ベートーヴェンピアノソナタ 月光 1楽章
後藤さんの描く絵のため、月光ソナタを弾く裕一。。
今度のベートーヴェンピアノソナタ6番は、前にやった1番とガラっと違う。
曲も3楽章だけだし、長調の軽く明るい曲だ。
とりあえず、譜読みはゆっくり、指使いを間違えると、後で直しがきかない。
1楽章は、指で背中につつくように、和音だけどpで。で、やっとffの所がでてきても
すぐpにもどり、またf。めまぐるしい。この差をキチっと出さないと。
3楽章は、青野のような曲だ。常に前向きでいつもチマチマと
動いている。今は青野は 少し元気ないけど、またこの曲のように f で
動き回れるようになるだろう。
1年生で最後のピアノレッスンは、この6番。
譜読み段階から進んではいるものの、僕の曲は、まだ流れが統一されてない。
「う~ん、1番の事は忘れましょうね。この曲は明るく楽しい曲。
ちょっとユーモラスな所もあるし。スタッカートもいろいろ工夫してね。
こういうパターンの所は、fだけどあまり重くならない。
裕一君は、まじめだからかな。この曲の即興的なというか、ちょっとおふざけ
してるような雰囲気が、かえって難しいのかもね」との八重子先生の言葉
4月になって、2年進級時のクラス替えはあったけど、顔ぶれはあまり変わらなかった。
もともと2クラスしかないしね。
青野と脇坂とは一緒、後藤さんと田阪さんもだ。
2年になると、進学用、就職用と補講を取る事が出来る。そういえば、後藤さん。
美大に進学したいと言っていたけど、順調だろうか。
本州では、4月の入学時期は桜が咲いて暖かだけれども、北海道ではまだ雪解けが
始まったところだ。今年は雪が多い。
部活もまだ校内で行っている。本格的な活動は5月にずれこみそう。
そんな落ち着かない4月、たまたま美術室の傍を通った。
後藤さんが廊下にでてきた。油絵の具の独特のにおいがする。
すれ違いざまに、僕は手をあげ挨拶した。が、きづかず、スタスタ行ってしまった
僕は追いかけようかと迷った。
いや、方向転換して彼女が僕のほうにやってきた。
「ごめん。あの上野君、「月光」って曲、弾けるかな」後藤さんは、クリっとした目を、
僕を見つめる。絵の具のついたエプロンをしていかにも活動的だ。
「ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」のことかな?」僕は一応確認。
「あっと、この絵見てくれる?恥ずかしいけど。これ、月光っていう題。
曲を聴いたときにすごく感激して、調べたんだ。そしたら
月に照らされた湖面と浮かぶ船の風景から、その名前がついたっていうから
情景を思い浮かべ、絵に描いてみたんだけど・・・顧問に、"この絵は描き直し”って。
で、もう一度、月光を聴いてみたいんだけど」
その絵は、山の中の湖の湖面に月が映ってる絵だった。ごく普通の絵だけど。
月光ソナタ。多分、1楽章だけなら少しさらうだけで弾ける
「いいよ、明日の昼休みでいいかな?楽譜がないと弾けないし、1楽章だけでいい?」
多分、後藤さんのいうのは、1楽章だけだろう。っていうか3楽章は要練習だ。
次の日の昼休み、僕は音楽室で「月光」を弾いた。
確かに、後世の人が、そういう印象を受けて名前をつけた曲だ。
作曲者本人はつけてない。だから、左手の3連符を波と意識して弾く必要もないと
僕は思う。1楽章を弾き終わって、”確かにこの曲なんだけど”と後藤さんが
腑に落ちない顔をしてる。うん、僕の未熟さがあるからね。
ウチの音楽室でCDを聴くことにした。たまたま部活が休みになった次の日の
学校帰りに、二人で聴いた。
「やっぱ、なんか違うのよね。それに夜の湖面っていうのが、まず思い浮かばない。
実際みたのは、小学生のキャンプの時の屈斜路湖だけだし。ネットで写真とか
見たけど、今一だった」
「じゃあ、CDを聴いて思い浮かぶものを、あげてみると?」と僕が問いかける。
「夜、絶望、哀しみ、波音、暗い部屋、・・うう難しい」僕は、もっと思い浮かばない
僕は想像力不足だ。この曲をさらうのは苦労するかもしれない。
「多分、後藤さんと、曲名をつけた人は、受けたイメージが違うんだ。万人が同じ
イメージを持つわけじゃないしね。曲の感動を絵にしようとして、そのズレを、
顧問は感じ取ったのかもしれないね。僕は絵はさっぱりわからないけど。」
話は、彼女の絵の事に代わった。
先輩のアドバイスでは、”上達のコツはとにかくなんでも描きまくる事”だそうだ。
そこで、僕は提案をした。演奏会や美術展を教えてくれたかわり
でもないけど、このピアノ室のスケッチはどうだろうと。
ここには、グランドピアノ、俊一叔父のチェロ、楽譜、イス、机、いろいろある。
彼女は、大喜びでOKした。実は描いてみたかったの って。
僕は彼女を祖母に紹介し、僕が部活でピアノ室を使わない合間、
彼女ここに来てスケッチする事になった。
2週間後、僕は、意外な絵を目にすることになった。
それは、パステルで描かれ、油絵の下絵にすると彼女は言っていた。
この構図が頭にひらめいて、はなれないとか。彼女自身も不思議がっていた。
それは、窓から横向きで外を見ていた男性が、こちらを振り返った絵で
その男性が、俊一叔父そっくりだった・・・




