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約束事は

「約束事は確実に」

作者: 餅屋まる

短編「約束事は慎重に」のノエル視点です。あちらを読まなくても大丈夫なようにしたつもりです。

オルネス編で殆ど発言がない分、ノエルの性格が意外かもしれませんがお楽しみいただけますと幸いです。

読んで下さっている方はセリフの重複部分が長く感じられるかもしれません。申し訳ありません。

 僕の名前はノエル=エミリア。この国の第三王子、レオン殿下の学友としてお側に仕えています。


 この国には3人の王子がいらっしゃいます。長男は今年成人を迎えられる18歳、双子の次男三男は17歳。来年の双子の学校卒業と成人を待って、王太子を決めることになっています。王子は皆幼い頃から婚約者が決められており、結婚すれば財力や勢力図が国に有利になる仕組みです。それを考慮して婚約者や自分の周辺と関係を築けるかも王太子選定の基準となっています。


 この国では約束というのは特に重要な役割で強い力を持っております。口約束であっても第三者の証人さえあれば、非常に強力な力を持つのです。公的な話の場には必ず証人役の書記がいるほど。口が滑ると足元も滑って奈落の底。常々、口には気を付けねばなりません。


 僕は幼い頃から文字を書くことが好きでした。書き取りなどを繰り返しているうちに、その筆記の早さと正確さから書記役を任されることが多くなりました。書記ともなれば責任重大、確実性が必須。自然と記録に集中し発言する機会が少なくなります。それ故に無口だと思われがちですが実際そんな事はなく、良く話す方だと思います。まあ、口は災いを招きかねませんからね。話さないで済む場面が増えるのは好都合かもしれません。


 この書記役が友人たちの喧嘩の仲裁等の役に立つことが何回かあり、その事を小耳にはさまれた王家の命によって第三王子であるレオン殿下の学友に選ばれた次第です。レオン殿下の評判は『穏やかに優しい王子』。派手にアピールする第一王子やそれよりは控えめでも堅実な存在を主張する第二王子と違い、王太子の椅子から遠いと噂されるのがわかります。

 確かにレオン殿下は非常に優秀で優しい御方です。王族にも関わらず目立つことも、必要以上に波風を立てる事も好みません。その殿下と気が合いそうで、有事の際に穏便に済ませるための書記係としての僕の能力が買われた、というのが周りの見解。

 しかし実際は違います。穏やかと無口、この椅子争いの真っ只中でそんな地味コンビを陛下がわざわざ作るはずがありません。第三王子は非常に賢く、わざとなんとなく影が薄く椅子から遠い王子を演じているのです。その理由も友人初日でうかがいました。向こうから正直に話してきたのです。家はどうか知りませんが、僕個人は興味がない事なのでそれをそのまま伝えますと、王子は王子らしからぬ笑顔でにやりと笑いました。契約の友人が共犯者、本当の友人になった瞬間でもあります。

 知り合って数時間でお互いの本性を見抜いた我々は理解ある善き友人として関係を築くことに成功しました。ありがたいことです。



 さて僕と双子の殿下は同じ年齢、同じ学び舎に通っています。殿下たちの婚約者もそれぞれ同じ学校に通っていますがあまり顔を合わせる機会はありません。殿下は早々に婚約者に「お互い友達がたくさんできるといいね」なんて剛速球を投げて、行動を共にしようとしませんので余計に。友達たくさん、の言葉通りに友人は作られていますが、広く浅くなんとなくの繋がりで一応友達、という範囲でしか親しくありません。目立たず普通にという意図はわかりますが、殿下の事です。絶対に裏があります。

 双子の片割れ、ルイス殿下の方は初めこそ婚約者のオルネス嬢と行動を共にしていらっしゃいましたが、しばらくの後には別のご令嬢とのお姿をよくお見かけします。

 この別のご令嬢というのがかなりの曲者。ミアという男爵令嬢なのですが、良くも悪くも天真爛漫。ルイス殿下が許すのをいいことに無遠慮に触れたり、毒見もなしに食べ物を勧めたり……ルイス殿下の側近のフランツが斬り殺したいとか物騒な事を呟くレベルの婦女子です。どういう教育を受けているのかと思うのですが、学校の成績などは良好。素行の無分別さを直し手順さえ間違えなければ王家に嫁ぐことも可能とは思われます。

 現段階で、既に間違えている気配が濃厚ですが。


 オルネス嬢は非常に優秀な方です。妃教育も学業も誠意をもってこなし、おまけに学校行事の実行委員なども精力的に務めていらっしゃる。

 学校に入学する前にも何度かお会いしたことがありますが、その記憶力の正確さには驚きました。記録と同じ内容をそらで繰り返し、これをきれいな字で記録できるのは素晴らしい事だと褒めていただいたことがあります。

「記憶ではそこに主観と感情が入り曖昧になりますし、確実な記録は大事ですね」

そう微笑まれた時には天使かと思ったほどです。

 未来の妃として積極的に立ち回り、友人を増やすその様子は我らが第三王子とその婚約者の手本でもあります。ですがこちらのお2人は優秀な彼女のファンらしく、彼女が王妃になるならばと自ら補佐に回るおつもりです。すぐに表舞台から降りてしまうと第一王子と第二王子の一騎打ちで彼女の負担が増えるだろうと、その時に自然に外れる方向を狙うこの計画。勿論僕も巻き込まれていて、我々3人だけの秘密です。陛下には少し申し訳なく思いますが、学友の契約書に第三王子を王太子にしろとは一言もありませんでしたので。



「ノエル、今日の記録あるか?」

「こちらに」

記録用のノートを殿下に渡します。以前、ルイス殿下の側近であるフランツが「ルイス殿下がオルネス嬢と距離を取ると宣言した。頼みがある」と持ってきた依頼を受け、僕はミア嬢を見張り、記録をつけています。それを面白おかしく眺めるレオン殿下。

「……兄上はバカだな。ほぼ俺と同じ条件で婚約を結んだはずなのに、自滅行為もいいところだ」

ノートをやや乱暴に閉じるその顔は薄笑いですが機嫌は悪そうです。この人本当はこういう性格です。

「フランツの勤怠の為に急ぎ上に報告をと思うのですが、殿下もご一緒に行かれますか?」

「……そうだな。行こう。今回のこの噂の件は俺も呼び出されそうだ。一緒に行くのが話が早い」

 憂鬱な記録を抱え、盛大なため息をついてから、2人で城へ向かいます。



 それから数か月後、僕たち2人はまたも盛大なため息をついて城への馬車に揺られています。二人きりの車内で気が緩んだのか、レオン殿下が情けない声を出します。

「……ノエル。もうこれはバカ兄上を呼び出して大々的に叱ってもらった方がいいと思うのだがどう思う?」

「完全に同意です。何度目ですかね、オルネス嬢へのエスコートなし」

 今日の報告は明日の花見の会でルイス殿下がミア嬢にエスコートを申し込んでいた件です。婚約者を差し置いて有り得ない事です。これまでもエスコートを曖昧にしていた事はありましたが、明確に彼女を誘ったのはこれが初めて。完全に黒です。

「数か月前の報告ではオルネス嬢の寛大なお心で不問となり、少し前の報告では兄上に注意をしたと聞いたが何も変わっていないではないか……叱れば第一王子が図に乗るという事は理解できるが、これでは王子への不信と不愉快が募るばかりだ……」

その言葉に少し考え、返事を変えました。

「前言撤回し、半分同意に訂正します。陛下はルイス殿下ご本人から報告があるまで表立って叱れないのでは? ルイス殿下には後からどうとでも公な処分を下せます。現状でルイス殿下を叱ったところで何もならないのです。ルイス殿下が意地になってこの事が公になりオルネス嬢が必要以上の恥をかくか。ルイス殿下が王太子の椅子争いから降ろされ第一王子が増長するか。第一王子が図に乗れば、彼は兄を止めなかった罪として殿下にも責任を問うと思います」

 報告をしていても言葉を掛けても、同じ学び舎にいながら兄の愚行を止められなかった弟として罰する。まさかここに王太子の椅子を絡ませるなんてとは思うが第一王子ならそれくらいはやりかねないな、とぽつりとつぶやくレオン殿下。またため息をつきます。ここ数ヶ月ため息ばかりです。

「あのふざけた令嬢で頭がいっぱいで兄上の事を忘れていた。それくらいこの状況に疲れてきたな。オルネス嬢が気の毒過ぎる。どうにかならんか……」

「……僕だって彼女をエスコートできるならしたいと思いますが適わぬ想いです……」

 思わず口からでた言葉に、レオン殿下がこちらを凝視します。対する僕も驚きました。まさかそんなことを自分が言うとは思わなかったからです。

「……ノエル、本気か? オルネス嬢を好きか?」

「……ええあの、殿下と同じように尊敬してはいます。信じ難い事につい口からそのように出たのです」

自分でも動揺しています。僕も疲れているようです。口は災いの元。どうしてそんなことを言ってしまったのか。滑らせたことを後悔してももう後の祭り。レオン殿下の眼は僕を捕らえて離しません。

「いいや違うな。俺は彼女を尊敬し慕っているが、エスコートしてダンスを踊りたいわけじゃない。お前はそういう気持ちが少なからずあるんだ」

笑うような光を浮かべた瞳から逃げるように目をそらします。

「決してそんなことは……」

言いかけてそうかな、と考え直す。これまでもずっとあの凛とした彼女に憧れを抱いていた。もっと話したい、もっと知りたい。そう思っていた。もっと笑ってほしいと言う思いは、ただの憧れだと思っていたが違ったのかもしれない。

 考え出すと顔が熱くなります。

「……確かにオルネス嬢に憧れを持っております。ですがルイス殿下の元で幸せになれるなら、何よりだと思っておりました」

レオン殿下が少し驚いた妙な顔で笑います。

「本気じゃないか。確かに横恋慕ではあるが人を想うのは自由だ。心は誰も決められない。だがそれで暴走するバカはいけない。好きな人の幸せを願えるお前がおかしなことをするなんて思えない。昇華できるまで持っていろ。それに……それより、彼女を好きなら彼女の名誉の為に俺に協力してほしいことがあるんだが」

 何事か思いついたのか途中で声音を変えた殿下の顔は楽しそうです。

「殿下に協力するのは当然ですからご安心を」

「つくづくお前が友人で良かったと思うよ。苦労を掛けるな」

にやりと笑う王子らしからぬ笑顔。ええ、僕もそう思っていますよ、殿下。



 数週間後の休暇前のパーティーに備え実行委員の一員として学内を慌ただしく動いているオルネス嬢を捕まえます。ふわりと振り向くその様子は可憐でそこに花が咲いたようです。先日恋心を自覚した僕には彼女が眩しく思えて仕方ありません。レオン殿下に小突かれます。

「オルネス嬢、話があるのだが」

「まぁ。レオン殿下、ご機嫌麗しゅう」

殿下の横で浅く頭を下げる僕にその花のような笑顔で同席を願われます。

「ノエル様、ご一緒していただけますか?」

 喜んでお引き受けいたします。未婚の男女、それも王族で将来の義理のご姉弟。あらぬ疑いの噂はなりません。安心した表情の彼女と共に、人気の少ない教室の隅へ移動します。


 レオン殿下は小声で話を始めます。

「最近兄上と益々距離があると耳にしております。もしや次のパーティーも」

「えぇ、きっと私はお側には」

もっと寂しそうな顔をするかと思いましたが、彼女の表情は冷静なまま。

「あなたにお願いするのもと思いますが、どうにもなりませんか?」

「恐れ入りますが……」

 対する我が友は益々情けない顔になります。これは本気の顔ですね。あまりの表情にオルネス嬢も気の毒に思ったのか少し申し訳なさそうに形の良い眉尻が下がります。殿下、みっともないから止めて下さい。

「レオン殿下、お心遣いに大変感謝申し上げますが、もう戻らぬものです」

そう言って彼女は一礼。頭を下げたまま続けます。

「これまでありがとうございました。貴方様のご親切への感謝を。お幸せを心よりお祈り申し上げます」

 顔を上げたその表情から悲しみは感じられず、言葉の選び方には違和感を覚えます。これではまるで――。


 実行委員の仕事に戻る彼女の背中を見送りながら、殿下が小さく鼻で笑いました。ああこれはまずい。

「『もう戻らぬもの』だと。オルネス嬢は本気じゃないか。愚かな兄上のせいで台無しだ」

「誰かに聞かれますよ」

舌打ちまでしている。穏やかな王子のイメージが崩れてしまいますがそれどころではないようです。

「急いで城に行くぞ、ノエル。確認することがある」


「――そうか。2人ともオルネス嬢に聞いたか」

謁見の間で深いため息をつかれるのは陛下。ひそめられた眉以外、感情を表すパーツはなく、呆れているか悲しんでいるか、読み切れません。我々が彼女に接触したことをお咎めになるかと思いましたがその気配はありません。

 殿下が苦しそうに発言します。

「この様な事態でも父上が兄上を叱らないのは、彼女の立場を考えての事でしょうか。もし私の事も気にして下さっているならそちらはお考えにならないでいただきたいのです。兄上がここまで愚かであるなら、私は心を決めます」

陛下の片眉が上がり、視線が殿下を捉えます。

 短い沈黙のあと、陛下は僕に話しかけます。

「ノエルよ。よくやってくれている。仕事の確実性は王妃も褒めていた。苦労を掛けるがレオンを宜しく頼む」

「恐縮にございます。仰せのままに」

「うむ。レオンよ。オルネス嬢を守れるか?」

「最大限の努力をお約束します」

その言葉に口角を上げた陛下より「伝言を頼む」と衝撃的な言葉を預けられました。この伝言とあの晴れ晴れとしたお顔から推察するに『戻らぬもの』の正体はオルネス嬢のお心のようです。



 迎えたパーティーの日。

 賑やかな会場を見渡すとルイス殿下はさっさと件の男爵令嬢と入場しています。

「何度目かだがよく恥ずかしげもなく入場できるよな」

憎々しげに愚痴を漏らしに来たのはフランツ。彼からもらった情報で、今日あたりルイス殿下がオルネス嬢に話しかける事はわかっています。最近パーティーの時はミア嬢の希望でフランツはルイス殿下の側にいられず距離を置いて警護しているのですがこちらとしては好都合。二手に分かれてルイス殿下とオルネス嬢を監視、適宜書記として機能を果たすことを約束しています。それにしても側近を離れさせるなんてルイス殿下は本当にどうなさったのでしょうか。フランツ程優秀でなければ御身が危ないと思うのですがね。

 最後の方に一人静かに入場したオルネス嬢。実行委員の仕事があるから簡単なドレスにしたと噂を耳にしましたがそれでもやはり美しい。見つめていると隣のレオン殿下に脇腹を突かれました。二度目ですね。しっかりします。

 オルネス嬢の方に足早に向かう2人が見えます。早い。

「ネス、話がある」

「ごきげんよう、ルイス王子殿下」

「……あなたとの婚約の事なのだが……」

 目立たない適切な距離のつもりでしたが思ったよりルイス殿下が小声の為、移動を余儀なくされます。見つからないようルイス殿下の後ろに回りながらもメモを続けます。もしこれが公的な話なら証人もつけずに話を始めたルイス殿下の分が悪くなります。確かに周りに証人はたくさんいますが、重要な話であれば証人を指名するのも暗黙の了解です。雰囲気から察するにフランツの知らせ通り、ただの挨拶ではなさそうですね。

 元々注目の御三方。出来上がりつつある人の輪の中を進み、ルイス殿下が言葉に詰まっている間にいい場所まで移動できました。その途端、ミア嬢が大声で叫びます。

「ルイは私と結婚するから、あなたとの婚約はなし! です!」

 あまりの大声とその内容に、ホールの注目が集まります。やはりその手のお話でしたか。そんな大声で私はマナー違反者ですと宣言しなくてもよいでしょうに。

「約束しました! ちゃんと記録もあります!」

 フランツが怒って持ってきたあれですね。はい。僕に追いついた殿下が斜め後ろで鼻で笑ったのがわかります。

 オルネス嬢は落ち着いた様子。

「本当ですか? ルイス王子殿下?」

「……本当だ。証人もいる。富める時も貧しき時も、いかなる時も愛すると誓い合った」

「それはおめでとうございます。お決まりなら、何故私にお話を?」

「そんなの、あなたにルイを諦めてもらうために決まっているじゃないですか!」

我が友失笑。オルネス嬢に気付かれますよ。


 オルネス嬢がこちらに気付かれたようです。ほら。少し憂いを帯びた瞳が瞬いています。

「ミア様、もう少し小さな声でも十分ですわ。諦めるとはどういうことでしょう」

「あなた、ルイの婚約者だからってルイのやることにやかましく口を出していたんでしょう?」

「王子殿下はご身分のある方ですから、お行儀は守っていただきませんと。婚約者としての務めでもあります」

「婚約者婚約者って……愛してもいないのに勝手に決めて! ルイはおもちゃじゃありません! ルイの気持ちは考えないんですか! 可哀相です!」

 あまりの発言に一瞬驚きます。政略結婚に感情論を持ち出すなどナンセンス。僕は自分の手が『ルイはおもちゃじゃ~』と書きながらこの記録が不敬に当たらないかと少し虚しくなります。周りも皆困っている様子。ちらと盗み見たレオン殿下は微妙な表情でミア嬢の背中を睨んでいます。

「……それはお決めになられた両陛下に仰ってくださいますでしょうか?」

「んなっ……言えるわけないじゃないですか!」

ああ、もう言ってしまったし、記録してしまいました。

 口元に得たりという薄い笑いを一瞬だけ浮かべ、一歩前に出たレオン殿下が口をはさみます。

「ご安心を。今の発言、この場の全員が証人となり書記が控えました」

並んだ頭から凛と響いた声に合わせて頷きます。振り向いたミア嬢の見開かれた眼が恨みがましくこちらを見つめていますが、こちらからしたらどうでもいい。あなたの向こう側で呆れ半分気の毒半分な顔をする彼女を早く解放して下さい。

「ミア嬢が両陛下に謁見なさる際には発言を許されましょう」

ミア嬢の手の震えを察してかルイス王子が口を開きます。

「レオン、意地が悪いぞ。この発言に記録は不要だろう」

「いいえ、婚約の話ともなれば大事。記録を判断するのは陛下ですよ、兄上」

 続きを、と促す様な仕草で自分から注目をそらすと殿下は真面目な顔を決め込みます。目立つのが嫌いなのに話に割って入るなど、既に大分ルイス殿下に失望してらっしゃるご様子。


 ミア嬢は分が悪いと判断したのかオルネス嬢を責めます。

「ひどいじゃないですか! 私の立場を悪くしようと……」

「何がでしょう。あなたと殿下の婚約はお祝いしておりますし、そのような気などございません」

「嘘です! ルイの隣に立つ私がうらやましくて仕方ないはずです!」

「別に」

 今までにない様な簡単な調子に胸が痛みます。。

「先程のあなたの発言を返すようですが、私にも気持ちはありますのよ。決められた婚約を選ばれた誉とは思えても、必ずしも愛や感情を伴っているとは限りません」

 堰を切ったように流れる言葉は上品さを保ちながらも確実に早く、先程の調子から本気の発言であるとうかがえます。

「ルイス王子殿下との婚約は大変に光栄なことでありがたく存じておりました。殿下がどのようなお立場でもお気持ちでも、妻として支えられるよう、敬愛の情でお側におりましたわ。時が経てば未熟な私でもこの気持ちが愛になったかもわかりません」

 いつぞやお2人が並んでいた時のオルネス嬢の笑顔が思い出されます。穏やかに優しく婚約者を見つめていたあの日。思えば随分前から彼女の事を目で追っていた気がします。

「恋愛結婚は素敵で私も憧れますが、婚約や結婚から愛を育てられるかどうかも人の魅力というものでしょう。この国の貴族の大半は始まりが望まない約束でも愛を育てる事をしていますわ」

 目の前の婚約者達が己の婚約者の腰を引き寄せます。うらやましい。

「つまるところ私の今の気持ちは、そういった愛情ではありませんの。ですからあなたをうらやむ気持ちはありません。愛されないからと嫉妬や意地に苛むことも。妃の重責は承知しておりますのでその椅子に執着もございません。あの時も、ルイス王子殿下の婚約者として殿下自身にご忠告申し上げましたまで」

いや、うらやましいとか考えている場合ではない。仕事に集中しよう。

「だからそれが意地悪だって言うんです! ルイの気持ちや行動を制限するのは可哀相だって……」

集中集中。

「どんなに気の毒でも婚約者、特に王族ともなればそういうものです。不名誉を避けるためなら苦言も呈しましょう。約束も果たさねば恥というもの」

 わかってはいましたが彼女が約束を守るためにどれだけの事に耐えたかを、その口から淡く漏らすほどの気持ちを推し量って、僕達の表情が硬くなります。

 記録の一部を消すことは罪であり信憑性にも欠けるとわかっていますが、この彼女の苦しみを文字情報で両陛下に勝手に伝えるのは憚られる気がしてなりません。僕の約束は記録を取る事。確実に守らねばならない事です。わかっていても心が苦しい。勿論約束は守りますが、今以上に書記係が辛いと思ったことはありません……。

「ルイス王子殿下、お話というのは彼女と結婚する、という事だけでなく私との婚約をお辞めになりたいとの事でお間違いございませんのね?」

こちらに背を向けたルイス殿下がゆっくりと頷かれます。

「……そうなんだが……」

「なんでしょう? なにかございますか?」

 ミア様に見つめられ、意を決した様子の殿下が少し大きな声で――

「婚約の条件を変更できないだろうか?」

前代未聞の発言をしたので記録の信憑性など考える事を止めました。無です。



 彼女の扇を閉じた音がやけに大きく響いたように思います。

「無理ですわ。私の気持ちだとかそういうことではなく、両陛下と我が両親の同意なくして」

「……ならば今からでも説得に……」

「それも無理ですわ。あの婚約に今の殿下の望みが通るとは思えません」

 あまりの呆れた発言に手だけは動かしながらそっと視線を移すとレオン殿下が呆れかえった顔で第二王子の後頭部を睨んでおいでです。オルネス嬢も呆れ顔。


 婚約の条件を変更するには証人が必要、それも王家の婚姻の条件は特に記載が細かく、どれもが由緒正しく定められたもの。いち王子の希望が適うとは限りません。それも婚約者以外の恋人を連れた側の要望など以ての外でしょう。

 オルネス嬢の顔がふわりと柔らかくなります。ご令嬢らしい、美しい微笑み。しかしあれは。

「ルイス王子殿下、ご安心下さい。先程より私はあなたとミア様のご婚約を心よりお祝いしておりますし、私達の婚約を盾に騒ぎ立てる気も責める気もございません」

 「私たちの愛が勝ったわ」とミア嬢の声が聞こえます。嬉しそうですがあの微笑み、これは彼女の勝ちです。

「私との婚約は既に私の方から破棄をお伝えし、無事受理されております」

会場がシーンと静まり返りました。やはり。レオン殿下と同じ笑顔にそんな予感はしていました。陛下はそこまでお話し下さいませんでしたが『もう戻らぬもの』の正体はこれでしたか。

「もう、だいぶん前の事ですわ」



「破棄……」

 その小さなつぶやきも、ホールに大きく響きます。

「えぇ。破棄でございます。解消には出来ませんでしたの。ご忠告申し上げましたあの時に殿下が『真実の愛が見つかった。僕は彼女を愛している。君とは距離を置きたい』と仰ったでしょう。その日の内にどなたからか報告が上がったようで陛下から謝罪がありました。私は殿下の一時の気の迷いと相手にしないつもりでしたの。しかしそのあとすぐに私が嫉妬に狂っているだとか私の嫌がらせに困っているだとか妙な噂がどちらからか流れて参りましてね。そんな下らない事に巻き込まれたくありませんので」

「……私そんな噂知りません!」

 ミア嬢が叫びます。いえいえ、否定されても無駄ですよ。あなたの事はフランツと僕、数人の護衛が記録して陛下にも提出済です。

「大きな声で否定されますけど、あなたが何かしたとは一言も」

 そんな気はしていましたがお気付きだったのですね。お救い出来ずに申し訳ありません。

「ルイス王子殿下、ですからもう私はあなた様の婚約者ではございませんのです。ここであなた方に訴えられる事も、お役に立てる事もないと思いますわ」

 痛烈な拒絶に美しい一礼。これで幕引きと思っていると何故かルイス殿下が一歩前へ。


「待ってくれ、ネス」

「オルネス、ですわ、ルイス王子殿下」

 唐突に愛称で呼ぶ殿下。作戦か焦りか、これ以上何か発言なさるとまずいことになりそうですよ。というかまだ何かあるんですか。レオン殿下の顔がすごい事になっています。

「なんとか解消には……」

「なりませんわ。もう終わった事です。陛下が破棄とお認めになられたのです。破棄に伴う代償も私は受け取る準備が出来ております。婚約のお約束にありましたでしょう。一切の浮気を認めず、有責とし破棄可能と。婚約証書の控えもお持ちなのにお忘れとは仰いませんわよね? お約束は守るためにありますのよ。せめて順番を守れば解消にできたかも知れませんが……」

難しかったでしょうね、という表情のまま、彼女は言い淀みます。


 「どうして知らせなかった……」

情けないルイス殿下の声にも彼女は冷静です。

「条件にありますのよ。お分かりかと思っておりました。それに殿下にお伝えするのは私の役目ではございません」

 陛下の役目です。そして最後の情けで息子が自ら説明に来るのを待とうとしたのも陛下。同様に考えていたレオン殿下の表情が諦めに変わりました。本当に兄を見捨てる決心が決まったようです。「やっぱり愛が全てですね!ルイは私の王子様です」とはしゃぐ声が耳を通り抜けて行きます。


 皆様がどうなるのかと囁きあう中「頼むぞ」、そう小さく呟いてから輪の中央に向かうレオン殿下。薄い微笑みが本当に不気味です。

 王族同士の話し合いになるならと礼をして下がる彼女をレオン殿下が呼び止めます。

「オルネス嬢。後程お話がありますので、お待ちいただけますか?」

「まぁ勿体ない事ですわ。私の様な情けない女に一体なんのお話があるというのでしょう」

「陛下からの伝言です」

あなたは立派でしたよ。あなたを理解できなかったルイス殿下の方が余程情けな……不敬ですね。最後まで優しい笑顔で彼女は輪を後にします。

「さて、兄上、残念でしたね」

 親しい者でないとわからない、とても機嫌が悪い時の殿下の声が聞こえます。滅多にない事なので驚きますね。兄弟なのでその声音の意味にはお気付きなのでしょう。苦々しい表情のルイス殿下がこちらに向き直ります。

「ひっそりと話すべきことをこのように大事にしてどういう意図が?」

遠回しに責めていきますね。ご機嫌悪すぎでは。

 と、そこでフランツがオルネス嬢を引き留めているのが目に入ります。滅多に笑わない男が笑っています。といっても薄く口元を上げるだけですが、やっとあの男爵令嬢をどうにか出来るのが嬉しいと言うところでしょうか。

「別に残念ではないし、大事にする気もなかった」

「そうですか。ところでミア嬢とのご婚約は本気で?」

ご機嫌なミア嬢の頭が縦に揺れ、ルイス殿下の頭も緩く頷きます。

「証人はどなたでしょう」

「フランツだ」

「フランツ、間違いないか」

レオン殿下の言葉にフランツ様は恭しく礼をします。知っていますが一応。

「陛下にもご報告申し上げております」

「なるほど、これで伝言の本当の意味がわかった。オルネス嬢、そちらに居て下さって良かった。そのままフランツの横でお待ち下さい」

 そうですね。婚約破棄がなされているならあの伝言の意味が繋がります。

「兄上、あなたが自ら父上に話されなかったことを父上は大層お嘆きです。よって私が伝言を預かったのです。お分かりかと思いますが、あなたにも伝える事があります」

ルイス殿下の顔が強張り肩が震えます。

「ミア嬢との婚約は認められましょう」

ミア嬢がはしゃいで喜びますが、王子は自分への沙汰を揺れる瞳で待つばかり。

「伴い兄上はそちらの男爵家に婿入りが決まります。持参金は兄上の私財から。フランツは只今をもって私の側近に」

 この言葉にミア嬢がはしゃぐのを止め、またも会場が静まります。一人の王子が廃嫡を言い渡される瞬間に立ち会えばそうもなるでしょう。僕のペンの音が響き、フランツの礼の衣擦れの音だけが聞こえました。



 突如ミア嬢の叫び声にも近い大声が響き渡ります。

「ちょっと待って下さい! ルイが婿入り? どうしてですか?」

「そういう決まりだからですよ」

会話もしたくないという程の冷たい声でレオン殿下が答えます。ルイス殿下は口を堅く結んで弟をじっと見ています。

「どうしてそんな意地悪するんですか! オルネスさんの仕業ですか?!」

何故そうなる。オルネス嬢を庇うように少し前に出るフランツ。変わってほしい。

「……いいえ、私にそんな事はできません。初めからルイス王子殿下はご存じのはずです。王族の婚約には条件がありますの。浮気では婚約破棄は免れず、婚約破棄なら王位継承権は剥奪」

「それを知っていてルイを放っていたんですか?!」

「ですからご注意申し上げました。そこから先はご存知の通りですわ」

「……ミア、その話は……」

「ルイは黙って下さい! 私は王妃になりたいって言ったじゃないですか!」

「きちんと無理だと言っただろう。婚約を解消できても可能性は低いと……」

 ミア嬢を諫めるルイス殿下ですが彼女の勢いは止まりません。やはりご存知で覚悟の上だったのですか。それなのに陛下にもまだ話していないなんて、我が友の怒りは当然というところでしょうかね。ここにいる貴族の令息令嬢の皆様も、そんな人を王太子としては受け入れ難いと思います。

「だめです! きちんと婚約者を管理していなかったオルネスさんの責任でもあります! オルネスさんも約束違反じゃないですか?!」

あ、変な流れが。この場にいない人から見たら記録ミスの疑いがかかりそうです。しかしこれだけ証人が居れば僕が記録ミスをした訳じゃないという事も容易に証明されそう。助かりますね。

「オルネス嬢は被害者であって加害者ではありませんよ」

「じゃあフランツですね! ルイの側近なのに全然何も……」

「私も一度殿下にご忠告申し上げました。オルネス嬢と同様に返されましたが。証人はノエルです」

 フランツと頷き合う。オルネス嬢の視線がこちらに向けられていて少し緊張します。

「ミア嬢は何か勘違いなさっている様子ですが、そもそもあなたが悪いのですよ。あなたには何度もご注意を申し上げましたでしょう。王族にあまり馴れ馴れしくなさらないでほしいと、オルネス様に失礼だと」

「その証人も私が」

何度目かの下らないやりとりが起こるのを阻止するため、静かに声を上げると今度こそ彼女と目が合います。そのキラキラ輝く瞳が眩しく思わず頬が緩みます。

「何ですか! みんなで意地悪して……!」

「私もノエルも、あなたの事を陛下に報告し、都度適切に自らの役割を果たしております。あなたに何か言われる筋合いはありません」

 フランツがミア嬢の事を相談してきた時の事を思い出します。物騒な事を言いながら、日々のふざけた発言を記録するのを手伝ってほしいと頼み込まれた時は正気かと思ったものですが目の前のこの茶番。手伝ってよかったとしみじみ思います。

 ミア嬢が鬱陶しくむくれた様子でルイス殿下をぎゅっと抱き寄せます。

「何です! 従者のくせに生意気です! ルイ!」

ルイス殿下は何も言えません。

「……話が違います! ルイは立派な王子様のはずです!」

「兄はあなたの王子様なのでしょう? 何か問題が? ……お話というのが王太子の椅子の事なら、それは愛には無縁なものですよ。約束を守れない人には座れないものです」

殿下の顔は見えませんが、ミア嬢の怯みようから察するにもうこれは完全に笑顔で怒っていますね。

「この国では当然の教えですが『約束事は慎重に』ですよ。お二方」



 これ以上話すこともないと判断したレオン殿下が会場に大きく語りかけます。

「さて、これ以上パーティーの開始が遅れては迷惑が掛かりますね。皆様、大変見苦しくお騒がせ致しました! 実行委員の皆様の心遣い溢れるパーティーです。お楽しみ下さい!」

 さり気なくミア嬢を非難しオルネス嬢の属する実行委員を上げています。この人本当に嫌味のセンスが……今までの無害そうな顔が幸いしてかどなたも気にしていない様子で従ってくれていますが王太子を目指すならその性格の悪さどうにかなりませんか。

 その場で痴話喧嘩を続けるミア嬢とルイス殿下を放置し、レオン殿下と共に彼女とフランツの元へ向かいます。

「オルネス嬢、お待たせしました」

「あ、いいえ、この度は私の不始末でお騒がせ申し上げました……」

「こちらこそ。オルネス嬢、兄に代わってお詫び申し上げます」

まだペンを構えている僕にフランツが代わろうと合図をしてくれますが、ここからの話は自分にとっては大事。余計なことを口走らず聞き逃さないためにも仕事然としていたいので断ります。

「兄上があのようなら私も心が改まるというものです。さて、お待たせしておりました父上からの伝言ですが、『あなたがレオンに味方するならその愛を許そう』というものです。……オルネス嬢、もしやどなたかに想いを?」

最後の一言で心臓の音が一つ飛ばしくらいゆっくりになるのを感じます。

「まぁ、ありがとうございます。フルカ家は全力でお力添えすると思いますわ」

 その笑顔から言葉が続かなくなります。何事か考え事をしているかのようにも見えますが、そんなに答えに悩む質問なのでしょうか。この伝言を聞いたとき、彼女にも忍ぶ恋があるのかと目の前が真っ暗になりかけたものですが、やはりどなたか好きな方が……自覚してしまった恋心は胸に不安を沸き上がらせます。

「……オルネス嬢?」

はっとしたようにこちらを見た彼女が恥ずかしそうに笑います。

「失礼しました。その伝言は私の結婚を私に選ばせて下さると言うお約束なのです。まだ恋はしておりません。これから探すのです。私の強かさが露呈し婚約破棄の傷もありますが、それでも愛してくれる方を見つけて幸せになりたいのです。殿下も皆様も、本当にありがとうございました」

あまりの安堵に笑顔になります。フランツは不気味そうにこちらを見ていますが別にいいじゃないですか、自分にもチャンスがあるってわかったら嬉しくて仕方ないんですから。




 翌日、両陛下に呼び出しを受けたルイス王子殿下とミア嬢でしたが、事もあろうに彼女は登城せず、その婚約は男爵家有責で破棄となりました。僕たちの記録からこうなることを予測していた両陛下は王命に従えずに王の膝元で暮らそうなど百年早いと笑いながら、親である男爵を呼び出し、処分を言い渡します。『財産を半分に減らし、王都への立ち入りを禁ず』。登城して真実の愛とやらを訴えればまだ婚約が認められたと思いますが、本当に残念なお嬢さんです。


 それによってルイス殿下の扱いも変更。卒業と同時に廃嫡、王族としては異例の準男爵に落とされフランツの実家の補佐を行うそうです。処分が甘いと眉を寄せる方もいらっしゃいましたが、初めて愛した娘のために王族の身分を捨てる覚悟をしたのに金目当てだったなどという気の毒過ぎる出来事に、オルネス嬢が寛大にも腹を立てなかったこと、位があっても平民であるなど、色々な事が重なって皆様の溜飲が下がりました。勿論この噂はすぐに広まり、男爵家は針のむしろ。まさかミア嬢を嫁にもらおうという貴族や豪商はおりません。平民に嫁ぐか自ら修道院に入るか、というところでしょうか。というかレオン殿下がニヤニヤしているので何かありそうです。



 さて、僕はと言いますと。

 今回の件で両陛下からは学友としても書記役としても約束を立派に果たしたと大層お褒めの言葉をいただき、同時にお許しをいただきましたので、パーティーの翌日からオルネス嬢に手紙を出して想いを伝える作戦に出ました。彼女は大変に素敵な方ですから早々にお声掛けしてお近付きになりませんと、公爵家などが出てきては太刀打ちが出来ません。ご本人は傷物だと思っているようですが、そんなことを思っている者の方が少ないのが現実です。ただ、元王子の婚約者なので尻込みしている者が多いようです。



 初めてデートにお誘いし、応えてもらうことができた時は嬉しかったです。

「あのような事がありましたでしょう。すぐに次の婚約などはしたないと思っておりまして、ノエル様をお待たせするのは恐縮なのですが……」

などと頬を染めながら仰るので、あまりの真摯さに卒倒しそうになりました。

「こちらも、あなたの都合を考えずにお手紙をお送りしておりましたら申し訳ありません。あなたの気持ちが僕に向くまでお待ちします」

 そういう事で彼女の気持ちも考えようと思ったりしたのですが、憧れのオルネス嬢を逃がしてはならないと、殿下とその婚約者がせっせとお手伝い下さる事もあり、結果的に毎日お手紙やお花を贈っております。鉄は熱いうちになんとやら、だそうです。


 半年後に婚約を受け入れてもらえた時など思わず泣きそうになっていたのですが、証人役の隣の殿下が白けた目で見てくるので正気を保てました。書記のフランツにも睨まれましたが、恋愛偏差値が低いと2人に笑われた昨日の今日なのだから泣きそうになるくらい許せと言いたいです。

 オルネス嬢に聞かれます。

「本当に私で宜しいのですか? とても不思議でしたの。こんなに素敵な方なのに、どうしてご婚約されていないのかしらって……」

「素敵? ノエルが?」

殿下が笑い出します。失礼な! でもどこが素敵なのか自分でもわかりません。

「婚約者がいないのは、陛下と約束したからです。もしレオン殿下が王太子に選ばれることがあれば、彼の周囲の勢力図を補うように婚約を決めてもらうようになると言われていました。殿下は初めの頃椅子にご興味がない様子でしたからね」

でもその広く浅い友人達は侮れないものがありました。婚約者と手分けしたネットワークの広さ。どこも贔屓にしないので公平かつ応用が利く。とんだ狸。私が誰と結婚しても大丈夫なように考えて下さっていた心優しい狸は今もニヤニヤと笑っています。友情に感謝します。

「それに私はとても地味ですし、無口だと思われていて女性に話しかけられることの方が少ないですよ」

……改めて考えると華がなさすぎる自分がオルネス嬢に釣り合っているのか、段々自信がなくなってきました。

「ええ……落ち着きがあってとても素敵ですのに。皆様遠慮なさっていただけでは?」

残念ながら違いますよ。本当に地味だからです。

「我ながら情けないですが、それもないと思います。私はオルネス嬢の隣に立てるだけで幸せですが、オルネス嬢は本当に僕でいいんですか?」

「勿論ですわ。私はとても幸運で贅沢なのですね。誠実で優しい、憧れの方に好きになっていただけるなんてこれ以上の事ありませんもの」

 そんな笑顔に顔を真っ赤にしてからしばらく。



 卒業式も無事に終わり、呼び出しを受けた僕は両陛下に謁見しました。

「ノエル。よくぞ今日までこの契約に準じ、レオンを支えてくれた」

陛下の手には僕の学友の契約書があります。

「本日、只今を以ってこの契約は満了とする。お前の学友としての働きも証人、書記役としての働きも実に見事だった。特に第二王子の件では世話になった。礼を言う」

契約書に満了の判を押し、陛下は満足げに笑います。

「お前の婚約の件は先の契約の都合で許しを出したが、これからの仕事に関してはレオン本人と契約してくれ。お前を選んで間違いなかった。これからも期待しているぞ」

「もったいないお言葉。ありがとう存じます」

深く頭を下げて感謝の意を示します。

 3王子の性格は上から進取(ついでに尊大)、純粋(ただし軽率)、無害(に見えて狡猾)。この強かな第三王子を監視し、時に軌道修正、時に共謀。その書記役を確実に遂行する。これが僕が選ばれた本当の理由です。そもそも約束というのは守れる範疇で行い、守られる前提です。陛下もそれを承知で僕を選んでいるのでしょうから、レオン殿下に僕をあてがった陛下もやはり狸ですね。感情を伴わない契約はたくさんありますが、その契約の為に契約内容以上に心を尽くす事が出来る人と出会えて幸せだなと思う次第です。

 これからの契約は側近としてその狸本人とするわけですが楽しみですね。廊下の向こう側で悪い笑顔が待っています。



 今日の約束は一生を決める大事なもの。証人は両陛下と王太子になられたレオン様をはじめとする僕たちを支えて下さった皆様。

 僕たちの誓いは「お互いを幸せにすること」です。

 僕は既に充分幸せですが、愛する妻の為に確実に全うしてみせます。

初の別視点作ですが、改めてみると元作の設定が甘い部分が目立ち勉強になりました。

褒めていただいたテーマ性について、今作はややくどいかも知れません…。

気付いたことも反省も次作に活かせたらと思います。ありがとうございました。

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