Ⅲ 新しい家族
* * *
「一週間予定を延ばして、もうちょっと図書館で勉強したい」というノーラの希望に合わせて、次の週の僕たちは、毎日昼食を一緒に摂っていた。
まぁ当然、クラスメイトの噂にもなるわけだ。
隣のクラスの女子とか、見慣れない外部の女子と一緒に、普段は目立たない僕なんかがつるんでいるとさぁ。
なんとなく予想はしてたけど、一度、隣のクラスの男子数人に囲まれた。
どうやら三枝さんのファンがそこそこいたらしい。
三枝さん、可愛いもんなぁ。
「なぁお前、三組の外処だよな。お前、三枝と付き合ってるのか?」
驚いたのは、そう訊いたのが三枝さんなんて眼中になさそうなイケメンモテ男の寺井だった。
寺井、他校に彼女がいたと思ったんだけどなぁ……
「つ、付き合ってるわけじゃないですよ。あの、ノー……三枝さんの友だちが、僕の知り合いで、彼女の案内を一緒にしてるっていうかぁ」
――うん、嘘ではない。
すると、寺井はすごんでいた顔を緩ませ、だが更に顔を近づけて来た。
「そうか……あの人の知り合いなのか」
……あれ? と、僕は思ったが、僕だけではなかった。
僕を囲んでいた――言っちゃ悪いが僕と同じか、更に冴えない感じの――男子たちも、おや? という顔になる。
「なあなあ外処、お前、あの人に俺のこと紹介してくんねぇ? あ、俺寺井っていうんだけどな」
寺井のことは知ってるけど、でも……
「あぁ、ものすごく残念だけど、彼女、来週にはこっからずっと遠い、地元に帰っちゃうらしくてぇ」
「ぬぁぁにぃぃっ?」
近い近い近い近い。そんな至近距離で愕然とされても困るよっ。
「そうか……そりゃ残念だ。彼女によろしく……」
そんなこんなで、あっさりと寺井は退散した。
うん、高校生に遠距離恋愛はつらいよね。
残された僕と、僕を囲んでいた他の男子たちは呆然として、じゃあ他の誰かが三枝さんのことを改めて訊くのかと思ったけど――そういやさっき答えたっけ。
その後はなんとなくお互い気不味い感じで、僕を含む冴えない男子たちはへらへら愛想笑いをしながら解散した。
ことの顛末を聞いて、ノーラは爆笑してた。酷いなぁ。
三枝さんは、大丈夫だったのかと心配してくれた。三枝さん、優しいなぁ。
* * *
次の土曜日、また三人で集まった。今日はいよいよ、あの親子猫を我が家へ迎える予定なのだ。
僕はこの一週間で、以前撮った親子猫の写メを両親に見せて説得をし、うちで飼うための許可をもらった。当然、子猫も一緒に飼うわけで、新しい家族が一気に増えるね。
「いいけど……こないだ拾った猫はどうしたの?」と母さんに訊かれたが、「あれ、隣のクラスの子の猫だったよ」と答えた。嘘ではない……よね。一応。
三枝さんは、親子猫のために可愛い餌皿や子猫用の餌を用意してくれた。
優しいなぁ三枝さん。
「じゃあ、あたしが話つけて来るよ。ちょっと待ってて」
ノーラはそう言うと、ぴょんと土手の上に飛び乗り、草むらをがさがさと掻き分けて奥へ進んだ。
僕はその姿を見送りながら、ノーラを拾った時のことを思い出していた。
* * *
大学の広い構内の端を辿るような順路で帰宅途中、たまに見掛ける親子連れの猫が、やたらみゃうみゃうと騒いでいたのだ。
いつも大人しい猫たちなので、珍しいこともあるなぁ……と、一メートルほどの土手に飛び乗り、草を掻き分けてみた。
すると親子猫は素早く飛びすさったが、まだそこに残っていた猫がいた。ぐったりと横たわった、白い子猫だった。
親子猫が汚れを舐めとったのだろう。薄汚れた毛並みは湿っていた。
一歩退いたが、まだ白猫が気になるのか、親子猫は草むらからこちらをじっと窺っている。
猫にもこんな他猫に対する情などがあるとは知らなかった。
「……こいつさぁ、僕が連れてってもいいかなぁ?」
わかるわけはないと思いながらも猫にそう声を掛ける。
すると親猫がじっと僕を見つめてから、頷くように首を下げ、そのまま自分の子猫たちを連れて草むらの奥へ消えて行った。
そうして僕はノーラを『拾った』のだった。
その後、数週間に渡ってノーラは僕の家に居候していたわけだが、人の姿になったのは、僕が拾ってから実に二週間後のことだった。ノーラって名前を知ったのもその時だ。
逆にいうと、二週間は人の姿になれなかった――ということなのかも知れない。
まぁ、ノーラが人の姿になった時の、僕の衝撃がどれほどのものだったのかは、ご想像に任せるが――
* * *
拾った時は当然毛皮だったが、今のノーラはむき出しの人間の皮膚だ。
素脚に、草がちくちくしないのかなぁ……と思っていると、ものの五分もしないうちにノーラがまた姿を見せた。その足元には、あの親猫がいた。
子猫は二匹とも、ノーラが抱いている。
「それじゃあお言葉に甘えて、よろしくお願いします、ってさ。それであの、飼い猫になるなら去勢とか避妊とかしなきゃいけないかも、っていう話もしたんだけど……」
ノーラが土手から飛び降りる。親猫は、にゃぁ、と一声鳴いた。
「子どもたちが安心して暮らせるなら、わたしは構いません、って。この子たちの前に三回、仔を産んだけど、無事に育ったのは一匹しかいなかったらしくてさぁ」
ノーラと三枝さんは、同情的な視線を親猫に向ける。
未婚なのに母親の気持ちがわかるのって、やっぱり女性ならではなのかなぁ、と僕は考えた。
「……じゃあ、これからよろしく。えっと……名前とか、あるのかなぁ?」
僕はノーラに問う。ノーラは軽く笑った。
「野良猫には、人間がつけるような名前じゃなくて、見た目や立場でつけられた呼び名がなんとなくあるだけだね。この猫はご近所猫さんたちから、『母さん』って呼ばれてたみたいだね。仲間内では母猫歴が長い猫だから。それじゃああんまりだし、新しい名前はタカシかしーちゃんがつけてあげて?」
僕と三枝さんはお互いに顔を見合わせる。
その瞬間に、多分二人とも同じことを考えていたのが、何故だかわかった。
* * *
翌、日曜日。
ノーラの実家がある街までの電車代は、僕らが折半して出した。
本当は飛行機の方が早く着くらしいんだけど、予算が全然足りなかった。
電車代ならそれより低額だから、できれば僕がひとりで全額出した方がカッコイイんだろうけど、それも小遣い制の身ではなかなか難しかった。
それに、三枝さんがどうしても自分からも出したい、と言ったのだ。
「元々、ノーラはあたしが拾ったんですからね」――だ、そうだ。
「うちに着いたら、手紙を出すよ。ってか、お金も返す」
そう言うノーラに「お金はいいから」と三枝さんは言ったが、
「ううん、こういうことはさ、きっちりしておいた方が、のちのち問題にならないんだよ。しーちゃんたちとは、これからも友だちでいたいんだ、あたし」
ノーラの表情は、僕らよりずっと大人びて見えた。
来週、僕らは夏休みに入る。でもノーラはもういないんだ……
そう思うと、不思議な気持ちになる。
* * * * * * * * *
「あれぇ? 可愛い。赤ちゃんだ。これお客さんですか? お礼の手紙とか?」
写真付きの絵葉書を覗き込みながら、一海が問う。
「カズミン、人の手紙を横から勝手に見るのは失礼にあたるんだよ?」
「あ。ごめんなさい……個人的なものだと思わなくて」
寧々は振り返り、少しむっとした表情でたしなめるが、一海が謝るとすぐに表情を和らげた。
「これはねぇ、あたしの古い友だち。最近赤ちゃんが生まれたらしいんだ」
「へぇ、そうなんですか……どっちが寧々さんのお友だちなんです?」
その葉書には、人が好さそうな男性ときれいな女性が笑顔で写っていた。女性の方は、ぷっくりと柔らかそうな頬をした赤ちゃんを抱いている。
見ている者が思わず微笑んでしまうくらい、幸せそうな写真だ。
「ん~、どっちも。てかねえ、こいつらが付き合うきっかけを作ったのは、何を隠そう、この寧々さんなんだよ? さながら恋のキューピッドってやつぅ?」
寧々は得意そうに胸を張った。
「あー、そうなんですね……」
――まぁた、余計な首突っ込んで、引っ掻き回したんだろうなぁ……
と、一海は思ったが言わないでおいた。
その予想が当たってても外れてても、寧々の仕返しが怖いからだ。
「こいつがなかなかヘタレな奴で、彼女のこと好きなのとか、あたしから見てもモロバレなのにさぁ……あ、そういや、カズミンにちょっと似てるかもね。煮え切らないとことかさぁ」
――この調子だと、うっかり聞く気を見せたりしたらそのまま一時間は喋り続けるんだろうな……と一海は判断する。
だから曖昧に、流すような返事を繰り返しながら、大きな段ボールを二つ重ねて持ち上げた。
「なんだよぅ。少しは興味持った顔しろよー。うわーすごいなー、とか、話聞きたいなーとかさぁ」
「ちょ、裾引っ張らないでくださいよ。ってか、倉庫の片付けするからって言い出したの寧々さんでしょ? 少しは自分でもやってくださいよ」
危うくバランスを崩すところだった、と一海は文句を言う。
しかし寧々は座っていた小さな脚立から飛び降りると、上着を手に取った。
「あー、あたしぃ、お手伝いしてくれる可愛い甥っ子と弟分のために、飲み物でも買って来るわー。あと、午後から来てくれる弥生ちゃんには、なんかスイーツとかも用意しといた方がいいよねー」
「寧々さん、あなた相変わらずやる気ないですよね……僕、午後には店に戻らなきゃいけないんですけど?」
月光が、はたきを手に神経質な様子で抗議する。
「じゃあ午前中いっぱいはこっち手伝えるってことじゃん? あと、一時間ちょいはおっけーだよね。じゃあいってきまーす」
「あ、ちょっと……!」
あっという間に、ドカドカと靴音を立てて逃げて行く寧々。その後ろ姿を呆然と見送ってから、月光が諦めたようにため息をつく。
「――まったく、あの人は昔から変わらない。それこそ、風のように自由気ままというか、好き勝手というか……」
一海は苦笑しながら段ボールを移動し、ぼやく月光に同意した。
「俺、昔の寧々さんは知らないけど、多分昔からそうなんだろうなーって予想はつきますよ。きっと、さっきのお友だちって人たちも、寧々さんに振り回されてたんじゃないかなー、とか」
「お互い、気苦労が絶えませんね……」
月光はもう一度ため息をついて、はたきを振る。
さっきからはたきを狙っているチビ猫が、物陰から様子を窺って目をキラキラさせている。
「まったくですね。寧々さんを相手にして、カイルさんのように飄々としていられるのは、ほんとすごいと思います……」
ロッカーの陰から、くしゅんと小さくくしゃみが聞こえた。仮眠用のベッドでは、今朝になってから帰って来たというカイルが、いつものように毛布に包まって寝ている。
一度寝ると滅多なことでは起きないカイルは、さっきからがたがたと片付けをしているのに唸り声のひとつもない。
でも少し埃っぽいかも知れない、と思い一海は窓を少し開けた。途端に、待ってましたとばかり、気持ちのいい風が楽しそうに通り抜けて行く。
――この様子では、今日もこの事務所は何事もなく……というか来客もない平和な一日、というやつになりそうだ。
一海はそう思いながら、また段ボールを運びに倉庫へ戻った。
……というわけで、『モノノ系はじめました。』のスピンオフでした。
お付き合いいただき、ありがとうございます。
次は、一海がとんでもないことになってしまう話を、三話に渡って投稿する予定です。
引き続きお付き合いのほどよろしくお願いしたく存じます……(平伏)