八重子先生
父と話し合いした結果、音大に挑戦することにした主人公・裕一。釧路の先生のレッスンにつく事になったのだが。。。
9月から、僕は忙しくなった。紹介してもらった釧路の先生にの自宅に、週末、伺うことになった。東京の先生からは、とりあえずは、テクニックでは、ツェルニー60番、バッハの平均律クライア集1,2巻目、あと1曲は、ベートーヴェンのソナタから。
詳しくは、相談しながら、という事になっているそうだ。
釧路まではバスがでているが、祖母がついでに繁之伯父の所に行くというので、1泊で、JRを使う事になった。
釧路行きの当日、快晴で僕と祖母は列車の中から湿原をみながら、まったりしていた。
”この辺りから釧路までは、昔々は海だったそうだよ。湿原はその名残だそう”
祖父は、残念なことに児童館のイベントが入っているということで、今回は留守番。次は僕が裕一と一緒に釧路に行からと笑って言っていた。
釧路駅では、繁之伯父が向かえに来ていた。
伯父が、”お母さん”と言いかけた所で、”おばあちゃん”と双子の麻衣・留衣がとびついてきた。おしゃまで可愛い二人。留衣は、祖母や僕と同じ能力があるのだけど、今日は、幽霊のたぐいは、何もいないようで安心。
伯父の家では歓待された。祖父母は頻繁には釧路に遊びに来ないそうだ。
「俺は心配なんだよ。お母さん。二人きりの生活だと淋しいし、心細いだろう?こっちで一緒に暮らそうって言ってるんだけど、年寄り扱いするなの一辺倒で聞く耳もたないし」
伯父はビールを飲みながら愚痴をこぼした。伯母も同じくうなづいていた。
「いいんだよ。今の暮らしが一番さ。知り合いも今の町に多いしね。第一、繁之、お前、管内とはいえ転勤がある職業だろう?一緒には暮らせないよ」祖母もビールを飲みながらいい調子だ。ちなみに伯父の家は教員住宅で手狭なので、僕と祖母はホテルで一泊。
ホテルは港が一望できる所にあり、開放的な気分になった。
次の日、祖母と一緒に先生宅にタクシーで向かう。
先生の、美作八重子先生は、僕の志望大学・邦立音大の卒業生で、東京の僕のピアノの師匠の弟子。東京で、国内で伴奏や室内楽などで音楽活動をしていたそうだ。
先生の家は高台にあって環境がいい。鳥の声も聞こえる。高級住宅地って雰囲気だった。
震える手でドアベルを鳴らすと、先生が出てくれた。色白なのか、顔色がすぐれないようだ。体調を崩したのなら、また次回にしたほうがいいんだろうか?ドアベルを押す前、祖母は家の前で、なにやら厳しい顔をしていた。緊張してた?
軽く自己紹介をし、祖母は、僕の保護者として丁寧に挨拶した。
おばあちゃん、やっぱり緊張してるんだ。ニッコリ顔をしていても、無理してるのが僕にはわかる。
レッスンが始まった。基礎力をみるため、ツェルニーは1番の音階、平均律は2集の1番を弾くことになった。ピアノを弾き始めた途端、僕は祖母のひきつり顔の理由がわかった。
赤ん坊の声がする。それも火がついたような声。僕は霊の声は聞こえなかったはずなんだけどなと、思いつつ先生をみると、先生の足元にいた。赤ん坊だ。1歳くらいかな。
八重子先生は、赤ん坊の姿も見えないし声も聞こえないらしい。
不機嫌な様子ではあったけど聞こえてるわけじゃないようだ。
平均律1番を弾き始めて、もう僕は限界だった。前奏曲をなんとか弾ききったけど、フーガになると、赤ん坊の声で邪魔され、自分の音が聞きづらく和声が崩れてしまった。
何度か、祖母があやしようとしたが、赤ん坊は見向きもしなかった。時たま、先生宅の飼い猫らしいシマシマ猫が(シマちゃんという名前だと後で知った)赤ん坊の傍にきた時だけ、気がそれて泣き止む。そのとき以外は、赤ん坊は泣きっぱなしだった。参った。
八重子先生が、レッスンを一旦とめた。先生の顔の不機嫌さがましたような。
「東京の師匠の紹介で、今回、教えることになりましたが、どうも今日は、上野君、初回という事で緊張してたのかしら?フーガは、総崩れでしたね。もうすこし音を聞いて和声を表現して下さい。平均律1,2集のおさらいを、まず、やっていきましょう。テクニックはここでは、なるべく時間をとりません。曲のレッスンが中心になるように」
先生は、にっこり笑って言ってくれたのは、僕が、多分、落ち込んだ顔をしていたからだろう。確かに僕は、落ち込んでいた。落ち込む理由が、先生の予想もしない事だけど。
どうしよう。レッスンの度にあの赤ん坊の声を聞くのは、苦行だし、ちゃんと弾くの無理。
帰りにお茶をご馳走になって、東京の師匠の話しに花が咲いた。先生の笑い声はコロコロと鈴をころがすような声で、周りを明るくした。八重子先生の旦那さんの写真を見せてもらった。体育会系のような体格と顔のチェリストで同じ邦立出身だとか。今は大手の楽器メーカーの教室で、チェロを教えているそうだ。で、その隣においてあった写真は、赤ん坊の写真。ビンゴ。泣いていたのはこの子だ。僕がその写真を見てると、先生の顔は急に曇った。
しまった と僕は思ったけど、八重子先生は、話してくれた。自分の子を5年前に1歳で亡くしたそうだ。男の子だったとか。インフルエンザから肺炎をおこしたそうだ。そう話すと、ボロボロと涙をこぼした。
「そうですか、それは大変でしたね。」祖母も言葉が少ない。
泣き出してごめんなさいと謝りながら、先生は、次のレッスンの予約をしてくれた。
見捨てられなくて、よかった。でも、赤ん坊はどうしよう。




