母、熱をだす
僕はその日の夜、いろんな事を思い出しながら、もう一度考えてみた。
小学生の頃は単純にDVDに映る演奏会での父母の姿を見て喜んでた。
中学生になると、いつか父母のような国際的な演奏家になると決め、また、なれるとも思っていた。父母の事を誇らしく思ったが、実際に会ったのは3年間だ3度だったかな。
東京にいた時、僕の身の回りの事は、例えば父母参観日とかには、秘書の都築さんが来てくれた。食事はテルさんに食べたいものをリクエストしてた。二人が僕の両親の代役でしてくれてたんだ。
両親と一緒に暮らしたいと駄々をこねたのも小学生までで、中学生になると、ピアノの練習ですっかりそんな事も忘れていた。
高校入学のもろもろの手続き、その他、法的・金銭的な事など、コンクール出場の手続きにいたるまで都築さんがしてくれた。もしくは父の事務所のほうで、やってくれる事もあったようだ。
だから、もう、今更だったのだ。僕にとっても、もう両親は必要ないのかもしれない。
そこまで考えると、だいぶ気持ちが楽になって、やって眠りにつく事が出来た。
次の日は、濃い霧の日で肌寒かった。8月なのに、さすが北海道というか。
その日は、野球部もサッカー部も長期合宿で不在、グランドは陸上部が貸切状態だった。
もうそろそろ昼という時、部員達がざわめきだした。
”おい、あそこに白いワンピースの女性がいるだろう?””いや、見えないけど””いるよ、若いかも、茶髪の巻き毛”
茶髪の巻き毛と聞いて うん??と思ったけど、まさかね。
林部長が部員全員に声をかけた。「午前の練習の最後にグランド1周」全員、駆け出した。
あれ?予定では、整理体操で終わりなんだけど。。あ、確かめに行ったんだ。
僕は、その女性がいるという方を見て、慌てた。
「母さんだ!」駆け出し近寄ると、濃霧のせいで半そでのワンピースは濡れていた。
体も冷えてるようだ。顔色が白く血の気がない。
「あら、裕ちゃん。裕ちゃんは、走らなかったのね」母は、のん気だ。
「母さん、もう、こんなに体冷えちゃって、風邪ひくよ。早く家に戻らないと」
事情がわかったのか、武田さんが、母のためにベンチコートを持ってくれた。
「サンキュウー。助かる。恩にきます」彼女に礼を言い、顧問に事情を話し祖父に車で母を向かえに来て貰う事にした。男子部員から、”え、ヤマのカアチャン?””まじ?しんじられねぇ””20代の母さん?”いろいろ声があがったけど、その日は、僕も午前で練習をあがることにした。
家に着くと、母は毛布でグルグル巻きにされ、ホットミルクを飲んでた。
僕は祖母に「母さんの熱は?」と聞くと、今のところは大丈夫という答え。僕はホっとした。また、父さんに怒鳴られたら、今度は僕もキレしかない。
祖母は母さんに「春香さんも、もうちょっと考えて欲しいもんだね。体力落ちてるんだから。行くにしても、もっと暖かい格好でいかないと、風邪を引いたら大変だよ」
「すみません、お母さん。裕ちゃんの高校とか見てみたかったので」
勘弁してよ母さん。今日のこの天気に薄手の生地の半そでワンピースはないでしょう。
音楽室から父が出てきた。ずっとスコア読みに熱中してたそうだ。祖父に「雅之、音楽室で勉強をするのはいいけど、その熱中癖なんとかならんのか」と怒られてた。ざまあみろだ。
父は、どうもスコア読みが始まると、春香さんの声も聞こえないそうだが。
願いに反して、母は夜に熱が出た。父は”病院は?救急車とかよぶ”と大騒ぎだったが、祖母の 微熱だから、市販の薬を飲んで一晩様子をみる の言葉にしぶしぶ従った。
次の日には、母の熱は下がったが、その日一日、家でおとなしくしてるように、祖母に言われた。母は少しでも練習したかったようだけど、祖母に禁止された。
部活では、僕の母について男子連中から、質問の嵐だった。全員が練習メニューをクリアすれば、質問に答えますと、マネージャーの僕は、つっぱねた。
脇坂だけは冷静で、なるほど、みたいな顔をしてる。後で聞いてみよう。
夕食の後、祖母が珍しく音楽室で、ウロウロしていた。誰かを探してる様子だ。
俊一伯父に用事かな。
僕は祖母にどうしたの聞くと「いやね、どうしても合点がいかないんだよ。確かに雅之は春香さん命だけど、大声で怒鳴る事なんてなかったのに、どうもいつもと違うような」
父さんは、世界中を回り演奏会をするうちに、いつも幽霊やらなんやらをつけて帰ってくるらしい。ここに来て、ばあちゃんが、そのもろもろを祓うそうだ。父はいわゆる霊媒体質ってやつ?。
僕も試しにピアノを弾いて、部屋をよく見てみた。曲はサティのジムノペティ
いた。右の本棚の陰に。ホームレスのようなズタボロな男の姿が見えた




