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敵か味方か ~暇と多忙の狭間~

 警視庁地下にある、膨大な数の倉庫群……地下駐車場と同じフロアにあるその倉庫群の一つには、実際に人が常駐して機能している場所がある。それは、我々オモイカネ機関の本部となっている資料保管室だ。

 表向きは文字通り警察の捜査資料を管理する部署だが、それはこことは別の場所に、別の組織としてちゃんと存在している。

 では、ここはいったい何のために存在している場所で、オモイカネ機関とはどういった部署なのか……それを簡単に説明することは難しいが、今日の私は真剣にそのことについて考えを巡らせる羽目になった。


『間違いないのか?』


 その日、我々オモイカネ機関と緊密に連携している部署の担当者――『その者』からのメッセージを受け取って、私は思わず聞き返した。


『間違いない』


 返信はすぐに来た。まったく迷いなく……。

 簡単に説明すると、我々は今から殺人事件が起きた現場に向かう。しかし、それは本来、この警視庁の上の階に居を構える捜査一課が担当する事件だ。少なくとも、我々の担当ではない。ということは……その現場で、我々の担当となるなんらかの原因が起きたか、もしくは起きた可能性があるということになる。


『何が起きた?』

『事件自体は、おそらく殺人事件として処理されるだろう。だが、これには組織が関わっている』


『組織』……我々オモイカネ機関や『その者』が所属する部署を束ねる、秘密結社のような存在だが、この場合は組織の上層部を意味する。

 そして、そういった場合にはたいていろくな結末を迎えない……今まで何度も経験してきたことだ。私のその気持ちを察したのか、『その者』からのメッセージは続く。


『君としては気が乗らない案件だろうが、例によってそういった案件は君しか頼れる者がいない。よろしく頼む』


……断って、実際に関わらずにいれた試しはない。


『何か、具体的に気をつけるべき点はあるか?』

『物理的存在に対する装備を充実させたほうがいいだろう。最悪、捜査一課に捜査対象の存在がバレても構わないそうだ』

『相変わらず、事件の詳細は教えてくれないのか?』

『私の方にその情報がもたらされればいいのだが、あいにく、私でさえ組織の歯車に過ぎない。悪く思わないでくれ』


……私は少し悩んだ後、返信する。


『分かった。調査を開始する』

『ありがとう。重ねて言うが、今回は組織が関わっている。いつも以上に情報の管理には気をつけてほしい。もちろん、そのぶんと言っては何だが、いつもよりも多岐たきにわたる支援を行う用意がある。その辺りは、すでに上層部の方で話がついている』

『分かった。通信終了』


 私は『その者』との連絡に使う専用タブレットをミリタリー仕様のカバンにしまって、一息つく……支援を行う話し合いが出来るなら、ぜひ今回の事件についても自分達で始末をつけてほしい限りだ……気持ちを切り替え、私は部署全体に聞こえる声で号令を出した。


「お、久々に事件か?」


 私が座るデスクから見て左側――この部署の備品である古びたソファの陰から、鬼島警部が起き上がる。

 彼女は私の次にこの部署を束ねる責任者であるにも関わらず…今日も昼間から、しかも上司の目の前で今の今まで仕事をサボっていたようだ。まぁ、これまで捜査を共にしてきた身としては、彼女はかなり切れ者のようだから、大目に見た方がいいのだろう…うん……。


「よし、車を用意してくる」


 そう言って、私から見て中央にあるデスクからにゅっと巨体が起き上がる。大倉刑事だ。

 彼は私よりも階級が下にも関わらず、色々な経緯があって私にはそっけない態度をとってくるが、他の者にはかなり礼儀正しい。おまけに、空手と柔道の有段者だ。

……そう言えば、『その者』が今回は物理的な存在に対する装備を充実させるようにアドバイスしてくれた。大倉刑事がいれば、相手が物理的な存在ならばなんとかなるだろう。実際、彼には何度か助けてもらっている。


「分かりました。用意します」


 そう言って調査の準備を始めたのは、鳴海刑事。彼はこの部署で一番年下だが、ある意味一番の常識人と思われる。彼の卓越したコミュニケーション能力は、聞き込みの際に絶大な威力を発揮し、そのおかげでいくつもの重要情報を手にする事によって事件が進展することも珍しくない。

 だが……私以外のオモイカネ機関メンバーであるこの三人は、自分達が属している部署がどういった役割を担っているのかも、『その者』や『組織』の存在も知らない。せいぜい、警視庁内の変わった部署に配属された程度の認識だろう。私としては、それでいい。我々の正式な構成員ではない彼らを、無理やり『こちら側』の世界に引き込む必要はないからだ。

 とはいえ、彼らは今までに多くの事件に関与、解決してきた経験があり、すでにそんじゃそこらの警察官や刑事よりずっと役に立つ。

 この部署の性質上、関わる事件はたいていこちら側の生命や人生を大きく左右する可能性があるものばかりだ。そんな事件で、彼らのような貴重な人材を失うわけにはいかない……私はその考えを明確にして『その者』に言われたように、物理的な存在に対する装備を充実させた。

 拳銃はあの『オートジャム』と悪名高き44オートマグを携行する。一見無謀な選択に見えるが、私が所有するこのオートマグは構成部品を一点一点高精度のCNC加工によって製作しており、他にもいくつか使いやすいようにカスタムしている。実物を受け取って数十発ほど実射したが、なんの問題もなかった。

 続いて携行するナイフはコールドスチール社製のカランビットナイフ。これは近接戦闘において凄まじい威力を発揮する。

 他に数点の装備品を確保して、私はメンバー達と共にオモイカネ機関本部を後にした。


                      ※


 我々が大倉刑事の車に揺られて現場である一軒家にたどり着くと、周囲はすでに警察関係者達でごった返していた。

 車を降りて周囲を確認すると、ふと同じように周囲を警戒する鬼島警部の姿が目に入る。彼女は普段、現場にたどり着いたら真っ先に犯行現場に向かうのに、今は周囲に険しい視線を向けるだけだ。どうやら、彼女なりに何か感づいたらしい。私は彼女に、どうかしたのかと訊ねた。


「……おかしいと思わねぇか?」


 彼女は眉間にシワを寄せながら話し続ける。


「これだけ警察の姿があったら、たいていはマスコミ連中がいそうなもんだ。だが、そんな奴は一人も見当たらねえ。野次馬はいるがな」


 みると、確かに彼女の言う通り野次馬はいるが、ほとんどは遠目に眺めたりスマートフォンをこちらに向けるだけで、テレビ局や制作会社などのスタッフが保有している業務用カメラなどの仰々しい機材を持っている者は見当たらない。


「きな臭ぇな……」


 この状況に明らかな不信感を抱いた様子で、鬼島警部は一軒家へ向かう。私や鳴海刑事達はその後に続いた。

 我々が家の中に入ると、すでにそこには捜査一課の面々がいた。その中の一人の刑事に声をかけて状況を確認したところ、今朝方遺体が発見されたという。


「被害に遭ったのはこの家の主と伴侶の二名、市村幸雄いちむらゆきおさんと市村さなえさんです」


 そう答えたのは、眼鏡をかけた若い刑事だった。私が被害者の性別と年齢について質問すると、彼は手帳を開いて答える。


「市村幸雄が60歳男性、妻であるさなえが52歳女性ですね。二人の職業は幸雄の方は都内のバイオ関係の研究所の所長で、さなえは専業主婦でした」

「死因は?」


 鬼島警部が質問すると、若い刑事は苦笑交じりに答える。


「それはまだ分かりません。司法解剖の結果を待たないと……」

「では、死亡推定時刻は分かるでしょうか?」


 鳴海刑事の質問に、彼は手帳を見ながら答えた。


「それが、まだはっきりしないんです。二人とも昨夜遅くまで起きていたようなのですが、正確な時間は……。ただ、死後硬直の進行具合から判断して、少なくとも明け方の4時~6時頃ではないかと。あと、失礼ですが、あなた方は一体……?」


 私達が何者か気になったらしいその刑事に、鬼島警部が説明する。


「ああ、アタシ達はこういう事件の専門部署の人間でな。今回は、管理官の要請を受けて協力することになった」


……よくもまぁ、ペラペラとそんなウソが出てくるものだ。今後、彼女が言い訳をし始めたら注意しなければ……とはいえ、彼女の説明を聞いた刑事は納得したようで、それ以上は追及しなかった。


「そうですか。分かりました。それでは、何か分かりましたらお知らせします」


 この場に居た他の刑事達も同じ気持ちなのか、お互い顔を見合わせて安心した表情を浮かべている……今だけは、鬼島警部に感謝しよう。

 しかし……『その者』が言ったことが本当なら、この事件に『組織』が関わっている以上、我々も慎重な行動を余儀なくされるだろう。情報管理の面でも、私達の保身の面でもだ。

 そのような考えが頭にハッキリと思い浮かぶと、私は思わず拳を握りしめた――が、とにかく今は現場を見てみないことには始まらない。

 私達がまず行うべきなのは、この家で何が行われていたのかを知ることだ。狂人の仕業だろうと怪異の仕業だろうと、何が起きたのかを把握しないためには捜査のしようがない。そのため、私はその場で全員に現場捜索の号令をかけて、鳴海刑事とともに二階にある寝室へと向かった。

 玄関から入ってすぐの廊下にある階段を上がり、これまたすぐ見える部屋に入ると、そこは10畳ほどの洋室になっていて、ベッドやクローゼット、そしてパソコンデスクなどが置かれている。部屋の隅には、小さな仏壇が置かれていた。

 鳴海刑事はそれらの物を確認してから、窓の方へと歩いていく。私もそれにならって部屋を捜索するが、これといって気になる点は見つからない。

 そのまま二階を捜索するが、ここはどうやら完全にただの生活空間のようで、事件に繋がるような物証や痕跡は何一つ見当たらなかった。


(あるいは……)


 もしかしたら、すでに『組織』が事件の隠蔽をはかっているのかも……そのような考えが浮かぶが、それを裏付けるような証拠も見当たらないため、今はそう……私の推測に過ぎない。

 そして鳴海刑事と共にリビングに戻ると、そこにいたのは鬼島警部と大倉刑事だ。私は彼らに、先程二階で確認したことを伝えた。


「なるほどな…ってことは、この家は夫婦二人で暮らしてたってことか。しかも、かなり仲が良かったみたいだぜ」


 そう言って、鬼島警部は一枚の写真を見せてくれた。そこには笑顔で写る男女の姿が映っていた。写真を見た限りだと、そこに映っているのは若い頃の市村夫妻のようだ。どうやら二人は20年以上連れ添った夫婦らしい。そんな二人が、なぜ殺されてしまったのか。


「それで、他には何か分かったか?」

「いえ、特には……ですが、ちょっと気になることがありまして」


 鳴海刑事はそう前置きしてから、ポケットから何かを取り出した。


「仏壇の引き出しにあったものです。開けてみたところ、中には数珠が入っていました。それも、一つだけ」

「数珠?」


 鬼島警部が眉根を寄せながら訊ねてくる。


「どういうことだ? 近親者の供養のためか?」

「分かりません。とりあえず、これは鑑識に回そうかと……」


 鳴海刑事がそう言うと、鬼島警部は「ふむ……」と考え込んだ。

 しかし、それ以上に特に発言する様子はなかったので、私は鳴海刑事に数珠を持っておくように言って、再度現場検証を行うことを指示した。といっても、捜査一課の捜査員がすでに行っているため、我々が行うのは彼らの邪魔にならないようにすることくらいだが……。

 再び鳴海刑事と共に、玄関から外の様子を伺う……家の周りは、警察関係者が何人も行き来している……が、相変わらずマスコミ関係者らしき姿は見えない。


「妙ですね……」


 鳴海刑事は顎に手を当てて呟く。


「これだけ騒いでいるというのに、どこからもマスコミが出張ってこないなんて……」


 確かにそうだ。通常であれば、マスコミ関係者がいてもおかしくないはずだ。しかし、彼らは今どこにいるのだろうか? まさか、事件があったことすら知らないということは無いと思うが……いや、むしろその方がおかしいか。


『これには組織が関わっている』


 不意に、『その者』が言っていたことを思い出す……もし、この事件に『組織』が全面的に関与していたならば、大手マスコミの姿が見えないのも納得だ。奴らの手にかかれば、情報封鎖など造作もない。仮にローカルな媒体や個人などが事件を知らせても、すぐに握りつぶせる『実力』を持っている。


「まるで幽霊屋敷から外を眺めている気分ですよ……」


 私達は顔を見合わせると苦笑を浮かべた――するとその時だった。


『きゃーっ!!』


 突然、家の裏手から女性の悲鳴が聞こえた。

 私達はハッとして、すぐに悲鳴が上がった方向へ向かう――勝手口から家の裏手にある路地に出てみると、「なんだよこれっ!?」とか「なんで血痕があるんだ?」などの驚くような怒号やざわめきが耳に入る。

 その喧騒に混ざって「早く来てくれっ!!」「おい! 押すなっ!」「やめろっ! 放せっ!!」といった怒鳴り声も聞こえてきた。見ると数名の捜査員と、道端に倒れた制服警官や野次馬の姿が見えた。


「いったいなんですか?」


 鳴海刑事が近くにいた別の捜査員に声をかけると「それが……」とその男性は言いづらそうな表情をした時、人ごみの中から一人の男性がこちらへ向かって走ってきた。その男の手には携帯電話が握られており、誰かに必死に呼びかけていた。


「おいっ! なにがあった!?」


 後ろの方で、後からやってきた鬼島警部が叫ぶ。

 私も彼女と同じ気持ちだった。あの群衆の先に何が――そう思って、群衆に目を向けた時。


『……』


 私の目には、ハッキリと見えた。

 大柄な……極めて大柄な女性の姿……彼女の周囲にいる捜査員や野次馬の身長がせいぜい160から180までバラツキがあるにせよ、その女性の背丈はその者達よりも頭一つ二つ分、大きかった。二メートルは優に超えているだろう。

 そんな存在が女性だと判別できたのは、長く垂れ下がった黒髪と胸部のふくらみ、そして全体的に丸みを帯びたシルエットが見えたからだ。

 だが、それ以外は明らかにその人物は異様な風体ふうていをしていた。

 本来、素顔が見える部分には一昔前のガスマスクが装着され、さらに厚手の生地で出来たフードを被っている。フードは、女性が着ているロングコートと一体になっているようで、色はモスグリーン。どうやら、軍用のものらしい。

 そのコートから覗く両手は、これまた軍用のグローブに包まれ、斧とマチェットが握られていた。

 下半身はよく軍隊の歩兵が使用しているタクティカルパンツだったが、上半身はコートに隠れて良く見えない。だが……これはあくまで予想だが、同じような軍用のなにかを着込んでいると推測する。

 その女性を中心に、制服警官や刑事達が徐々に円陣を作って取り囲んでいくが、女性は微動だにしない……よく見てみると、彼女の足元には地面に赤黒いをシミを作る制服警官や私服刑事の姿があった。

 すでに野次馬は散り散りに逃げ去ったようで、この場には私達と警察関係者と、彼女しかいない……まさか……これは……。

 私は思わず身震いしそうになった。目の前にいる女性は、ただ者ではない。

 私が硬直していると、鬼島警部が鋭い眼光を向けながら「何をしてるんだっ!?」と誰に向かって言うわけでもなく叫んだ。それを聞いた者達は慌てて動き出す……まず、警察関係者が数人、倒れ伏した男性の元へ駆け寄って介護した。その間私はというと、拳銃を抜きつつ彼女を視界に収めていた。

――しかし、不意にその人物の背後に見知った者の影が揺らめくのが見えた。


『――お前が殺したのよ』


――影から声が聞こえる。


『―――はお前だ――だ』

『お前が殺した』


……まさか……嘘だ……彼女が……なぜ現れる? 目の前の女性と関係があるのか?


「おいっ! 神牙っ!」


 鬼島警部に怒鳴られて、ハッとする。気が付くといつの間にか女性は鬼島警部に襲い掛かってきた。


「――あっ……」


 鬼島警部が声を上げる――女性はまるで、蛇のような素早い身のこなしでこちらに近づいてきた。


「っ!?」


 咄嵯にオートマグの引き金を引くが弾丸は一発も出なかった。『その時』になって初めて理解する。弾が入ってない……落としたのかっ!?――いや、今は考えている余裕はない。

――私は反射的に走り出し、役立たずとなったオートマグを女性に向かって投げつけた。


「っ!?」


 それなりに重量があるオートマグが顔面に直撃し、ガスマスクのレンズ部分にひびが入る――女性は一瞬怯んだので、すかさず私はカランビットナイフを構えて女性と鬼島警部の間に入った。


「……わりぃ、助かった」


 後ろから鬼島警部の声が聞こえてくる。私は彼女の言葉に頷きつつも女性から目を離さず構え続ける。


「……」

「うわぁっ!」


――刹那、女性はビルの壁を蹴って私達の間を通り抜け、その後ろにいた警察関係者の群れに突撃する。それに呼応するように、後ろで捜査員達や警官達が悲鳴を上げる。

 振り返ると、そのうちの一人が彼女に引きずられようとしていたところだった。他の者も一斉に飛び掛かるが、無駄に終わる――いや、むしろ悪かったようだ。

 彼女に飛び掛かった捜査員達は、まるで巨大なダンプカーと衝突するかのごとく吹っ飛ばされていったのだ。


「むおおぉぉっ!!」


 もはやかの捜査員の命運が尽き掛けようとしていたその時、事態を見守っていた鳴海刑事と大倉刑事が動き出した。

 鳴海刑事は近くに置かれたビールケースを思い切り振りかぶって女性に投げる――女性にダメージを与えたようには見えないが、奴の注意をそらすことができた――その瞬間、野獣じみた咆哮を上げながら、大倉刑事はその女性にタックルをする。


「っ!?」


 これにはたまらず女性も大きくその体を吹き飛ばし、捜査員は拘束から解放された――女性は壁に叩きつけられたが、すぐに体勢を立て直す。


「むっ!?」


 しかし、女性は大倉刑事に目もくれず、こちらに接近してきた。

 そして私の前に立ち塞がった女性は静かに、それでいて凄まじい速度で腕を振り下ろしてきた。

 一瞬にして彼女の手には先ほどまで持っていたマチェットの刃の部分があり、それを逆手に持って振り下ろそうとしていた……しかし……私の目にはなぜかそれが、ひどくスローモーションに見えた。だからだろうか、私は自分の身体の動きよりも先に、相手の行動を予測することができた。

 相手が、そのマチェットを振り下ろすよりも先に、彼女の顔へ蹴りを放つことができ、さらに同時に腰に差していた警棒を抜いて、相手の腹へと押し込む――だが……。

 ガンッと鈍く硬い感触だけが私の手から伝わってきた。どうやら防がれたようだが……相手は、素早くバックステップで私から距離を取ると、再び構えた。後ろには大倉刑事が鬼の形相で構えている。

 ふと彼女の手元を見ると、今度は斧の方だ……私は彼女を見ながら思った……彼女は、『その者』が言っていた『組織』に関わる存在なのでは……。

 ただ、普通の人間ではない。恐らく強化人間の類か、もしくはなんらかの方法によって生み出された人造生命体だろう。そのうえで、この目の前の個体はかなりの高レベルの戦闘訓練を受けたと思われる。そんな存在がこんな街の中で何をしようとしているんだ……そもそも、『組織』はこの事態に気付いているのか……?


「……」


 私があれこれ考えている間も、女性は構えながら微動だにしない。それを見て、彼女の後ろに控える大倉刑事は徐々に彼女との距離を詰めていく。何度も言うが、実体のある存在ならば彼は大きな戦力になる。


「っ!?」


 その気配に気づいたのか、女性はクルッと後ろを振り向く。


「っ!? 動くなぁっ!!」


 大倉刑事は一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに大声を上げて威嚇する――そのスキに、私は彼女に投げつけたオートマグを拾って急いで点検する――見た感じ、どこも壊れていない。

 今度こそ、弾が出ますように――そう祈って、私はオートマグに弾倉を装填して銃口を彼女に向け、発砲する。すると、今度は問題なく弾丸が発射された。弾丸は硝煙を纏って女性が着こんでいるコートに着弾するが、防弾性なのか女性は痛がる素振りも見せない。

 それどころか……常人ならば身体が吹き飛んでもおかしくないマグナム弾の直撃を受けたにも関わらず、女性は微動だにしなかったのだ。改めて、目の前の存在が怪物であることを嫌でも認識させられる。


「うわぁっ!」


 突然、鳴海刑事が声を上げる。同時に、私達の両側にそびえるビルの壁の一部が崩れ落ちた――先程の女性の跳躍の際にどこかがもろくなっていたのか。

 彼女は瞬時にこの事態に反応し、私に向かって斧を投げ放つと、その場から大きく跳躍する。彼女はビルの壁を伝って屋上へ逃走した――私も、斧を難なくかわしてほんの少し『力』を解放して壁を伝い、屋上へ向かう。


「おい、神牙っ!」


 階下に聞こえる鬼島警部の声を無視して、私はその存在とビルの屋上で相対する……が、彼女と目を合わせていると、お互いが行動を起こすよりも早く、彼女のコートの胸部が突然弾け飛ぶ――続いて聞こえてきたのは発砲音。何者かが、彼女を狙撃したのだ。

 私は反射的に身をかがめて周囲の様子を探るが、少し経ってから凄まじい殺気を感じて思わずその場から飛び退く――突如轟音が響いてきて、先ほどまで私がいた場所には土煙を上げて突き刺さる物干し竿があった。見ると、彼女が投げ放ったらしく、彼女はそのまま反転して屋上伝いに逃走する……やはりただ者ではない……あんな芸当ができるなんて……それに……。

 私は彼女を追うことをせずに狙撃手の位置を把握しようとするが……どうにも気配を感じない。すでに撤退したのだろうか?

 私が少し警戒を解いて続いて彼女を追おうとするが……さっきまで見えていたはずの彼女は、いつの間にかその姿を消していた……。

 私はふと思う……彼女は……いったい何者なんだ……。

 それからしばらく屋上伝いに走って周囲を捜索してみたが、あの女性が近くに隠れているわけでもないことが分かった。どうやら、完全に逃亡に成功したらしい。

……どういうことだ? 私は混乱しながらも考える……なぜ? どうして……どうしてあそこで襲ってきたのか? 目的はなんだったのか?……考えれば考えるほど頭がごちゃごちゃになる……とりあえずは、オモイカネ機関のメンバー達と合流しよう。

 私はそう考えて、その場から離れることにした。

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