5.vs人生
幸せは歩いてこない。
幸せは泳いで来るんだ。
親父とお袋に婚約と再就職を報告したら喜んでくれて、多少は安心させられたかなと思う。
未読スルーしてた友人達のSNSに返信したら、怒られたり質問攻めにあったけど、一度抜けたグループにも招待してくれたし、数年ぶりの連絡を喜んでくれて素直に嬉しかった。
乙姫の写真を送って自慢したら、みんなして女の写真を送って来たのは最高に面白かったな。
女なのに彼女が出来てる奴もいたし、姪の写真を送ってくる奴もいた。どの子も美人だったけど、乙姫に敵う女は居なかった。
職場と仕事にも慣れ始めて、最近先輩が飲みに誘ってくれるようになったし、後輩の子が食事に誘ってくれる事もある。
その度に断りを入れるのが心苦しいけど、俺には何よりも優先するべき予定があるのだ。
会社帰りにハンバーガーショップで、フィッシュバーガー
セットを二つ注文した。サイドメニューはポテトで、ドリンクはメロンソーダ。
最近雨続きだったが、今日は久々の快晴だ。
きっと夕焼けも綺麗だろう。
「ただいま」
驚かせてやろうと、勢いよくドアを開いた。
でも、「おかえり」を言う彼女の姿はどこにもない。
乙姫が海に消えたあの夜から、どれほどの月日が流れたのだろう。
すぐに帰ると言った癖に、1日経っても、1週間経っても、1ヶ月経っても、1年経っても、彼女は帰って来ない。
これじゃあ玉手箱が無くても爺さんになっちゃうよ。
「むかし〜むかし〜浦島は〜、助けた亀に連れられて〜」
鼻歌を歌いながらスマホのカレンダーを確認すると、今日で3年と214日目になるらしい。
あの日言いつけられた通り、規則正しい生活を送っているが、どうにも張り合いが無い。
生活自体はとても充実している。
でも彼女が居ないだけで、俺の人生が酷く虚しい物に思えてしまうのだ。
ただいまのキスをせがむ彼女も、構って欲しそうに痛くないパンチをする彼女も、得意げにフライパンを振る彼女も、畳でだらしなく寝そべる彼女も、何もかにもが懐かしい。
「行ってきます」
バーガーショップの袋を手に、彼女と歩いた道を一人で歩く。
彼女と出会ってから彼女を見送った日まで一度も行かなかった海に、今では毎日足を運んでいる。
雨の日も、雪の日も、台風の日は流石に行けなかったけど、ほとんど毎日。
全てが俺の妄想だったのかもしれないだなんて、そんな馬鹿な事を考えたこともあるが、彼女の私物や彼女の写真までは消えてくれなかった。
それどころか、古着屋に売ってしまった彼女の着物を買い戻せたのだから、彼女の実在を疑う必要すら無いだろう。
歩みを進めるに連れ、波の音が大きくなっていく。
あの日二人で登った防波堤の上から砂浜を見渡すも、人っ子一人見当たらない。
靴に砂が入る感触にも慣れて、夜の波音も怖く無くなった。
「お前がいつまでも帰らないから、慣れなくて良いことに慣れちゃったよ」
砂浜に腰を下ろして、袋からハンバーガーを取り出した。
この味には飽きちゃったなぁ。
どこまでも広がる水平線に、夕陽が半分顔を沈めた。
これを食ったら今日は帰ろう。
明日は早いし、帰ってエロ動画見て寝ないとな。
なるべくゆっくり噛み締めて、夕陽が沈むのとほぼ同じタイミングでハンバーガーを食べ終えた。
黄昏時か。
空のグラデーションが綺麗で目に染みる。
立ち上がってケツの砂を払っていると、不意にアイディアが浮かんで来た。
明日の朝食になる予定の残ったハンバーガーを海に流せば、ワンチャン乙姫の元へ流れ着くのではなかろうか。
小魚の餌になるのが関の山だろうが、試してみる価値はある。
「まぁ、コイツらを海に投げ込んだら帰って……」
「だめえええええっ!」
「え? ひぇ……」
それはあまりにも突然だった。
声もそうだが、目に映った光景に情けない声が出てしまう。
ずぶ濡れの、懐かしい秋服姿の女が、海からあがってきたのだ。
「海を、海を汚しちゃだめぇっ!」
今にも駆け寄って来そうな勢いだが、海水が染み込んだ服が重いようで、威勢の割にはのそのそと歩いてくるだけである。
「乙姫パーンチ!」
全然痛くない、あまりにもひ弱なパンチ。
頭が真っ白になって、手に持った袋を砂浜に落としてしまった。
「いや、いてぇよ、乙姫」
「そりゃそうでしょ。私は竜宮にて最強だもん」
垂れ下がった前髪をかき上げて自慢気に微笑む彼女は、俺の頬に手を添えると、落ちる涙を指で拭った。
「ごめんね。遅くなっちゃった」
「本当だよ。何年待たせんだよバカ」
「待っててくれてありがとう。久しぶりだし、ぎゅってしていい? あ、まって。私ずぶ濡れだった」
「そんなんいいから、早くぎゅっとしてくれ」
「はいはい。本当に甘えん坊だなぁ」
久しぶりに抱きしめた乙姫の体は、とても懐かしくて、温かい。
「たっくん、ちょっと老けたね」
「お前が待たせたからだ」
「前より筋肉付いた?」
「ちょっと筋トレしてたからな」
「浮気してないよね?」
「浮気してたら、こんな所でお前を待ってないよ」
「だよね。私のこと大好きじゃん」
「うん。大好きだ」
「私も大好き」
正直2年が過ぎた辺りから、彼女は帰って来ないかもしれないと考えていた。
最近は半分意地でここに来ていたし、もし彼女が帰ってくるとしても、何かこう、劇的な展開があると思っていた。次に会ったら一発ぶん殴ってやろうかとも思っていた。
だけど、こうもあっさりと、不意をつくように帰って来られたんじゃ怒る気も起きない。
彼女がここに居るだけで、今はそれだけで十分だ。
「っていうか、メッチャ心配したんだぞ? なんでこんなに時間かかったんだよ」
「あ、そうそう聞いてよ! 帰ったらさ、パパすんごい怒ってて、私のこと軟禁したんだよ。酷くない? 竜宮では3日くらいしか経ってなかったのにだよ? もう子供じゃないのにさ」
「なるほど、それで遅くなったのか」
もし俺にこんな可愛い娘が居て、その子が3日も無断で家を空けたら同じ事をするかもしれない。
その辺、ちゃんと考えていなかったな。
「まぁ、許してくれたんなら良かったよ」
「いやぁそれがさ、全然許してくれてないんだよね」
「は? なのに戻って来れたの?」
「うん。力づくで逃げてきちゃった」
「ほえ〜。やっる〜」
彼女の性格上、それくらいの事はやってしまうだろう。
「でさ、ちょっと言い難いんだけど……」
「なんだよ? はっきり言えよ」
「多分あと5分くらいで、竜宮の兵隊が来ちゃうんだ」
「お前を連れ戻しに?」
「それもあるけど、地上の民を皆殺しにするって意気込んじゃってる」
「マジで?」
「マジマジ。特にたっくんの事は、考えられる中でも最も残酷な方法で殺してやる〜って意気込んでたよ」
「ひょえ〜」
抱き合いながらする会話がこれ?
というか、それを聞いて俺はどうすりゃ良いの?
とりあえず警察にでも逃げ込んだ方が良いのだろうか?
え、ヤダ、死にたくないんですけど。
「という事で、たっくんにひとつ提案があります」
「なんでしょう?」
「嫁入り道具は持って来れなかったんだけど、玉手箱って知ってる?」
「うん」
「パクって来ちゃいました〜」
「ほう」
「これで歳とればバレなくない?」
「無理。会社に行けなくなる」
「死んだら結局いけないじゃん」
「確かに」
これはもう、乙姫の考えに乗るしかないかもしれない。
ジジイになったところで、人類皆殺しなら関係ないとも思うけど、残酷な殺され方は嫌だ。
でも、ジジイになるのもそれはそれで嫌だ。
「ところで、その兵隊っていうのは何人くらいなんだ?」
「ざっと50人くらいかな」
「少ないっすね。何か強力な兵器でもあるの?」
「ううん。ステゴロ」
「ステゴロぉ?」
「うん。竜宮では肉体のみが武器だから」
「なるほど」
素手の50人ならなんとかなりそうじゃないか?
いやいや、皆殺しは無理でも、俺をとっ捕まえてぶっ殺すくらいは簡単か。
「兵隊くらいなら私だけでも倒せそうなんだけどなぁ」
「え? そうなの?」
「ほら、私って竜宮にて最強だからさ。でもパパがなぁ。私とほぼ互角なんだよね」
「えっと、それは冗談じゃなくて? お前そんなに強かったの?」
「そうだよ。私の本気のパンチを食らっても平然としてるのなんて、たっくんくらい……あ」
どうやら乙姫も、俺と同じ考えに行き着いたようだ。
「いけんじゃね?」
「いけるかも?」
その瞬間だった。
不自然に大きな波が立った。
その中に、大勢の人間サイズの影が映し出されている。
「乙姫、ここは俺に任せろ」
「いやいや。いくらたっくんでも、一人じゃ流石に厳しいよ。格闘技の経験あるの?」
「俺が何回乙姫パンチを食らってると思うんだ? いいからお前は下がってろ」
「やだ、私の婚約者めちゃくちゃカッコいい。後でチューしよ?」
「めっちゃする」
ここが正念場だ。
折角の再会が劇的すぎて驚いてはいるが、ここで野垂れ死ぬわけにもいかない。
お義父さんにも挨拶したかったし、ある意味丁度良いだろう。
これから末長いお付き合いになる予定なんだから、乙姫を守れる男だって所を見せてやる。
俺の切り札、乙姫パンチで認めさせてやる。
さぁ、バトルスタートだ。