(65) 緋の流星 ・6 ──── 陽の影
暗い話が続きます。
「 ──── ねぇ、ウィル?知っていて?」
大切な人を失した者の叫びを
ミシェルの美しい顔が、どこか悲しむように、見たこともないほどに歪む。
「ねぇ、辛かったのは私だけだったなんて。」
警鐘が、鳴り響く。あの時の兄の言葉だった。
『裏切り者に、気を付けろ』
背筋にゾワリと寒気が走ったその刹那 ─── 私は咄嗟に防御姿勢と防御魔法をかけ ─── ようとした。
しかし、カチリと耳障りな、何か鍵のようなものがしっかりと掛かる音がした。
「クッ、グゥゥウゥ───!! 」
気道が押し潰され上手く息が吐き出せない。それと同時に身体から力が、魔力が抜け落ちるように感じ、さらに地に押さえつけられるような感じたことのないような重量が全身にかかる。
「なっ!?いっ、一体・・・な、何を・・」したんだ、と言葉を継ごうとしたが、言葉を発することは出来なかった。
力を振り絞って、ミシェルを仰ぎ見れば、ゾッとするほどの冷たい瞳で、私を見下ろしていた。
「・・・貴方が悪いのよ、ウィル。天界を、・・・そして私を捨てたから。・・ひとりにしたから・・よ?」
ミシェルの顔は、今まで見たこともないような、絶望と羨望が入り交じり、涙を浮かべ、憎しみに駆られたラターニャのような顔をしていた。
(※ラターニャとは嫉妬深く、欲深い滅びた神族の、神の一族のひとり、女神)
天使が魔界に堕ちる切っ掛けは、欲に溺れるからだ。
自分が意図せずに堕ちる。天界から魔界に、さらに罪深ければ冥界にまで堕ちることを、堕天という。天使は心の闇を抱えると、少しずつ少しずつ闇に囚われていく。
実は、天使族の位の交代は、半数は堕天によるものだ。ほぼ不死であり、全能と思っている天使族は、実に欲深い。自分の欲に忠実で、傲慢で弱く脆く、そして堕落しやすい種族であった。
魔界に来て、魔族としての生まれ変わったからこそ、意外に魔族の傲慢でありながらも几帳面さ、頑固なほどの矜持の高さには驚いた。"堕落して魔界に堕ちる"という点には納得できないものがあるが、天使は魔界に来て己の在り方をもう一度考え直すという点は、魔界に下るのは意味があるとは言える。
そうであっても、神々しく正しくあるべき天界最高位天使でも、堕落してしまうというのか。
しかし、天界の最高位天使であるミシェルは、私を─── 魔界を滅ぼすべく動き出して、いたのだ。
世界の均衡保持の盟約を破ってまで、用意周到に少しずつ時間をかけて、追い込んできた。
薄れ行く意識のなかで、私はミシェルの魔界にいる意図を読んだ。
でも、何故だ?
君は、私と違って光の道を歩んで来たはずだ。兄のアレキサンダーも光の中を歩んで来たはずだった。
天使は胎果が実を結び、生まれ出る前から、序列が定められている。
彼女や兄が"光"なら、私はそれに寄り添う"影"。
例えば、私は光輝く色鮮やかな花たちの道の傍らにひっそりと咲く、どこにでもある"路傍の花"。
彼らが"太陽"ならば、私は自ら光を発することはないが、その光を受けて輝くことが出来る"月"のように、常に傍らに寄り添い、側に居たいと望んだ。
「光が濃く鮮やかであればあるほど、それに寄り添う影が、また濃くなければ、それは鮮やかには見えないものなのだ。」
「光は、影がなければ決して輝けないのだよ。」
そう兄のアレキサンダーは私に向かってよく言ったものだ。
影でいい。路傍の花でいい。陽のもとにでるのは、私でなくていいのだ。
だから、私は兄の支えになりたいと望んだ。
「・・・・・・」言葉を紡ぎたかった。今は痺れて言葉にならず、ハクハクと呼吸音が漏れるだけだった。
情けなくもがく私の視界と思考は呆気なく暗転した。
──── 夢を見た。
兄と、そしてミシェルと過ごした天界の、天使だった頃の夢だ。
元々兄は、他の種族と協調し、滅ぼし傷付け合うのではなく、手を取り合っていこうと望んでいた。
兄はある魔族の女性と恋に堕ちてからますます、その考えに傾倒した。
しかし、他の上位の天使達は、そんな兄に不快感を露にし反発した。特に当時、聖光の熾天使だったミシェルの側近達だ。
次代の最高位天使、と生まれながらに定められた熾天使。他の天使族はほんの一握りの熾天使達のもとに力を結集させ、天界を守り、助力を惜しまない者達のはずだった。
喉からでるほど皆が欲する地位を兄はあっさり捨て、ただ、愛する人のために堕天する。言い出したときは天界中が大混乱になったものだ。
剣聖と呼ばれた熾天使だった兄を、慕うものはとても多かった。
眩いほどの白金の髪、眼光鋭い深い菫色の瞳、加えて剣聖と呼ばれる圧倒的な剣技は敵うものはいない。知性、胆力に優れ、天界最高位天使に相応しい。この眩いほどのめ明光力に溢れるこのひとと同枝の友であることが私の喜びであり、誇りだった。
例えミシェルのことを愛していても、それとは比べることなどできなかった。
ミシェルはあの時、頷いてくれた。
そう思っていた。
私はミシェルと共に堕天しようとは思えなかった─── いや、言えなかった。
そして、彼女も共に魔界に行くと言うとは思えなかった。私は彼女の側にいた頃から、最高位天使の地位に固執していることを密かに感じていた。
その時、最高位天使の兄がいるのにも関わらず、上位天使達を周りに侍らせて、時に反対し、強者を誇示することもあって不快に感じることもあった。
そんなこともあり、私が自ら中和役として、幼馴染みでもあったミシェルの側にいて天界の均衡をとろうとした経緯があった。いつしかそれが恋となり、共にありたいと思ったのに、私は兄を取った。
それは、陽の影に居続けねばならない、存在意義を渇望する私の欲深さだ。
密かに感じていたミシェルの最高位天使への羨望と嫉妬を、私の欲深さに置き換えて嫌悪していたのだ。
だからもう、私はミシェルの側には居られなかった。
心の奥深くに眠っていた私の欲を、今になって封印を解くことになるなんて、思い出したくなかった・・・やはり私は陽の影でしかないのだ。
そうか。
これは私とミシェルとの戦いだ。
現魔王や吸血鬼族を廃して、魔界を牛耳せんとする夢魔族、そしてミシェルを、天使族をなんとしてでも阻止して見せる。
でも、全てはもう遅かった。
私はこの時すでに血の狂いに侵されでいた。
落人からもたらされた、毒は驚異的な速さで魔界に広がっていた。




