十七話 変化
魔人から恨みを買った。
そんな事を巌から告げられ、これからは出来る限り特戦課メンバーと共にいるように強く言われていた莉緒だったが、翌朝もいつもと同じように裏口から出、そのまま一人で学校へと行ってしまった。
彼が屋敷を出る直前に立淵がその姿を見つけ、声をかけるも、当の本人は立淵の言葉をのらりくらりとかわし、結局一人朝靄の中へと消えて行った。
とはいえ、前日にあんな事があった人間を、特戦課の人間がそうやすやすと見逃すはずも無い。一人のんびりと通学を堪能している莉緒の後ろを、特戦課のサポートメンバーが付けていたのは皐月ですら知らない事だった。しかしながら、その尾行も他人が関わるとなるとそうはいかない。莉緒が佳樹宅へと到着すると、いつの間にかその姿は消えていた。
「にしても、昨日はヤバかったな」
「ん? 何が?」
「おいおい、今度は知らないなんて言わせねぇぜ。ヴィーデの話だよ」
「……あぁ、そうだね」
どことなく投げやりな返答だが、反応した事が嬉しかったのか、佳樹がそのまま続ける。
「でさ、俺んとこは来なかったけど、委員長とか、八重代は結構危なかったみたいだぜ。とは言っても、自衛隊や特戦課が素早く対応したみたいだけどな」
「まぁ、そういう事もあるんじゃない?」
「最近そういうのばっかじゃねぇか。いい加減、民間人の中にも、政府や特戦課に不満を抱き始めてる奴もいるって話だ。このまま被害が拡大すれば、三年前の東京と同じ事になるんじゃないか、って」
特戦課としても、これまで出来ていた事が突然出来なくなった事に戸惑いを感じてはいるだろうが、それ以上に不安を抱いているのが、その煽りを受けている民間人だ。ただでさえヴィーデと遭遇すれば、逃げる以外の対処方法が無いのだ。これまでは事前に感知出来ていた為、迅速な対応が可能だったが、これからはどうなるか分からない。
そして、その果てが三年前に東京の都心特区で起きたとある災害、大崩落に繋がるのではないかと思い始めている民間人も少なからず出始めていた。
「どうなんだろうねぇ……。少なくとも、俺らに何かできるわけじゃ無いんだから、今は特戦課の動き次第なんじゃない? 危なくなったら、どこか別の場所に引っ越せばいいし」
「お前、そんな軽く言うけどな……」
莉緒の言葉は間違ってはいないだろうが、佳樹にとってはこの街は唯一の故郷でもある。生まれた時から暮らしてきた場所を捨て去るなど、そう簡単に出来る筈も無い。あくまで外から来ただけの莉緒とは違う。
「それじゃ、何度も言うけど、行く先をただ見てるだけしか出来ないんじゃない? 《《俺ら》》には何もできないんだから」
「まぁ、な……」
納得は出来ないが理解は出来る。そう言いたげな佳樹に、莉緒はこの話題はもう終わりとでも言うように話題を変える。やはり、莉緒はどこかヴィーデに関する話を避けているような気がする。しかし、その理由が語られる事は無い。人間、誰しも触れてほしく無い事の一つや二つあるものだ。莉緒にとってはヴィーデの件がそれなのだろう。
学校に着いた莉緒と佳樹。いつもと同じ学校生活を送ろうとしていた二人だったが、周りの環境がそれを許してはくれなかった。
どこへ行っても、昨日起きた襲撃の話題ばかり。せっかく莉緒が鎮静した佳樹の熱がぶり返しそうなところに、追い打ちとばかりに奏と奈央が油を注ぐ。
「そういえば、二人は大丈夫だったの? 昨日の事」
「あ? あ~……」
佳樹が莉緒の機嫌でも窺っているかのように顔を覗き込んでいる。特に普段と変わった様子は見られないが、朝の事もあるうえ、以前しつこくその話に持って行こうとした際、見たことが無い表情で睨まれた事もあった為、佳樹としてはこれ以上この話題を続けたいとは思っていなかった。
「……」
しかしながら、この話題に最も敏感な莉緒は、次の授業で当てられる可能性を考え、予習に四苦八苦しているせいか、奏の言葉は聞こえていないようだ。
「まぁ、俺は特に。なんたって発生場所からは離れてたからな。むしろ街の中心地に近い八重代とかヤバかったんじゃねぇか?」
「ん~? 凄かったよぉ、主にパパが、だけどね。もう今すぐにでも海外に逃げる、って勢いだったし」
「そうした方が良かったんじゃねぇか? ここ最近物騒なんだし、安全な国に逃げる、ってのも一つの手だとは思うけどな。まぁ、一般人にはまず無理な方法だから、ヘイトを買うかもしれないが……」
「美人で完璧超人な私は常に誰かの嫉妬を買ってるから問題無いさ」
「……」
「ナニ? その微妙な顔」
ボケか、それとも本気で自画自賛をしているのか分からないところがまた厄介だ。とはいえ、本人は嫉妬されているとは言うものの、実際そこまで他人から妬みや僻みを受ける事は少ない。というよりも、基本的に存在感を消している事が多く、あまり話題に上がる事も無い。本人はそれも作戦の内だと言っていたが、ただ煩わしいだけなのではないかと思うのも仕方の無い話だろう。
「で、委員長の方はどうだったのさ?」
「へ、私?」
「そうそう。自分から話振っといて、何にも言わねぇのは無しだぜ」
「そうは言われても……、別に何かあったわけじゃないから……」
困ったように手を忙しく動かす奏。どうやら、冒頭の話題への切込みは、友人の安否を確かめる事が目的であり、話題に花を咲かせる為では無かったようだ。……そもそも、万が一何かあったとすれば、今日この場に何も無しにいる事は無い、と言うのはこの際黙っておいた方が良いだろう。
「ねぇ、ここどうすればいいの?」
「あん? あぁ、ここはだな……」
分からないところでもあったのだろうか。それにしても、普段は滅多に自分から手が進まない莉緒にしては随分と珍しい事だ。ようやく学生の本分である勉学に目覚めたのだろうか。
「次の先生、答えられなかったらかなりねちねち責めてくるからさ。それされるくらいなら事前に予習してた方が楽じゃない?」
……どうやら特に勉強に興味を持ったとかでは無いらしい。それどころか、その言葉から察するに、他の教師が担当ならば予習すらしない可能性がある。
「はぁ……、あの先生じゃなくても、多少は答えられるように予習しとけ。ただでさえ、色々と遅れてるんだからよ」
「え~……」
先日渡された課題の進捗は五分といったところか。普段の莉緒にしては頑張っている、と言ってもいいだろう。中身が合っているかどうかは別にして。
「えー、じゃねぇ! 分からないなら聞け! そして理解しろ!! あぁクソ……、何でこんな目にあってるんだ……?」
「よっ、ケツの穴ガバガバ男!」
「ふざけんな! てめぇも付き合え!!」
「えっ……、私そんな趣味無いんだけど……」
「そっちじゃねぇ!! いや、んな趣味俺も無いわ!!」
「大丈夫? どこか分からないところある?」
いつも通りの漫才を繰り広げる奈央と佳樹を他所に、奏が莉緒の予習に付き合っている。奏は莉緒が分からない、理解が出来ないといったところを一つ一つ丁寧に説明していく。佳樹程成績がずば抜けているわけでは無いが、自分が理解する事よりも、人に理解してもらう事の方が得意のようだ。
「で、ここはこうして、ね」
「あ~、なるほど。……委員長ってさ、先生に向いてるよね」
「え、ホント?」
「うん。単純に教えるのが上手いし、理解しやすい。そっち系の進路でもいいんじゃないの?」
「そう……かな……」
「??」
ただ向いている、と言われただけにも関わらず、奏の表情が少し暗くなった。教師という職業が嫌なのだろうか? しかし、それにしては実際の教師と接する際にそういった態度を見せる事は無い。となると別の理由だろう。
「あ~……、委員長はよく教師とか、人に何かを教える職業が向いてる、って言われるんだけど、本人は違う職業に就きたいみたいだよ」
「ちょ、八重代さん!!」
「え、そうなの?」
「そいつは初耳だな。確かに、面倒見もいいし、何より人に親身になれるところがそっち系向きだとは思ってたけど……、こないだの進路調査なんて書いたんだ?」
「……」
どことなく、奏が言いづらそうにしている。まさか、この年になって花屋や、ケーキ屋などと書いたわけでは無いだろう。いや、大穴でお嫁さん、だろうか。
「と、とく……か」
「え?」
「特戦課……」
「……マジかよ」
まさかの希望先である。その言葉を聞いた瞬間、佳樹だけでなく莉緒の表情も驚きのそれに変わっていた。奈央のリアクションが薄いのは、やはり知っていたからだろう。しかしながら、国家公務員の一種である特戦課は確かに安定性を求めるなら一考の余地はある。だが、問題は担当、対応するのはデスクワークだけじゃない。先ほど話していたような、危険極まり無い事態に対応する事もある。オペレーターであれば、現場に出る者よりかは遥かに危険の度合いが下がるが、後方に籠ってばかりいる仕事でもない。場合によっては、被災現場に出張る必要が出てくる場合もあるのだ。
「その進路、両親は何て?」
「ものすっごく反対されたよ。やっぱり、今回みたいに市民から非難される事も多いだろうし、何より危険ってのが大きいからだろうね」
そう口にする奏の顔には、自嘲気味な笑みが張り付いている。本人もまた、特戦課がどういう組織なのか、民間人の目でしか見た事が無いが、それでもそれがどれほど大変かは分かっているようだ。
「でも、私はね、色んな人を助けたいの。三年前に起きた大崩落、あの時、親戚の家に行ってたんだけど、その時私達も被災したの。けど、自分達も辛いのに私達を必死になって助けようとしてた特戦課の人達を見てね、私もこんな人になりたいな、って、人の為に一生懸命になれる人になりたいな、って思ったんだ」
「おおう……、想像以上に眩しい理由だった……。ってか、大崩落に被災してたなんて初めて聞いたぞ」
「あんまり口に出す事じゃないと思って。多分、探してみれば他にもいると思うよ。私と同じ境遇の人が」
言われてみればそうだ。確かに、三年前の大崩落では多くの人が犠牲になったが、被災しながらも一命を取り留めた人の方が遥かに多い。そういった人が全国各地にいたとしても何らおかしくはない。
「そうか……、じゃあ一概に否定は出来ないな」
「そだね~。馬鹿正直に背中を押す事は出来ないけど、応援ぐらいはしてあげるよ? 何が良い? やっぱりチア? それとも……」
「お前はその口を塞ぐ事が一番の応援だと思うけどな」
「ナニヲー」
冗談の一つでも入れなければ死んでしまう病気にでも患っているのだろうか? 二人の様子を笑いながら見ていた奏だったが、ふと何の反応も示さない莉緒に気付き、そっとその表情を窺う。
「ん? どうかした?」
不意に視界に入ってきた奏に驚きつつも、首を傾げて逆に聞き返してくるその様子は、普段のものと特に変わったところはみられなかった。
「ううん、何でも無いんだけど……、保泉君は何か思わなかったのかな、って」
「何かって?」
「私が特戦課に入る事に対して、だよ。何も言わなかったから、もしかしたら口に出しづらい事でもあるのかなって。もしそうなら、はっきり言って欲しいな。参考にしたり、心構えなんかにも影響してくるし」
どうやら、莉緒に意見ないしは感想を求めているようだ。そう聞かれた莉緒は、少し難しい表情をするも、その口から出たのは意外にも奏を心配するものだった。
「委員長がやりたいなら、俺がどうこう言う事は無いよ。好きにすればいい。ただ、助けてもらったからって、みんながみんな感謝するわけじゃないって事を覚えてて欲しいんだよ」
「え……?」
「……」
何やら意味深な事を言った後、莉緒は参考書に再度向き直る。彼の口が再び開く事はこの時間中には無く、まるで奏の目から逃れるようにして、莉緒はこの日一日を過ごしていた。




