東京会議
8月1日の夜、家族全員が集まった。父のマネージャー・柿沢さん。かあさんの
マネージャーアリサさんも、一緒だ。それに都築さん。
両親と僕とおじいさま。
父が、僕と東京で落ち合うなんて、珍しい。
食堂で、全員で夕食で、又、寿司を食べながら、両親は、”ネタが今一ね”
なんてノンキに話してる。父は休暇モードなのか、頭はボサボサのままだ。
マネージャーは二人とも、食べても、すぐスマホでなにやら連絡したり受けたりと、
忙しそうだ。
おじいさまが、話があるというので、居間に集合した。
僕は、話の途中、父とおじいさまが険悪な雰囲気になり、僕は自分の部屋にいるように、
言われてむくれたた後で都築さんからいろいろ、話を聞いて
わかった事をまとめると。
・おじいさまの会社のオフィスビルにある、かあさんの事務所を移転する。
事務所は母は無料で借りていた
・父は母がNYの自分の事務所に入る事を勧める
(その事でおじいさまと、言い合いになったこと。)
・実はアリサさんは、おじいさまの会社の社員で、派遣されてきていた。
これから、本社に戻るか母のマネージャーを続けるかは、本人の選択
・僕が大学を卒業し、デビューする事になったら、祖父が全面的に支援する
(ここでもおじいさまと、父は言い合いになった)
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僕は一人で部屋でのけものになっていた時、
都築さんは、僕の所にコーヒーを二人分、持って来てくれた。
「ありがとう、都築さん。なんか大人だけの難しい話してるの?」
都築さんは、ちょっと迷って話してくれた。
「社長と君の父上とは、音楽についての考え方には、かなり差があってね。
今回、君の母上の事務所を移転するのは、会社の都合なんだけどね。まあ、ありていに
いうなら、会社が金銭的に余裕がないというか。
あのね、音楽業界で演奏家として生きていくには、まず、なんでもいいから、
コンクールで賞をとること。
そうしたら、賞を受賞した記念ということで、リサイタルを開く。
で、聴衆が入るようにチケットは自腹で払い、とにかく聴衆を確保する。
で、音楽雑誌に批判の記事をのせないように、音楽の評論家に”お願い”をする。
これでデビューは大体成功さ。何度かそれを繰りかえし
知名度をあげ、CDを出す。
若いから、写真はイケメンもしくは美人であることをウリにする。
CDが評判になれば、もう大丈夫。
実態は、こういうかんじかな。まあ、これは極端な例だけどね。
君のおかあさんは、そうやって社長の全面支援を受け、活躍できるようになった。」
そういえば、CDのジャケットって、そういえば若い人は自分の写真を使ってたっけ
でも、びっくりだ。”才能があるから演奏家活動が出来る”とは限らないんだ。
別な方面でも(営業とか売り込みとか)がいるんだ
「もちろん、チャイコフスキーコンクールやショパンコンクールとか、有名な
コンクールで賞をとれば、一躍有名になるさ。黙っていても出演依頼がくる。
でも、そういうのは、本当にごくごく稀な事だろう?
裕一君は、チャイコンやショパコンを目指すかい?」
慌ててクビを振った。そういえば僕は緊張症を、まだ克服できてないきがする。
(試す場がないのでわからないけど)
「そういうやり方に、君のお父さんは反対してるわけだ。
”コンクールは一つのものさしではあるけど、コンクールが全てだってのはおかしい。
ましてやそれがデビューに関係すると思いこんでるのは、アジア人ぐらいだ”だって。
雅之さんも、頑固だ。社長もだけどね。
そして君の母上は、残念ながら、海外で活躍するほどの知名度がない。だからNY
へ、事務所を移しての音楽活動は、大変だろうからと、 社長は反対する。
そして、裕一君が大学をでたら、君のお母さんのように、社長は支援したいって思ってる。」
当然、君の父上は大反対だった」
僕のデビューって。。まだ、大学にも入ってないのに。
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なんか、今夜はびっくりしてばかりだった。
父のいう事もわかる。理想だし当然とも思う。
でもおじいさまのやり方も、アリなんじゃないか。
それで母は演奏活動を続ける事ができた。
僕は、本当に何もしらない子供だった。音楽業界の理想と実態。
でも、先の事より、明日からの夏季セミナーだ。
僕は才能がないから、頑張らないと。




