ポンニチ怪談 その21 新型ワクチン
政府要人と親しい芸人ズルノはある使命を帯びて外国から帰ってきたが…
「よ、ようやくトーキョーかあ」
隣県にある国際空港から人知れず車を走らせて、数時間。夜もかなり更けて、街灯の明かりが照らされていたが
「やっぱり、切れてるとこがあるな。メンテナンスとかやってないんだろうな。たぶん」
つぶやきながらもズルノは目的地に急いだ。
「早く届けなきゃ不味いんだよな」
以前なら一時間もかからなかったはずだ、高速道路や縦貫道路などの整備がされていれば
「ウイルスがはやったせいで、ほんと人がいなくなっちまった。ちゃんと修理とかしてないから、あちこちコンクリとか剥げてやがるし」
ブツブツいいながらもズルノは周囲に目をやり、舗装のひび割れ、穴などに注意する。
「ちょうど高速の整備時期とかとパンデミックが重なって道路工事とかやる人がいないっていわれても、困るんだよな、ほんと」
昼間、ゆっくり走ればよかったのだが、飛行機を降りてから予想以上に時間がかかっている。
「夜だと見えづらいんだよな。明かりもあんま着いてないし。政府の予算とかで拘束の道路の明かりは全部LEDに替えときゃよかったのに、ってそれぐらいならウイルス対策とかしてるか」
それに、その国家予算とかって俺たちがテレビとかに出るのに使われたんだっけと、ズルノは小声でつぶやく。誰も聞いていないとはいえ、後ろめたさが多少あるのか、声がつい、小さくなる。
「ズルいって言われるか、ズルいズルノって。でもさ、そのおかげで…うわ」
突然目の前に車が飛び出してきた。急いでブレーキを踏んだ。
「な、なんだよ、え、後ろも!」
車線をはみ出して横向きに止まったズルノの車のすぐ後ろに後続車が止まっていた。よくみると左右にも不自然に車が止まっている。
「囲まれた、まさか、強盗…」
「あいつは、ズルノはまだか」
白髪交じりの頭に皺だらけの顔。年齢よりだいぶ老けた顔でいらつくようにいう男をそばにいる薄毛の男がなだめるように言った。
「飛行機はすでに到着したとの報告ですが、何分いまの時勢ですし。高速道路でも白昼堂々と犯罪が行われているという噂をあります」
といいながらも薄毛の男は腕時計を気にしている。
「あの長官、やはり芸人などに運搬させるべきではなかったのでは」
部屋にはもう何人かの男女がおり、その中の若い一人が口を開いた。
「何を言う副長官。これは極秘中の極秘なのだ。政府でもごく一部のものしか知らん。首相、そしてわれらの最重要事項なのだぞ」
「その最重要事項の任務を素人の芸人にやらせて大丈夫でしょうか。内閣調査室の生え抜きや警視庁公安部のエリートたちに依頼したほうが」
「そちらはもう一つのほうを担当させている。君のいうこともわからんではないが、何しろあのウイルスの猛威は全国民に及んでいる、上も下も関係なしだ。警察やら調査室の奴等とて例外ではなく既に死者もかなりの人数に及んでいる。ウイルスは武器や諜報活動で防げんのだ。我々の利点は検査と治療を早く行えることぐらいだ。それとて間に合わなかっただろう副首相は」
「副首相はご年齢がご年齢ですし、幹事長も」
「だから老齢が多いと言われるわが国でこそ、開発を急ぐべきだったのだが。やはり資金が、いや人材が」
「ああ、やっぱり、野党の奴等のほうが正しかったのか!基礎研究費を削り、研究所、保健所の数を減らしたのがまずかったのか」
長官たちの会話を聞いていた眼鏡の男がこらえ切れなくなったように叫ぶ。
「何を言うんだ大臣、あんたがたも、賛成しただろう。だいたい副首相なんぞ、自分の年齢も考えず高齢者医療は削れといったんだぞ」
副首相と数歳しか違わない大臣は長官の言葉にうなだれた。
「とにかく、あの二つが揃えばなんとかなる、なんとか」
揃わなかった場合は?その問いを発することすらできないほど怯えた面々はズルノをひたすら待っていた。
「お前、やっぱりズルノだな、その車見覚えがあったんだが」
体格のいい40歳前後の男が前の車からでてきた。着ているのは上等そうなスーツだったが、ところどころ擦り切れ薄汚れている。
「覚えちゃいねえだろうけど、俺も芸能人とか呼んでパーティーとか開いたことあるんだぜ。高層ビルのワンフロア借り切ったりしたよ。ほんの半年前ぐらいだが、ずっと昔みたいだぜ」
よくみると男の髭は伸び放題で、シャツもネクタイもヨレヨレだ。
つんと、異臭がした。
何日も風呂に入っていないのだろう。
気が付けば、前後の車からも男たちが出てきた。あちこちから汗臭いような酸っぱい匂いがただよう。
「ああ、もう俺ら家もないからな。高級マンションどころか安アパート借りることすらできねえ」
「社長、お話はそろそろいいんじゃありませんか」
「そうだな、おい」
男たちがズルノを取り囲んだ。
「お前、今日外国から帰ってきたみたいだな。この時期にそんなことができるなんて、何かわけがあるんだろう?うん?」
社長と呼ばれた男がズルノに近づいてきた。
「た、たいした用事じゃ、な、ないです」
額に汗がにじみ出る。恐怖で膝がガクガクしてきたが、ズルノはそれ以上話そうとはしなかった。社長はいきなり声を荒げた。
「そんなわけねえだろう!いいか、この国はな、アホ政府のおかげでウイルスの封じ込めに失敗したんだよ!そのおかげで今や世界の鼻つまみ者、国民はバイ菌扱いだ!ビジネスどころか、この国に帰化した人間でさえ母国に帰れねえんだぞ、ただの芸人が外国にいってかえってこれるか!」
「そうですよね。それに帰国してからすぐに空港の外に出れるなんて、ありえない。ウイルスの平均潜伏期間2週間は検疫所に缶詰めのはず。皮肉なことだが国際空港だけ以前のとおりだ。外国人向けにはいい顔をしたがる政府のやつらのおかげでね」
そばでズルノの腕をつかんだ男が静かだが冷たい口調で言った。ズルノは腕を振り払おうとしたが、全く歯が立たない。力の加減が絶妙なのか、痛くはないが抵抗はできなかった。
逃げられない。だが、どうにかして首相たちの居る場所にたどり着かなければならない。でなければ、彼らどころか自分も危ないのだ。どうにかして、この場から離れなければならない。
「そ、その、すっごく大切なものを預かってて、その、お、俺を荷物と一緒に無事に届けたら、大金がもらえますよ、そ、そう、お金」
貧弱な知恵を絞って、ズルノはなんとか社長に取り入ろうとした。
「はあ?金ねえ」
「そ、そうですよ、大金ですよ、この国の、その…グハッ」
作り笑いをしようとしたズルノの腹を社長は思い切り蹴飛ばした。
「バカか、てめえ。この国の紙幣なんぞ、使い物にならねえんだよ、金属の金ならいいけどよ。だいたいお前の話だと、お前いなくてもいいんじゃないの、ブツさえあれば」
「え、でも、その、お、俺がいかないと信用が」
「まあ、そうかもねえ、だが、どうせカーナビに行先いれてんだろ。それにそこに届けなくても他に買い手がいるんじゃないか」
社長の言葉をきいて、ズルノはブッ噴き出した
「ふん、そんなことない!そのワクチンは3種を打たないと効力がないんだ!世界初の新型ワクチンなんだ!一つ打った俺ならともなく、あんたがたが打っても、グウ」
二度目の蹴りをくらってズルノは気を失った。男の一人がズルノの体を支える。
「やっぱり、自分たちだけワクチンを手に入れていやがったか、この国の政府の奴等はよ」
「特にズルノは首相らの太鼓持ちと呼ばれてましたからね。検査も優先的にうけたことを自慢してましたし」
「一回かかっても二度目が怖かったか。検査拡大反対派だったくせによ。口ばっかのあの弁護士モドキの元党首だかも平熱のくせにパニクって検査をうけたんだよな、検査なんて無駄とか言いやがったくせに。あいつらアホどもと、政府のおかげで俺たちは散々だ。おう、みつかったか」
ズルノの車の後部座席にいた部下が威勢よく返事をした。
「社長、ありましたよ!多分これです」
黒光りする重いスーツケースをひっぱりだして、カギをこじ開ける。
「ダイヤル式のようです、無理に開けると爆発って仕掛けはないようですから、なんとか」
いいながら部下の一人がガチャガチャといじっていた。数分で中身が開く。
「注射器に、これがワクチンか」
「さて、どうします社長?ズルノをおいといて俺たちで偉い人とやらに交渉しますかね」
「まて、こいつもブラフって可能性もある。このワクチンが本物かコイツにうってみるってのはどうだ」
「でも、3種類目がなくていいんですかねえ」
「まあ、そうだな。すぐに効くかどうかわかんねえし。だが、必死になってワクチン運んだこいつにちょっとしたご褒美ってんで一本うつってのはどうだ?」
「何のかんの理屈つけて社長が打ちたいんですか。まったく変なおふざけが好きな方だ。一本だけですよ、他は取引に使いますんで」
「もちろんだ、ちょっとな、映画みたいな展開になりゃあ、おもしろいかってな。おい腕をまくれ」
ズルノのそばにいた男がズルノの袖をたくしあげた。生白い腕に社長が笑いながら注射器を打った。
「な、なんだと副長官、本当なのか、それは」
「は、はい、3種目、内閣調査室が運んでいたワクチンは事故で喪失」
「高速道路で爆発炎上なんてニュースは!」
「長官お忘れですか、この国のメディアはもうないも同然です。政府も我々を含みごくわずか、事実上この国は崩壊していると思われていますし」
第一、道路での事故など今では日常茶飯事記事にもなりませんよ、道路の補修どころか信号機もロクに動いてないんですから、と副長官は小さくつぶやいた。
「かつて先進国と言われたこの国がこのざまか、いや、ワクチンさえあれば。政府だけでも生き残れば」
「しかし今や2種しかありません。ズルノ氏のワクチンがなければ1つだけ、それでは無駄です」
「ああ、無駄だ。せめて、2つ目が。しかし2種だけで効くのか、やはり直接問い合わせをしなければわからないな」
長官はワクチンを秘密裏に提供してくれた国外の研究所との通信回線を開いた。と、
『ギャアあああ!』
いきなり悲鳴が聞こえてきた。
「ど、どうしたんだ!」
『ニホン国か、すまん、あのワクチンは失敗だ』
「ど、どういうことだ、3種類で完成では」
『マウスでは成功したんだ!5割の確率とはいえ、ウイルスを変異株も含めて抑え込んだ、し、しかし』
「なにか、問題でもあるのか」
『残り二つをほぼ同時に打たないと効果がないどころか、身体に重篤な変化が起こるんだ。打ったとしても人間の場合、効果がネズミほど、グエエ』
「ど、どうした、一体何が」
『私たち研究者も、もちろん、打った、ワクチンを…。だが、2種と、3種の、間が、空くと』
「どうなるんだ、」
『血圧が異常に、低下、心拍数が、の、脳が、あ、あれはゾンビ、ゴホっ』
「な、なんだって、そんな危ないものなのか!」
『新型ウイルスに、勝つには、それしか、完全な免疫を獲得するために2本目がどうしても…、しかしそれを抑えるための3本目が遅れたら、お、終…わ…り…』
声が途切れた。
後ろで悲鳴やグチャグチャという何かをかむ音。銃声や逃げ出す音などがしばらく聞こえてガチャッという音ともに回線が切れた。
「な、なんてことだ」
「長官、今の話が本当なら」
「2本目を打ったとしたら」
長官の顔は真っ青だった。
「ったく、社長の、道楽、のせいで、とんだとぱっちりだ」
男は車の陰に隠れて、息をひそめようとした。ズルノにかまれた腕の傷の痛みが邪魔する。
車体の下から見えるのは社長や同僚たちの横たわった姿。
そして
クチャクチャ
その腹をワクチンを打ったズルノが喰らっている。
胃の中が逆流しそうな光景だったが、男はなんとか車のドアをあけ、運転席に乗り込んだ。
「よかった、キーがささってたか」
急いでエンジンをかける。
「社長、すまないが、生きてたら埋めるぐらいはしますんで」
つぶやきながら男は車を急発進させた。
逃げ去る車の音に振り向いたズルノは思い出したようにつぶやいた。
「届ナキャ、ワクチン、首相」
ふらふらと自分の車のドアを開け、ハンドルを握った。
どこぞの国では新型ウイルスのワクチンの副作用の賠償は政府持ちにするとか。そんな製薬会社でも責任取れないようなもの打って大丈夫なんでしょうかねえ。もう少し治験だの研究だのをすすめてからのほうがいいんじゃないでしょうか。五輪開催とか経済大復興とか非現実的なことを夢想するより着実にものごとを進めた方がいいと思うのは作者だけでしょうか