39.パパの名前を書けるようになりたい
綺麗なお花をもらった。鉢植えになった花は、綺麗なピンクの蕾がついている。指先で触れると大きく揺れる。びっくりした、取れちゃうかと思った。僕の親指くらいの蕾は細長い。もう少し大きくなって膨らんだら、先端から開くんだって。
「ありがとう、パパ。大事にするね」
「気に入ってよかった」
パパがくれるのに、気に入らないのはないよ。お洋服やご飯も、一緒にいる時間も全部素敵。僕がパパにもらって一番嬉しかったのは、名前だった。僕だけの、僕を示す名前なんて初めてだもん。前は「おい」とか「そこの」と呼ばれたけど、あれは名前じゃないと知った。今はちゃんと「カリス」と呼んでもらえる。
お花は窓に近い机の上に置いた。ウヴァルが探した机なんだよ。今は使ってないから置いてもいいって。僕の上半身しか乗らない丸い机の真ん中に載せたの。ここなら落ちないと思う。嬉しくて触りそうになる僕に、笑いながらパパが注意した。
「あまり触ると、咲く前に落ちてしまうぞ」
「そうなの? 我慢する」
僕、ちゃんと我慢できる。手を握って拳にして、指を出さなければ触りたくならないよね。すると、パパが僕の手を開いて字を書く棒を握らせた。
「早く俺の名前を覚えてくれ。カリスの書いた字を飾るのだからな」
僕がパパの名前を書けたら嬉しい? 見本で書いてくれた名前を見ながら、黒い板の上に書く。真似してるのに同じにならなくて、消してからもう一度書いた。「バエル」の「バ」が難しい。傾いちゃうし、右に付いてる小さな文字が変になる。僕と同じ字がないから、全部覚えなくちゃ。
夢中になって字を書いていたら、ご飯の時間になった。
「ほら、ご飯だ。ここで終わりにしよう」
パパがそう言うけど、あと少しだけ。やっと「ル」が上手になったの。もう一度書こうとしたら、棒を持った僕ごと抱っこされた。
「カリスはいい子だろう? 先にご飯を食べて、また書けばいい」
「ごめんなさい」
今の僕、悪い子だった。ご飯はちゃんと一緒に食べなくちゃダメ。パパと一緒がいいと願ったのは僕だもん。パパは一人だと寂しいし、僕も一人だと泣いちゃうから。一緒に食べるよ。
ご飯の机は白い布が敷いてある。汚れちゃうのが心配だったけど、パパが食べさせてくれるから平気。銀のスプーンという道具を右手に持って、「あーん」と口を開ける。パパが掬ったのはスープだ。今日はとろっとしてなくて、さらさらだった。お肉じゃなくてお魚が入ってる。透明っぽい色だけど、うまい。じゃなくて、美味しい。
「美味しい」
「そうか、どれ」
パパも食べて美味しいと言った。同じ物を一緒に食べると、美味しい気持ちも一緒になる。スプーンを持つために机に置いた棒が片付けられた。棒を運ぶアガレスを目で追いかけると、板の横に置く。よかった、ご飯が終わったらまた書こう。
「パンはどちらが好きだ?」
赤い果物が入った甘酸っぱいパンと、真っ白でふかふかのパン。両方とも、この家で初めて食べた。どちらも好き。選べないよ。困って首を傾げると、パパが「意地悪じゃない」と言いながら、両方少しずつ千切った。先に白いパンを食べる。飲み込んだら、次は果物が入ったパン、こっちのがちょっと硬い。でも味がいっぱいして美味しかった。
「これも食べろ」
色が付いた綺麗な野菜、それからお肉も。「あーん」をして食べる。向かいでアガレスがぽつりと呟いた。
「何のためにスプーンを持たせたのですか」