東京での夜
おそるおそる見て回った。ここにあった陶器人形の飾りがないし、廊下の絵もない。
僕は、俊一叔父の部屋へ行った。
ソファなどには、埃よけに白い布がかぶせてあった。
おばあさまの部屋は、家具もなく、ガラーンとしていた。
僕のいた部屋と音楽室は、何も変わりがなかったけど。
家が、”店じまい”でしてるかのようだった。
居間でぼーっと座ってると、都築さんとおじいさまが、帰ってきた。
おじいさまは、顔色が悪く、何か覇気がない。
都築さんが、僕に笑って
「やあ、裕一君。来たね。なんとか仕事を急がして、一緒に夕食と思ったんだ。
寿司を7時に頼んでいるから。それまで、ゆっくりしていて」
「おじいさま、1泊しますのでよろしく。都築さん、こんばんわ。あの、家の中が
何か妙にさっぱりしてる気がするんですけど?」
「ああ、それは、わしの指示だ。わしはもともと、絵や陶器には興味もないしな。
殆ど売り、あとは紀子の別荘に飾ってある」
「でも、部屋もガランとしてるけど」
「どうせ、使わない部屋だ。お前の部屋と音楽室はそのままにしてある。裕一、
お前は、また東京でのピアノのレッスンがあるし、再来年、お前の希望してる
邦立音大に受かったら、ここから通うといい。落ちても、ここに住んで
勉強すればいい。音楽室は、絶対必要だろうからな」
おじいさまは、僕がここに戻る事は、想定済みなんだ。
「殺風景なんで、びっくりした?元々、この家の中の装飾品が、必要以上に多かったんだ。さあ、そろそろお寿司がくるから、食堂に移動しよう。お茶でも入れるよ。」
都築さんは、笑いながら言った。
食堂でお茶を飲みながら、僕の進路の話になった。
僕の音大進学は変わらないけど、滑り止めの学校の目星はつけてるけど。
浪人する事までは、考えてなかった。。自惚れてるんだな、まだ。
「裕一の事だ。落ちても浪人してまた音大を受けるのだろう。
頑固な所があるのは、娘の春香と同じだな。
わしとしては、落ちたら経済学部にはいり、わしの跡をついでくれるのが、
理想なんじゃがな」
笑いながら言うおじいさまの願い。でも、僕には”経営者の才能”なんかないのを、
おじいさまも知ってると思う。無理強いはしないだろう。
「ごめんなさい。浪人しても受からなかったら、どこか就職口をみつけるよ」
これ僕の本心。浪人してもどこの音大も受からなければ、その時は潔く諦めて、
働くつもりだ。これ以上、父に金銭的な負担をかけたくないし、甘えたくない。
「ところで、この家だが、もし裕一が東京の大学に行かない時は、家はコンパクトにして、音楽室を残して、残りは、なくすつもりだ。あまった土地は、売る」
・・やっぱり・・
「おじいさま、会社が金銭的に大変とか?僕なら、東京にいても、音楽室だけあれば、
そこで寝泊りするから,今からでも改築してもいいよ」
「まったく、お前の父親も、よく音楽室で寝てたな。勉強してるうちに、寝てしまった
だけのようだがな」
その後、おじいさまは疲れたのか、先に休むといって寝室へ行った。
都築さんが、後片付けしながら、ボツっともらした。
「裕一君、会社のほうは、大丈夫ですよ。心配しないで下さいね。
この家と土地は社長個人の名義だし。何か社長、考えがあるようですよ。
僕はともかく、かあさんは、自分の育った家が変わるのは淋しいだろう。
どっちにしても、おじいさまとこの家の改築の話は、かあさんには内緒だ
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
北海道に帰り、僕は、西師匠にいわれたことを、注意しながら
練習に没頭した。ただ、やればやるほど、2楽章は難しいと感じる。テクニックはそれほどでなくても、
初期の代表作。若いベートーヴェンが、静かの傍観の気持ちになったとは、思えなくなった。
じゃあ、元気よくというわけにもいかない。全体がpの曲の中で、fやダイアンミクスを
どうするか。演奏者の解釈にまかされてるのだろうか。いろいろ悩んだ。
ただし、練習時間の終わりは守る。ばあちゃんを心配させたくないし。
・-・-・-・-・-・--・-・-・-・--・-・-・-・--・-・-・-・
学校では、後藤さんが進路を決めたようだ。
やはり、私立の美大や美術の専門学校には、通わせてくれないそうだ。
だよな。音楽もだけど、絵も油絵の具代やキャンバスとか、お金かかりそうだ。
で、後藤さんは、教育大学の釧路分校を受ける事に決めたと、悲愴な顔で
話してくれた。大丈夫、これから必死に頑張れば。僕も一緒に勉強するよ。
実技のほうは、顧問の先生が、デッサンは見てくれるみたいだ。
釧路分校の美術の実技が、どのくらいのレベルなのかは、後で調べてくれるみたいだ。
デッサンといっても、時間が制限された中で仕上げなくてはいけないらしい。
僕は僕で、8月に那立音大が受験者を対象にした夏季セミナーがある。
ちょうど、陸上の合宿にぶつかったけど、セミナー優先だ。
脇坂と竹中さんは、大手予備校の夏季スクールに行くそうだ。
青野は、急に畜産大学へ行きたいとか言い出して、親が本人より慌ててるとか
2年生でそうだから、さぞや3年生は、進路で奔走しえると思う。
夏季セミナーのため、明日、東京へ向かうという時、父から電話があった。
まだ、どこかの国にいるのか、とんでもない時間にかかってきた。
僕は8月の最初の3日間、東京で夏季セミナーがあると言うと、じゃあ、その時
東京の家に自分達も行くとの事。おじいさまに話があるようだ。
で、東京の家に、両親、僕、おじいさま、都築さん と集まり、いろいろ
話し合う事になったのだけど、正直、大変だった。
結局、僕は、まだ何にも知らないって子供だった・・




