奪子 ~鬼からの招待状~
ある日……私の身に珍しい事態が発生した。
「どうしたんだ、神牙? あ?…手紙……?」
ソファに座る私の後ろから、聞きなれた女性の声が聞こえる。声の主は鬼島陽子警部…私の部下の一人だ。その彼女の声につられるようにして、他の二人の部下もゾロゾロと私の周囲に群がってくる。
「なんだ? 手紙とは古風な……」
鬼島警部の隣から、ニュッと姿を現す巨影――その正体は、同じく部下の大倉刑事だ。しかし、残念ながら彼は私のことを上司とは思ってはいないらしい。それでも、今は最低でも同僚と思ってもらえるだけマシだ。彼のおかげで何度、物理的なピンチから抜け出したことか……。
「珍しいですね……この部署、一応極秘扱いなんですよね?」
その大倉刑事の横から同じように身を乗り出すのは、同じく部下の鳴海刑事……頭脳明晰にしてその柔和な性格は、事件捜査でおおいに役立ってくれている。
そして彼が言ったこと…我々が所属しているこの部署――正式名はオモイカネ機関だが、正体を隠すための仮の名称は……忘れてしまったが、確か警視庁資料保管室とかそんな感じの名称だ。
ただ残念なことに、ここ最近の事件捜査において警視庁捜査一課と合同捜査を行う機会が増えたため、極秘部署とは言い難い。しかも、その捜査一課の者達からはこの部署は通称捜査五課と言われている始末である。
では、なぜそのような部署で私が手紙を持っていることが珍しいかと言うと、先程も言ったように我々が所属しているこの部署の特殊性にある。
この部署は、一応は警視庁の傘下組織として組織表に小さく名を連ねている。しかし、実際の業務は資料保管とは程遠い荒事ばかりだ。
それ以外は、実際に名称の通り資料の整理や保管に精を出すわけだが、このような部署にわざわざ手紙を送ってくる者は少ない……というか、ほとんどいない。
しかし現にこの部署の、しかも私宛てに手紙が届いている……鳴海刑事が珍しいと言って不思議がるのも無理はない。私自身、この手紙を受付で受け取った時点でそのような気分になっていた。さて、一体誰からの便りなのか…私は封筒の差出人を確認する。
(まさか……そんな……)
そこには、『宮川晴子』と書かれていた……意外な人物の名前が出てきたことに、私は思わず息をのむ。
確か……『静かなる殺意を助けた者』事件以来、彼女は妹の北沢千里と共に今現在も行方不明になっているはずだ。その彼女が、どうしてこんなものを?……私の後ろにいたメンバー達も、一斉に声を上げる。
「あの…差出人は、宮川晴子と書いてありますけど……」
「宮川晴子って、あの化け物のことだろ?」
「えぇ…おそらく……」
私の後ろで三人は、そのような会話を交わしていた。
私は封筒の中から一枚の手紙を取り出した。すると、鬼島警部が『お、手紙か?』と言って、私からその手紙を取り上げて音読する。
『拝啓、神牙へ
久しぶり。あんたが相変わらず元気だって風の噂ならぬ魑魅魍魎の噂で聞いたよ。まぁ、今となっては良かった。
実は、どうしても伝えたいことがあって、今回はあたしが筆を取った。用件についてだが、少し困った事態になっててね。
詳しくは話せないが、私達の住む世界とあんた達の住む世界は色々と違うだろ? そういう関係で、今回はあんたになんとかしてもらおうと思ってね。寧々(ねね)は不満だったが、この際仕方ない。
そういうわけで、来てほしい住所は同じ封筒の中に入ってるよ。もしこの手紙を不審に思うんなら、あんたのお仲間も連れてきな。
まぁ、ここまで手紙を読んでもらって悪いが、一応はあたし達だけでなんとかしてみようと思う。ただ、もしこの手紙をあんたが読んでいるということは、残念ながらあたし達はしくじったってことだろうね。ということで、今のあたし達には人間であるあんたの力が必要ってわけだ。よろしく頼むよ
敬具 』
……鬼島警部は手紙の内容をひとしきり読み終えると、私にその手紙を返した。
…手紙の内容を要約すると、どうやらあの鬼姉妹は何か困った事態に遭遇し、その解決を私に依頼してきたということだが……手紙にある通り、彼女達は少なくとも一度は自分達でその事態を解決しようとしたのだろう。
しかし、手紙の内容からして、問題は解決せずに私にその順番が回ってきたわけだ……率直に言って、これはかなり怪しい。そもそも、私は彼女達のことをよく知らない。
それでも……私の脳裏では、彼女達のことを心配している自分がいるのも間違いない事実だ。
「おい、神牙……お前、何を考えている?」
黙ってしまった私を見て不審に思ったのか、鬼島警部が問い詰めてくる――私は咄嗟になんでもないと言ったが、彼女には通じなかったようだ。
「嘘をつけっ! 絶対になんか企んでいるだろっ! クソッ、こんな手紙っ!」
彼女はそう言うと、私から手紙を奪い取り、そしてビリビリッと紙を引き裂いた。
そして、破り捨てられた手紙の残骸が宙を舞い、床にヒラリと落ちる――しかし、それは一瞬の出来事だった。
次の瞬間、手紙の切れ端はまるで意志を持つかのように動き出し、なんと私の足元までやってきた。
「な、なんだこれっ!?」
「ひぃいいいっ!!」
手紙の切れ端は、私や大倉刑事の足の周りをクルクルと回り始める。
「…こいつ、生きてんのか?……」
「うわああああっ!! 気持ち悪いでありますっ!!」
「あわわ……ど、どうすれば……」
我々の驚きなど無視するように、その切れ端は次第に形を変えていき――そして、一つの塊となった。
それは、山脈のような地形に細々と人工物が連なっているような地形と、その地形の名称と思われる文字が示されていた……住所とはこの事らしい。
「まさか……地図か?」
「……多分、そうだと思います」
鬼島警部が呟くと、鳴海刑事が答える。
鬼島警部は同時にその地図を覗き込むと、「この建物に行けってことか?」と私に訊ねた。
おそらく……宮川晴子こと奈々が言っていた住所とはこのことだろう。鬼である彼女ならば、鬼道の技を用いてこのような現象を起こすことなど造作もない。
私が頷くと、鬼島警部はもう一度地図に視線を落とす。
「……『赤嶺山』? 聞いたことのない地名だな……」
「確かに…僕も知らないです……」
鬼島警部に続いて、鳴海刑事も首を傾げる。
……ここであれこれ考えても仕方ない。とりあえず、私達は手紙にあった住所の場所に行くことにした……私達の想いが通じたのか、住所を示した紙くずは私達の前で砂のように静かに崩壊していった。
※
「……ここみたいだな」
山中にポツンと存在する建物の前で、鬼島警部は自らの気を引き締めるように言った。
我々があの手紙を読んでから数時間後……我々は準備を整えた後に大倉刑事の車に揺られて、奈々が書き記した赤嶺山なる山にたどり着いた。
そして、今はこの山中の集落――赤嶺村の中心部に来ている。
「ん?…なんでしょう、これ?」
ふと、鳴海刑事が目の前の建物を指差して言った。見てみると、建物の壁になんらかの呪印が刻まれていた。
私がそのことを話すと、鳴海刑事は露骨に眉間にシワを寄せる。
「……マズいものですか?」
私は彼のその問いに、分からないとだけ答えた。実際、この呪印からは悪意は感じられないが、用心に越したことはない。
そんな物騒なものが刻まれた建物は三階建てで、コンクリート造りだ。周囲には建物を囲うようにして木が植えられており、建物の脇には駐車場がある。入り口らしき扉が一つだけあるが、看板のようなものは見当たらない。
奈々からもたらされた手紙の住所は、ここを示していた。
私は意を決して中に入ると、そこは喫茶店かレストランを思わせる内装になっていた。カウンター席があり、テーブル席もある。壁際には観葉植物が置かれ、その向こう側にはガラス張りの部屋が見える。そこにはテレビが置いてあり、その横には本棚があった。あちらは単に生活空間になっているらしい。
「なんか……変な雰囲気の店でありますね」
「それに……静かすぎますよね?」
「……誰もいないな」
鬼島警部の言葉の通り、店内には人の気配が全く感じられない……その時だった。
「……いらっしゃいませ」
――不意に背後から声が聞こえた。振り向くと、そこには黒いローブを着た人物が立っていた。フードを被っており、顔はよく見えないが若い女性であることはわかる。
いったいどこから……周囲を見ると、私達が入ってきたドアのすぐ隣に、木製の扉が見えた。この店内の広さを見た限り、あの扉の向こうはスタッフルームか、店の奥に見える部屋へと繋がっている廊下だと思う。彼女はあの扉から現れたのだろう。
だが……その人物は右手を前に出すと、何か呪文を唱え始めた。
「え、なに?」
「なんだあれは……?」
彼女の手からは白い煙が噴き出していた――やがて、その煙の中から現れたのは、巨大な目玉だった。ギョロリとした瞳が私たちを見据えている。
「ぎゃあああっ!!」
「ひぃいっ!?」
「ちっ! バケモンかよっ!」
――私が思わず、持ってきていた拳銃に手を掛けた瞬間。
『…頑張って』
…耳元で……かすかに、そのような声が聞こえた。
「……え?」
「き、消えた…?」
ふと、そのような声が聞こえた時には、女性の姿はどこにもなかった。
「……夢でも見ていたのか?」
鬼島警部が言った。
「……ん? あれは……」
彼女は何かに気付いたらしく、店の奥へと消えていった……しばらくして戻ってきた彼女は、一枚の紙を持っていた。
「…なんですか、それ?」
「さぁな。たぶん、さっきの女が置いていったものだろうぜ」
鬼島警部が持っていたものは名刺サイズの小さなカードで、そこに書かれていたのは、この店の住所と電話番号だった。
「……この店、『辺獄』って言うらしいぜ。悪趣味だよな……あの女、いったい何者なんだ?」
「さぁ……? フードで顔をすっぽり覆っていましたから……」
「し、しかも、なにやら魔法めいたことまでしでかして、め、目玉が――」
「あー、お前はとにかく落ち着け」
巨体を小刻みに震わせる大倉刑事に対して、鬼島警部は慣れた調子でそう言った。
とりあえず、今はこの店を捜索してみよう。何か見つかるかもしれない。私はメンバー達にそう言って、手分けしてこの建物を捜索することにした。
「……しかしまあ、なんとも不気味な建物だな」
私達はその建物の中にいるのだが、二階へと続く階段を上りながら鬼島警部が言った。
確かにそうだ……窓の外にある風景は緑一色だし、建物の中も薄暗い……まるで、この世界に我々だけが取り残されてしまったような気分になる。
しかし……それにしては、この建物の中はかなり掃除が行き届いている。誰かが掃除しているのだろうか?
階段を上がると、大倉刑事と鳴海刑事に二階の捜索を命じて、私と鬼島警部はそのまま三階へ上がっていった。階段を上がりきると、私達の目の前には短いフローリングの廊下と二つの鉄製の扉が見えた。
「どうする、神牙? どっちから行く?」
私は鬼島警部の問いに、廊下の奥にある扉から捜索すると告げた。私の勘が正しければ、あの扉の向こうは屋上のはずだ。
そして、先頭を行く私が扉に手を掛けて開けると、案の定扉の向こうは屋上だった。
「おぉ、こりゃ爽快だなっ!」
屋上から見える山岳地帯の絶景や村々の様子を見て、鬼島警部は感嘆の声を漏らす。見てみると、この建物は村の中心部から若干外れており、なおかつ他にこれほどの高さの建物が見当たらないため、この辺り一帯を監視するにはうってつけの物件であった。
だが、屋上には景色以外は転落防止の鉄格子以外に目新しいものは見つからなかったため、私は鬼島警部を引き連れて次に手前の扉を捜索することにした。
「おう」
私の声に反応して、鬼島警部は屋上からさっさと室内に移動し、そのまま残りの扉に手を掛けて中に入った。
「……ん? なんだ、これ?」
先に部屋に入った鬼島警部が不思議そうな顔をしながら言った。続いて私も部屋の中に入ってみた――その時だった。
『よく来たね』
また、あの不思議な声が聞こえてきた。今度は、はっきりと聞こえる。
「あ?…おい、神牙……?」
※
――次の瞬間、私は突然意識を失ってしまった……気が付くと、私は真っ白な空間にいた。
「ようこそ、我が領域へ……」
背後から声を掛けられたので振り向くと、そこにはいつの間にか女性が立っていた。しかも、よく見知った顔だ。
「この領域にあんたを招くのは初めてだよね、神牙?」
宮川晴子こと奈々……これまで、幾人もの人間を不幸にしてきた鬼…そのような存在が今、私の目の前で不気味な笑みを浮かべている。しかも、およそ私の力が発揮しにくい空間で……。
私がどういうつもりなのか尋ねると、彼女は現代人らしく肩をすくめた。
「別に、ただ少し話したいことがあるだけさ。他意はないよ」
……その言葉を、どこまで信じていいものやら……私が脳裏で悩んでいる間も、彼女は話し続ける。
「ひとまずは、あたしがやった手紙を読んできてくれたこと、礼を言うよ。手紙でも書いたが、あたし達はしくじった。頼みの綱はあんた達だけってこと。
まぁ、何かと大変とは思うけど、よろしく頼むよ。あたしらが直接色々教えたんじゃ、頭がパンクしちまうだろうから、ヒントを小出しにしていく」
私は彼女に、それでは問題の解決が遠のくのではないかと質問した。
「まぁ、時間がかかるのは確かだね。でも、こっちの方があたしはあんたらが確実に事件を解決できると思ってるのさ」
…時間をかけてでも、確実に解決したい事件……それも気になるが、今はもう一つの疑問を解明すべきだろう。
私は彼女に、どうしてここに私を呼び寄せたのかと質問した。すると彼女は、変わらぬ調子で言った。
「まぁ、呼び出しといてなんだけどさ…ちょっと聞きたいことがあんだよ……どうしてあんた、あたし達に協力するんだい?」
……彼女からの意味深な質問に、私は逆に押し黙ってしまった。
鬼からの質問……生半可な気持ちと答えでは、かえって状況が悪化しそうな…そんな気がした。『あたし達』と言ったのは、おそらく彼女のみならず彼女の妹である北沢千里こと寧々の存在もあるからだろう。妹想いなこの鬼の質問には、嘘は通じなさそうだ。
私がそのように色々と考えを巡らせている間も、奈々は話し続ける。
「だって、そうだろう? あたし達に協力しなくても別にいいんだ。明確に事件って分かるならまだしも、あたしらとあんたらは相いれない存在……なのに、なぜわざわざここに来た?」
……自分達の方から呼びつけておいて、なぜそのような物言いをするのかと憤慨したくなるが、私はグッとこらえて考える……彼女達の手紙に呼応した理由、それは――。
「え……?」
奈々は私の言葉を聞いて、呆けた顔を見せる。だが、すぐにいつもの調子に戻った。
私が出した答え……それは、事件だ。少なくとも、彼女達が我々を呼び出し、なおかつ今彼女の口から出た事件という言葉は、私達が今ここにいる理由としてもっとも正当かつ我々の最大の存在意義だった。まだその内容は把握していないから何とも言えないが、事件が起きているのなら全力で解決しようとするのが私達オモイカネ機関の責務だ。
「ふぅん……」
奈々は、ただ意味深に笑うだけだった…私には、その仕草の意味が分からなかった。だが、やがて納得が言ったように頷くと、犬歯をむき出しにして笑った。
「いいね。あんた達とは色々あったけど…この際、共同戦線ってヤツだね」
そう言って、彼女は一転して真剣な表情を見せた。
「まず今の状況についてだけど、この村ではここ最近、ガキ共が何人も誘拐されてる。しかも、数日前にはこの村に住む一家が皆殺しにされた。で……あたしらはガキ共の誘拐に、あたしらと因縁の深いが鬼が関わっているんじゃねぇかと睨んでる。というか、ほぼ確信した。
ただ、こうしてあんた達に来てもらった通り、あたしらじゃどうにもならなかったわけだ。一家皆殺しの方は、正直見当もつかないね。ただ、調べてみる価値はあるんじゃないのかい? なんにもないかもしれないけどね。
ま、とりあえず、この村の駐在所と新旧二つの小学校を中心に捜査してみるといいよ。きっと損はないさね――」
奈々がそのように言った瞬間、彼女の身体は霧のように消え失せ、私は彼女に問いかける間もなく意識を失った。
「――っ! おいっ! 神牙っ!」
……意識が徐々にハッキリしていくにつれて、耳元の騒音は私にとって不快なものになっていく…目を開けると、鬼島警部が名前の通り鬼の形相で私を睨みつけていた……心なしか、両方の頬に痛みを感じる。
「お、やっと起きたか…」
彼女は、私が意識を取り戻したことに安堵したようで、そのまま床に座り込んだ。その周囲には、二階の捜索を命じたはずの鳴海刑事と大倉刑事の姿があった。
私が二人に、なぜここにいるのかと聞くと、二人は互いに見合った後に大倉刑事が口を開いた。
「お前が倒れたと警部が叫んでいたので、慌ててやって来たのだ。大丈夫か?」
大倉刑事は、珍しく心配そうにこちらに目を向けてくる。私は彼に『大丈夫』と言って立ち上がると、室内に目を向けた。
「…この部屋、凄いですよね。色々な意味で……」
私の視界に写る光景を補足するように、鳴海刑事が言った。
…確かに、この部屋はすごい。四方の壁にはタンスなどが置かれているが、空いている部分には子供達の写真と個人情報が収められた紙がピン止めされていた。
それをよく見てみると、この部屋にあるほとんどの子供が、ここ数日でこの村から失踪した子供達であることが分かった。どうやら、奈々の言っていたことは本当のようだ。
私が意識を失っていた時の出来事を話すと、鬼島警部は露骨に眉間にシワを寄せる。
「まさか……この村でこんなに失踪者がいたとはな……」
「失踪……ですか? 一つの地域でここまで人がいなくなると、もはや誘拐の線を疑いたくなるのですが……」
「確かに…これはちょっと、異常でありますね……」
「ああ、そうだ。アタシ達は今のところ『失踪事件』として扱っているが、これは単なる行方不明じゃないだろうぜ。
宮川…今は奈々だったか? あいつが神牙に話した内容の方が真実に近いだろうぜ」
「これが…でありますか? で、ですが、根拠はあるのでありますか? 地元の派出所なり警察署なりに協力を依頼するにも、それなりの証拠がないと……」
「まぁ、正直言うと、警察署はアタシも厳しいと思う。ただ、この村に派出所があったら、そこの警官に言って資料請求や捜査協力なんかで使えるだろ。なんせ、事件の当事者の一人なんだからな」
鬼島警部の意見に、私も賛同した。往々にして規模の大きい警察署は融通が利かないものだが、村の派出所であれば、事件のより詳細な記録も調べられる上に駐在警官の協力も得られるだろう……その警官が犯人でなかった場合だが……。
「そういえば…お前が倒れている間、妙な言葉を聞いたぞ?」
鬼島警部は思い出したかのように、私に向かって口を開いた。私がそれについて尋ねると、彼女は顎に手を添えて言った。
「確か……『よく来たね』…だったかな? 確かそんな感じの言葉だ」
『よく来たね』……それは、私も意識を失う前に確かに聞いた言葉だ。しかも私は、その後に奈々と彼女の造り出した『領域』で会っている。おそらくは、そのことについてだろう。
…私は鳴海刑事と大倉刑事に、そのような言葉を聞かなかったか尋ねた。
「……いえ、特に何も。そもそも、僕達が神牙さんの元に向かったのは、警部の叫び声を聞いてからですから…」
「自分も、先輩と一緒だ」
二人から返ってきた答えは、あまり芳しいものではなかった。
私は鬼島警部に、その声が聞こえた直後に私が奈々と接触したことから考えて、あれは歓迎の挨拶だったのではないかと言った。
「挨拶…ねぇ。もう少しやりようってもんがあるだろうに…」
…なぜか鬼島警部は不機嫌な様子だったが、ひとまずは、今回の事件は長丁場になりそうだ。事件解決までの間に寝泊まりする場所を確保するのを優先するとして……あいにく、我が部署は人件費以外は常に予算がカツカツ…つまり潤沢ではない状態だ。
しかも、奈々の手紙に書かれた住所には都合よく生活に困らないビルがあった。
私はみんなに、そのことをよ~く念押ししたうえで、今日から事件解決の日までこのビルで生活することになっても構わないかと告げた。
「ああ、もちろん。あいつらがどうやってこの物件を用意したのか知らないけど、アタシは賛成だよ」
「自分もだ。さすがに、捜査のたびに街に降りるのは非効率だからな。ありがたく使わせてもらおう」
「僕も――あ…」
私は鳴海刑事に、どうかしたのかと尋ねた。
「いえ、警部の悲鳴ですっかり忘れていましたが、皆さんに見てほしいものがあるんです。こちらへ」
そう言って、彼は一階へと続く階段を下りていった。その後ろ姿を眺めながら、私はふと奈々の言葉を思い出していた。
――この村の駐在所と新旧、二つの小学校を中心に捜査してみな。きっと損はないよ――
……なるほど。彼女は初めから我々に捜査上のヒントを出していたわけか。確かに、捜査範囲が狭まる分、この村に長居せずに済む。せいぜい、二、三日程度だろう。
鳴海刑事の後を追いかけるように、私達三人も一階に降りる。するとそこには、すでに玄関から外に出ようとしていた鳴海刑事の姿があった。
「こっちです」
私達が合流すると、鳴海刑事は笑顔で言った。彼の案内に従い、私達はビルの裏手へと向かう……そこで目にしたのは、倉庫のような建物だった。
「先輩、ここは?」
大倉刑事が、不思議そうに呟いた。
私達がやってきたのは、家の裏側にある蔵と呼ばれる物置小屋である。幸いというべきか、倉庫は山側の土地に建てられていたため、崩落の危険はないだろう。
その建物は、入り口を除いて全面がトタン板とシャッターで覆われており、さらに外側の扉には南京錠で厳重に施錠されていた。
「見ての通り、この建物はこのビルの物置として使われていたようなんですが、僕が大倉さんと別れて家の周囲を捜索していた時にこの倉庫を見つけたんです」
「それで? これがどうかしたのか?」
鬼島警部が質問すると、鳴海刑事はスーツのポケットから二枚の紙と二つの鍵を出した。
「僕がこの倉庫を見つけた時、シャッターにこれがガムテープで貼り付けられていたんです」
そう言いながら、鳴海刑事はその紙を私たちに見せてきた。その紙にはまだガムテープが付いており、新聞紙の一部を切り取ったものと文字が書かれた紙のようだった。
鬼島警部がその切り取られた部分を読んでみると、それは新聞の日付と時刻が書かれた記事だった。
「えっと……『昨夜未明、○○県×△市赤嶺村の民家で、住人である家族四人が殺害された事件で、警察は今朝、殺人と死体遺棄などの疑いで、同市内における強盗殺人の疑いで再逮捕されていた□□容疑者を緊急逮捕し、取り調べを始めた。調べに対し、容疑を認めているという』……何だこりゃ?殺人事件の記事じゃねぇか」
鬼島警部は、紙面に怪しげな目を向ける。
「はい。実はですね、僕はこの記事の日付の部分が気になったんですよ。これって、僕達がこの村に来る前の日じゃないですか」
鳴海刑事が言うように、確かに日付は彼が言う通りだった。そして彼は続けてこう説明した。
「この倉庫には、おそらく以前この村に住んでいた住民が使用していたと思われる物がたくさんあると思うんです。その倉庫の前にこんな紙面を貼り付けておくなんて……もしかすると、この中には事件の鍵になるようなものが眠っているかもしれないと思いませんか?」
鳴海刑事の説明を聞き終えると、鬼島警部はニヤリと笑った。
「なぁるほどなぁ……ん? でも、待てよ? なんでそれを調べなくちゃいけないんだ?
この事件、もう犯人は捕まってるし、アタシ達がこの村に来たのはあのバケモン姉妹がトラブルを解決してほしいって手紙を寄こしてきたからだぜ?
しかも、そのトラブルはどうやら子供の連続失踪…というかたぶん、連続誘拐だろうな…まぁ、そういう事件なのに、なんでこの事件を調べる必要があるんだよ?」
確かに、警部の言っていることは正論だが、鳴海刑事も、それは承知しているようだ。
「……実を言うと、僕も最初は警部と同じことを思っていたんですけどね。ただ、この村にきてから妙なことばかり起きるので、少し気になって……」
鳴海刑事の気持ちも分かる。この村は今まで訪れた村々と同じように、異様な雰囲気を感じる。
私としても、この村の異常性を肌で感じているからこそ、何か手がかりになりそうなものはないか探してみたかった。
「それで…実は、すでにこの鍵でシャッターは開けてあるんです」
そう言って、鳴海刑事は一つの鍵を私に手渡してきた。
私が、すでに倉庫の中に入ったのかと聞くと、彼は首を横に振る。
「いえ。このことを一度皆さんに知らせようとビルの中に戻った時に、鬼島警部の叫び声が聞こえてそのまま……あ、あと、これも見て下さい」
そう言って彼は、もう一枚の紙と鍵を手渡してきた。私がその紙を見ると、そこにはただ『家の鍵』とだけ書かれていた。
「おそらくですが、その鍵はこのビルの玄関口の鍵なんじゃないかと……」
「使ってもいいってことか?」
紙を見つめる私の横から、鬼島警部が口を出してくる。
……もし、これがビルの鍵だとして、私達が自由に使っていいというのならばこれほどありがたいことはない。この部署の秘匿性を保てるうえ、何かと気を遣うこともない。
問題は、誰がいつ、これらを倉庫のシャッターの前に貼り付けておいたのかだが……今のところ、そのような手筈を整える理由があるのは、あの鬼姉妹しか考えられない。
多少は不安な気持ちもあるが……ありがたく使わせてもらおう。
私は鳴海刑事から手渡された鍵を持ってビルの玄関口まで戻り、さっそくその鍵を差し込んで回してみる。
「……回ったな」
一緒に付いて来ていた鬼島警部は、神妙な面持ちで言った。
「とりあえず、ヤサは確保したが…これからどうする? まだ日はあるぜ?」
…彼女の言う通り、まだ外は太陽が出ている。時計を見ると、12時を少し回ったばかりだ。
だが……初日から迂闊に捜査を始めて犯人――もしいるのならば、だが――に感づかれるのは避けたい。
とりあえず今日は、地元の派出所に状況の説明と応援要請をするだけに留めて、残りの時間は引き続きビルと倉庫の探索に費やすことに決めた。
「それでは、自分は車を取ってくる」
私がそのことを伝えると、大倉刑事はそう言って再び運転手を買って出た。
私は車が来る間、この村に来てから怪異の存在が確認できたため、二人も私達と一緒に来るようにと言った。
「いいぜ」
「分かりました」
幸いというべきか、彼らは快く承諾してくれた。
そして、我々は再び大倉刑事の車に揺られて、村の駐在所を目指した。




