63.後悔しながら朽ち果てよ
言葉通り、俺を信じて目を閉じ耳を塞ぐカリス。愛しいあの子に触れた男の手を引きちぎった。ああ、力加減が難しいな。これでは簡単に死なせてしまう。カリスの上に汚れた血が滴るのも許せない。
「我が君、簡単に殺してはなりません」
「私共にお任せください」
「よかろう。下げ渡す」
許可を与え、俺は距離を詰めた。焼け爛れ醜い己の手を伸ばし、男からカリスを奪い返す。愛しいカリスがバランスを崩すが、俺の手に触れた途端に表情を和らげた。見えていなくても理解している。その真っ直ぐな信頼が嬉しかった。
カリスの膝から落ちた狼のぬいぐるみを拾い、乗せ直した。抱き締めたカリスからは、痛みに耐える声は漏れない。大きなケガはないようだと安心した。抱き寄せて頬擦りし、アモン達が男の逃走手段を奪ったのを確認して頷く。
両足首を砕き、両腕は後ろに捻り上げて肩を切り裂いた。魔法を作り出す頭に短剣が突き刺さっている。それでも死ねないのが、ゲーティアの悪魔だ。逃走防止の措置を講じた獲物を後ろに隠し、アモンとアガレスがカリスの視界を塞いだ。幼子に汚い物は見せたくない。
「もういいぞ、大丈夫だ」
カリスの頭を撫でて、安全だと伝える。ぎゅっと瞑った目の影響で寄った眉間の皺を撫でて伸ばした。ゆっくり解かれて、美しい青い瞳が現れる。濁っていない透き通る色は、晴れた空のようだ。ぱちぱちと瞬きして俺を映し、耳を塞いでいた手を外す。
「もう平気?」
こてりと首を傾げるカリスの仕草に、自然と気持ちが安らいだ。お前が無事ならば、俺の両手両足をくれてやってもいい。そう思うほど、大切な我が子だった。
抱き上げたカリスは、先に帰ると告げたアモンやアガレスに手を振る。左手でぬいぐるみを抱きしめ、見慣れた自室をぐるりと見回してから安堵の息をついた。空間転移を怖がる様子のないカリスをベッドに座らせる。手足を順番に確認した。
ケガはないと言うが、後で痛みを思い出すことも儘ある。緊張していたり興奮していると、痛みはしばらく鈍くなるのだ。骨は折れていない。血も出ていない。だが首元に襟が擦れた傷があった。触れながらさっと消し去る。
「悪かった。迎えにいくのが遅くなったな」
「平気、パパに痛いとこない?」
カリスの心配そうな眼差しが示す先に、あの男の血が付いていた。返り血だ。だがこの子に伝える必要はない。無事だと答えて風呂に運んだ。
あの男が触れた場所を洗い、痕跡を消し去らねば満足できない。カリスの記憶からも消し去りたかった。
「お迎え、ありがとう」
すごく嬉しかった。そう伝えるカリスの真っ直ぐな心を受け止め、契約印を通じて届く優しい気持ちに顔が緩む。無事でよかった、泣かせずに済んだ。もう二度と離したりしない。
さまざまな気持ちが渦巻いた。信じて待っていたカリスの勇気を讃え、褒めて何度もキスを落とす。疲れが限界を超えたのか、眠りの舟を漕ぎ始めた幼子を柔らかなベッドに寝かせた。ぐずるように狼を抱きしめ、俺の黒髪を掴む。幼子の小さな手にキスをして、大切な息子を腕に閉じ込めた。
あの男の処分も、事情を探るのも、俺が手を下すまでもない。あのような虫けらはアガレスを筆頭とする配下が許さぬ。悪魔皇帝の宝に手を出したのだ。未来永劫許される日は来ない。カリスに手を出したことを後悔しながら朽ち果てよ。