鈴木編
「鈴木君、どうしたんだね? その腕と傷は」
職員室に呼ばれた鈴木は、右腕を動かせないまま少し悩んだ。
「襲われました」と言うのは簡単だったが、助けに来た冬姫を巻き込むことになるので何か嘘をつこうと思った。こういう時には本当のことを少し混ぜて話すことがいいらしいが……何を混ぜても混ぜるな危険! 一瞬よぎった加藤の顔……あいつならどんな嘘をつくだろうと思いながら、口を開いた。
「白いウサギが目の前を走り抜けていったんです」
「はぁ……ウサギが?」
訝しげな表情をする先生に鈴木は続けた。
「しかも時計を持っていて、人語を話すんです。思わずあとを追いかけました」
「……それで?」
「穴に逃げ込んだので負けじと追いかけたら、出た先が崖で……転がり落ちました。結局ウサギには逃げられてしまいました」
「鈴木君、君は疲れているようだ。保健室で休んできなさい」
「はい。失礼しました」
あんな嘘でも場はしのげるものなのだなぁと思いながら、職員室をあとにした。
さてどうしようか。鈴木たちにはまだ何の手札も作戦もない。空乃と待ち合わせをしている図書室へと憂鬱な気持ちになりながら歩いた。
「やぁ、奇遇だな鈴木君。おやおや、その手はどうしたんだい?」
いやに上機嫌な声に鈴木は聞き覚えがあった。西園寺である。うんざりしたように睨み付けて鈴木は言った。
「また俺を馬鹿にしに来たのか? 悪いがお前に付き合っている暇はないんだよ」
「そういえばあのお前の周りをいつもウロウロしているアホはどうした? 最近お前の近くで見かけんなぁ~。喧嘩でもしたのか?」
「関係ないだろ?」
吐き捨てるように言った鈴木に西園寺がにたりと笑う。
「喧嘩したならば早めに謝ったほうがいいぞー。傷は早めに治療しないとどんどん広がる。後で治そうとしても壊疽になっていたりするものだ。お前の傷も、奴の傷もな……奴は今怪我をして保健室にいるぞ?」
「…………」
西園寺が何か企んでいるのはすぐに分かった。しかし今は加藤の話題が一番傷に響いた。鈴木は西園寺のことが気になりながらも踵を返し、保健室へと向かった。
この前のように不良もどきがいたわけでもなく、保健室にはちゃんと加藤がいた。保険医は出払っているらしく加藤は首のあたりをひとりで消毒していた。
こちらに気づくも、そのまま無言で立ち去ろうとする。すれ違いざまに鈴木は声をかけた。
「加藤」
「……聞いた以上に派手にやったんだな。傷は痛むか?」
なぜか分からなかったが、加藤はいつものように逃げなかった。だが心の距離は離れている。
「実はかなり痛むんだ。お前のほうこそその怪我は?」
「ハートの女王に口答えしたら、首をはねられそうになった」
加藤はまだ自分を嘘でからかう気がある。まだ完璧に心が離れたわけではないようだ。鈴木は加藤に謝った。
「ごめん加藤……別に俺、お前のこと傷つけたかったわけじゃあないんだ。ただ少し離れて……」
会話がストップした。違う、何か違う。離れてほしかったわけではない。でも周りの目が気になったし、迷惑もしていた。事のなりゆき上、加藤には離れてもらわなくては……でもそうじゃなくて……
試行錯誤している間に加藤が気まずそうに顔をそらし
「なぁ俺ってウザい?」
はっと鈴木は顔を上げた。
「……ウザい?」
「ウザいよ」
鈴木は、嘘をつかなかった。
「普段からお前はウザい。だがな……」
ウザいと言われることはわかっていたようで、何も言わなかった加藤にびしっと鈴木は言い切った。
「今の加藤が一番うっぜぇ!」
「やっぱり俺はお前に近寄らないほうが……」
「違う違う違う! そんな風にしおらしい態度のお前がありえないんだよ! お前は、いつも人様に対して容赦ない。どんなに嫌がっていても近寄ってきて人の気も知らず余計なことをしてくる、それがお前だ! 加藤、お前は俺の命令なんか聞く奴じゃあないだろう。勝手に俺の周りをうろうろしながら天災を振りまいていればいいんだよ!」
「そうか。なるほど……迷惑かけていいんだな?」
なんだか納得したように加藤は頷いた。
「そうだ。どーんと来い、迷惑!」
「わかった。どーんと行くぜ、迷惑」
いつもどおりの加藤の邪笑だった。その瞬間である。
加藤の後ろに、何か黒い物体が見えたような気がした――鈴木はそれが何か理解する前に意識が飛んだ。




