妻の中島裕子、長男の翔太だ。

 どうやら、一課は現場の捜索と周辺住民の聞き込みは終わっているらしい。まず、第一発見者は夫の中島健太が勤める会社の同僚だそうだ。

 中島健太が会社を無断欠勤していることを気にして、昼休みの間に家まで様子を見に来たらしい。玄関の呼び鈴を鳴らしても応答はなく、ドアには鍵がかかっていた。仕方なく庭の方に出て窓から中を覗くと、リビングに中島健太、和室にはあの若い女が倒れていたそうだ」

「その時には、もう二人とも亡くなっていたのでしょうか?」

「う~ん、資料によると、同僚は窓が付いている引き戸を開けようとしてもビクともしなかったから、警察に連絡したんだと。その後数分間は家の前でジッと待機してたんだが、怪しい人影なんかは見かけなかったらしい」


 そう言って鬼島警部は、再びページをめくった。


「警察が来て家の中に突入すると、玄関付近に長男の中島翔太が倒れていたそうだ。それで、そのまま一階を捜索したら、リビングに中島健太、和室に若い女性、台所には妻の中島裕子が倒れていたらしい。念のために二階も捜索したそうなんだが、各部屋には異常はなかったが、屋根裏部屋続く階段が開いていたそうだ」

「屋根裏部屋、ですか?」

「ああ。でも、屋根裏部屋を調べても特に何もなかったそうだ」


 私は鬼島警部に、若い女性について質問した。


「あー、この女が発見された和室は、畳と暖房設備、板なんかが外されていたらしい。ちょうど女性一人分が通れるぐらいの大きさでな。それで、近くにはハンマーやショベルなんかの工具が置いてあったんだと」

「埋められていたのを掘り返したんでしょうか? それとも、埋めようとしている最中に亡くなった?」

「さぁな。そこら辺の事は記載がねぇな。後はお決まりな感じだ。家族の関係先、近所住人への聞き込みの結果、被害者達には人から恨まれるような接点はなかったってよ」


 平凡な家族が、一夜にして全滅……しかも、動機や原因は不明……確かに、難解な事件だ。

 私は自分が持っている資料に目を向けた。そこには、検視官による報告書が主だった。

 まず、一家の死亡推定時刻は午後十一時から翌朝午前五時までの間で、中島健太の死因は手足や関節の複合骨折によるショック死、中島裕子の死因は気道熱傷または肺熱傷、中島翔太の死因は首を絞められたことによる窒息死とのこと。若い女性については、死亡推定時刻は数日前、死因は不明と記載されていた。

 私は、その内容をみんなに伝えた。


「むぅ……自分が見た限り、息子さんの死因は確かにそうかもしれんが、ご夫妻の死因についてはよくわからんな」

「確かにそうですね。見た感じでは、それほど外傷なんかはなかったですし」

「それに、若い女にいたっては死亡推定時刻が数日前なのにも関わらず、死因は不明ときやがった。アタシが見た感じ、あれはついさっき殺されたって感じの遺体だったぜ?」

「それは……う~ん……」


……確かに、私達が観察した遺体とこの報告書に記載されている内容には、明らかに齟齬そごがある。だが、その原因が現時点で分かるはずもなく、私達は事件が起きた一軒家にたどり着いてしまった。


「お、ここか?」

「どうやらそのようでありますね」


 車のナビから聞こえてくる音声を聞いて、大倉刑事が頷く。

 私達は車を降りて、大倉刑事が車を道路の端に停める間に家の外観を観察したが、これといって不審な点は見つからなかった。

 車を停めてやってきた大倉刑事を先頭にして、我々は数段ある階段を上って玄関に貼られている規制線のテープを破り、玄関の扉を開けた。

 本郷警部達が気を回してくれたのか、扉は難なく開き、私達はそのまま家の中に入る。

 家の中に入ると、中から線香と消毒液の臭いが漂ってきた。玄関から入ってすぐ左側に二階へと続く階段があり、右側の奥の方には和室らしき襖が三つほど並んでいた。洋風な外観とは異なって、内部はかなり和式のようだ。

 室内に上がり、廊下を挟んで右側には風呂場とトイレが並んでいるが特に変わった様子はない。廊下を挟んだ左側の空き部屋も見てみたが、こちらも同様であった。


「よし、各自持ち場の捜索を開始するぞ。くれぐれも勝手な真似はするんじゃねぇぞっ!」


……上司である私を差し置いて、鬼島警部は指示を出す。まぁ……とにかく彼女の号令を合図にして、私達はそれぞれの担当区域に向かって歩き出した。

 最初に向かったのは二階にある和室の一つだ。階段を上りながら、大倉刑事が声をかけてきた。


「しかし驚いたな。お前やアシュリン先生の話だと殺人事件だと思ったんだが、現場に争った跡が全然ない」


 私はその言葉に肯定の返事をした。本郷警部から手渡された資料によれば、現場となった室内には血の跡が残っていたが、遺体の周りには争った形跡が見当たらなかったそうだ。

 私が病院の霊安室や死体安置所でそれぞれの遺体を見た時もそうだったが、遺体の状態は綺麗なもので、顔なんかは特に傷ついてはいなかった。まるで……何かの事故にでもあったような感じだ。

 ただ、その状況にあって唯一長男だけは、何者かに加害された事実がある……この点は、今後の捜査の役に立つかもしれない。覚えておこう。

 そのようなことを考えながら、二つあるうちの奥の部屋に入ると、そこには一枚の布団が敷かれていた。その周りには座椅子や小さなテーブルなどが置かれており、ここで誰かが就寝しようとしていたことを物語っていた。

そのまま大倉刑事と共に室内を見渡したが、目立ったものは何もなかった。ふと窓に視線を向けるとカーテンが引かれていて外の様子が分からない。窓に近づいて隙間から外の様子を覗いてみたが、特に目新しいものは見つからず、私は早々に窓から離れた。

――しかし、不意にある場所が気になり、私は何となく後ろを振り向いたが……その時である。部屋の隅に置かれた箪笥たんすの上に飾られている置物を見て、私は息を飲んだ。


「おい、神牙。何かあった……なっ!? おいっ! 大丈夫かっ!?」


――ふらつく私の身体を、大倉刑事の野太い腕がガシッと支える……彼の慌てる声で私は我に帰った。彼は私に対して心配そうな表情を浮かべている。

 私はなんとか自力で立つと、彼に感謝の言葉を述べた。


「それはいい。一体どうしたんだ?」


 大倉刑事にそう聞かれて、私はある空間を指差す。私が指差す方向に、大倉刑事も視線を移す。

 私と同様に、彼の瞳にもあの模様が映ったはずだ。だが、私のそれとは違って、彼は目を細め眉間にシワを寄せた。

……その模様は『九谷焼』と呼ばれるもので、その中でも有名なのが『大菊牡丹紋だいきくぼたんもん』と呼ばれる柄の一つである。大菊牡丹紋とは文字通り『大輪の百花を背負う大きな一華を背中一面に大きく咲かせた柄』のことである。だが、その絵の構図には問題があった。


「なんだこれは……まるで……子供を……喰らっているようにしか見えんな」


 大倉刑事の言う通り、その置き物に描かれている大菊牡丹紋の中央には、人間を噛み千切っているかの如く巨大な花弁が描かれているのである。

 その様子はまさに……人間の腹から出てきた花びらのようだ。いや、その表現すら生ぬるい……。

 何故ならこの絵に描かれた巨大な花びらは……本当に生きているのだ。それも……ただの生物ではなく、人間の子供の姿をした生物だ。

 私は恐る恐るそれに近寄ると、そっと手を伸ばしてその頬に触れた……ひんやりとした肌の温度が伝わる……。

……生きている……確かに今ここに、存在している――そう思うと、途端に吐き気が襲ってきた。慌てて口を塞いで嘔吐を堪えるが、それでも喉の奥から込み上げてくるものを我慢できず、口内に胃液を撒き散らしてしまった。

 その様子を見て、大倉刑事が声をかけてきた。


「まさか神牙、お前もアレが見えるのかっ!?」


――大倉刑事の問いに、私は静かに首を縦に振る。すると大倉刑事は、今度は小刻みに震え始めた……私だって信じられないが、この光景が見えているのは、恐らく私だけではないだろう。


「な、なんという禍々しい姿……こんな恐ろしいものを一体誰が描いたと言うんだ……!」


……答えられるわけがない。こんな馬鹿げた話をしても無駄だ……そもそも、私は誰とも共有するつもりはないが……。

 私は何とか心を落ち着かせると、大倉刑事に向かって私と同じ光景を目にしているかと訊ねた。

 その言葉を聞いて、大倉刑事は目を白黒させる。そしてすぐに返事をした。


「ああ……お前と同じものが、自分には見える。子供を喰らっている花弁の絵だろう?

 それは見えるのだが、それが一体何を表しているものなのかは……まったくわからん……」


 どうやら、大倉刑事にも同様の現象が起きている……その事実が分かっただけで収穫だ。私は大倉刑事に向かって部屋を出ようと言って、足早に部屋を出た。これ以上あの部屋にいると頭がおかしくなりそうだ。

 次に私が向かったのは二階の奥にある複数の部屋のうちの一つで、そこは物置になっていた。扉は開いていて、中に入るのは容易だったが……部屋の片隅に見慣れないものを見つけた。

 私はしゃがみ込んで、それを間近で確認してみる。その瞬間、全身に鳥肌が立った……それは大量の紙だった。床にはそれらが無造作に積まれていてる。

 何故、こんなところに?――ふと気になった私は、その一枚を手に取ってみることにした。

 まず目に付いたのが新聞の文字である。そこには日付が書かれている。私は日付を見て驚いた……今日のものだったからだ。

 それだけじゃない……日付が書いてあるのはまだいいが、その横に書かれていた年号を見た時、私は戦慄を覚えた……大正十一年のものである。

 更に私は気になって、それらの紙の内容を見て回ろうとした……だが、その時だった。


『見つけた』


――背後から突然声をかけられ、心臓が大きく脈打った――私は反射的に振り向いて後退りをする……そこにいたのは大倉刑事だった。

 彼は私を見るなり、『どうした?』と聞いてきた……当然の反応だろう。今の私の様子を見たら、普通は何があったと思う。だが私は何も答えることができなかった。ただ口をパクパクさせながら、彼の顔をじっと見つめることしかできない。

 すると大倉刑事は眉間にシワを寄せて怪訝けげんな表情を見せると、私の元までやってきた……そのまま腕を掴むと私のことを引っ張り上げる……私はそのまま引きずられるように歩き出すが、私の目線には未だに先程の紙達が入り込んでいる。

 それを見て、思わず『離してくれっ!』と言ってしまった……大倉刑事はその言葉を聞くと足を止めたが、掴んでいる手の力は緩めなかった。そして私の顔を見るとこう言ってきた。


「神牙、一体どうしたって言うんだ?」


……そんなこと、私にも分からない……言えるわけがない……。

 私は黙っていると、大倉刑事の方から手を離してくれた。

 私はその場にうずくまって嘔吐を堪えた。口内には吐き戻してしまった唾液の味が残っている。

 しばらくくの間、私はその場で荒い呼吸を繰り返していた。

 その間に大倉刑事の気配が遠ざかるのを感じる……彼が私から離れてくれたことに安堵している自分がいる反面、何処か不安に思ってしまう自分もいる。

 このまま大倉刑事と離れてしまうと二度と会うことができないのではないか?……そう考える度に胸が苦しくなってくる……早く……行かないと……。


「――どこに行くつもりなんだ?」


……私はその声でハッと我に返った。顔を上げて声の主を探すと、いつの間にかすぐ近くにまで大倉刑事が近づいて来ていた――さっきよりも距離が近い――私は驚いてその場を立ち上がる。そしてすぐに『外の空気を吸ってくる』とだけ言った。

――私は大倉刑事の目を見ずに部屋を出る……大倉刑事も何も言わずに私を見送ったようだ。

 未だ一階を捜索している鳴海刑事達を尻目に玄関から外に出ると、だいぶ時間が過ぎたようで、空は夕焼け模様だった。

 私は家の壁に沿って歩いて行きながら……あの花のことを思い出す。

……やはり恐ろしい絵だと思った。だが……あの絵を描いた人間も、恐らくこんな風に恐ろしいと思っていたに違いない。

 私はそう思いつつ、目を閉じた……次に目を開いた時、私の目の前には見覚えのある風景が広がっていた。

――ここは……そう、例の絵の中だ。


「師長……」


……後ろを振り返ると、そこに居たのは和装の女性……そう……あの女である。


「あなたはまだ、あんな恐ろしい世界に身を置いているのですね」


……その言葉を聞いても、私にはなんら反論の言葉も浮かばなかった。


「母を殺しておいて……よくも抜け抜けと……」


 続いて聞こえてくるのは恨み節……無駄だと思うが、私は彼女にここはお前が作り出した空間かと訊ねた。


「いいえ。この空間はあの絵を描いた人物が作り上げた世界です。私とあなたはただの来訪者に過ぎません」


 首を横に振りながらそう答えると、彼女はニコッと笑みを浮かべて言葉を続けた。


「まぁ、今日のところはこの辺で……この空間の主も、あなたに用があるようですしね」


――そう言って、彼女の姿は黒いもやに包まれて消え去ってしまう。

 そして、ふと振り返ると、そこにはカチューシャが着ているような洋風のドレスを身にまとった白人女性が立っていた。その顔は、病院で見た若い白人女性に酷似している。


「貴方は私が描いた絵が見えるみたいね……」


――彼女の言葉で確信を得た私は、深く息を吐き出す。

 そして、その言葉に肯定の返事をして、同僚である大倉刑事も見えているようだと伝えた。


「確かにそうみたい。でも、彼にはあの絵が単におどろおどろしい絵にしか感じられていないでしょう。あの絵の本当の意味、価値……それを知っているのは、この場ではあなただけね」


 私は彼女に、家族を殺したのはあなたかと質問した。


「ええ」


――なぜ?……そう問いかけると、女性はニコッと笑った。


「今となっては、それが私の存在理由だから……あの絵には、私の魂が宿っている。それも、特に強力にね。海を渡ってあの家に来て……そして、彼らは死んだ」


 淡々とした様子で語る女性に対して、私は続いてあなたは何者かと問いかけた。

……女性はその言葉を聞いて、少し間をおいて口を開いた。


「私は、呪い……そして、あの絵に命を与えた張本人でもあり、同時に絵の中の世界を作り上げて支配できる存在……」


……そういうことか。どうやら、この空間はあの絵を触媒として顕現けんげんしているらしい。


「……私は……私が生きている限り、永遠にこの世界は消えない。消すつもりもない。私の大切な人が……今もこの世で生き続けているから…だから消すわけにはいかない……いつの日か、再開するまで…何としてでもこの世に繋ぎ止めなければ……」


 彼女はそこで一旦話を止める。すると彼女はゆっくりとこちらに向かって歩き始めた。

 一歩、また一歩と……その足取りに迷いはない。私は慌てて後ろに下がろうとする。だが、どういうわけか足が動かなかった――まるで何かの力で足を止められてしまったかのように……。


「……あなたは厄介な存在みたいね。興味深いわ」


――彼女は微笑む。……だが目は笑っていない。

 彼女は私の傍までやってくる。そして耳元で囁いた……聞きたくない言葉を……。


「――貴方だって、同じような存在でしょうに……」


――私の脳裏にその言葉が深く突き刺さった瞬間……私の視界は一瞬にして暗闇に覆われた……。


                       ※


 私が次に目を覚ますと、そこは現実に戻っていた。

 私は上半身を起こして辺りを見回す。すると……大倉刑事が私のことをじっと見つめていた。その表情は険しい。

 私は彼に声をかけようとしたが……すぐに止めた……理由は分からない。

……だが……今は、そんなことを気にかける必要はないと思った。それよりも大事なことがあったからだ。

……先程見た光景……あの女性が口にしていたことの意味を考えると……恐らく……。

 もし私の考えている通りだとしたら、あの絵は私にとって数少ない弱点になるだろう。その事実は、今後の捜査であの絵やそれを創作した例の女性が、私にとって著しい障害になる可能性を示唆しさしていた。そうなると、この事件の捜査は必然的に大倉刑事達三人に負担が集中することになる……それは不安だった。

 とにかく、今回の事件の原因はあの女性にあるようだ。怪異が絡む以上……一度、『その者』と相談する必要があるかもしれない。


「……神牙、大丈夫なのか?」


……私はまだ頭を抑えていた……それに気づいたのか、大倉刑事は私の方へ駆け寄ってくる。そして私のことを心配そうな表情を浮かべて見ていた……私はそんな彼の目を見ながら『大丈夫』とだけ伝えた。


「そうか……余計なお世話かもしれないが、貴様、あの絵を見てからずいぶんと弱くなったように見えるぞ?」


 私はその言葉に怒るわけでもなく、ニコッとほほ笑んで『確かに』と言った。


「確かにって……まぁいい。この後はどうする?」


 私はそこで、まず鳴海刑事と鬼島警部に二階にある絵を捜査用のタブレットで写真撮影することと、大倉刑事には念のために周辺住民に家族の事について簡単に聞き込みをしてほしいと伝えた。


「うむ、分かった」


 そう言って大倉刑事は、いまだ鳴海刑事達が捜索を続けている家宅に戻っていった。

 今のうちに、私は専用タブレットを取り出して『その者』と連絡を取る。


『なんだ?』

『今、何が起きているか知っているか?』

『警視庁を出たのは知っている』

『今、知人からの要請である事件の捜査をしているが、かなり厄介な案件だ』

『怪異絡みか?』


 そのメッセージは間髪入れずに返信された。


『ああ。それもかなり強力だ』

『何か必要なものは?』

『しいて言うならば、これからそれらを専門としている知人に協力要請するつもりだ』

『分かった。ただ、理解していると思うが、その知人には我々の事は伏せてほしい』

『分かっている。それでは』


 やり取りを終えてタブレットをしまい、私は再び被害者達の自宅の前まで戻ると、その場でしばらく待機した。調子を整えるという名目だが、実際はあの絵がある場所にはなるべく近づきたくないというのが本音だった。

 大倉刑事はすでに近所で聞き込みをしているのか、いつまで経っても戻ってこない。代わりに、少し経ってから家の玄関から姿を現したのは鳴海刑事と鬼島警部だった。


「よぅ」


 鬼島警部はタブレットを取り出した。


「大倉に言われて、絵の写真を撮ってきたぜ。これでいいのか?」


 恐る恐る鬼島警部が差し出すタブレットの画面を見ると、そこには確かにあのおどろおどろしい絵が映っていた。だが、実際に見た時とは違って特に気分が悪くなるようなことはない。どうやら、あの絵は実際にこの目で見ないと効果を発揮しないようだ。

 私が鬼島警部に問題ないと伝えると、鳴海刑事が口を開いた。


「ところで、大倉さんが出ていったと思うんですけど、彼は何をしているんですか?」


 私は鳴海刑事の問いに周辺住民への聞き込みと答えると、タイミングよく大倉刑事が戻ってきた。


「よぅ、どうだった?」


 鬼島警部が問いかけると、大倉刑事はビシッと敬礼して返答する。


「押忍。それが、捜査一課が渡してくれた資料と同じような返答ばかりでして……事件に繋がるような証言は得られなかったであります」

「まぁ、しょうがないですね。手掛かりがあれば、今の本郷警部なら教えてくれるでしょうし」

「違いねぇ。それで、これからどうするんだ?」


 鬼島警部がそう聞いてくるので、私は迷わずカチューシャに会いに行くと伝えた。

 その言葉を聞いた瞬間、全員の顔が強張ったことは想像にかたくない。

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