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チェロ弾きの卵

レッスンが終わった後も、八重子先生と引き続き、ショパンエチュードの話を

してた。ピアノを弾きながら。

”ここは、こういう動きがあるから、いやらしいわよね”

”本当だ、陰湿だ。曲は明るいけどイジメにしか思えない”

エチュードop10は、当時の人気ピアニストで作曲家のリストに捧げられたもの

だそうだ。敬意をこめてなんだろうけど、”へ、弾けるものなら弾いてみろ”って

意地もあったんじゃないかって。


ちょうど僕がピアノを弾いてる時、突然、八重子先生のご主人が帰ってきた。

何か、後ろにモヤっとしたものが見えた気がしたんだけど・・

僕は気のせいにして、ピアノを止めた。


「いや悪い。レッスン中。この間の上野さんの楽譜、ありがとう。正直助かった。

上野君は、ファミリーコンサートや、学校での慰問演奏に熱心だったろ?

有名な曲の楽譜がたくさんあって、今度の発表会でも使えそうだ」


喜んでるはずのご主人さんの声は、どこか雰囲気が違う。シンミリしてる。

そういえば、入ってきた時に線香の香りがしたし、お葬式だったのかな。

後で八重子先生が、コソっと教えてくれた。

教えていた中学生の生徒が、交通事故で亡くなったのが一年前。

チェロのレッスンの帰りに事故にあい、今日は、法事に出席したそうだ。


僕は、ちょっとだけイヤな予感がした。

レッスンと部活と勉強で大変なのに・・・ばあちゃんも無理できないし

・・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・--・・-・-・

僕のイヤな予感は、当たった。

ばあちゃんがいうには、僕と一緒について家に入って来たらしい。

中学生くらいの女の子という事。僕は、八重子先生のご主人の生徒さんの事を

ばあちゃんに話した。

本当なら、ピアノ室には入れたくない。今は自分の事で手一杯。

その女子中学生には何もしてあげられない。

若菜ちゃんの時は、まだ僕は本格的な練習を始める前だから、いろいろ出来た。


が、彼女は庭で憩う気がないらしく、ばあちゃんは説得したものの、聞く耳を持たず、

僕と一緒にピアノ室に入ったようだ。

かまわず、僕は練習を始めた。ショパンのエチュードと今回は、ベートーヴェン

ソナタ七番が、課題だ。


ばあちゃんが心配してついてきてくれて、彼女をイスに座らせるも、泣いてばかり。

僕は、集中してたし、そっちをなるべく見ないようにした。

俊一叔父が、窓辺で苦笑いしてる。

練習の終わりに、彼女のためにと1曲だけ弾いた。ショパン、夜想曲遺作。

歌手がこの曲をもとに歌を作り、ドラマの中で使われた。悲しい静かな曲だ。

聞く気がないのか周りが見えないのか・・

僕は、ため息をついた。まあ、無理か。1年もずっと泣いていたのかな。

次の日の朝の練習の時も、泣いていた。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・--・-・-・-

学校へ行くと、後藤さんが話しかけてきた。

絵が完成したので、見て欲しいとの事だった。

部活に行く前に美術室により、後藤さんと一緒に彼女の絵を見た。


「うん、本当は窓からばあちゃんが丹精こめて作った庭が見えて、

綺麗なんだ。これでは省略してるんだね。」

「ええ、外は明るくて別世界にしたかった。だからもう、窓の高さを修正したり

あちこち、辻褄をあわせるのに苦労した」

後藤さんは、笑って言う。うちの音楽室とは思えない風景になっている。


確かに、庭はある面で”別世界への入り口”には、なってるのだけどね


「顧問からもこの絵で、コンクールに出すことで、goサインが出たし。

あ、そうそう、うちの顧問の岡田先生が、上野君に会いたいって言ってた」

「へ?なんの用かな、僕はモデルはお断りだよ。マッチョの林部長に頼む

といいかも」

軽口をたたきながら笑ってると、その噂の岡田先生が入ってきた。


「やあ、君が噂の上野裕一君か。僕は美術担当だから、授業ではあわないね」

僕は、芸術教科は音楽選択。

「後藤君の彼氏のピアノ室。いいね。雰囲気あって。ピアノもあるし、スケッチ

みると、チェロもあったね。今度、一度、チェロを教材に貸してくれないかな。

あの弦楽器独特の曲線が、なんともいえずいい」

なんとも、威勢のいい先生だ。”チェロはちょっと訳アリなので、無理かもしれません”

とだけ答えた。


あ、後藤さんの彼氏って・・美術部ではそういう認識なんだ。

後藤さんは、困った顔をしていた。

ここの高校は男女間の友情は認めない主義なのかと、疑ってしまう。

後藤さんは好きだけど、別にドキドキしたりしないし、抱きしめたいとか

独り占めしたいとか 全然思わない。

こんな僕は、草食系男子 なんだろうけど。


「ピアノ室って、何か特殊なイメージだけど、この部屋は、”誰でもウエルカム”

っていう雰囲気だね。不思議だ」

岡田先生、確かに、”誰でもウエルカム”です。今は、僕はそれどこじゃない、

後藤さんのいう所の”ビリビリオーラ”全開で、練習してるんですけどね。

ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

夜のピアノの練習は、ベートーヴェンのソナタ七番の譜読みにした。

曲の解説では、2楽章がこのソナタでは秀一なんだそうだけど、

僕は好きではない。

曲は同じソナタの「悲愴」の1楽章の雰囲気がある。

まあ、暗くて好きではないけど、あのショパンの6番ってほどじゃない。

1,3、4楽章が、楽しく明るい曲なので、2楽章の暗さが目立つのかも。


この曲は1楽章が長い。しかもprestだ。超速くだ。しかもオクターブで動く

箇所が多い。あと三度の和音と。

僕は注意深く、オクターブの練習をする。

僕は指が長いほうだけど、それでもオクターブの練習は手に負担がかかる。

いきなり速度をあげないほうがいい。


今日もばあちゃんが、心配してついてる。

ばあちゃんの体にさわるから、僕は大丈夫だから といっても聞かない。

泣いてる彼女は、チェロを見つけて、泣き止んで、楽器を見つめてるそうだ。


彼女はチェロ弾きの卵だった





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