178.変わりゆく世界と変わらぬ思い
神を封印し、その地位と能力を凍結する予定だった。四大天使がすべてカリスに協力したため、実現した話だ。にも関わらず、神は消滅しなかった。
力を使って眠る息子の腕の中で、ちらりとこちらを窺う猫は、背中にコウモリの小さな羽を背負っていた。これが世界を創った創造主であると、誰が信じるだろうか。首根っこを掴んで捕まえ、力一杯叩きつけたら死んでしまう程度の魔獣と変わらない。
「いいか、カリスに害を加えたら殺す。いや、傷ひとつでも殺すぞ」
――分かっておる。この身を生かしたのは、心眼の堕天使だ。我が主人として契約した故、裏切ることは出来ぬ。
裏切る気がそもそもない。そう言って、猫はにたりと笑った。気持ち悪いその顔を、カリスに向けたら歯を全部抜いてやる。予告にぶるりと身を震わせ、元神であった魂は小さく零した。
――今の我に大きな力はない。すべてを放棄した。ただの小さな猫に目くじらを立てるでないわ。狭量じゃぞ。
「そう創ったのはお前だろう」
反論しながらも、俺は理解していた。彼の手を離れた天使が離反し、悪魔となった。堕天は、すなわち成長の証でもあるのだ。
何の疑問も持たずに神の命令に従ううちは、ただの量産品にすぎない。天使とは大量生産された人形だった。自我を持ち、己の意思で反旗を翻した者が、初めて成功品として認識される。神にとって悪魔とは、自我を吹き込むことに成功した天使の完成品だった。
神の能力を持ってすれば、離反した天使を消滅させることなど造作もない。にも関わらず生かし、抑圧して虐げたのは……歪んだ愛情だった。離反した自我の発生が愛おしくもあり、同時に思うようにならないことへの苛立ちが募る。近くに置けば壊してしまうので、遠ざけたのが答えだった。
天使であり悪魔であるアザゼルが己の魂と存在意義をすべて注ぎ込み、生み出したのがカリスだ。生まれながらに天使であり悪魔である。故に堕天使でもあった。どこまでも純粋なのは、親であるアザゼルから記憶を引き継がなかったから。
「アザゼルは、よほどお前が嫌いらしい」
――知っていたが、愛おしくてな。
手放してやることが出来なかった。そう呟いて、猫はにゃーんと鳴く。神としての意識を底に沈め、作り出した猫の体の中で眠りについた。しばらく目覚めることはないだろう。
「バエル様、カリス様!」
「陛下! ご無事ですか」
神の座から降りた俺の周りに集まる悪魔は、誰一人欠けていない。天使も手傷を負ったものの、死者は出ていなかった。
「神の座は消滅した。帰るぞ」
「「はっ」」
アガレスとアモンが最敬礼をとる。背後に控える騎士や兵士が一斉に従い、見慣れた光景に口元が緩んだ。ようやく帰って来たと実感できる。この俺に従って神に叛いた彼らこそ、帰る場所だった。
もぞもぞと動くカリスが、猫を強く抱き締める。苦しそうにしながらも、爪を立てずに我慢する猫を摘んで引っ張った。楽になったのか、にゃんと鳴く。
「落ち着いたら遊びに行くから、よろしく」
「カードで遊ぼうって、その子に伝えて」
ミカエルとウリエルがにこやかに手を降り、見送られながら凱旋する。ここから天使と悪魔の立ち位置が変わり、世界は新しい時代を迎えるはずだ。
まあ……人間共への扱いはどちらも大差ないだろうが。少なくとも天使と悪魔が憎しみ合い、戦う未来は回避された。すやすやと寝息を立てる我が息子の手柄だ。願いを叶えてやらなくては、な。