救世主
「世界は七日後に滅ぶのです。ですが恐れることはなにもありません。私が皆さんを救いに参ったのです!」
街の中心で叫ぶ男がいた。
男が言うには世界は七日後に滅ぶらしい。
もちろんそんな話を信じる者は誰もいなかった。
人々は皆、いぶかし気な目で男を見つめた。
「いったいあいつは何を言ってるのだ」
「きっと宗教の勧誘だ」
「ああいった人間には関わらないのが一番だ」
「全くだ。世の中変な奴が増えたもんだ」
そう言って人々は男の話に耳を貸そうとしなかった。
しかし男は周囲の人間の反応など気にもせずに叫び続けた。
「世界を救うには祈りが必要です。さぁ、皆さん私の手を握ってください。そして私と一緒に祈りの言葉を捧げるのです。神に向かってこの聖書の言葉を捧げるのです」
そう言って男は手にしていた聖書を掲げた。
だが、周囲の人々は誰一人として男の話など聞こうとしなかった。
「まったく最近は厄介なやつらが増えたもんだ」
「宗教ってのは怖いもんだな」
「興味本位で近寄っちゃだめよ。きっと高い壺と売りつけられるから」
そんなことを言いながら人々は男から離れていった。
それから三日が過ぎた。
男は依然として叫び続けた。
「世界は四日後に滅ぶのです。ですが恐れることはなにもありません。私が皆さんを救いに参ったのです!」
その頃になると周囲の人たちも男のことが気になりだした。
「なんでいつまでも同じことを言い続けているんだ」
「宗教の勧誘じゃなくて頭がおかしいんじゃないか」
「なんにせよ、いつまでも街中で騒がれてちゃ迷惑だ」
「たしかに迷惑だ。あんなのが町の中心に居られたら気持ち悪くてしょうがない」
人々は相談し、警察を呼んだ。
ほどなくして訪れた警官たちは男を取り囲んだ。
「おいお前。名前はなんというのだ?」
「私は救世主です」
「なに、救世主だと? そんな名前あるか。本名を話さないか」
「本名などありません。私は救世主です」
「いったいなにを言ってるんだお前は。それではお前の家はどこだ」
「家? 私の住まいは天井の彼方に存在します」
「なんなんだお前は。それではお前に親兄弟や知り合いといった身元引受人はいないのか」
「私の家族は世界中に居ます。世界に生きる全ての人間は私の愛する家族です。もちろん貴方も私の大切な家族です」
そう言って男はニコリと警官に微笑んだ。
しかし警官はあきれかえった声を上げた。
「こいつはダメだ。話が成立しない。俺たちの手に負える相手ではない。専門家に任せるしかない」
「専門家? いったいそれは……」
警官たちはそれ以上男の話を聞こうとしなかった。
男を取り押さえ、無理やりパトカーへと押し込んだ。
「な、なにをするのですか。私は世界を救う使命が……」
「わかった、わかった。後で聞いてやる」
そう言って警官たちは男を病院へと運んだ。
その国の病院はとても優秀だった。男のような症状への治療法も確立していた。
「なるほど。彼は妄想に取りつかれているようですね。お任せください。すぐに彼を真人間にしてあげましょう」
そういって医師たちは男に様々な薬品を投与し、治療を行った。
三日後、男はそれまでの出来事をすべて忘れ、すっかり落ち着きを取り戻した。
「皆さん、お騒がせして申し訳ありません。ホントに私はどうして自分の事を救世主なのだと言っていたのでしょうか」
「いやあ、よかった、よかった。これで安心だ。貴方はもう大丈夫です。治療は完璧に行われました」
医師たちは正気を取り戻した男に満足した。自分たちの治療は素晴らしい成果をあげたのだと思った。
と、その時、テレビに臨時ニュースが流れだした。
「大変です。地球に向かって巨大な隕石が迫っていることが発見されました。明日、隕石が地球に衝突します。隕石の大きさは地球の十倍以上です」
そのニュースに世界中の人々は驚いた。
「なんてことだ。このままでは人類が……、いや、世界が滅んでしまう」
「いったいどうすればいいんだ。地球の十倍以上の大きさの隕石なんて防ぎようがない。逃げようもない」
「そういえば……、世界が滅ぶと言っていた男がいたはずだ」
「そうだ。あの男の言っていた通りだ。このままでは世界が滅んでしまう」
「なんということだ、あの男は……いや、あの方は本当に救世主だったのだ」
人々は男の言っていたことが全て真実だと知った。
男は本当に救世主だったのだ。
そして病院にいる男の元へと殺到した。
「私たちは貴方に失礼なことをしました。本当にすみません」
「救世主様、貴方の言う事を信じようとせずに申し訳ありません。心から反省してます」
「ですからお願いです。どうか世界を救ってください」
「貴方なら世界を救えるはずです。どうか祈りの言葉を捧げてください」
人々は自分たちの行いを後悔し、必死に哀願した。
しかし男は首を傾げるばかりだった。
「いったい皆さんはなにを言っているのですか。私は救世主なんかではありませんよ」
そう。
男は治療の結果、自分が救世主であることを忘れてしまっていたのだ。
「いいえ。貴方は救世主です。間違いありません」
どんなに人々がそう言おうと男の記憶は戻らなかった。
「そうだ。その聖書に祈りの言葉が書いてあるはずだ」
彼らは男の持つ聖書にも目を通した。しかし……
「なんだこの文字は。こんな文字は見たことがない」
そこに書かれていたのは普通の人間には決して読めない文字であった。
その文字を読むことが出来るのは救世主のみであったのだ。
「お願いです。どうかこの文字を読んでください。そして祈りの言葉を唱えてください」
人々は涙ながらに男に頼み込んだ。
だが男は本当に全ての記憶を失っていたのだ。
記憶を失った救世主は、ただの男であった。聖書など読めるはずなかったのだ。
「いったいこの本にはなんと書いてあるのですか。こんな文字は始めて見ました」
人々は自分たちの行為を反省した。しかし全ては遅かった。