母、東京へ帰る
母さんが、そろそろ東京に帰る準備をしだした。
本番にそなえて、ギリギリまでこちらで曲を仕上げていくらしい。
東京での本番は、ジョイントコンサートで、弦楽四重奏+ソロ という変則的な
プログラムだ。各、パート一人づつソロ。休憩の後、四重奏。
母はソロの曲は、モンティの”チャルダッシュ”という曲。
最初の叙情的でゆっくりとしたメロディから、超はやい、これでもかっていうくらい
テクニック満載の曲。深い曲ではないというと、モンティが化けてでそうだけど、
殆ど、ロックかダンスミュージックのノリ。
伴奏はそれほど難しくはないので、母さんのバイオリンにあわせて弾いたけど、
超速い部分が、伴奏のほうがついていけなかった。
"裕一、この部分はお互いにあおりあって、ヒートアップしいく所よ”なんて、
クラッシックのバイオリニストとは思えない母の言葉だった。
母は10月の終わりにアリサさんと東京へ帰っていった。
母は、若干だけど体重がもどり、元気になった。アリサさんもだ。
あの、知床旅行、やっぱりよかったんだ。旅を提案した祖父の大手柄。
じいちゃん、、ありがとう。
11月になって最初のレッスンの日、家につくなり僕は八重子先生に謝られた。
「ごめん、裕一君。音大の冬期講習、締め切りすぎてしまったの」
音大では受験生のために、夏季と冬季、講習会を行っている。もちろん1,2年生も
参加可能。夏季が場合によっては、一般でもOK。
僕も、悪い。わかっていたけど、まだ自信がなくて迷ってるうちに、締め切りだ。
「先生、いいですよ。今年は。僕はまだ未熟ですから。来年の夏季の講習は受けます」
そんなやり取りのあと、レッスンが始まった。
今日は、テクニックの後は、平均律2集から5番。平均律集は長調の曲、短調の曲の順番なので、
5番はニ長調の明るいリズミックな曲だ。
前奏曲は調子にのって、左手の和音がザツにならないように。
フーガはゆったりとしたテンポだけど、4声。僕は、ちゃんと弾き分けが出来てるだろうか。
前奏曲はOK,フーガは、八重子先生から2,3フレージングで指導を受けた。
フーガは、主題のほかに副主題もあり、そのほかいろいろフレーズが隠れてるので
油断ができなかった覚えがある。バッハは、何度さらっても、いいかもしれない。
ベートーヴェンのソナタをさらう事になったけど、とりあえず、初期の作品から
さらうことに、相談して決めた。
帰ると、祖父母と僕の二人だけっていうのが、淋しいくらいだった。
思えば、小学校・中学校と僕は東京の家では一人でいる事が多かったのに。
特に淋しいと思うことは、少なかった。
「まあ、台風みたいに来て去っていったけど、いないと淋しいね。いるときは
目が離せなくて、正直、振り回されたけどね」
「栄子さん、お疲れさま。特製ドリンクの効果はあったみたいだね」
「今度は、この3人でどこかへ旅行しましょう。温泉のあるところがいいね」
そんな祖父母の会話に、溶け込んでる僕は、4月にここに来たばかりなのに、
”ああ、家族なんだなあ”と実感した。母さんも加われば完璧だ。
父?ああ、あれはいい。母のピンチに電話すら来なかった。薄情者だ。
それとも、柿沢さんに伝えた母の情報が、父に届いてなかった?それもありうるかも。
うっかり、お休みモードの父に、母ピンチの情報を伝えると、すぐに飛んできて、
しかも仕事に支障がでるくらい、母にまとわりついたかも。
二人とも、扱いづらいと、マネージャーは思ってるだろう。僕も同じ思いだ。
ある日、学校の階段から女子の声が聞こえた。
あれは、吉岡さんと、相手は誰か知らない人が。
「美穂は、将来、どうするの?青野っちが、俺が跡取りになると、宣言してるらしいけど」
「や~だ。そこまで話しが広がってるの。違うのよ。青野の勝手な思い込み。訂正する
にも相手が真面目すぎて、タイミング失っちゃった。今度、しっかり言っとくわ。」
「だよね。美穂、前から札幌に行くって決めてたものね」
「やっぱ、田舎じゃ、たるいというか。服も好きなものないし、ネットで買うように
してるけど、直接みて歩いて買ったほうが楽しいし」
「だよね~私もそうしようかな」
青野、やっぱりお前、先走りすぎでたな。
でも、僕はなんとなく吉岡と顔を合わせるのも、バツが悪くて、回れ右した。
廊下に脇坂がたっていた。脇坂はこの間吉岡さんと一緒だった竹中さん
と話してる。あの脇坂が。そして二人とも難しい顔をしてる。
近寄りがたい雰囲気だったんで退散しようとしたら、呼び止められた。
「上野、いい所に来てくれました。この英文の構造がよくわからないのです。
竹中さんに質問されたんですが、お手上げです。わかりますか?」
竹中さんがさっそく本を差し出した。準2級の英検の問題集だ。
これならとさっそく、僕は解いたけど。
脇坂にも彼女、出来たのかと思って、若干あせったよ。




