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第二章 俺は一人じゃない(一)

 ただ、走った。最高速度で走った。されど、死は、どんどん距離を詰めてきていた。冷たい気配でわかる。

 死は確実に近づいて来ている。このままでは追いつかれると懸念した。

 秋風道人が一足跳びでやって来た。秋風道人が、死と向かい合いながら、後ろ向きで走っていた。


 秋風道人は後ろ向きだが、前を向いて走る天笠の速度は、同じだった。

「天笠くん。これピンチだね。ワシが助けてあげてもいいよ。でも、条件があるのよ。なにか面白い駄ジャレか、ギャグを三つ言ってくれないかな。いつもユーモアを忘れない心がピンチを切り抜けるのよ。まあ、精神修行の一環だよ」


 何をこんな時にと、苛立った。だが、相手は仙人。死に追いかけられるくらいなんともないのかもしれない。

 とはいえ、恐ろしい死に追いかけられている状況下では面白い言葉なんて浮かばない。

「船頭多くして、船、山に登る。超能力者かよ」「濡れ手に(あわ)。洗い直しだよ」「三歩進んで、二歩進む。見事な進歩だね」どうにか三つ思いついた。


 秋風道人がいかにも微妙だと言わんばかりの顔をした。

「現世では、そういう笑いが流行っているの? わからなくはないけど、時代は変わったね。まあいいよ、最初は船だね」


 秋風道人が折り紙を取り出すと、高速で船を折った。折った船を投げると、空中で巨大な渡し船に変わった。

 渡し船が地面を走り、死に体当たりをした。渡し船と衝突した死が、背後で急停止した。死との距離が離れた。


 バック走のまま秋風道人が折り紙で升と足形と作って渡してくれた。

「残りの二つも、渡しておくよ。これで、時間が稼げるから。じゃあ、頑張ってね」

 秋風道人から枡と足型の折り紙を受け取った。札を渡すと秋風道人が一回転半ジャンプして正面を向いて、先頭を走り出した。死が再び背後から追っ手くる気配がした。


 一所懸命に走った。けれども、すぐに死に距離を詰められた。

 枡の折り紙を投げた。枡は空中で千倍に膨らむ。次に、信じられないほど大量の濡れた粟を吐き出した。濡れた粟を浴びせられて、死の動きが格段に遅くなった。


 死との距離が再び開いたが、非常にまずい。残りは足形の折り紙が一枚しかない。このままでは、すぐに追いつかれる。

 残りの折り紙もなくなる。何か、手はないだろうか。気がついた。秋風道人の走り方がおかしい。

 秋風道人の足がほとんど上がっていなかった。手も振っていない。なのに、足を上げ、手を振って全力疾走する天笠のほうが遅かった。


 秋風道人は「足腰の強さ」と口にしたが、秋風道人の言葉は、筋力的な意味合いではないとしたら。

 走る行為をやめる決断には、勇気が要った。走る動きをやめた。死の気配が、即座に背後に来た。

 慌てず、足をあまり上げずに、擦り足の要領で、一歩を踏み出した。移動する距離が大きく伸びた。


 次に背筋をきちんと伸ばした。柔らかい大地を押すように、一歩を踏み出した。さらに移動する距離が伸びた。

「地に足が着く」の言葉がある。仙人の歩き方は地に足を着けて、大地が持つ本来の力を少し借りる。


 死は常に背後に来ていた。だが、少し足を前に出すだけで、大きく引き離せた。次の一歩を踏み出すときは、すぐ背後に死がいた。だが、踏み出せば大きく遠ざかった。近づかれては、引き離し、近づかれては引き離す。


 大丈夫だと思ったところで、息が苦しくなってきた。息が上がってきた理由はわからない。まずい、大きく吸って大きく吐いてを繰り返すと、余計に苦しくなってきた。苦しくなると、堅実だった足取りが乱れてきた。


 死に追いつかれそうになった。足型の折り紙を投げた。折り紙は、天笠の足に張り付いた。一歩の距離が大幅に伸びた。死を大きく引き離し、距離が稼げた。けれども、一分で折り紙は足から剥がれた。残りの折り紙はない。


 どう呼吸するのが最良かわからないが、走る行為をやめれば、死に追いつかれる。

 小さな風の音が聞こえた。風はしばらくすると、音が変わった。風の音は秋風道人の方角から流れてきているように聞こえた。


「風の音じゃないぞ。これは、秋風道人の呼吸音」

 呼吸音なんて、聞こえるものではない。聞こえる状況は、つまり秋風道人が意図的に聞かせている。


 走りながら、秋風道人の呼吸を真似てみた。とてもではないが、秋風道人のように長く、吸ったり吐いたりはできなかった。死が再び接近してきていた。死は無理に距離を詰めてこなかった。


 明らかに、天笠の呼吸が崩れて、ペースを落とす展開を待っていた。死の戦術は理に(かな)っている。無理に追いつこうとするより、呼吸が乱れて遅くなる事態を待ったほうが得だ。


 呼吸法がうまくできなかった。どうすればいい? 風の音のような呼吸音は、秋風道人から相変わらず聞こえてきた。

「もしかして、呼吸って、口や肺でするのではないのか?」


 仙人の走り方が大地に運んでもらうように走る。だったら、仙人の呼吸法は口でするのではなく、自然に流れる風を吸い、用が済んだ風には自然に体外に出て行ってもらう、が正解かもしれない。

 口を開けて、風を取り込む方法を試してみた。呼吸が楽になった。試行錯誤しながら、風を体内に入ってきてもらうための呼吸法をする。


 呼吸が苦にならなくなった。足の運びと呼吸法で、随分と楽になった。三時間ほど、仙人の走法と呼吸法を繰り返して行く。死が、いくら追いかけても無駄と悟ったのか、追いかけて来なくなった。


 秋風道人が横に来て、明るい口調で話し掛けてきた。

「思ったより、やるね。ここまでできれば、後は走って、現世と冥府を行き来できるよ」


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