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母の来訪

最初、ばあちゃんの冗談かと思ったが、母は本当にやって来た。

鬼・・いや敏腕マネージャーも一緒だ。いや、一人なら来られないだろう。母は未曾有の方向音痴だ。現地空港内で迷子だ。マネージャーの沢田さんは、フーっと言って荷物を降ろす。やれやれ時間かかった・・とつぶやき、祖母に「はじめまして。山本のマネージャー兼プロデュースをしている沢田亜里沙と申します。以後、よろしくお願いいたします」と深く頭を下げた。

「じゃあ、春香ちゃん、私も休暇に入ります。毎日連絡しますので、何かありましたらその時に」彼女はそう言って、出て行った。


「ようこそ、春香さん。狭い家ですがゆっくりしていって下さい。」祖父はいつものニコニコ顔で挨拶する。その顔が若干、嘘っぽく見えたのは僕の気のせいか・・。

祖母はお茶を出すと「春香さん、本当にご無沙汰だね。仕事は大丈夫なのかい?」少し皮肉まじりの祖母の言葉は、それでも親しげだ。

「本当にご無沙汰ばかりして申し訳ありませんでした。裕一がお世話になってます。ありがとうございます。」母は正座で深深と頭を下げた。

「いいんだよ。孫の面倒を見る事ができて私も嬉しいし、じーさんと二人じゃ寂しくてね」

祖母は笑いながら言った。

「裕ちゃん、ごめんなさい。みんな、私が悪いの。落ちこぼれママで。裕ちゃんがピアノでつまづいたのも私のせいだわ」と、いきなり僕に抱きついて泣き出した。

僕は、ビックリしたのなんのって、これは本当に僕の母さんか?とも思った。東京でちょっと会った時は、ミセス・クールビューティだったような・・

僕は、まあ、お母さん、落ち着いて。母を強引に座らせた。

母は、エグッエグッと、まだ泣いている。子供みたいだ。


落ち着いた所で、母の長い話が始まった。

僕を生んでから、演奏家をやめようかと迷った事。結局、出来ずに、演奏家を続けると、

予想外に仕事が舞い込んで、暇がなくなったこと。たまに帰っても僕は東京では、都築さんやテルさんの後ばかり追い、自分になつかなかった事、僕が音高に進まず、父の両親のもとで暮らすことになったのを聞き、鬼マネージャーのアリサさんから、札幌音楽祭の仕事をとり、強引に休暇を取ってここに来たこと などなど。

母はまた改めて祖父母に すみません、お父さん、お母さんと頭を下げる。

祖母は、「いいんだよ、本当に。それにしても春香ちゃん、少しやせたね。体調は大丈夫かい?仕事のしすぎなんじゃないかい?」と優しく聞いてきた。

それを聞き、母がまた、ワっと泣き出した。


「裕一が極度のあがり症なのは、私の遺伝なんです。私もひどくて・・」

ちょっと待った母さん。母さんの演奏会の様子は、録画が送られてきて、その都度、見ていた。綺麗な衣装で堂堂とバイオリンを弾く母さんは、インタビューでも、確か”強気のキャラ”で通ってなかったか?とまどう僕をものともせず、母は続けた。

「裕一が、緊張のし過ぎで救急車で運ばれたって聞いて、都築さんからは、異常がないと聞かされても、裕一の事が心配で心配で、でも演奏会の予定がつまっている時でどうしようもなくてそれで・・」お母さんは続けようとしたが、僕がとめた。また泣き出しても困るし、僕と母さんだけで話したいとうか、相談したい事があって、ピアノ室に二人で移動した。


母さんは、僕と二人だけになると少し落ち着いてきた。

「ここが父さんの”隠れ家”ね。いい所、庭が綺麗だわ。お母さまが丹精こめて作ってられるのね。ヨーロッパの田舎の庭みたいだし」

母は、コーヒーを飲みながら、私も来年も休暇はここで取ると言いだした。

話しがそれそうになったので、僕は本題をきりだした。

「お母さんが緊張症って本当?コンサートでは堂堂として見えたけど」

「そうなのよ。コンクールは何回も出たけど、直前には何も食べられなくて、水を飲んでは吐いてたり、出番がきても舞台袖で動けなかったり、とにかく苦しかった。」母さんは僕なんかよりもっとひどい、しかもそういうのを繰り返して今は演奏家として活躍してる。

僕なんか、一度の失敗で諦めかけてるんだから、やっぱりヘタレだ。

「そういう苦しいのって、少し楽しいとかある?」僕は白井先輩の事を思い出して聞いてみた。「苦しいものは苦しいわよ。で、ある時、バイオリンの師匠に相談したら、ひどい緊張症には、死ぬほど練習する事で克服するしかないって事だった。それにまったく緊張しない演奏家は演奏家じゃないって。」

「緊張はつきもの。それに死ぬほど練習か・・そうえば、母さん痩せた。練習のせい?」

「ええ、今回は7kg痩せた。練習で6kg、本番で1kg。次の本番までに戻さないと、着られる舞台衣装がなくなっちゃう。アリサに叱られるわ」

本当に久しぶりの親子の会話、兼、音楽家と弟子の会話ってかんじか。

「裕ちゃん、つらいなら音楽家の道、諦めてね。母さんもつらいのはわかるから心配なの。

別の仕事をしながらピアノは趣味でっていうのもいいじゃない。」

母さんと話して、僕は少しホっとした。で別の問題も聞いてみた。”脱力”のことだ。楽器は違うけど、

「脱力?そう、バイオリンも脱力なしではいい音がでないのよ。。私もずっと、苦労したのよ。左手は弦を強く押さえなさいって言いなが力を入れずにって、矛盾しない?でもそうしないといけないし、右の脱力は特に厳しく注意されたわ。先生の言ったとおりに出来るまで時間がかかった。私、不器用なのね。」

僕が母さんに似てるってよくわかったよ。僕は不器用だったんだ。




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