外伝6−2.失う可能性と恐怖に震えた
カリスが足を踏み外した時、わずか半歩遅れた。指先を掴んだと思ったのに、するりと抜けて落ちる。ぞっとした。この子が俺の手が届かない場所に行くことが、本当に怖い。
時期が悪かった。ゲーティアに雨は滅多に降らない。だが全く降らないわけではなく、年に数回降る雨を「呪われた祝福」と呼んだ。魔法が一切使えなくなるのだ。捜索のために、契約者の繋がりで声を聞くことは出来る。だが、こちらの声をカリスに届けることは不可能だった。
カリスの居場所は崖の下だ。しかし落下すれば、捜索範囲は真下だけではない。部下を呼び寄せ、騎士団を投入して探した。早くしなくては、この雨はカリスの体力や気力も奪ってしまう。悪魔の魔力を封じるため、集まった騎士や兵士も魔法が使えない。それでも文句一つ言わず、カリスを探してくれた。
魔皇帝の命令だからではなく、あのカリスが行方不明だから……と。呪われた祝福の雨は彼らの気力も奪うため、短期で集中しての捜索だった。
騎士が発見したと叫び、すぐに駆け寄る。左足が不自然な方向へ折れ、激痛があるだろうに我慢していた。背中など広範囲を打ちつけたため、全身が痛むらしい。壊れ物のように抱き上げ、魔法での治療が出来ないことに唇を噛んだ。
すぐに雨の当たらぬ暖かな部屋で治療しなくては。高熱に潤んだ瞳で見上げるカリスに雨が当たらぬよう、上着で包んで運んだ。羽を広げる。まだ天使の頃の象徴が残っていることを、恥と思ってきた。まるで未練のようだと。しかし今は関係ない。持っている能力はすべて使い、カリスを助けることが先決だ。
先に行くと告げて、羽で飛んだ。騎士達もすぐに引き上げるはず。暖かな部屋で濡れた服を脱がせ、乾かしてから清潔な衣服とシーツに包んだ。うとうとするカリスの高熱はすぐ下がらない。雨に打たれ過ぎたのだ。
カリスは自分を人間だったと認識している。雨に濡れて体調を崩したのもその一環に見えるが、実際は体力や気力を雨に奪われていた。ならば減った分を足してやればいい。アガレスやマルバスが協力を名乗り出て、カリスに魔力を注いだ。騎士を指揮していたアモンも加わる。真っ赤な頬や額の色が薄れた、熱が落ち着いた頃、ようやく安堵の息を吐いた。
「すまん、判断ミスだ」
呪われた祝福の雨が降ることを見落とした。出かける前に気づけば、日付をずらすなり対策できたのだが。手伝ってくれた彼らに礼を言い、詫びも伝えて頭を下げる。親としてのケジメだった。
「構いませんわ」
「そうです。カリス様のことならば、いくらでも協力します」
心強い味方の多いカリスは治療も終わり、すっかり夢の中だった。雨に打たれて奪われた魔力の代わりを、アガレスが埋めた。治療を施され、ようやく痛みもすべて消えた幼子は、すやすやと夢の中だ。
「心のケアは陛下にお任せします」
見透かしたようにアガレスはそう告げると、さっさと引き上げた。心配そうにしながらも、アモンとマルバスが続く。侍女達も水やタオルを用意すると退室した。
静まった部屋の中、カリスの寝息だけが聞こえる。失わずに済んだことに感謝し、カリスの手を握った。まだ少し熱い。言われなくとも、カリスの心の声は聞こえている。お前は悪くない。だからゆっくり休め。起きるまで、いや起きてからも隣にいるから。
まるで聞こえたように、カリスの寝顔が和らいだ。