五十二話 鬼神
土煙が上がり、グラスとエイジ、そして皐月の間に大きなクレーターが出来る。当然、両者の姿は見る事が出来ない。
「……っ!?」
が、突如としてグラスの体が土煙の中から叩きだされた。その手にはほんの数秒前まで掴んでいた奈乃香の姿は無い。そして、当のグラスは土煙の中を睨みつけている。
やがて、舞い上がっていた砂ぼこりが落ち着き、ようやく襲撃者の正体が判明する。
「随分と楽しそうな事をやってるじゃない。俺も混ぜてくれない?」
奈乃香を肩に担いだ莉緒が、そこに立っていた。
土煙の中から姿を現した莉緒は、ぐったりとした様子の奈乃香を皐月のすぐ傍まで連れて行き、その場に降ろ……いや、落とした。
「ふぎゃっ!?」
「奈乃香ちゃん!」
どうやら意識は失っていないらしい。今の衝撃で起きた可能性もあるが、少なくともリアクションを取れるだけの力は残っているらしい。地面に転がされた奈乃香だったが、すぐさま上体を起こすと、目の前に立つ莉緒に抗議の声を上げた。
「い~た~い~!!」
「ならまだまだ大丈夫だよ。ホントにヤバいと、そんな事も言えなくなるからね」
「ぐぬぬ……」
まだ何か言いたそうな奈乃香を前にして、莉緒は小さく笑みを浮かべる。とはいえ、それは優し気なものでは無く、彼女の現在の様子をどこか面白がっているようでもあった。
「莉緒さん、どうして……」
皐月が心底不思議そうに呟く。それもそうだ、莉緒は巌から今回の件の手伝いを頼まれた時、殺気すら向ける勢いで断った筈だ。にも関わらず、こうしてここにいる。心変わりがあった、と言うべきだろうが、それにしては少し遅すぎる気もするが。
「叔父さんの誕生日なんだって?」
「……へ?」
「沙羅ちゃんが待ってたよ、お姉ちゃんと一緒にケーキ作るんだって。だから迎えに来たんだよ」
「沙羅が……? あの子がそんな事を……?」
「そうそう。で、俺は家主の娘を迎えに来て、ついでに道端に転がってる邪魔な石ころを蹴飛ばしに来たって訳」
なんともまぁ、苦しい言い訳だとはこの場にいる誰もが思っている事だろう。しかしながら、ここに来て莉緒の参戦は彼女達にとってこれ以上無い援軍と言えよう。
「倒れてた二人、回収してきたぜ」
エイジとグラスが莉緒の登場に気を取られている間に、聖が阿弥と雲雀を連れ戻って来ていた。いつの間に、とも言いたくはなるだろうが、今ここにおいて聖のその判断は正しいと言える。何せ、彼女達が地面に転がったままじゃ、足下に注意しながら戦わなければいけないところなのだから。
「……そういえば、二人だけ? もう一人いなかったっけ?」
「もう一人は既に奥に向かいました。何をしようとしているのかは分かりませんが、早く追いかけないと……」
悲鳴を上げる体に鞭打ってまで追おうとする皐月を手で止める。
「どのみち、万全の準備をしていたとしても時間はかかる。俺が前にやりあった連中は二年もかかったんだ。今更多少の遅れをとったところで、大して差は無いよ。それに、あいつらがここであそこまで必死になって止めるのを見るに、奥の奴はまともに戦えない状態の可能性が高い。一先ずここで休んでたらどう? ある程度回復してから行くっていう事で」
「なら、遠慮なく休ませてもらうわ……」
いつの間に起きたのか、阿弥が苦い表情を浮かべながら瓦礫にもたれかかっている。その芽は未だ莉緒を信用していない、とでも言いたげなものだったが、今この場をどうにか出来るのも彼しかいない事が分かっているようだ。
そんな彼女達にひらひらと手を振ると、莉緒は一人でクレーターを挟んだ向こう側に立っている二人に対峙する。
「待ってくれるとは思わなかったよ。意外と優しいのかな?」
「……別に、私達は別に無理をしてまでお前達を殺す必要は無い。兄様の邪魔をするのなら、不意打ちでも何でもしたけど、既に計画は最終段階まで入ってる。無理に戦う必要は無い」
「の、割には随分と身構えているようだけど? 装いが新しくなってるね、イメチェン?」
「もういい、君は黙れ。ボクらは既に切り札を出している。この状態なら、君に遅れを取る事も無い。ここは大人しくしておくのが一番だと思うが?」
「はっ、言ってくれる」
確かに、以前グラスと戦った際の莉緒であれば、今の二人に対応する事は難しいだろう。何せ、通常状態のグラスに苦戦を強いられていたのだ。今の彼女はあの時の比では無い。間違いなく、あの時と同じ感覚で行けば、莉緒の敗北は必至と言える。
……だがしかし、あの時あの場所でグラスと戦った莉緒は、まだかつての恐怖を覚えていた為、体が全盛期と同じように動く事が無かっただけの話だ。
では、今ならどうだろうか? かつての恐怖は? 未だ逃げ続けているのか? 答えは全てイエス、だ。だが、今の莉緒はある少女からこう言われた、姉を助けてくれ、と。救いを求められた以上、莉緒はかつてと同じように振る舞う。いかに人から謗られようと、罵られようと、例え理不尽な事を言われようと、ひたすらに目に付くもの全てを責務と称し、救ってきたあの時と同じように。
「……君らは確か、この街の特戦課の事を調べつくしてたよね?」
「そうだ。ボクらには心強いサポートがある。人とは限らないけどね」
「本庁のデータベースにアクセスが可能、という事か」
「よく分かったな。いや、そもそもボクら三人は元々本庁にいた。表に出られるような立場では無いし、当然正規の記録にも載っていないが」
別の街とはいえ、特戦課の内情を事細かに調べるという事は、流石に手段が限られている。だが、彼らが本庁に、それも表に出てこない地下部署にいたというなら話は別だ。特殊な権限を与えられ、他の街の特戦課について調べる事も不可能ではない。
……ならば、彼らは気づくべきであったのだ。自分達にそれだけの調査手段があるにも関わらず、目の前の少年の事を調べていないのは悪手と言うべきだろう。
「なら、この名前に聞き覚えがあるはずだ。三吉、央莉」
「三吉……、あぁくそ、そういう事か!!」
莉緒の口にした言葉、それを反芻するようにエイジも復唱したが、その瞬間、彼は何かに気付いたように取り乱し始めた。
「……エイジ?」
だが、グラスはその言葉を聞いたところで何も知らないのか、妙な反応をする兄に振り返る。
「奴は……あいつだけはここから先に行かせちゃいけない。他はどうでもいい。だが、あいつだけは絶対ダメだ」
「?? ……どういう」
「この街の特戦課に情報が無かったから、おかしいとは思っていたんだ。十中八九偽名を使っているのは分かっていた。だけど、出て来た名前がよりにもよってそれとは……。いや、これは予想していなかったこちらにミスか。あの一件以来、表には一切出てきていない。なら、正体不明の守護役が奴である可能性は十二分にあった」
「……エイジ!!」
明らかに様子のおかしいエイジを、グラスが語気を荒くして呼びかける。それで我に返った、などは無く、いや最初から彼は取り乱していたわけでは無かった。ただ、目の前に立つ予想もしなかった事実に戸惑いを見せていただけの話だ。
「グラス、構えるんだ。彼は何としてもここで仕留める」
「……そんなにヤバイの?」
「彼が口にした名前、あれは一年前に救済計画を実行しようとしたボクらの前任者を……皆殺しにした奴の名前だ。だけど、あの計画、あれは単なる自然現象として片づけられた。解決した人間の名前は一切報じられていないどころか、そもそも活動していた事さえ知られていない。だから、一般人が知っている筈が無いんだよ」
エイジが口にした計画、それは世間一般で言われている大崩落の事だ。自然現象として一般的に出回っているが、その真実は異なる。それは今この場においては、二人の魔人達しか知り得ない情報だった。だが、その真実を治めた人間の名前を口にする者がいる。エイジはこの場にいる誰よりもその意味を理解していた。
「……鬼神・三吉央莉」
その口から出た名、それが誰に向けて言われているのか、もはや言われずとも分かる事だろう。
「……」
ニヤリ、と琥珀色の双眸を輝かせた鬼神が笑う。ここにいるのが、鬼だと自覚していた莉緒ならばどれほどよかったか。彼ら魔人にとって最悪の相手が、静かに構えた。




