天に昇る
主人公裕一のやったことは、どう作用するのか。解決できるか・・裕一
次のレッスンの時、先生は自然なニッコリ顔で涙だけがぼろぼろこぼれていた。
”裕一君、いらっしゃい”の言葉の調子もごく普通だった。
先生、涙腺故障したのかな。
「前回のレッスンから、私は、”天国の隼人のためにピアノを弾く” それが出来るようになったの。弾くと涙だけが自然とでてくるけど、悲しいけど平常心でいられるの」
まだ話しを続けたそうな先生に、はい、先生、まず涙を拭いてと、ティッシュを出し、
椅子に座った。話しの続きと聞くつもり。
「隼人が死んでからずっと泣いてばかりだったけど、少し落ち着いてから、天国にいる隼人のためにピアノを弾こうとしたの。でも、駄目だった。ピアノを弾くと余計悲しくて。」
僕はしばらく考えたが、昔だめで今はいい理由が わからない。それに去年、生徒を教えたって聞いたけど、僕は不思議だった。隼人君の泣き声はともかく、先生の状態は今よりいいとは思えないんだけどな。
「そういえば、先生は、去年も音大志望の生徒を教えたとか。もう、その時には”ピアノを弾くと悲しくなる病”は克服出来てたんじゃないんですか?」
僕は、なんの不思議もないという笑顔で。ちょっとズケっとした言い方だったかな。
「そうなのよね。去年は、都合で生徒さんのお宅でのレッスンだったけど。お宅に伺うと、はれやかな気分になって、肩が軽くなるかんじで。きっと親御さんのおもてなしの心が行き届いてたのね。」
そういう先生の目はもう乾いていた。あの涙は?またボロボロ出てくるのかな。
レッスンが始まり僕は唖然とした。
隼人君が浮いてる。しかも小さくなって。僕と目が合うと笑ったような。
レッスンは順調に進んだ。泣き声もないので集中できたし。
「初回はやはり緊張してたのね。この調子でガンガン進めて行きましょう。平均律集をさらいながら、ベートーヴェンのソナタもすこしづつやりましょう。」
レッスンの終わりに、先生に連弾を申し込んだ。フォーレのドリーから「子守唄」
実は最初から、もし上手くレッスンが出来たら、一緒に弾こうと思って用意していた。
先生も、子守唄なら大賛成ってことで、連弾が始まった。
僕は隼人君をチラっと見た。やっぱりそうだ。若菜ちゃんの時と同じようになった。
天井がなくなって空が見え、今回は上から人が降りてくる。
着物に割烹着姿の女性のようだ。ちょっと雰囲気が先生に似ている気がする。
あ、これが、ご先祖様のお迎えなのかな。隼人君をだいて、僕にかるく会釈して天に昇っていった。うっかり僕も会釈してしまったけど、不思議がる先生に、拍子をとったんですと、ごまかした。
隼人君、よかったね。
家に帰り、すぐ祖母に報告。
「それはよかった。わたしゃ、もっと時間かかるかと思ったけど、よかったじゃないか。
これで、ちゃんとレッスン受けることができる。」
祖母は、満面の笑みだけど、若干、腑に落ちない点もあるみたいだ。
で、僕は、先生との会話、去年の生徒の事をいうと、ああ。なるほどね~と、納得した。
え、どういう事?僕にはさっぱりわからないんだけど。
「まず、去年の生徒さん、おそらく強い”気”の持ち主だ。強すぎて隼人君は近づく事が出来なかったんだろうね。で、まあ、お前が少し後押ししたのもあるけど、先生自身も、悲しくても、激情の時期は終り、静かな喪の時期になったんだ。なんにせよ、もう大丈夫だろう」
強い気か・・見えるものじゃないからわからないけど、僕にはないというのはわかる。
夜、レッスンを終え、僕は隼人君のためにも1曲弾いた。
ラヴェルの「逝ける王女のためのパヴァーヌ」 管弦楽編では、ホルンの主旋律が物悲しい曲。
窓際に俊一叔父が立っている。外の月をみているのかな。
ひときわ姿がすけて見える。その俊一叔父について、その事故の様子を聞きたかった。
次の日曜日、僕はレッスンがないので部活に出かけようとした時、森田さんが突然やってきた。
丁度、祖父母が出かけていたので、僕が応対した。
預けていたチェロをとりに来たらしい。僕は祖父に連絡、楽器を渡して自分が戻るまで、
お茶でも入れてほしい との事だった。
お茶と茶菓子をそえて、森田さんと話しをすることに。
俊一叔父は、有名な演奏家ではなかったそうで、知らないだろうと思ったけど、森田さんに俊一叔父の事を聞いてみた。
森田さんは、俊一叔父の事を雑誌や新聞報道で読んだのだそうだ。
学校での銃の乱射事件は、ここ最近増えてきて、大々的に報道される。
小学校で、音楽教室のボランティアでチェロの演奏をちょうど終えた時、その事件は起きたそうだ。
クラスに入るなり、発砲し逃げ惑う子供めがけて銃を撃つ二人組みの犯人。
その一人の犯人のライフル銃を奪おうとし突進し、もみ合いになり、結果、もう一人の犯人に 二人とも撃ち殺されたんだとか。当時は、ライフル銃を持つ相手に無茶だとか言う人もいたし、論争にもなった。でも、結果、数人はその時間稼ぎで逃げ延びる事が出来たのだそうだ。俊一叔父は有名になったとか。
死んでしまったのが残念だった?何か、気にかかる事でもある?
それとも隼人君のように誰かの執着に縛られて、現世に留まってる?
僕の事を心配して残ってくれるのなら、ありがとう。
でも、もう天に昇っていかないと、僕は大丈夫。そう思っていても口には出せなかった。
僕は、俊一叔父さんと別れたくない。音楽室で僕のピアノを聞いてほしい。
執着して叔父をひきとめてるのは、僕かもしれない。




