隣の部屋の聖女様が、ポンコツで可愛いと俺だけが知っている ~怯える美少女クラスメイトを助けたら、彼女の部屋に上げられて甘えられました~
真夜中のマンション。その廊下にて。
「ひっ……き、来ちゃダメですっ!」
ブレザーの制服姿の美少女が、尻もちをついて、青い瞳を涙で濡らしていた。金色の美しい髪が乱れて、床に広がっている。
小柄な美少女、それもクラスメイトがそんなふうに怯える姿を見ることなんて、ほとんどないだろう。
月城文人も例外ではなかった。
高校一年生の文人は、名古屋にある実家を離れ、京都で一人暮らしをしている。
それは京都の進学校に通うためだったが、高校生で下宿する生徒は珍しい。
自分以外にはいないと思っていた。
ところが、文人の隣の部屋には、女子高生が一人で住んでいた。しかも、クラスメイトで、学校でも一番可愛いと評判の美少女だ。
名前は、桜木千雪という。淡い金色の髪に、青い目という日本人離れした容姿をしていて、スタイルも抜群だった。噂では、ハーフなのだという。
おまけに成績も学年一位と優秀で、スポーツも万能。天は二物を与えず、という言葉の真逆を地で行く。
そんな千雪は、「聖女」なんて呼ばれて他の生徒から崇められている。誰にでも優しく親切で、けれど誰とも深い関係にはならない。
それが桜木千雪という少女だった。
隣の部屋にいるといっても、千雪と関わったことは一度もない。たしかに綺麗な少女ではあっても、文人からしてみると遠い世界の人間だった。あまりにも完璧超人で、人間味を感じられない。
まあ、人間味がないということでは、文人も他人のことは言えないが。
だが、その千雪が、文人の目の前で恐怖に涙している。夏の夜にコンビニから帰ってきたら、廊下に千雪が倒れていた。
すらりとした白い足が、制服のスカートの裾から見えていた。
「た、助けてくださいっ……!」
そんなふうに千雪が懇願する。どういうことなのか、文人には状況が飲み込めない。
「ちょ、ちょっと待って。桜木さん。俺はクラスメイトの月城。わかる?」
「わかっています。ですから、助けてくださいっ」
千雪が錯乱した様子で、そんなことを口走る。どういうことだろう?
(たとえば、桜木さんのストーカーがいて、包丁を持って追い回しているとか……?)
そうだとすれば、大変なことだ。事情はわからないけれど、ともかく千雪を助けないといけない。
たとえ初めて話す相手でもクラスメイトだし、犯罪者に追われているなら放置できない。
ところが、千雪は白い指で文人の背後を指した。振り返ると、ドブネズミが走っている。
「えーと、もしかしてネズミが苦手?」
「あんな気持ち悪い生き物が苦手じゃない人がいるんですか!?」
「俺はそんなには苦手じゃないけど……」
害獣であることは確かだろうけれど、そこまで苦手ではない。
千雪がショックを受けたような顔をする。
「そ、そんな……」
「部屋にもネズミが出た?」
「だから、ここにいるんです。な、何匹もいて……」
「倒れているのは……」
「慌てて玄関から飛び出したときに、倒れて足をくじきました……」
「ああ、それは気の毒に……」
「笑いたければ笑ってください……」
「笑ったりしないけどさ。桜木さん、立てる?」
千雪は立ち上がろうとして、「痛っ」と小さな声を上げる。
どうやら歩けないほどの捻挫らしい。困ったな、と文人は思う。
「桜木さんの部屋のソファとかベッドまで運ぼうか?」
このまま廊下に倒れているわけにもいかないし、オートロックもついていないマンションだから危険でもある。
いったん応急処置をして、痛みと腫れが続くなら、翌日に病院に行くべきだ。
けれど、千雪は首を横に振った。
「嫌です」
「あー、男の俺が部屋にはいるのは嫌だよね、ごめん」
「そうではなくて、ネズミがいる部屋に戻りたくないんです!」
「ああ、そういうことなんだ。でも、それなら、どうすれば……まさか俺の部屋に泊まるわけにもいかないし」
「それです!」
「え?」
文人が驚いて千雪を見つめると、千雪はちょっと頬を赤くして、目をそらした。
「月城君の家ならネズミはいないでしょう?」
「隣だからもしかしたらいるかも……」
「でも、確実にいるわたしの家よりはマシです。その……ご迷惑だったら……いいんですけど、泊めてくれませんか?」
「迷惑ってことはないし、たしかに二人分の布団はあるけどさ。男の一人暮らしの部屋に泊まるのはまずいんじゃない?」
「月城君はそういうこと、しなさそうだから大丈夫です」
「信用してくれるのは嬉しいけれど……」
「男は狼、ですか? 月城君、狼というよりは羊でしょう?」
「……まあ、そうかもね」
文人は肩をすくめると、鍵を出して自分の部屋の扉を開けた。そして千雪が足をくじいて立てないことを思い出す。
「桜木さん。悪いけど、ちょっと我慢しててよ」
「え?」
文人はひょいと千雪を抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこのような形になるが仕方ない。
「な、何してるんですか……!? ちょ、ちょっと……」
千雪が顔を赤くして抗議する。千雪の身体はとても軽かった。
「立ち上がれないんだから、仕方なくない?」
「それはそうですけど、これ、恥ずかしい……」
千雪は小声で言うが、暴れることもなく、なされるがままだった。
そのまま千雪を部屋へと連れ込む。
(俺が不審者扱いされそうだな……)
とはいえ、本人が文人の部屋に泊まると言ったわけだし、何もやましいことはない。六畳の部屋のソファに千雪を横たえる。
少し迷ったけれど、玄関の鍵はそのままにしておく。千雪に余計な警戒心を抱かせたくない。
さて、千雪の捻挫の手当をしないと。冷凍庫から氷を取り出して、ビニール袋に入れて氷嚢を作る。
それを持ってソファまで戻ると、千雪がきょろきょろとあたりを見回していた。
「部屋、すごく綺麗に片付いていますね」
「そう?」
「はい。男子高校生の一人暮らしなんて、散らかり放題だと思っていました」
「それは偏見だよ。そういう桜木さんは部屋をきっちり整理整頓していそうなイメージがあるけれど……」
千雪は黙ってしまった。文人は微笑む。
「もしかして、意外と片付けが苦手?」
「ち、違います! わたしは部屋だって綺麗にしてます」
していないんだろうな、というのは文人にも予想がついた。
とはいえ、この話題を続けると、千雪を不機嫌にしてしまいそうだ。
「足、触ってもいい?」
「え? つ、月城君がわたしの足を……触るんですか?」
「変な意味じゃなくて! 手当するから」
「あ、ありがとうございます……ひゃうっ!」
千雪が悲鳴を上げたのは、文人が氷嚢を捻挫した場所に押し当てたからだ。千雪はううっと涙目で文人を見上げる。
そのいじらしい表情が可愛くて、文人は思わずくすっと笑った。
「どうして笑うんですか?」
「いや、桜木さんも意外と普通だなと思って」
「普通ってどういう意味ですか? 褒めてないですよね?」
じろりと千雪に睨まれ、文人は慌てる。
「いや、それは、可愛いなと思ったということで……」
言ってから、しまった、と思う。彼氏でもないただの隣人に、可愛いと言われれば気持ち悪いと思うかもしれない。
けれど、千雪はきょとんとした表情をして、それから少し顔を赤くした。
恥じらうようなその表情は……まんざらでもなさそうだった。
「可愛い、ですか。へえ……その、悪くないですね!」
「桜木さんほどの美少女だったら、言われ慣れているんじゃない?」
「美少女……ですか」
千雪がご機嫌な感じでにやにやとしたので、文人はちょっと驚く。そんな締まらない顔をしても、むしろ可愛く見えるところが、改めて超絶美少女だなと思う。
「面と向かってわたしに『可愛い』とか『美少女』っていう人ってあまりいないですよ。いえ、わたしが可愛いのは当然の事実ですが!」
「たぶん、みんなもそう思っているよ。でも、口に出して褒めるのが恥ずかしいのかな」
「わたしは褒められるのはウェルカムです! さあ、もっと褒めてください。ひゃっ、氷、冷たい……」
「可愛い可愛い」
「心がこもっていないですよね?」
「桜木さんさ、普段とはだいぶ雰囲気が違うね?」
「子供っぽくて意地っ張りで性格悪くて、悪かったですね!」
「誰もそこまで思ってないよ……」
「少しは思ったということでしょう?」
千雪がぷくっと頬を膨らませる。文人はちょっとだけ千雪を可愛いと思った。普段、教室で見せている澄まし顔の千雪には、文人は何の興味もない。
だが、駄々っ子のように感情を露わにする千雪の一面は、庇護欲を掻き立てるような可愛さがあった。
「まあ、学校の聖女様がこんな性格というのは少し意外だったけど」
「せ、聖女って呼び方は、やめてください。恥ずかしいですから」
「そうなんだ。てっきり喜んで呼ばれているのかと」
「周りが勝手に言っているだけです!」
可愛い、と言われるのはOKなのに聖女はダメらしい。基準がよくわからない。
千雪は目を伏せて小声で言う。
「……わたしは聖女なんかじゃないんです。表面を取り繕って真面目なふりをしているだけ。本当は……普通の女の子なんです」
「そっか。……桜木さんさ、もう夜ご飯は食べた?」
「ま、まだですけど」
「何か作るよ」
「そ、それは悪いです!」
「いいから、いいから」
「月城君って自炊もできるんですか? 意外です……」
「こう見えて結構得意なんだよ」
「ふうん。ねえ、月城君ってなんで一人暮らしなんですか?」
「……中学受験してさ、名古屋の進学校に入ったんだよ。でもね、そこでいろいろあって……まあ、退学になった。で、心機一転、京都に来たってわけ。ここなら俺を知っている人間は誰もいないし」
「そ、そんな重たい話をわたしにしていいんですか?」
「自分で聞いておいてそれを言う? まあ、俺は気にしないよ」
「わたしも……似たようなものです。わたし、私生児なんです」
私生児。つまり、正式な結婚をしていない、愛人の子ということか。意外な事情に、文人は目を見張る。
「だから、両親にとって、わたしなんていらない子なんです。だから、お祖父様のお金で、一人暮らしをしています。幸い、勉強だけはできますから、いい学校に入れたので、下宿ということで」
「なるほどね」
「月城君になら、話してもいいかなって思ったんです」
そう言うと、千雪は柔らかく微笑んだ。彼女は青いサファイアのような美しい瞳で、文人を見つめている。文人は自分の体温が上がるのを感じた。
今、二人きりだということを強く意識させられる。
「と、とりあえず、晩ごはんを作ってくるよ」
「ありがとうございます。月城君の作ってくれるものなら、きっと美味しいんでしょうね」
千雪はそう言って、明るい表情で声を弾ませた。
千雪が可愛かった、二人の生活の続きが気になる……!と思っていただけましたら
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