法廷編
法廷は視聴覚室を改造して作られる。傍聴席にはたくさんの人が押しかけた。通常ならば法廷にカメラは持ち込み禁止なのだが、とても全生徒が入るスペースなどないため、放送部が本格的なセットをして全学年に生放送する。
鈴木は入り口でそわそわしながら待っていた。結局昨日は謎の頭痛により何も考えることができず、感動的なスピーチなんて用意できなかった。
「空乃さん……早く来てくれよ」
「待った? 北斗くん」
「あっ……って、ぇえ!?」
鈴木は驚愕した。空乃はいつものふわふわとカールした巻き毛ではなく、全部後ろでひっ詰めて、高く結い上げていたからだ。
「なんというか……随分イメージが違いますね」
「驚いたかのぅ?戦闘スタイルじゃ。この顔の皮が引っ張られる感じがいいんじゃ」
「なんというか……口調も心なしかおかしいですよ?」
おかしいのはむしろ普段の空乃のはずなのだが、ここ数日、それに慣れてしまった鈴木はそううめいた。
「わし、実は広島県出身なんじゃ。じゃけぇ緊張したり興奮したりするとつい方言が出ちゃうんじゃのぉ。今日のわしは最高に緊張しとるんじゃけぇの」
素晴らしく流暢に広島弁を喋る空乃になんとなく疲労のようなものを感じつつ、鈴木は席についた。空乃はにっこり笑って、
「たちまち今回は正攻法でいくっちゅうことなんで、わしは弁護に専念するために防御策に徹するけん。飯島さんと秋野さんの情報はいまいちじゃったが少のぉても西園寺くんは……」
そこまで言うと空乃は親指を下に向け、首を掻っ切るようなジェスチャーをして、ぐっと親指を立てた。
「ばっちりじゃけぇのう」
「ああ……」
そのとき鈴木は思った。空乃に逆らわなくてよかったと。
「随分と人が集まっていますね」
「そりゃあ一大イベントですもの。広報部や放送部でなくても食いつくわよ」
「秋野千早のデータは集まりましたか?」
「ばっちり。でもね、私ちょっとうっかりしていたのよ」
「?」
「女狐の化けの皮剥ぐのに躍起になって、飯島さんの防御策を完璧に忘れていたわ。まあ……飯島さんは隙のない人だから大丈夫だと思うけれど、何が言われるのかしら」
「…………」
冬姫は黙った。自分の一週間の行動を振り返ってみてもそう落ち度があるようには思えないが、佐藤旧会長は自分に責任のないことで脅された。何が待っているかわからない。
「今更考えてもしかたがないわ。行きましょう」
「そうね、ここまで来たのだもの。ベストを尽くすまでよ」
二人は法廷の中へと入った。
「あ……ああ……あああああああ……」
「どうした? なんだか憔悴しきっているようだが」
「そういうあんたこそいつもより顔色悪いわよ?」
「僕は鈴木とはなんでもない!」
「何言っているのよ。わけわかんない! いい? 打ち合わせどおりにやってよ」
「貴様こそ攻撃しまくれ、僕を守りまくれ」
漠然とした指示をされても、海馬にとってそんなことは、どうでもいいことだった。
(とりあえずこの勝負は陸に勝ってもらう)
(ククク、会長になるのは僕だ)
まったく正反対のことを胸に二人は法廷へと入った。
カンカン!
「それでは開廷いたします」
やたらキツイ印象の女裁判長が木槌を打ち鳴らし戦いの火蓋は切り落とされた。海馬が立ち上がる。
「まず知ってのとおり、現在話題の鈴木候補生のふしだらな疑惑を取り上げたいと思います」
「来よった」
来た、鈴木は頭を抱えた。
「1年3組の井上さんを証人として召喚します」
あのおんな!
何か言いやがったら殺す! 鈴木の殺気みなぎった顔に向かって手を振って井上は証言台に着いた。くねくねと海馬が歩み寄る。
「井上さん、真実を語ることを生徒手帳に誓ってください」
「はーい、誓いまぁす!」
「では最初に。アナタ部活はどこに所属しているのかしら?」
「広報部でぇす!」
「先々月の広報部の新聞について聞きたいんだけれどもあの記事を書いたのはアナタかしら?」
「大丈夫じゃ北斗君。さすがのあんなぁでも二十禁の内容は言えん。言えたとしても十八禁じゃ」
「あれはー、私が最初に書いた記事なんですけど……」
そして証言が始まった。始まった証言を聞きながら放送部が青ざめる。
「伏字だ! 伏字にするんだ!」
開廷して五分もしないうちに放送禁止用語のコンボにピーっという音と共にタンポポの画像が流れた。テロップは「高校生に相応しくない内容のためしばらくお待ちください」である。
生放送を見ていた生徒が一斉に携帯電話を取り出し放送部にクレームを言った。
「さすがの加藤も心外って感じの顔しているわね」
証言が終わって陸がぽつりと呟く。冬姫もこころなしか憤慨している。
「大した証言じゃぁなかったんじゃの。あまりにも飛躍しすぎとって誰も信じんよ。えかったんじゃの、北斗君」
「良かったとか良くなかったとか以前に非常に腹が立つ……」
「裁判長、今の北斗君の『ぶち腹が立つ』っちゅう言葉記録しといてつかぁさい」
「西園寺……あんた実はこういう話、嫌いでしょう?」
「嫌いッ嫌いだ! 男同士なんて、なんて不健全なんだ。生身の女ってなんでこうも汚いんだろう……ギャルゲーやっているゲームオタクのほうがまだマシだ」
「あんたまでいっしょにダメージ食らってどうすんのよ? それにしても今の証言……思った以上に妄想と事実が混在しすぎて誰も信じないわね。証言のほとんどは放送禁止になっちゃうだろうし……」
あまり効果的でなかったと海馬は歯噛みする。騒然となる法廷に木槌の音が高らかに鳴り響く。
「お静かに、お静かに。西園寺の代理人、続けてください」
「はい。こいつ男だけでなく女にも見境ないんです。証拠物件そのAとしてこれを提示します」
どん、とスクリーンに映し出されたのは鈴木が冬姫の肩を抱いているあの写真だった。
「あっ! 何時の間に」
「裁判長、今の鈴木君の『何時の間に』という発言、写真の内容を認めているものです。記録しておいてください」
「異議あり。明らかに鈴木君の手がぶらんぶらんしとるんじゃけぇの。こりゃぁ明らかにおかしぃんじゃ」
「却下します」
かなりどよめきが起こっている。相手が冬姫だということに、みんなびっくりしているらしい。先程の話よりも衝撃は大きいようだ。
「票に何らかの影響があるかもしれないね」
「そのまま飯島さんと鈴木君が仲良く落ちてくれるなら楽でいいわ」
森下と千早のほうを向いて陸が鼻息を荒くした。
「あの目、あの目だわ…高みから見下ろしているようなあの目つき! 腹が立つ」
「どっちのことを言っているの?」
「二人ともに決まっているでしょ!」
冬姫の質問に陸は憤慨したように言った。海馬の声が響く。
「そして次にこの証拠物件Bを提示します」
ぱっと今度表示されたのは鈴木の水着姿のアイコラだった。
「彼は女なのに男の制服を着て風紀を乱しています」
「異議あり。顔と首の接合部分が不明瞭で合成写真の可能性があるんじゃ。写真部に証拠物件Bを確かめさせてつかぁさい」
「認めます。証拠物件Bを速やかに写真部へと手配してください」
疑うもクソもなく、合成なのは火を見るよりも明らかだったが、海馬は尚も食い下がった。
「それに鈴木君は、家庭科部です。これも怪しい。本当に男なのかこの場で証明していただきたい!」
「なんで家庭科部が怪しいんだよ!? 料理好きで悪いのか!」
「見てくださいこのパイナップルレェスの美しさ、繊細さ! 男じゃありえません。証拠物件Cです!」
「あっ、それ作っている最中になくなったと思ったら……」
「北斗君は洗濯したパンツをくるくる丸めて引き出しに並べる癖とかあるほうか?」
「ねぇよ!」
間抜けな空乃の発言に鈴木が凄い剣幕で返した。
「わかったわいや。鈴木君はたしかに男じゃ。それを証明したいんじゃがあ、さすがにここで鈴木君のバカモツを披露するわけにゃぁいかん」
「裁判長、今の空乃さんの発言を記録してください。鈴木君のアレは『馬鹿』だそうです」
「いい加減にしてよね! 海馬。あんたどこまで下品なネタに走るつもりよ!」
ダン、と机を叩いて陸が立ち上がった。海馬が陸をびしっと指差す。
「お黙りなさい陸。疑わしきは罰せられるのが常よ!」
「オカマは下世話でいけないわね。裁判長、法廷侮辱罪でつまみ出してください」
「あの女の極端に短いスカートから覗く太くて短い脚も法廷侮辱罪というより学校そのものを侮辱していると思います! つまみ出してください」
「ねぇ森下君……私は違うわよね?」
千早に質問されて森下が陸の脚を確認してから聞こえるような声で言った。
「少なくとも陸よりはセクシーだと思うけど……」
「森下の今の発言は私を侮辱しています!」
「静粛に、静粛に!」
ガンガンガン!!
木槌を叩きながら裁判長が仕切りなおした。
「話をもとに戻します。誰か鈴木君が男だと証明できる人はいますか?」
「そこに話を戻すのか!?」
思わず突っ込んだ鈴木が見た悪夢は加藤だった。傍聴席の最前列をがじめた加藤が手をひょいっと挙げたのだ。こいつは何を言うつもりだろう。
「はいはーい。俺、そいつの○○○○を見たことあるし、触ったこともあります」
(加藤ー! 余計なことを)
またまた騒然となる法廷に木槌の音が響く。
「静粛に静粛に。鈴木君が男だということは証明されました。西園寺の代理人、他に何かありますか?」
「以上です裁判長」
着席した海馬はにやりと笑った。意外なところで奴らは自分から自爆してくれた。大成功である。しかし隣を見ると西園寺が何か疲れきった顔をしていた。口から魂が抜けている。
次は山住が立ち上がった。
「陸先輩、あれは誰ですか?」
「雑魚よ。その他大勢の雑魚の一人」
「空乃さん、あの人は誰なんですか?」
「落選者の代理人ですよ」
「西園寺、あれはアタシ達には無害だから」
西園寺は魂が抜けていて聞いちゃいなかったが、落選者の代理人、山住が話し始める。
「まず飯島さんの凶悪な犯罪性について我々は調べました」
「犯罪性? それより我々って……」
陸が呟くのを聞いていない様子で山住は続ける。
「彼女には巷を騒がせているバットで人を殴る通り魔の噂が流れています」
「異議あり! これは言いがかりもはなはだしいです」
「却下します。川島の代理人、続けてください」
「彼女は剣道部です。ちょうど竹刀の長さとバットの長さは同じくらいです」
「異議あり! 竹刀を武器に使っているならともかく、バットを使っているなら野球部に犯人がいるほうが自然です」
「却下します。続けてください」
「これが証拠写真です。これは明らかに飯島冬姫です」
提示された写真を見て裁判長は頭を痛そうに抱えた。偏頭痛持ちなのだ。
少しの間どう指示しようか迷った挙句、風紀委員を呼んだ。
「野球部の新渡戸くんを警察に書類送検しておいてください。あとは任せます。今の写真は肌の色が地黒という共通点以外明らかに別人でした。馬鹿な発言は法廷侮辱罪です。つまみ出せ」
「あっ、海馬先輩の発言だって十分馬鹿だったのに! なんで俺だけ!?」
「部長、投げやりになったのぉ。馬鹿は海馬ばっかしで十分じゃ」
「……なんだか裁判部のレベルと階級制度が見えてきました」
黒いスーツを着た体育委員によってつまみ出される山住を見ながら鈴木は深くため息をついたのだった。
「次に期待しましょう。伊藤の代理人、起立」
「私は飯島さんの素行について調べました。彼女は大人に混じってパチンコをしています」
「異議あり! 今の太田の発言は絶対嘘です。彼女は嘘をつく時必ず口元がひくひくします」
「パーキンソン症なんです」
パンパンパン!!
裁判長が拍手をすると白衣を着た生徒が入ってきた。
「心理科学部、前へ。彼女を診てください」
「はい。なんか嘘をついてみてー」
「昨日ツチノコを見ました」
「心拍数が上がりました。あと黒目が左に動きましたね。記憶をつかさどる海馬ではなく思考をつかさどる左脳が働いている証拠です。あとひくひくしています」
「神聖なる法廷で偽証をする奴はライフル射撃部の的にします。狙撃班、前へ」
「っきゃー! 部長、私はあなたのハーゲンダッツ食べていません!」
太田が自ら逃げ出していく後ろをライフル射撃部が走って追いかけていく。鈴木は色々聞きたいことがあって空乃のほうをちらりと見た。
「あの……今まで知らないような部活が色々出てくるんですが……」
「じゃけぇゆぅたんじゃろう。ビックイベントだと。今回は裁判長も容赦ないけど内容もすごいから視聴率えかろうな」
つまり自分も視聴率の材料のひとつなのだろう。とりあえず仮に会長になることがあるならば、まずこの膨れ上がった部活の数をどうにかしようと考えた。
次は松山という女が立ち上がる。発言をする前から彼女はガタガタと歯を鳴らしていた。
「なんじゃあの女、怯えとるじゃあないか」
たぶん部長の制裁に怯えているんじゃあないかと鈴木は思った。
「わわわわわたしはッ! 飯島さんの飲酒疑惑をっひ!? ひっくひっく」
「持病の横隔膜が痙攣を始めたようです。松山を誰か保健室へ」
ただのしゃっくりひとつに大げさな……と思っていたが、あまりにも連続してしゃっくりをするため松山は顔面蒼白になり、保健委員に付き添われて法廷をあとにした。あまりの馬鹿馬鹿しさの数々に冬姫が一言、呟く。
「さっきから私本当に集中攻撃されているのかしら?」
「言ったでしょう、雑魚だって」
「次、深沢の代理人……先に言っておきますが、今薬学研究同好会が砒素を持って待機しています。静脈に打つとどんなことが起きるか実験されたくなかったら、まともな発言を心がけてください」
「姫はヴァージニア・スリムを一日に7箱も吸っています。だから肺だけでなく肌が黒いんです」
ありえない話にくすくすと笑い声が聞こえる中、裁判官だけが笑わないまま薬学研究同好会を呼んだ。深沢の代理人はウケ狙いだったらしく、言ったと同時に窓から飛び降りて逃げた。
「興ざめよ! アタシがせっかく盛り上げたのにあいつらいったい何なの!?」
憤慨する海馬だったが、隣の西園寺はそんな声も聞こえず脳内のちょうちょうと会話していた。
「アンタ、ムカツクのよ。いい加減に目を覚ましなさいよ!」
バコン、と殴るも、まったく目を覚ます気配がない。なんて幸せそうなのだろう。「僕は会長だ~。ありがとう、ありがとう」などとうわごとのように言っている。
「でもこれで予想通り半分近く減ったわね。あと一人は戸浪か……」
戸浪は特に目立ったパフォーマンスは何もしないが、いつも細かく洗ってくる。戸浪が立ち上がって発言しはじめた。
「自分は飯島さんのご家族について少々調べました」
ぼそぼそと小さな戸浪の声に冬姫の眉が反応した。
「彼女、飯島冬姫は苗字は飯島ですが……それは養子にだされたからです。彼女の本当の父親は、安藤組の安藤深冬です」
「異議あり。今の戸浪の発言、記録してください。これは部の忌々(ゆゆ)しき問題です。ここまでくると誹謗中傷もはなはだしいわ!」
陸の言葉を聞いていないかのように俯き加減のまま戸浪は喋りつづける。
「証拠物件Eとして、戸籍抄本の写しを提示します」
「異議あり! プライバシー侵害罪で訴えられたいの?部でなくて本当に訴えるわよ!?」
「そして証人として飯島冬姫を証人へと召喚します。身の潔白を証明できるなら証明していただきたい」
「おい、家族が誰とか関係あんのかよ!」
思わず乗り出した鈴木を空乃がぐっと引っ張って席に座らせた。
「飯島さんは賢い人じゃ。陸ちゃんも賢い人じゃ。わしらが弁護せんでもじゅうぶんやっていけますけぇ。たちまちひっこめや」
「飯島さん、戸浪の馬鹿に一発がつんと本当のことを言ってきて!」
陸に指示されて、冬姫が証言台のほうへと向かった。
「ねぇ戸浪にあの情報漏らしたのって、もしかして秋野さん?」
「他の代理人は馬鹿ばっかだったからね。裁判部が生徒会長を決めるも同然なんでしょ?」
どうやら裁判部に紛れ込んだ秋野の手先は戸浪だったようだと森下は確信した。着席した冬姫に戸浪が続ける。
「あなたの実の父親は安藤深冬ですか?」
「……はい」
何度目かのどよめきが起こったが尋問は続く。
「彼はなぜ、あなたの父親ではないんですか?」
「現在安藤深冬は刑務所にいるため私の面倒を親戚の父に任されました」
「安藤深冬の罪状はなんですか?」
「殺人罪です」
淡々と答えていく冬姫を鈴木と陸は苛々しながら見ていた。この発言の問題についてはさすがの空乃と海馬も食傷気味だった。傍聴席も延々と続く質問に腹が立ったらしい。加藤がおもむろにゴーグルをはずすと、それを戸浪に向かって投げつけた。彼は裁判長のほうを向いて、しれっとこう言う。
「すんません裁判長、わざとです。すっげぇ不快だったんで」
その発言を合図に物投げ合戦が開始した。みんながあらん限りのものを投げつけてくるので、他の立候補者たちもとばっちりを受けた。森下と千早は予想していたらしく素早く机の下に潜っていた。
「静粛にお願いします。お静かに! お静かに!」
ガンガンガンガン、
木槌を打ち鳴らしても止まりそうもない騒動に裁判長は諦めて体育委員に指示した。
「戸浪から弁護士資格を剥奪いたします。法廷から連れ出してください。次、秋野の代理人森下、前へ!」
ぎぎっと森下は椅子を引くと立ち上がり、悠然とよく透る声で発言し始めた。
「これだけ法廷が侮辱されたのも前代未聞の出来事です。今までの発言の数々で部の品位が、モラルがどれだけ下がっているのか自覚させられました。それに犯罪者も何人かいたようですし……」
ちらりと海馬を見つつ、森下は発言を続ける。
「このような忌々(ゆゆ)しき事態を改善するためには、まず学校の風紀や道徳観の見直しが必要でしょう。学校の取り締まりをするのは誰か……もちろん実際に動くのは風紀委員ですが、生徒会長は芸能人の人気投票のような気分で決めていいものではありません。きちんとした誠実な心をもった人こそがその座に相応しいのです。そこで彼女、秋野千早さんですが……彼女は既に一年もの間、学校のために働いています。裁判長、記録しておいてください」
先程が目に余る酷さだったせいか、とうとうと話す森下の言葉に皆が魅せられた。
「あいつら、他の奴を最悪にすることによって自分達がさも気位が高いように見せる作戦に出たわね」
「うまい作戦じゃの。人を貶すんは直接的にゃぁやらず自分達を上に見せとる……じゃがこの作戦はあまりにも蜥蜴の尻尾切りが激しいのぉ。きっと敵をえっと作っとるわい」
「あいつはアタシのパターンも見越して計画立ててたわね! どおりで先攻をやらせてくれると思ったら……」
涼しげな顔のまま、森下は謙虚な発言へと移った。
「無論、一般社会においてのキャリアのように、経験が長いからといって学校に相応しい行動をしているとは限りません。たしかに長い間やっていると腐敗もしやすい……しかし長くやっているからこそ、見えてくる問題もあるはずです。彼女がやろうとしていることはまず掃除です。掃除というのは放課後やる掃除ではありません、人の心の闇を掃除をするのです」
頭の弱い奴が無理矢理難しいことを言おうとした時、とっさに出てくる言葉のひとつにこの「心の闇」というものがあるが、もちろん弁護士四天王は、この言葉は森下が馬鹿だから選んだのではなく、あえて馬鹿な人間たちに焦点を合わせてレベルを下げているということが分かった。
「しかし法が認めている限り、人の思想の自由は保証されています。この自由というものが過度に叫ばれている時代、自らの理念にそってそれを貫くことがどれだけ難しいか、想像するのは難くないでしょう。今まで副会長の席に甘んじていた彼女に権力はない……ご存知のとおり、日本は民主主義と言っても、その実態は国会議事堂の一握りの人間がとり決めているにすぎません。これは欺瞞です。何かを成し遂げるためにはまず代表者になるしかない! 権力なんかくそくらえ、しかし何かを成し遂げるためには権力なくしてはありえません。聴聞の皆様においてはこの場にすら来ることができない人だって大勢いらっしゃいます。だからこそ自分たちの声を反映してくれる人が、会長になるべきなのです」
今度は頭がちょっといいと思っている人間に声をかけているようだ。法律とか社会とかあとよくわからないカタカナの哲学単語を織り交ぜて、内容はそんなに難しくないのにあたかも難しいかのようにみせている。
「みなさんはこの場にいる九人の中で、誰こそが真に会長に相応しいか見定めていただきたい。少なくとも僕はモラルに欠ける人になってほしくないんです。そういうことで、証拠物件Fを提示いたします」
「ねぇヤな予感がする……ヤな予感がする、ヤな予感がするんだけど西園寺起きなさいよ!」
そして嫌な証拠物件Fがスクリーンに表示される。西園寺と鈴木が衝突しているシーンである。森下は棒読みだったがはっきりとこう言った。
「なんということでしょう、このふたりは保健室の保険医を追い出して何をやっているんでしょう」
「ぼ・く・は無実だー!」
デッド・オア・アライブの最中だった西園寺が生還した瞬間だった。鈴木は呆然としていた。空乃と海馬が猛烈に抗議する。
「異議あり! こんなの捏造だわ」
「異議あり。鈴木君が歯の臭そうな西園寺とキスすなんてありえんじゃけん、どうせ海馬たちの作ったアイコラじゃろう」
「自分を切り売りしてネタにする馬鹿なんているかこの広島弁女!」
西園寺が半分キレた状態で怒鳴った。
西園寺が作ったわけではない……ということはこれはいったい……鈴木にはまったく記憶がなかった。最後に見たのは……加藤と、黒い影……加藤? 加藤!?
「モラルが欠けているのはアタシか? お前か? お前のほうだろうが森下ぁー!」
海馬に罵倒されたくらいで森下は動じない。そのまま発言を続ける。
「証拠写真が捏造でないことを証明いたします。裁判長、写真の右下を拡大してください」
拡大、拡大、拡大された写真の一部を見せて森下は言った。
「これはゴーグルです。しかも水泳用ゴーグル……ここは保健室ですので水泳部のゴーグルということはありえません。つまり、常にゴーグルを着用している人です。ちょうどそこの一番前に座っている彼が、先程ゴーグルを戸浪に投げつけていましたね? ということで加藤君を証人として召喚したいと思います」
西園寺と鈴木の視線が一気に加藤に集まった。しかしここで何か不適切な発言をするとこの写真が本物であることを証明してしまう。ここはどうにかして加藤を黙らせなければ。とりあえず殺意を篭めて微笑んでみることにした。証言台に立ったら、コロスと。
加藤は二人の笑顔を見てにやっと笑うと立ち上がった。
「わかりました。すべてを正直に告白することを生徒手帳に誓います」
「お前は俺に逆らいすぎだー!」
どーんと来い迷惑……どーんと来すぎたようである。いそいそと証言台に座る加藤に森下が尋問を開始した。
「まず確認しましょう。ここに写っているのは加藤君、あなたですか?」
「はい、そうです」
「ではここに写っている二人は誰と誰ですか?」
「鈴木と西園寺です」
「この写真のキスは本当ですか?」
「すさまじいキスでした。鈴木が倒れました」
「西園寺君が押し倒したんですね?」
「誰がそんなことするか!!」
「そんなことされてたまるか!!」
「異議あり。今のは誘導尋問です。証人を意図的な答えのほうに導いています」
「認めます。秋野の代理人は発言に気をつけてください」
「すみません裁判長」
陸が加藤の発言にすかさずフォローをいれる。しかしこれは森下も読んでいたようだ。極端な発言をして、すぐ謝る。しかし一度発言した内容というのはもう全校に流れているのだ。陸はなんとなく冬姫のほうを振り返って……見なかったことにした。
「見てみぃや。あの飯島さん……ありゃぁ誰か一人くらい殺そうとしとるんじゃけぇの。加藤と西園寺と森下と、誰じゃろうのぉ。一人ゆわず三人ともいのぉなってくれりゃぁわしらの勝ちなんじゃが……」
「俺は自分が消えたい……」
机の下に隠れながら弱弱しい声で鈴木は言った。
「先程の発言は撤回いたしますが、とりあえず鈴木君は今回の証言で三人の生徒との関係の疑いがあるわけです。このような倫理観に欠けた人間を生徒会長にするわけにはいきません。以上です」
最後だけは言い切る形で締めくくって森下は着席した。言い返す隙すら与えてくれなかった。
鈴木の目の色が変わる。それを見て加藤が呟いた。
「あいつ本当に怒るとああいう目になるんだよな。ちょい刺激的……」
「さて残すはあと二人となりました。次、飯島の代理人」
陸がすっ、と立ち上がった。
「今回の馬鹿馬鹿しい証言や証拠の数々は一見雑魚弁護士達が用意したしょぼいネタのように見えるけれども、実は違うんです。これは全てあそこにいる、秋野千早の陰謀です!」
「異議あり。今のは言いがかりです」
「おんどりゃあ、さっきあれだけイチャモンつけた人間が自分の時はゆいがかりたぁ都合がいいの。ひっこめや。ぶち回すぞ?」
「そうだ引っ込め森下!」
「鈴木の代理人は脅すのをやめてください。西園寺の代理人も発言には気をつけましょう」
森下が何か反論しようとしたのは、空乃と海馬の発言によって取り消された。陸が続ける。
「言いがかりかどうかは今から証明するわ。まず、彼女が色々な人を脅していたことからね……最初に彼女は鈴木君に接触しました、そして次に西園寺君に。おそらく他の五名とも接触したものと思われます。証拠物件Gをここに提示いたします」
「あっ!」
海馬が思わず声をあげた。表示されたのはもう処分されたとばかり思っていた、千早と鈴木の接触シーンである。裁判長がその写真を見て、一言
「肝心の鈴木の顔が抜けているけど?」
「ここに彼の顔もあります」
と次に男性誌の一ページを開き、そこにあった鈴木の顔を慎重にぺりっと剥がすと、証拠物件Gに重ねた。
「ぴったり合うみたいですね。これを証拠物件Hとして提出いたします。これで鈴木君の不当な疑惑のひとつは晴れたみたいです。次に証人として西園寺君と海馬君を召喚したいと思います」
「んな!? 聞いてないぞ、海馬。なんだあの写真は」
「なんだじゃないでしょうがこの馬鹿ッ! さっきの森下の発言でわかったでしょ?あいつらはアタシたちのことを仲間だともなんとも思ってないの。もう千早に義理立てする必要なんかないわ。思いっきり暴露してやりましょう」
「ぬぅ……たしかに。宣誓、アタシたち僕たちは生徒手帳に真実を語ることを誓います」
そこから既に嘘だった。二人は交互に告白する。
「僕らは脅されました」
「秋野さんの言うとおりにしないとボコ、ボコ、ボコられ……鈴木君みたいなことにしてやるって言われたんで仕方なくねちねちとアイコラとか作らされました!」
「鈴木は千早の誘いを真っ先に断ったので晒し者にされました」
話が少し膨らんだが、嘘はついていなかった。空乃がすごい剣幕で立ち上がる。
「千早ぁ、鈴木君に大怪我させたなぁわれってほんまか!?」
「続けて加藤君を証人として召喚いたします。加藤君、証拠物件Fについて質問します。あの写真を撮ったとき、あなたはどうして偶然にも保健室に居合わせたんですか?」
「それは秋野千早に鈴木とキスしてこいって脅されたからです」
「それでは当初の予定では鈴木君とキスする予定だったのは加藤君だったのですね?」
「はい。でもやっぱり(飯島に)悪いかなと思ったのでやめておこうと思ったら西園寺が突っ込んできました。俺の背中を押すように言われていたみたいです。でもとっさに避けちまったら、西園寺が鈴木に激突しました」
「さっきのはキスではありません、まさに激突の瞬間です。証拠写真Fは無効です。そして保健室での出来事をなんと偶然予想していたかのように保健室の窓の外で待機している秋野さんを撮りました」
そしてスクリーンに映されたのは千早がカメラを構えている姿である。
森下が手をあげる。
「画素が粗い。本当に立候補者秋野かどうか写真部にチェックしていただきたい」
「認めます」
写真が下げられた。絶好調の陸の発言は続く。
「それでは次の証人を召喚いたします。佐藤旧生徒会長です」
傍聴席がざわついた。
「まずいな……」
「まずいなんてもんじゃないわよ」
森下が呟くのに千早が反応した。しかし先程で自分たちの番は終わってしまっているため、今は発言が終わるのを待つしかない。
法廷の扉が開いて傍聴の生徒の間を佐藤が歩いてくる。そのまま証言台に座るのを見計らって陸は質問を開始した。
「佐藤先輩、なぜ秋野さんがずっと副生徒会長だったのか教えていただけますか?」
「彼女が自分の息のかかった者を会長に据えて自分を副生徒会長に指名させ、影から操っていたからです」
「つまり佐藤先輩も秋野さんの息のかかった人の一人だったわけですか?」
「そうです。生徒会になどなるつもりはありませんでしたが、生徒会選挙の始まる少し前に彼女に脅されて選挙に参加しました」
「差支えがなければ具体的にどのような内容か教えていただけますか?」
「言うとおりに動かなければ、先程の飯島さんのように現在刑務所にいる父のことを近所にバラすと言われました。俺は周囲の体裁を考え、一年間黙ってきましたが、飯島さんに勇気づけられました。今こそ真実を言います」
「具体的に生徒会に入ったあとの彼女の行動を聞きたいのですが……」
そうしてどんどんと暴露されていく赤裸々な事実の数々に、千早の顔色が変わる。
保健室の写真を撮っている千早の写真が映されたときまでは、森下の指示に従っていたと言い逃れすることができると思っていたが、これは言い逃れができない。
最後に陸はびしっと千早を指差すとこう言った。
「この女は、一年間という長期に渡って汚職を働いていた以外にも数々の人を脅して、汚い弁護人や卑しい男どもの手を借りてまた生徒会の甘い汁を吸おうとしていたんです。先程自らいかにもな発言をした森下に告ぐわ。生徒会長には倫理観のある誠実な人間が就くべきよ。この女だけは生徒会長にしてはいけません!」
「異議あり!」
「この期に及んでまだ何か言うつもり?」
陸にきっ、と睨まれながら、森下は立ち上がった。
「彼女、秋野千早は脅されていました」
傍聴席のどよめきが大きくなる。裁判長が眉をひそめて聞き返す。
「誰にです?」
「………それは」
苦々しげに森下は言いよどんだ。元々苦し紛れの嘘だったのだから。しかし、隣の女が口を開く。
「黙秘します」
「は?」
森下も間の抜けた声を発した。千早は続ける。
「私、たしかに脅されていたわ。だけどそれで誰だって聞かれたり、何故だと聞かれたり、私、そんなこと言いたくないんです。だから弱虫な私をゆるしてください」
悪女パワーを発揮した。しおらしい声を出す千早に対してもう攻撃するのは無理だと思った陸はこの際、冬姫に勝ってもらうしかないと思い、そのままその指先を西園寺に向けて続ける。
「あと都合が悪くなるとすぐに寝返るそこの西園寺劣も却下だわ」
「僕の名前は西園寺勝だッ!」
「ぶふっ!」
西園寺が冷ややかな視線で横を見ると、海馬が馬鹿ウケしていた。森下も空乃も、他の聴聞席の人間も笑いをこらえるのに必死のようだ。いつもながらの潔い暴言を最後に陸は「以上です」と着席した。
「今日の陸ちゃんの切れ味はまさに最高じゃ。東雲高校のマドンナを見事に失墜させよった。こりゃぁチャンスじゃ。ほいじゃぁいきまひょか、北斗君」
横を見るとそこには真剣な眼差しの鈴木がいた。空乃はその様子に少し笑って立ち上がる。
「最後の代理人、どうぞ」
「今回わしは鈴木君からひとつん要請を受けとったんよ。この揚足裁判とも呼ばれとる生徒会裁判で、決して人を非難するんじゃぁのぉて、純粋に自分の弁護をしてくれと頼まれたんじゃ」
そんな冒頭でスタートした空乃の弁護だった。
「当初人気を集めるパフォーマンスとして発足されたこの生徒会裁判なんじゃが、今は見てのとおり、人の揚足をとることばかりに気をとられて、自分達の足元掬われてって感じじゃ。こがいなやりとりからげに生徒会長に相応しい人物を選ぶことがでけるかは、一年間裁判部をやっとっても甚だ疑問じゃ。ほいでー鈴木君の実直さを証明するための証人に、鈴木君本人を召喚したいゆぅて思いますけぇの」
「え……?」
いきなりだされた自分の名前に鈴木は戸惑ったが空乃はどん、と鈴木の背中を叩いて
「思うたことを素直にゆやぁいいんじゃ。そう気張りなさんの」
そうして証言台へと鈴木は座った。何を言うかなんて、つい先程まで決まっていなかったが、鈴木は口を開いた。
「俺は最初生徒会長になりたいなんて思っていませんでした。だけど謎の手紙で毎日『会長になれ』ってきたんです。それだけだったら無視しましたが、ある日携帯の指示に従って外を見るとそこには大きく『会長になれ』と書いてありました」
「あれは僕へのメッセージではなかったのか!?」
思わず愕然とする西園寺。鈴木はそのまま喋りつづけた。
「それが秋野さんの仕業なのか、誰の仕業なのかはもう、どうでもいいんです。それだけの人文字を作るのにどれだけの人が集まったのでしょうか。これだけの人の期待に応えることができるならば…俺はそう思って立候補しました。だけど東雲高校の生徒会長になるというのは、かなり過酷なようです。脅されるし、骨折するし、恥もかかされたし……でもそんなことより一番堪えるのは好きな人に好きと言うことさえ、非難の対象にされることです。俺が侮辱されるのは別に構わないけれど、彼女まで侮辱されるのは許せない……」
出だしがよかったようで、すらすらと言葉がでてくる。真剣な表情で鈴木は言った。
「俺は生徒会選挙を降ります。後任には飯島冬姫さんこそ相応しいと思います。これで終わりです」
「余ったのでこの証拠物件Iをついでに提出するかのぅ。こりゃぁ鈴木君が襲われて、骨折する瞬間をとらえた写真じゃが……」
そして映し出されたのは例の空乃が海馬から分捕った写真だった。
「これで鈴木君が被害者だやらはめられたやら、そういうことがゆいたいんじゃあなぁで。この目を見てみてみぃ。こがぁな目をすることがでける奴が汚職なんざできるわけがなかんじゃ。少のぉてもそこにいる、ふざけた顔並べた五人や、黒に限りなく近いグレーの容疑者とかたぁ全然違うのがわからんのか? ゴシップやなんかに振り回される前にその人間の目を見りゃぁ、自ずとその人格は見えるよって。ほぃじゃが鈴木君はもう生徒会選挙そのもんに辟易しとるようじゃ。わしもこがぁな陳腐な茶番もう見とぉないわ。反吐が出る。ほいじゃあいぬろうて、鈴木君」
そう吐き捨てると、空乃はそのまま閉廷の合図も待たずにすたすたと法廷をあとにした。残った人間の誰からともなく拍手がもれて、これにて裁判は閉廷となった。




