奪子 ~血~
翌朝――目が覚めた時には、部屋に備え付けられた時計の針はすでに正午を指していた。昨晩、遅くまで起きていたため、まだ少し頭がボーっとしている。
私は欠伸をしながら立ち上がると、一階の洗面所に向かった。冷たい水で顔を洗い、ついでに歯磨きをする。そして身支度を整えると部屋を出て、そのまま真っ直ぐに台所へと向かった。
そこには鬼島警部がいたのだが、彼女は私にこれ見よがしに不機嫌な視線を向けてくる。
私は軽く会釈をして挨拶をした。すると、彼女はさらに顔をしかめる。
「……重役出勤ってか?」
……私は一瞬固まったが、すぐに事情を説明する。すると、鬼島警部は興味なさそうに「ふんっ」と言った。
「まぁ、別にどうだっていいけどよ……」
それから、彼女は私に向かって指をさす。
「それより、ちょっと話がある。こっちに来い」
そう言って、彼女は私を手招きした。何事だろうと首を傾げながら、私は彼女に近寄る。そして、言われた通りに隣に立った。
しかし、彼女はそれを確認するとさっさと歩き出し、廊下の方に出て行ってしまう。私も慌ててそれに続いた。
彼女はスタスタと歩くと、勝手口の前まで来て立ち止まった。彼女は私の方を振り返ると、「ついてこい」と言ってまた歩き出す。私はその後を追った。
彼女が向かった先は――昨日も来たばかりの蔵だった……彼女は戸を開けると、中に入るように促す。私が素直に従うと、彼女も後に続く。
蔵の中には、たくさんの荷物が置かれていた。
「……今日、朝メシ食った後にこの蔵をちょっとだけ調べてみたんだけどよ……」
鬼島警部はそう言いながら、雑多に置かれた荷物の中から一つの木箱を取り出し、またその中から小さな瓶を取り出した。瓶の中は真紅の液体で満たされている。
彼女はその小瓶を開けて傍に置いてあった新聞紙の上に傾ける。その途端、どろりと粘度の高い液体が新聞紙の上に広がった。
「見ての通りだ」
彼女は新聞紙を自分の顔の前に持って行くと、鼻先に持っていく。そして、匂いを嗅いだ。
「どう思う?」
彼女は私に意見を求めてきた。
その液体はとても鮮やかな赤だったが、同時にどことなく不気味な色にも見える。
不穏に思いながらも、私も鬼島警部と同じように液体に顔を近づけて色々と五感をフル活用してみるが……これは…もしかしたら……。
「……やっぱり、アンタもそう思うか…」
『血』……私の口からその言葉が出ると、鬼島警部はため息交じりに言った。彼女は話を続ける。
「ただ、アタシが気になってるのは血の鮮度だ。普通、血ってのはいくら密閉しても多少は凝固する。なのに、この液体は見た通りそれほど厳重じゃないやり方で保管されてたのに、こうして状態のいい――まるで採取したばっかりみたいに鮮度がいい……」
そこまで言って、鬼島警部は一息ついた。
「なぁ、神牙……この事件を知らせてきたのが、あの鬼の姉妹だから余計そんな気がするんだけどさ…」
彼女は瓶を掲げて言った。
「この血……もしかして鬼の血じゃねぇのか?」
鬼島の問いに、私は答えなかった。
「……どうなんだ? おい!」
しかし、鬼島は詰め寄るように声を荒げる――私は無言のまま、その瓶を手に取った。そして、それを眺めながら考える。
確かに、彼女の言う通りこの血液が鬼のものである可能性は高いだろう。この液体に起きている現象が、それを裏付けている。だが、仮にそうだとして一体誰がこんなことを?……わざわざ血を抜いて、保存して…まさか、誰かの殺害現場から持ってきたわけでもないだろう。
「……やっぱり、そうなんじゃねぇか?」
鬼島警部は勝ち誇ったようにニヤリと笑みを浮かべると、私から小瓶を奪い取る。そして、そのまま蓋を外すと、瓶を傾けた。
だが、そこで予想外のことが起きた。なんと、小瓶から赤い液体が零れ落ちず、逆にどんどん中に吸い込まれていったのだ。鬼島警部は目を丸くして、小瓶を見つめる。
「……どういうことだっ!?」
彼女が驚きの声を上げている間も、小瓶には先程流した分の血も吸収されていった。そして、ついに満杯になったところで、ようやく止まる。
「……何だよ、コレ? 一体、どうなってんだ……?」
鬼島警部は混乱している様子で呟いた。私は彼女の手から小瓶を取り上げると、瓶の中に指を入れる。すると、中にあったはずの血が完全に消えてしまった。
私はその瓶をひっくり返すと、裏側を見る。すると、そこには小さな文字で何かが書かれていた。
『この血はまだ誰のものでもない』
私は思わず目を見開く。そして、もう一度表を返した――なぜか、そこにも同じ文章が書かれている。
「何だ、こりゃあ……?」
鬼島警部は眉間にしわを寄せながら私を見た。私は彼女に向かって首を横に振る……私だって、何がなんだか分からない。
「ったく……気味が悪いぜ」
鬼島警部は顔をしかめていた。
その時、蔵の入り口で物音が聞こえた。
「誰だっ!?」
咄嗟に私と鬼島警部が振り返ると、そこには昨日出会ったフードを被った女性が立っていた。
「あ、お前っ!」
鬼島警部はこれでもかと警戒心をむき出しにしているが、女性の方はそのようなことを気にも留めていないかのようにゆっくりと私達の方に近づき、私の手の中にある小瓶を取った。
私が事態の説明を求めると、女性はゆっくりとフードを取った。
「なっ!?」
――フードの下に隠れていた素顔を目の当たりにして、鬼島警部は絶句する。女性の正体は、鬼の姉妹の片割れである北沢千里こと寧々(ねね)だったのだ。
「……これは、私達にとって大事なものなの」
彼女はそれだけ言うと、周囲の空間が歪み始め、やがて彼女の姿は見当たらなくなる……どうやら、撤退したらしい。
「くそっ! 逃がしたか!」
鬼島警部は心底苛立ったようにそう吐き捨てた。
※
蔵から出た後、私達はビル一階にある居間で向かい合っていた。
「……」
「……」
互いに沈黙する。ちなみに、私達の両隣にはそれぞれ鳴海刑事と大倉刑事が正座で座っており、彼らには先程起きた事態は説明済みだ。
「それで……どうすんだ?」
鬼島警部は私に問いかけてきた。
私はとりあえず、先程起きたことは保留して、駐在所にいるであろう加山巡査と合流して本格的な捜査に取り掛かった方がいいと伝えた。
「……だな…」
鬼島警部もそうしようと思っていたのか、まだ昼頃なのにも関わらず疲れた様子でそう言った。
「アタシはもうちょっと休んでから行くよ……」
そう言うと、彼女は蔵に置かれていたソファに寝転がる。
「…どこか、具合が悪いのでありますか?」
寝転がる鬼島警部の隣で、大倉刑事が心配そうな面持ちで尋ねた。
「さすがに、日が高いうちからあんな経験をしたんじゃな。それに、昨日も言ったがこの村はホントに気分が悪いぜ」
……鬼島警部は、『絵の中にあるモノ』事件でも怪異に対してまともに起きていられないほど体調を崩していた。彼女は、そういったモノを引き寄せた挙句、影響をモロに受けやすい体質なのかもしれない。
私は彼女になるべく安静にしているように言って、ため息をついて居間から出て行った。
後ろに大倉刑事と鳴海刑事が付いてくる状態で廊下を歩きつつ、私は先程の蔵でのやり取りを振り返る。
結局のところ、今回の事件は鬼姉妹が絡んだものだったのだろうか……? だが、だとしたら寧々が言っていたあのメッセージが意味するものは何だ? 血はまだ誰のものでもない……それは一体どういうことなのか?
「っ!?」
――考え事をしていたせいか、私は足を踏み外してしまった。バランスを失って倒れそうになるところを、後ろから伸びて来た手が支えてくれる。
「大丈夫ですか?」
私を支えてくれたのは鳴海刑事だった。私は体勢を立て直してから彼に礼を言う。すると、背後にいた二人から安堵のため息が漏れた……そんなに私は頼りないように見えるのか? まあ、私も鬼島警部と同じで知らず知らずのうちに疲労がたまっていたのかもしれない。とにかく今は加山巡査と合流しよう。
私はその準備のために二階に上がった。すると、奥の方で何か物音が聞こえる。
(……)
私は立ち止まって耳を澄ませる――どうやら、音の発生源はこの部屋の中かららしい。私はドアノブに手をかけ、後方の二人に目配せするとゆっくりと扉を開いた……そして、中を見て思わず言葉を失う。
部屋の中央に置かれたテーブルの上には、大きな鍋が置かれており、その中には赤黒い液体が入っていた。私は恐る恐るその中身を覗き込む……そこには、先程見た小瓶に入っていたものと同様のものが浮かんでいた――いや、正確には全く同じものではない。なぜなら、そこには『血のように赤い錠剤』が混じっているからだ。
(……)
私は無言でそれを見つめ続けた。すると、背後から誰かに肩を叩かれる。振り返ると、そこに立っていたのは鳴海刑事だった。
「大丈夫ですか? それに、これ……」
彼は、テーブルに上に置かれた鍋とその中にあるものを見て、不思議そうに首を傾げている。
「むおっ!? こ、これはっ!?」
いつの間にか、大倉刑事も鳴海刑事と同じように鍋の中を見つめている。
……これは一体なんだ? なぜ、このようなものがあるのだ?
「……神牙さん。とりあえず、準備をしませんか? これはこのまま保管しておいて、後で調べてみましょう」
どことなく弱々しい声色の鳴海刑事の声を聞きながら、私は鍋に入った『真っ赤な錠剤』を眺め続けていた。
※
「お待たせしました!」
その後――体調が良くなった鬼島警部を連れて、我々は駐在所まで来ていたのだが、駐在所の奥にある居間で我々を出迎えてくれた加山巡査は、すこぶる元気な様子だった。
「おう、加山っ! 待ったぞ!」
鬼島警部はソファに腰かけながらそう言うと、彼の方を見る。
「すいません、少し手間取りまして……」
申し訳なさそうな表情を浮かべる加山巡査に、私は早速本題を切り出すことにした。
私は加山巡査に、私達がこの村での拠点にしているビルにある蔵の中で、妙なモノを見つけたと伝えた。
「妙なモノですか……?」
途端に眉間にシワを寄せる加山巡査に頷いて見せ、私は昼頃に起きた出来事について詳しく説明していく。それを聞いた加山巡査は、困惑のあまり眉根を寄せた。
「……蔵の中に、そのようなものがあったのですか?」
「ああ、間違いなくあった」
私の横から、鬼島警部は断言する。彼女は蔵に残されていたあのメッセージについても話したが、加山巡査は初耳といった様子だ。
「それで、蔵の中にあったというその奇妙な代物は、まだそこにあるのでしょうか?」
「いや、すでになくなっている」
「そうですか……」
加山巡査は残念そうに俯く。
「なあ、加山……蔵の中のあれは一体なんだったと思う?」
「……そうですね……」
鬼島警部の問いかけに、彼は腕を組んで考え込んでしまった。
「……もしかして、あの蔵には何か秘密があるのではないでしょうか?」
しばらく経ってから、彼はそんなことを言った。
「ほう、蔵の秘密か……どんなことだ?」
興味津々の鬼島警部に対し、加山巡査は困り顔で答える。
「いえ、それがよく分からないんですよ。ただ……さっきの話を聞いていると、まるでその血が事件に関係しているみたいじゃないですか」
「うーむ……確かに」
鬼島警部は納得したように何度も首肯すると、その鋭い眼光を鳴海刑事と大倉刑事に向けて口を開く。
「ところでよぉ、お前らはあの血についてどう思う?」
「さぁ…直接見てないので何とも……」
「自分も、先輩と同じ意見であります」
「だよなぁ……」
鳴海刑事達の答えが予想通りだったのか、鬼島警部は頭をボリボリと掻きながらボヤく。
私はこの話題についてはもう少し調査することを告げて話を打ち切ると、加山巡査の方を見た。彼は顎に手を当てたまま考え事をしていたが、やがて口を開く。
「そのような出来事があった以上、その蔵を調べる必要がありますね。もちろん、村の方々への聞き込みも重要ですが…」
私が同意すると、他のメンバー達も黙って首肯した。
そうと決まれば話は早い。私達は加山巡査を伴って駐在所を後にする……こんな田舎にも関わらず、加山巡査はまじめに不在の看板を駐在所の玄関口に掲げた。本来ならば、笑い話の類だろうが……今、この村で起きていることを考える限り、笑えるような状況ではない。
大倉刑事の車にすし詰め状態になって私達が最初に向かったのは、鬼島警部が調べていた例の蔵だった。
「じゃあ、開けるぜ」
鬼島警部はそう言うと、出かける時に掛けてきた蔵の鍵を開ける。扉を開いた途端、中から冷たい空気が流れ出てきた。私は思わず身震いしてしまう。
私は、皆にそれぞれ手分けして捜索することを伝えて蔵の調査に取り掛かった。蔵の中には様々なものが収められていたが、少しガラクタなどを取り除いていくとその中でも一際目立つものが存在していた。それは、木で作られた十字架のようなものだ。
その大きさは、大人一人分ほどはあるだろうか……? その表面は丁寧に磨き上げられており、鈍い光沢はどこか神秘的な雰囲気すら感じられる。
私は十字架を指差してメンバー達に感想を求めた。
「十字架ですね……普段なら特段気にするようなことはないですけど…こんな状況だと、少し不気味に感じます」
「まぁ、な…ひょっとして、実際に誰かがその十字架に磔にされてたりして…」
「そ、そんなっ!?――」
「冗談だ、落ち着けって。ま、気味が悪いのに変わりはないがな」
……なるほど。とにかく、私達はその後も蔵の中を念入りに捜索するが、特に目ぼしいものは見当たらなかった。
「……鬼島警部、何かありましたか?」
「いや、こっちは何もないな。加山はどうだ?」
「こちらも特段変わったことはありません」
加山巡査は蔵内の探索を終えると、私達に向き直った。
「蔵内に何か隠されている可能性は低いと思います。もしあるとすれば、床下とか壁の内側ではないでしょうか?」
私はその意見について、隠し扉のようなものかと尋ねた。
「いえ、そのような大掛かりなものではなくて、こう、なんというか小物が入るような窪みです」
私は彼に言葉に頷き、その意識を何かがありそうな床下や壁際に向けた。だが、そういったものよりも、蔵の隅に置かれている棚に目を留めた。そこには小さな箱が置かれているようだ。
私は蔵の入り口付近にある脚立を持ってきて棚から小さな箱を受け取り、それを近くにあるテーブルの上に置いた。
その箱は桐製だった。蓋には錠前が取り付けられていて、鍵がないと開かないようになっているらしい。
「なんだ? それがどうかしたのか?」
鬼島警部は、テーブルの上に置かれた箱に視線を向けながら言った。
「鍵がかかっているようですね。なんとかこの蔵から見つからないかなぁ……」
……鳴海刑事はそうボヤくが、心配ご無用だ。
私は軍用ジャケットのポケットから針金を取り出し、それを使って器用に錠前を解錠していく。その様子を見ていた鬼島警部が感心したように呟いた。
「へぇ、お前って手先が随分と器用なんだなぁ!」
「……そういう問題なのでありましょうか……」
彼女の後ろから、大倉刑事の声が聞こえる……鍵を開けるのに集中しているのでその顔は見えないが、かなりひどい表情を浮かべていることだけは間違いないだろう。
そうこうしているうちに、錠前から『ガチャッ』という音が聞こえてそれはテーブルの上に落ちた。
「お、開いたか?」
鬼島警部は、すぐに箱の中身を確認し始めた。彼女の横から箱の中身を覗くと、中に入っていたのは数枚の古びた紙切れだった。
「これは……?」
「……手紙のようだな」
鬼島警部はそう言うと、その古びた紙切れを広げる。そこに書かれていた文章は次のようなものだった。
『この手紙を読んでいるということは、この村で起こっている連続殺人事件について本腰を入れて捜査してくれていることでしょう。
あなた方のような聡明な方が、この村に居てくれたことを嬉しく思います。ですが、どうか落ち着いて最後まで読んで下さい。
まず最初に、この村では『鬼』が信仰されていますが、それは間違いです。あれは単なる迷信であり、実在するモノではありません。
また、この村は呪われているわけでもなければ、生贄を捧げるような儀式も存在しません。さらに言えば、この村で死んだ人間は存在しないのです。
すべては幻覚です。信じ難いかもしれませんが、これは真実なのです。
しかしながら、この村で起きている殺人は、決して自然現象によって引き起こされたものではなく、悪意のある人間の手によって起こされたのだと断言できます。
そう、この世界は狂っているのです。私はその事実に気付き、それを世間に訴えようとしました。しかし、その途中で私は捕まってしまい、こうして牢屋に閉じ込められてしまったのです。だから、私はこうやって外部の皆さんに助けを求めるしかありませんでした。
この手紙は、私の力によってあなたがこれを読む今の瞬間まで、隠してあったのです。あなたがこれを呼んでいるということは、あなたは間違いなく信頼できる方であると、私は信じています。
きっと、この手紙を読む頃には、私は既に死んでいるのでしょう。もしくは、この村に古くから伝わる伝承の通りに鬼と成り果てているか……。
先程、鬼は実在しないとしたためましたが、あれは半分は嘘であり、半分は本当のことです。この手紙にてそのことを説明するよりも、あなたがこのまま事件の真相に迫ってくれた方が、何倍もこの言葉を理解して下さるでしょう。
この手紙が、いつの時代のどなたの手に渡るかまではみえませんでしたが、どうぞお願いいたします。この村で起きている陰惨な事件に、終止符を打ってください』
「……どう思う?」
私が読み終える頃に、鬼島警部は加山巡査に向かって尋ねた。私と同じように手紙を呼んでいた彼は、眉間にしわを寄せながら考え事をしていたが、やがて口を開く。
「正直に言うと、意味が分かりませんな……ただ、これが本当だとしたら、この事件は解決できないのでは?」
「いや、そんなことはないさ。要するに、この事件を引き起こしている原因を突き止めれば良いんだからな」
「……はぁ…」
「ところで、お前はこの手紙に書かれていることが嘘だと思うか?」
「いえ、そうは思いません。むしろ、私は現実味があると思うであります」
「……そうか」
「はい。なぜなら、こんな奇妙な事件、他に考えられますでしょうか? いや、そりゃあ事件なら皆さんと他の場所で色々と解決してきましたが、これは……まるで夢の中にいるような気分でありますよ……」
加山巡査はそう言って苦笑した……私は手紙の内容と彼の態度を注意深く見守る。
「確かにな……」
昼の陽光が窓から入ってくる蔵の中で、鬼島警部の発したその言葉がやけにむなしく聞こえてしまった。
「あ、そういえば、他にも紙がありましたよね?」
「ああ、これだ」
そう言いながら、鬼島警部は手に持っていた紙切れを鳴海刑事に差し出した。そこには、次のように書かれていた。
『この村には恐ろしい伝説があります。
かつて、この村の人間たちは、互いに殺し合いを続けていました。原因は分かりません。そして、この村に住む大部分の人間が死に絶えてしまいました。
しかし、その後、生き残った村人の一人は、この村に再び生命が誕生し、繁栄することを願いました。そして、その想いが通じたのか、村には再び子供が生まれ始めました。
ところが、今度は大人になるまで成長しないのです。まるで、時間を遡るように……そして、この村では『鬼』が信仰されているのです。これは『鬼』の仕業なのでしょうか?』
「何だ……これは?」
鳴海刑事の横から、大倉刑事がそのように言った。加山巡査と鬼島警部も同じように見入っている。
「……他の紙切れも見てみようぜ」
鬼島警部の言葉を聞いた私達三人は、すぐに彼女が手に取っているものに視線を移した。すると、そこに書かれていた文字を見て、私達は絶句してしまう。そこには、次のような文章が綴られていたのだ。
『この村は呪われている。何故なら、この村は過去に一度滅んでしまったからだ。
そして、今は昔と違って、人々が殺し合うような時代ではない。それでも、人々は互いの憎しみを消すことができずにいる。
だから、この村は呪われている。そして、この村には殺人を犯しても裁かれぬ罪人が居る。その男は、自ら望んでこの村に来た。彼は自らの罪を償うために、村人たちを呪い続けている。だから、この村には殺人者が存在する。
その者は、己の欲望を満たすためだけに、村人を殺めている。
その者の名は『鬼』という。
その鬼の名は『黒江』という。
その鬼は、この村が生み出した『怪物』なのだ』
「……どういうことなんだろうな」
鬼島警部はそう言うと、紙切れから顔を上げて私達の方を見た。彼女は険しい表情を浮かべて腕組みをしている。箱を調べてみるが、どうやら他には何も入っていないらしい。
やがて、彼女は溜め息を吐いてから言った。
「……アタシが言えることがあるとすれば、この手紙を書いた奴は頭がイカれてる可能性があった、もしくはあるってことだな」
「そうでありますな」
加山巡査がそう言うと、鳴海刑事が首を傾げて尋ねる。
「しかし、どうしてこんな手紙を残したんですかね? それに、この『鬼』というのは一体……」
「それは分からねぇけど…とにかく、この手紙に書いてあることが本当だとしたら、この村で起きている殺人事件は、この村で生まれ育った人間によって引き起こされたものだということになるよな?
それじゃあ、この手紙の主は、自分が体験した出来事を小説にでもしたかったのかね?」
鬼島警部がそう言って苦笑したが、私は首を横に振った。
「なんだよ、神牙」
私は鬼島警部に対して、それだと手紙の内容がかなりおかしくなると伝えた。
「そりゃ、この手紙を書いた奴がイカレた奴で――」
私は鬼島警部の言葉を制して、先程の手紙の内容を思い出させる。
「それがどうした?」
手紙の内容を聞いても、鬼島警部はイラついた様子で尋ねてくるだけだった。
私はもう一つの可能性――他にも色々と気になる点はあるがひとまず置いておいて、この手紙を書いた人物は頭がおかしかった可能性もあるが、この村で起きたことを物語調にして表現しているのではないかということを伝えた。
「そりゃあ…そういうふうにも考えられるかもな。あ、そういえば……」
鬼島警部はそう言って、何かを思い出したかのようにテーブルの上に置いてある紙の束を漁り始める。
「お。これだ、これだ…」
「えっ! そ、それはいったい……」
鳴海刑事が尋ねようとする前に、鬼島警部は手に持っていた紙切れを私に差し出してきた。そこには次のような文章が書かれていた。
『鬼は人の皮を被った化け物。
鬼は人を殺すことに快楽を覚える異常者。
鬼は人を喰らう。
鬼は人と同じ姿をしているが、決して人間とは相容れない存在。
鬼は人間の血肉を好む。
鬼は人間よりも優れた肉体を持っている。
鬼は人間のように脆くはない。
鬼は人間より遥かに高い身体能力を有している。
鬼は人間以上の知能を有する。
鬼は常に飢えている。鬼は人間を食べなければ生きられない。
鬼は人間を殺し続ける。
鬼は人間を殺して回る。
鬼は人間を食らい尽くす。
鬼は人間の敵である。
鬼は人に仇なす存在である。
鬼は存在してはいけないもの。鬼は殺さなければならない。
鬼は黒江坂にあり』
「これは……?」
手紙を見つめていた鳴海刑事は首を傾げながら鬼島警部の顔を見つめたが、彼女は私達の疑問に答えることなく話を続ける。
「この文章の意味することは、この村に『鬼』と呼ばれる殺人狂が存在しているということだ。
そして、その『鬼』は村の人間を無差別に襲っているということを意味している。
そして、その『鬼』こそが今回の事件の真犯人であり、連続殺人事件の犯人でもあるわけだ。しかも、ご丁寧にこの『鬼』は『黒江坂』ってところにいるらしい」
「……それで、その『鬼』の本名が『黒江』ということなんですね?」
「かもな。この『鬼』が元々黒江という名前だったのか、それともいつしか黒江と呼ばれるようになったのか……それは分からねぇが、奴は今も黒江坂って場所にいるはずだ」
「なるほど…」
鳴海刑事はそう呟く。私も、鬼島警部の意見に賛成だ。
正直言って、手紙の内容はまったく意味不明だが、それでもまったく手がかりがないよりはマシだ。何より、あの寧々が私達の前に姿を見せたこの蔵から発見された物品だけに、余計に事件と関係があるように思えてしまう。
黒江坂という、おそらく地名と黒江という鬼の名前……偶然ではあるまい。それを調べることは、この事件を解決するうえでもっとも重要な部分のように思えた。
ふと横を見ると、加山巡査が額から脂汗を流して神妙な面持ちをしていた。大倉刑事も彼の異変に気付いたのか、がっしりとした肩にこれまたがっしりとした手をポンと置いて尋ねる。
「加山? どうかしたのか?」
大倉刑事の言葉を合図に、その場にいる全員の視線が加山巡査に集中する。
「あ、あの……」
だが、加山巡査は緊張した面持ちで上手く話せないようだ。
私が、深呼吸して落ち着くように言って、なんでもいいので気になることがあったら教えてほしいというと、彼はその言葉の通りに数回大きく息を吸って、ポツポツと話し始めた。
「じ、自分、黒江坂がどこにあるのか、知っているであります」
「なにっ!? それは本当かっ!?」
「お、押忍…!」
大倉刑事の気迫に気圧されながらも、加山巡査は話し続ける。
「黒江坂がある場所は……この村の、旧校舎の辺りです…」




