次の幸せ
裸足で歩道をぺたぺたと歩く。
夜も更けてきたせいか肌寒く、少しでも温めようと自分を抱きしめてさすっていると、そんな私を嘲るように雨が降り出してきた。
なんの抵抗も出来ずに雨に濡れていく自分が、通り過ぎる車のライトによって何度も照らされ、惨めに思えて、悲しくなり、思わず泣きそうになる。
ここで泣けば更に惨めになるぞ、と涙を堪えながら歩いていると、どうしてこんな目に遭わなきゃならないんだろう? なんてくだらない疑問が浮かぶが、これは私が決心し下した判断の責任だ。とすぐに疑問を振り払い、現状を受け入れる。
でも、どうしたって、この足の痛みだけは受け入れられない。
普段外出することも無く、こんな長距離を歩く機会がなかった私の足は、家からずっと歩いてきたせいで疲労が溜まっていて、足の裏に至っては、小石で切れて出血していた。
靴を履けばよかったなと後悔するが、今更後悔しても状況は変わらない。
仕方ないので、近くにあった公園のブランコに腰掛ける。
裸足で雨に打たれながらのブランコなんて、滅多に経験しないだろうな、と力無く笑う。
「あーこれからどうするんだろう私」
まるで子供のように、足を前後にバタバタさせてみる。
これから、かぁ…。
自分の発言から、ぼんやりとこれからの自分の生活を妄想する。
アパートで一人暮らしを始めた私は、やり甲斐のある職に就いて、休日は職場で出来た友達と過ごし、夜は明日の楽しみを想像しながら眠りにつく。淡々とした日々にならないよう、年中行事をやったっていい。バレンタインには友達にチョコを贈って、クリスマスは少し童心に帰ってプレゼント交換なんてする。友達の誕生日だって祝うような、普通の人が普通に手に入れられる幸せな生活を送るんだ。
それでも、雨の日の夜は、今日のことを思い出すんだろうな。
母は私が物心ついた時から、毎日のように家に知らない男の人を連れ込んでは夜の営みをし、日々のストレスは私への暴力で発散する、まさに絵に描いたような毒親だった。
私という人間に対して微塵も興味を示さない母は、当然、食事を出してくれるわけでもないため、幼い頃はゴミ袋を漁って母の食べ残したものを食べて、なんとかその日その日で生きていた。
漁るなんて簡単に言ったけど、実際はそんなに簡単じゃない。
母に見つかれば汚いと罵られて暴力を振るわれるし、そもそも、母が何も食べ残していなければ、その日は何も食べることができなかったりする。五日間くらい何も食べられないことは、別にそう珍しくなかった。
十三歳になってからは外出するようになり、コンビニのゴミ袋を漁るようになった。
その時、そこの店長さんに出会い、コンビニで働かせてもらえることになって、余った廃棄される予定の物を貰ったり、スーパーで安売りされてるインスタント食品を買ったりして、なんとか生活することができていた。
ゴミ袋の中以外の食べ物を一口かじった時、生まれて初めて、食べ物が美味しいことを知って、涙を流しながら夢中で頬張ったことをよく覚えている。
でも一見、働くことが可能になり、安定してご飯が食べられるようになったように思えても、気を抜くと母や、母が連れ込んだ男の人に、私が貯めておいた生活費を取られるので、不安定なことに変わりはなかった。
加えて、母からの暴力で動けなくなる日も少なくなかったから、運が悪いと何も食べられないことが何日か続いてしまう。
成長すればするほど、自分の現実がより鮮明に理解でき、次はいつ暴力を振われるんだろう、いつお金を奪われるんだろう、と怖くて息をすることもままならない、心が擦り切れるような毎日を送っていた。
十八歳になる頃、そんな毎日の中に彼が現れた。
同じコンビニでアルバイトを始めた彼に、私が色々仕事内容を教えていると、徐々に距離が縮まり、やがて彼と私は惹かれあっていった。
彼は何も知らない私に、愛を、そして多くの幸せを教え、私の世界を広げてくれた存在。
そんな彼のことを、私は心から愛していた。
二十歳になると、彼は私を家から連れ出して、新しい家に住まわせてくれた。
「何もしなくていいんだよ」と言う彼に私が、「何もしないのは嫌だ」と反対すると、彼は「それじゃあ、一緒に朝を迎えて、仕事に行く僕に笑顔で行ってらっしゃいをして、僕が帰ったら思いっきり抱きついて、その後一緒に寝てほしい」と言った。
それでも、そんな事でいいのかな、と不安を隠せない私に、君は付け加えて「あと、家事を少しずつ、できる範囲でしてくれると嬉しいな!」と、優しく笑って頭を撫でてくれた。
彼は、私と過ごせる日々が幸せだと、毎日、口癖のように笑って言ってくれた。
それは私も同じで、愛し愛されてる関係の人と一緒に過ごしている環境の中に、自分に役割という名の明確な存在意義があって、精神的にも落ち着いて安心できる日々を送れて、幸せ以外のなにものでもなかった。
これからもそんな日々が続いていくのだと、そう盲目的に信じていた。
でも、数ヶ月後、彼の職場が倒産してから全てが変わってしまった。
新しい就職先を探すのに、すっかり心が荒んで余裕のなくなってしまった彼は、お酒をよく飲むようになって、その勢いで私に暴力を振るうようにもなり、時には性行為を強要することさえあった。
暴力や性行為で、母の記憶が蘇り、吐きそうになるような日々を耐えることができたのは、彼が落ち着きを取り戻すと、私を抱きしめて泣きながら謝ってくれたからだ。
「君しかいないんだ」と言う彼の肩は震えていて、そんな彼を愛し続けたいと心の底から思った。
そして、同棲が始まる時に、「一人じゃ退屈だろう」と彼が私にくれたスマホを使って、日々の記録をSNSに残し始め、一日一日を大切にするよう努めることにした…が、それが全ての始まりだった。
SNS内で、彼が私にすることはDVというものだと知った。
そして、彼が抱く私への感情は、執着や依存でしかなく、性行為は支配欲を満たすためだけで、愛なんてどこにもないんだということ、私が彼に抱く愛だと思ってたものすら、もはや愛ではないということも、知ってしまった。
それから、唯一の救いだった私を殴った後に抱きしめてくれる彼の温もりすら、ただただ気持ち悪く感じられ、吐かないようにすることに必死で、彼との日々を記録するSNSでは、苦痛の声しか残せなくなっていき、その度に「私は彼をもう愛してはいないのだ」と実感させられ、自己嫌悪に陥るような日々を送っていた。
結局、そんな日々に耐えられなくなった私は、同棲から一年半経った今日、彼が眠っている隙を狙って、玄関だと大きな音が鳴るので、裸足で窓から家を出た。
テーブルの上に、これまでの感謝と、別れを綴った手紙を残して__。
過去に浸っていると、いつの間にか雨は止んでいた。
夜風が濡れた私の身体を冷やす。
その冷たさが、私の孤独を浮き彫りにしているように思えて悲しくなり、涙が目いっぱいに溜まるが、こんなところで泣くまいとリラックスするため、はぁ。と白い息を吐く。
ふと、スマホがブーブーと音を立てたのが聞こえて、ポケットから取り出す。
泣きそうな自分を誤魔化せると思い、勢いのままにスマホの画面を確認すると……。
__彼からのLINEだった。
さっきまで歩いていたり、ぼんやりしていて気づかなかったらしく、何十件も不在着信の表示があり、メッセージも、三桁を超えている。
メッセージの内容は、私を心配するものと、離れないで傍にいてくれと懇願するものだった。
そこには執着や孤独への恐怖心しか感じられなくて、誤魔化そうと思った涙が、より一層、溢れる。
あぁ、そうだ、上を向こう。そうすれば涙が引っ込むって、君に教えてもらった。
上を向いて、ついでに「あーあー」と声を出して誤魔化す。
でもそんな私の抵抗も虚しく、涙はすぐに零れ落ちた。
「おかしいな……涙、零れちゃったよ」
せめてもの強がりで少し笑いながらそう言ってみると、余計に涙が零れ、口が震えた。
覚悟を決めて家を出たはずなのに、弱いなぁ……私。
これ以上強がることも出来ず、力なく俯くと、膝にポタポタと涙が落ち、その涙が丸い染みを残していく。
明日からは、自分の足で前に進まなくちゃいけない。ちゃんと、また進み出すから、せめて今だけは、俯くことを許してください。
自分の弱さを受け入れ、許したうえで次に進む。それも、君が出会って間もない頃に教えてくれたことだった。
君から教わったことや、君と過ごした時間を無駄になんてしたくない。だから、今は教わった通り、この弱さを受け入れて泣きます。いっぱいいっぱい、泣きます。
しばらくして涙も収まってきて、なんとなく空を見上げる。
すると、そこには少し前まで雨が降っていたとは思えないほど綺麗で、雲一つない星空が広がっていた。
同棲したての頃、君とこんなに美しい星空はないと感動した時より、ずっとずっと綺麗で、何故だか少し笑ってしまう。
「愛してたのに、幸せだったのに、おかしいよね。君と見た時より、ずっと綺麗に見えるんだ」
もう、君とあの頃のようにはなれない。君に愛されることも、君を愛すこともできない。辛いし、これから自分はどうやって生きていくのか見当もつかなくて不安だ。
それでも私は、この決断が間違っていないと、分かってる。
分かってるから、君の元へは戻れないし、戻らない。
前に進むんだ。
「あーあ!」
大きな声を出してから、君との連絡先を全て消去し、立ち上がる。
まだ、暫くは、この寂しさに慣れなさそうです。
お読みいただき、ありがとうございます。
主人公と同じ星空は見れたでしょうか。
もし、澄んだ星空を見ることが出来たのなら幸いです。
実はこの作品、「読んだら勇気がもらえる小説を書きたいな」という思いから書いたのですが、少しでも前向きな気持ちになれたり、心が晴れたりしたでしょうか。
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