62.大切な我が子を、誰が奪った?
カリスが誘拐された。わずかな隙を突かれた形だ。目を離したのはほんの数分だけ。魔王城内でカリスに危害を加える者がいるなど、考えもしなかった。
アガレスが緊急の書類を持ち込んだため、起こさないようベッドを抜け出した。羊の着ぐるみですやすやと眠る幼子は、狼のぬいぐるみを抱いて愛らしい寝顔を晒す。優しく頬を撫でて離れた。
続き部屋になっている執務室で書類を片付け、カリスが起きていないか心配しながら扉を開く。ベッドの上にカリスの姿はなく、ぬいぐるみごと消えていた。起きてトイレにでも行ったかと思った時、頭に響いたのは、カリスの不安そうな声だ。
――パパは出かけてるだけだもん。僕は捨てられてない。
泣いているのか? 慌てて姿を探すが近くにいない。契約者と悪魔は契約印で強く結ばれている。それなのに、居場所が瞬時に特定出来なかった。
「アガレス!」
「どうしまし……?!」
魔力が渦巻く。俺の手の中にいた大切な我が子を、誰が奪った? 誰が傷つけようとしている! この悪魔皇帝バエルの契約者ぞ!!
パシン、魔力の触れた窓ガラスにヒビが入った。室内がじわじわと闇に染まっていく。
「我が君っ! カリス様の思い出を塗り潰すおつもりですか」
その声に慌てて魔力を回収する。滲み出た魔力が染めた闇を消し去りながら、気持ちを落ち着けようと深呼吸する。
「カリス様に何かあったのですね?」
確認するアガレスの表情も険しい。牙を剥き出しにして唸るように吐き出した。ぎゅっと拳を握り、頷く。
「アモンを呼び出しましょう。それと……後詰めにマルバスを」
手配をアガレスに一任し、カリスとの繋がりを辿る。結界内か、または魔力の磁場が強い場所にいるのだろう。聞こえてくる不安そうな声は、時折途切れる。揺らいでまた繋がる。その度に、方角と距離を詰めながら特定した。
イライラする、時間がかかる。あの子が俺を呼んでくれたら、契約の道が繋がるのに。願いが届いたのか、カリスの声が強くなった。
「パパ……っ、僕はここだよ」
繋がった! 完全に居場所を特定した瞬間、アガレスに声をかける間も惜しんで飛ぶ。呼び止める彼の声を背中に、召喚の痕跡を辿って空間を捻じ曲げた。
怒鳴り声と、カリスの怖がる感情が届く。安物の硬いベッドに倒されたカリスに、男がのしかかっていた。目にした光景に、神経が焼き切れるほどの怒りを覚える。まだ幼い我が子に何をしている? 怖がらせ、怯えさせ、泣かせたのか。
「動くな!」
叫んだ声に魔力を乗せて威圧した。男は慌ててカリスを盾にしようと胸ぐらを掴む。苦しそうに顔を歪めるカリスに優しく声をかけた。
「安心しろ、カリス。すぐに助けてやる」
疑うことなく「うん」と頷いたカリスの表情が和らぎ、かざされた男の手に怯えて強張った。
その腕でカリスに触れること、相成らぬ! 普段は使わぬ魔眼を解放し、魔力を乗せて男の腕を捻る。手首が砕け、骨が折れる音が響いた。この程度で許されると思うなよ。全身を砕いて、我が息子を怯えさせた罰を与えてやろう。
だがその前に……カリスの目と耳を塞いで、この汚らしい男から切り離さなくてはならん。続く激痛の悲鳴を遮断しながら、カリスに語りかけた。さあ、目を閉じて耳を塞ぎなさい。そうすれば、この父が悪夢をすべて取り除いてやろう。