85.すごくいけないことをしたの?
いろんな文字を習った。計算する時の字もあるし、文章を作る字もある。それから記号もあるんだよ。がりがりと黒い板に文字を書くたび、プルソン達が褒める。パパも優しく撫でてくれた。
文字を書きながら、読み方を覚える。声に出した通りに文字を書くから、すぐに僕も短い言葉を書けるようになった。名前と同じで、同じ発音だと一緒の文字を使うの。セーレも書けるから、次はプルソンの名前を書こう。がりがりと白い棒で書いていく。隣の見本と違う形だね。
消して書き直していると、知らない人が部屋に入ってきた。紙の束を持ってるから、お仕事かな。
「こんにちは」
「こんにちは、カリス様」
優しく挨拶を返してくれた。僕はお勉強を続ける。お仕事でパパに会いにきたのに、僕が邪魔しちゃダメだから。白い棒が短くなってきたな。交換してもらおうと顔を上げたら、さっきの人がパパと怖い顔で話し合ってた。プルソンやアガレスも一緒だ。どうしよう。
白い棒がしまってあるのは、アガレスの机の横にある引き出しの中だけど。勝手に出してもいいのかな。でもお話の邪魔は出来ない。きっと難しい相談してるんだよ。目と目の間に皺が出来てるもん。こっそり僕は椅子から降りて、棚に向かった。引き出しは僕の頭くらいの高さにある。手を伸ばして引っ張るけど、うまく行かなくて。
あっ、抜けちゃう。いきなり引き出しがすぽんと出てきて、僕は後ろに転んだ。上から引き出しが落ちてくるのを、驚いて見ていた。ぶつかると痛いかも。頭を腕で抱えたら、先に僕が抱っこされた。
がしゃんと何かが落ちる音がする。でも痛くなくて、抱っこする腕を見上げた。
「こら、カリス。危険だから、高い場所の引き出しはダメだと言っただろう」
パパだ。
「ごめんなさい。お話の邪魔したくなかったの」
「もう話は終わりだ。何が欲しかったんだ?」
「白い棒」
「プルソン、準備してくれ」
「はい。目を離してしまい、申し訳ございません」
僕のせいでプルソンが謝った。すごく悪いことをしたのかも。アガレスは驚いた顔で何も言わないし、プルソンは頭を下げてる。どうしよう、僕……すごくいけないことをしたんだ!
ひゅっと息が変な音を立てて、苦しくなる。涙がぽろぽろと溢れた。縦に抱っこしたパパの手が、僕の背中を優しく撫でる。上から下へ、ゆっくりと何度も。落ち着いてきた僕を膝に乗せて、パパも座った。
正面からパパと向かい合う形で、僕は両手両足で抱きつく。
「落ち着いたか? びっくりしたな。もう大丈夫だ」
パパが何か合図したのか、皆で部屋を出ていった。僕とパパだけになる。
「何がそんなに怖かった?」
「僕が悪いことして、すごくいけなくて……だから、嫌われちゃう」
「嫌うことはないぞ。もし俺がお茶を溢したら、カリスは俺を嫌うのか」
首を勢いよく横に振る。首が取れそうなくらい、何度も振った。ふらふらする。僕を受け止めたパパが、ゆっくり話をした。その優しい声と温かい手が嬉しい。
「カリスが失敗をするのは当然だ。まだ子どもだからな。いっぱい失敗をして、徐々に上手になっていく。俺もアガレスも、プルソンやマルバスだってそうだぞ」
「パパも?」
「ああ、いっぱい失敗をした。さっきの引き出しは危なかったな、頭に大きいコブが出来るところだったぞ。次からどうする?」
「パパかアガレスに頼む」
「そうだな、プルソンでもいい。近くにいる大人に頼む。そうしたら次は危なくないだろう? カリスが大きくなったら、他の小さな子を手伝ってあげるといい。順番だ」
順番……今は僕は何も出来なくて、いっぱい大切にしてもらってる。だから僕が大きくなったら、次は小さな子に同じことをする。その子もきっと喜ぶよ。
「そうだ。カリスは賢い」
パパは僕を抱っこしたまま、背中を撫で続けた。本当はお仕事あるからいいよ、って言いたいけど……今日だけね。このままぎゅっとしてて欲しかった。パパは何も言わなかったけど、僕を抱っこする手は温かくて優しい。大好き。