撃沈のモーツァルト
モーツァルトは実は難しい。裕一は途方にくれます
明日は、八重子先生のレッスン日。
僕は、慌てて課題曲をさらっている。
まず、ショパンのエチュード25-7.左手と右手の旋律のバランスの確認。
交互ではなく、両方旋律の時は、僕は右手のほうを出すようにした。
それと、リタルダンドには、気を付けたけど、フっと間をあけるとか、これは、
いろいろありそう。
モーツァルトのピアノソナタ14番は、ネットで演奏の動画を譜読みを始める
時に見てみたんだけど、難敵は3楽章かな。fpにフェルマーターがかかってる
所があって、タイミングが難しい。
ベートーヴェン11番は、もう練習、練習の繰り返しだった。
f、p、fp などのダイナミクスには気を付けたが・・
これは、終わるのに時間かかるかもしれない
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レッスンでは、やっぱり上手くいったかなというのは、ショパンだけだった。
ベートーベンのソナタは、まず、最初の4小節でとめられた。
普通の3度の和音にスタッカートがついてるのだけど、僕は2度目の和音を
無意識に小さくしていたので、注意された。
ここは、力強く同じスタッカートでと。
次は、右の上昇音形なのだけど、これは、ペダルをふんでなくても、どうも
音が濁ってた。四分音符ごとに、カッチリ弾いてねと申し訳なさそうに、先生は
言った。最初の1段目でこれだけ難しいというか、弾き方がなってなかった。
速さだけに、とらわれてたようだ
モーツァルトは、撃沈した。
”ゆっくり弾くのが、時代背景としては、あっているかもしれないのだけどね・・
この曲は、モーツァルト後期の作品だから、もう少し3楽章は、自由でいいかな。
逆に1楽章は、もっとカッチリ弾いたほうがいい、ここの所のリズムが乱れる。
あと、3連符がもたついて聞こえる”
結局、ショパンのエチュードが終わっただけ。次はエチュード25-3が課題だ。
ベートーヴェンとモーツアルトは、もう一度。
というか、今度、東京の西師匠の所へ行くので、そこで見てもらうようにと。
トホホ・・ベートーヴェンのダメダシは、まだどう練習すれいいか、わかりやすい。
でも、モーツァルトは、弾けば弾くほど、いろんな弾き方ができて、
結局、どれがいいか、わからなくなる。
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ぐったりして家に帰ると、美里ちゃんが、お帰りと元気に出てくる。
最初は戸惑ってたのか、元気なかったけど、今はかあさんと一緒に遊んだりしてる。
「最初の元気のなさは、少し、栄養失調気味だったのさ。じいちゃんが、美里ちゃんの
担任と連絡はとりあってるけど、よく、体育の授業の時は、青い顔で倒れそうだったって。
美里ちゃんも、最初は小食でね。家庭が落ち着かないと、食欲も出ないもんなんだ」
ばあちゃんが、美里ちゃんを、まだ、心配そうに見ながら言った。
夕食までの時間、僕は、少し休んだ。
音楽室で父がスコア読みに没頭してるのもあるけど、今日のレッスンで疲れた。
ベートーベンはまだいい。練習する所がハッキリしてるし。
問題はモーツァルトだ。小学生の時は、得意だった記憶があるのに、今は天敵だ。
一つわかるのは、僕の出すピアノの音は重い事だ。
”もっと軽く”と言われる事も多い。
うだうだ考えるうちに、居間で寝てしまったらしい。
”裕一、夕食”の山崎の声で起きた。山崎はエプロン姿で台所と居間を行き来してた。
エプロン姿に、吹き出しそうになったけど、我慢した。
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夜、練習しようとしたら、山崎が音楽室に入ってきた。
練習を見学したいとのことで。僕は、???だ。クラッシックに興味あったんだ。
僕は、まず、ベートーベンのソナタから手をつけた。
自分が、スタッカートの違いや、細かい箇所の処理、曲全体の流れをだせるように、
何度も繰り返し、練習した。
あと、ショパンのエチュードの譜読みと基礎練習。
ショパンエチュードとはいえ、前段階の基礎なんで、単調な練習になる。
で、問題もモーツァルトだけど、速度をちょっとずつ変えて全体を通してみたり、
それはないわ、ってくらいに、ロマン派の弾き方にしたり・・半分ヤケだったかも。
練習終わって、山崎が、コーヒーを僕に差出し話し出した。
「俺はさ、だいぶ諦めてるんだ。かあさんが、あんなだから
家の中では両親は、喧嘩してるか、飲んでるか、寝てるか。
穏やかに食事をするなんて、記憶のある限りじゃ、ここが初めてだった。
だからかな。裕一がうらやましかったよ。
でも、裕一はおまえなりに、大変なんだな。
大学落ちたら、親許でただ働きだものな。必死になるのも当然だ。」
「まてまて、僕は親許でただ働きなんかしないから。」
いつの間にか、既成事実になるのはいやだ。
「僕は東京の祖父母の元にいて、その時は、一人だったよ。お手伝いさんと
秘書の都築さんに育てられたようなもんだ。
両親に会えるのは、年に1.2度。だから喧嘩もないんだけどね」
”それでも山崎よりは、恵まれてる”なんて事は、僕は思ってもいない。
山崎は山崎で、僕は僕で、それぞれのおかれた環境で、頑張るしか、
未成年の僕らには、出来ないんだ。




