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揚足裁判  作者: 花南
第四章
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冬姫編

 数日ぶりに冬姫は剣道の素振りをした。昨日の出来事を考えずにいるためには何かせずにはいられなかった。柔剣道場の畳の上では陸がぼんやりとくつろいでいる。結局今のところ、千早の証拠は何も手にいれていない。明日は裁判だというのに何も情報がないのだ。焦る気持ちを抑えつつも、今は冷静になるべきだ。

 加藤が入り口からこちらの姿を確認して上履きごと畳部屋に入ってくる。注意しようとしたが何か気まずそうな様子だった。言いづらそうに沈黙している。

「何?」

「千早が俺に会いに来た」

「向こうから接触してくるなんて……こっちの様子に気づいたのかしら?」

「鈴木とキスしろだって」

「誰が!? 冬姫、断りなさい!」

 怒る陸をなだめるように加藤が続ける。

「いや飯島じゃなくて、俺が鈴木にキスしろって」

 さすがの冬姫も一瞬だけ素振りが止まった。だがまた、無言のまま続ける。

「たしかに加藤と鈴木のキスを写真に収めれば、千早たちが有利になるかもしれないけれど……やることが相変わらず汚いわね。でも千早の悪事の証拠写真が撮れれば私たちの勝利よ。受けなさい、加藤!」

 びしっと陸に指されて加藤は露骨に嫌な顔をした。

「でも俺、今鈴木と会うのは……というか、捨て身で? 俺的にアウトなんだけど……」

 渋る加藤に素振りをしたまま冬姫がさらに条件を提示した。

「そういえば生徒会のあなたの席……まだ決めてなかったわね? 校長室の椅子と同じものを手配してあげる」

「飯島さん……」

「椅子は悪い話じゃあないな。でもいいわけ?」

「何が?」

「俺と鈴木がキスして、お前はかまわないのか?」

 ひゅうんと風を切るような高速音がした。反射的に加藤が右に避けたところを竹刀が掠めていく。

 無表情のまま冬姫が言った。

「キスしたいならしなさい、私に聞くことじゃないわ。くだらないこと聞くと次は本当に首に当てますよ?」

「本当も何も、今俺が避けなかったら思い切り喉に突きが入ってたんですけど……」

「つまり次は避けられないようにするということです」

 首筋からうっすらと血が滲んだ。加藤は億尾にもせず竹刀を指でおろすとそのまま入り口のほうへと向かった。

「姫は冷静に見えて、感情的で素直じゃない。今日は竹刀の振りが荒い……当てなかったんじゃない、当てられなかったんだろう?」

「革張りのソファーの件が消える前にお行きなさい」

「はいはい。こわやこわや」

 そのまま消えていった加藤を見ながら陸は昨日聞き損ねたことを、勇気を振り絞って聞いてみた。

「昨日言っていた一万なんたらって数字だけれど、あれなんなの?」

「……」

 また素振りを再開したので話す気はないのだろうと陸は思ったが冬姫が答えた。

「受験番号」

「それで?」

「テストの予鈴が鳴る寸前に、私は鉛筆を落としたの。もう鉛筆を替えに戻ることもできなかった。そこで前に座っていた子が私に一本の鉛筆を貸してくれたのよ。汚い字で『合格!』と彫られた荒削りの鉛筆だったわ」

「つまり、前に座っていた子が鈴木君だったわけね。それで惚れたのか! ……あ」

 思わず余計なことを言ってしまった陸が、先ほどの加藤の同じ目にあわないかと汗をだらりと流した。

「違う。彼の鉛筆がなかったら危うく私は8ミリの芯でスタートするところだったのよ。これは、借りよ!」

 先ほどより更に素振りが荒くなったのを見て陸はやれやれと肩を竦めた。

 そんな話を加藤は隠れて聞いていた。

「へぇー、そういう関係か……やっぱり未遂にしとかないとな」

 姫の怒りに狂った剣は受けたくなかった。


 窓をおもむろに見た陸は、そこから見たことのある煙が昇っていることに気づいた。

「森下ぁーッ!」

「あっ……」

 ガラっと開けた窓の下には森下がいつものように煙草を吸っている。

「しっ、禁煙中なんだ。陸にばれたらどうする?」

「私がその陸よ! あんた今の話、盗み聞きしてたでしょ!」

「受験番号がなんたらって話なら裁判のネタには使えないから安心しとけば?」

「その前よ。私たちが話していた内容を聞いていたのかって言ってんのよ!」

「聞いていたらどうだっていうんだ?そこの凶暴な竹刀で声帯でも潰されるわけ?別にお互い相手のネタを掴むなんていうのは今に始まったことじゃあないじゃないか。止めないし、止められることもないよ」

「風紀委員ー! こっちに煙草吸っている奴がいま~す!」

「あっ! お前なんか僕になんか恨みでもあんの?さてはまだあのこと根にもってんだろう」

「違うわよ!」

「これだから女は面倒でいけないよ。まだ未練があるならば相手してやらないことはないけれども今は僕忙しいので駄目よ?」

「違うって言ってるでしょ!」

 食いつきそうな勢いの陸から数歩離れて森下は手を振った。

「まあ暇つぶし程度でよかったらまた付き合うよ。じゃあ」

 煙草を携帯灰皿に押し込むと、警笛を鳴らしながら走ってくる風紀委員から脱兎の如く逃げ出した森下に陸が大声で叫んだ。

「あんた、肺も真っ黒ならば性根も真っ黒だわッ!」

「……森下先輩と何かあったの?」

冬姫が聞いてくる。先ほど冬姫の込み入った事情を聞いた陸としては、自分のことを答えずにおくのは気がひけた。

「私は……あいつに……」

 思い出すだけでも腹が立つ。拳に力を篭めるときっ、と顔を上げた。

「オセロで全敗しているのよ!」


 森下に時間を食った二人は剣道着のまま走った。

「飯島さんヤバイわ! 早く追いつかないと加藤と鈴木君が……」

「待って、今場所を考えているところ」

 思えばさっき加藤に場所を聞いておくことを忘れた。それほど気が立っていたということだろうか。平常心が欠けているようだ。

「陸先輩、私そういうのに疎いんだけれど……キスして盛り上がる場所ってどこ?」

「え? わかんないけど…少なくとも柔剣道場は雑巾臭くていけないわ。あとこの時間はけっこう人いるし……普段使用する教室とかはありえないわね」

「じゃあ保健室か図書室か視聴覚室か……そんなところね」

「保健室からあたりましょう」

 廊下を曲がったところで、先生が冬姫に話しかけた。

「こらー、剣道着で廊下を走っちゃだめだぞ」

「すみません、急いでいるんです」

「飯島さんにはちょっと用があるんだけど」

「そんなの石垣先生の取り巻きの他の先生にパシってもらってください」

「それが市川先生も原田先生も大事な時にいないのよね。ねぇね、書類の整頓だけだから、飯島さん手伝って!」

 このタイミングでのこの先生との遭遇さえ千早の仕業だとしたら、相当な根回しである。冬姫はきっ、と陸のほうを向くと言った。

「陸先輩、先に行ってて」

 わかった! と陸は頷いてスピードを上げて走った。

 グラウンドからまわりこむと保健室の外で千早がカメラを構えているのが見えた。

「千早本人のお出ましね。完璧な現場を押さえられるわ!」

 しかしここでしまったことに気づいた。カメラは冬姫が持っていたのだ!

 カメラを持ち合わせていなかったため、携帯カメラを構える間に千早のカメラが動いた!

 ドーン!

 ものすごい音が保健室の中から聞こえた。嫌が応でも保健室の中が気になったが、千早が動かないとこっちも動けなかった。遅めに冬姫もやってくる。だが二人は見た。千早がほくそ笑んだのを。千早は何やら上機嫌に軽い足どりで保健室を離れていった。

 目を見合わせ二人の間に沈黙が走る。渡り廊下からなんともやりきれない表情の加藤が無言で出てきた。

「ど……どうなった?」

 気になった陸が聞くと、加藤は言いにくそうに

「後ろから……西園寺に襲撃された……」

 加藤はそう言い残すとそのまま去っていった。

 どさ、と冬姫は石垣先生の書類を地面に落とした。それほどショックだったのだろう。

「加藤は逃げ切れなかったみたいだけれど、もともとあの人達には良くない噂が出回っているし……それがほんの少し現実味を増したと思われるだけよ。そりゃ……まぁ……悪いことしちゃったかもしれないけれど」

陸は少し後悔した。あの時、やはり推し進めるべきではなかったと。


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