【サポーター特典SS】※2022/09/11公開
愛らしく純粋な御子だ。最初の印象がそれだった。蹄のある悪魔は地位が低い。それでも気にせず手を握り、勉強を頑張ると約束なさる姿は、愛されて育った過去を想像させた。しかし実際は真逆だ。虐待され傷つけられ、生存ギリギリまで奪われ続けた。
このように内面も外見も美しい子どもを虐げることが出来るなど、人間ほど残酷な種族はいない。文字を覚え、皆の絵を描く。嬉しそうに笑いながら、両手を絵の具やクレヨンで汚して……顔に触れた指先が青い色を残した。取り出したハンカチで丁寧に拭う。
蹄を変化させた手は人間と似ているが、悪魔の中には触れるのを嫌がる者も少なくなかった。初対面から褒めて握るカリス様の優しさ、聡明さは際立っている。この方の教育係を仰せつかった栄誉に、身の引き締まる思いがした。
「ありがとう」
「いえ。どういたしまして」
たくさん描いた絵は、なんとも独創的だった。もっと上手に描く者はいくらでもいる。目の前の光景をそっくりに写し取る者、幻想的な世界を描き写す者も。だが、これほど生き生きとした絵はないだろう。歪な線を補う躍動感と色使いに目を細めた。
「これはアガレス様ですかな?」
「うん。今度あげる約束したの」
立場や種族の分け隔てなく味方に取り込む幼子は、にこにこと笑顔を振りまいた。魔皇帝や暗黒宰相と呼ばれる方々でさえ、カリス様の虜だ。小さな指が、すでに描き終えて乾かした絵を引き寄せる。絵の余白へ黒いクレヨンで文字を書き始めた。
「セ、ー、レ」
もう一枚取り出して、今度は見覚えのある名前を記す。
「プ、ル、ソ……ン」
ソとンの角度に悩んで、紙を傾けながら見事に書き分けた。どちらも読みやすい大きな文字だ。
「私ですか」
「うん! プルソンはまだ約束してないけど、大切な人だから描いたの。ここの蹄が難しくてね、何度も直したんだよ」
無邪気に笑う子どもの絵が、じわりと涙で滲む。蹄があるから、ただの文官だから。自分で自分に限界を作った愚かな男に、この子は大切な人と言った。それが嬉しくて瞬きで涙を誤魔化す。
「ありがとうございます。大切に飾りますね」
受け取った絵を見つめ、濡らしたり折れたりしないように丸めた。持ち帰って一番いい額に入れよう。いや、新しい額を買った方がいいか。浮かれる私に、カリス様は手を伸ばした。
「セーレのところも行きたいの、一緒にお願い」
一人で出歩く危険性を言い聞かされたカリス様のお願いに、私は頷いて廊下に出た。途中でマルバス様と擦れ違ったので、セーレのところへ向かうと説明する。カリス様が絵を広げて「セーレにあげるの」と得意げに胸を張った。マルバス様は羨ましかったようで、自分の絵も約束している。
だから大人げないと知りつつ、頂いた絵を披露した。
「私も描いていただいたのです」
「マルバスは今度ね」
手を振って別れ、下へ降りる。階段を一段降りるたびに足を揃えるカリス様と到着した厨房は、甘い香りがしていた。ドアを開ければさらに匂いが強くなる。
「セーレ。絵を持ってきたよ。あ! 僕の好きなクッキーだ」
「約束通りだね、カリス様。あーん」
素直に口を開けたカリス様の唇が、クッキーを器用に挟む。普段からバエル様に食べさせてもらっている彼は、慣れた様子で残りを口に押し込んだ。もぐもぐと頬を膨らませて咀嚼する姿を見ていると、セーレに「あんたも」とクッキーを差し出された。
残念なことに右手はカリス様と繋いでいるし、左手は大切な絵がある。首を横に振ったところ、カリス様同様口に押し込まれた。いや、私に対する仕草の方が手荒いか。
「子どもじゃあるまいし、両手に欲張るんじゃないよ」
指摘されて、苦笑いした。するとセーレの頬が赤くなる。釣られて赤くなった私に、カリス様が「あーん」とクッキーを差し出す。ぱくりと口に挟んで、夢中で咀嚼した。恥ずかしくて顔を上げられない。
「カリス様、明日は柔らかいスポンジのお菓子を作るから、一緒にやろうか」
何もなかったような顔でカリス様を誘うセーレが、ちらっと私を視界に入れた。ぶっきらぼうな口調で付け足す。
「あんたも、カリス様と一緒に来たらいいさ」
「あ、ああ、そうさせてもらう」
居心地のいい空気が漂い、甘い香りに包まれる。その中心でカリス様は幸せそうに笑った。